ザコメンタルがもたらしたもの

 義姉がまだ卒業する前の事を思い出していた。


 そういえば、と思い出した事があるのだ。

 ある日の放課後。

 義姉と一緒に帰ろうということになり、ボクらはなぜか校舎裏に向かった。ボクは義姉が何かを探している所をじっと見ていただけ。


 しばらくすると、何かを両手で包み込んで、義姉は来た道を戻って行く。ボクはスタスタと生徒玄関に向かい、「誰か来ないか見張ってて」と言われたので、靴棚の前で左右を確認。


 ガチャ。――ブゥン――パタン。


 一瞬の事だったので、義姉が何をしたのか分からなかった。


「ねえ。おねえちゃん」

「あたしは良いけど。ケイちゃんに酷い事をしたのは許さない」

「ボクは言うほど悪い事されてないよ。おねえちゃんの方が酷かったじゃん」


 まあ、時系列的には義姉が大きな胸を露わにした翌日の事だ。

 義姉は頬を膨らませ、ある靴棚を睨んでいたのだが、相変わらず何をしたのか分からない。


「行こ」

「う、うん」


 手を引っ張られ、ボクらは今度こそ家路についた。

 生徒玄関を出て、緩い下り坂を歩いている途中、ボクは聞いた。


「何したの?」

「コオロギ入れた」

「……わぁ……」


 義姉はやられたら泣き寝入りするタイプじゃなかった。

 ちゃっかり、だ。

 目に涙を浮かべて、いかにも可哀そうな様子だが、ボクは何となしに義姉の性格が分かっていたが、あえて聞いたのだ。


 未来の義姉は引きこもりだが、高校の頃はこんな感じで、ちゃんと反抗していたのである。

 つまり、ボクが知らない所で、義姉がイジメっ子に対し、どんな抵抗を見せていたのか分からないわけだ。もしかしたら、コオロギを入れたのは初犯ではなく、数回に及んだ犯行の可能性があった。


「まあ、やり返す元気があるなら、全然良いと思うけど」

「あたし、何もしてないもん。なのに、いつも意地悪して。去年はケイちゃんの前でおかっぱにされたし!」


 バッサリ切られた事がある。

 ただ、髪質がふんわりしているので、セットをしなくても『ゆるふわ系ボブショート』みたいな髪型になっていた。


「明日は……ミミズ入れる。その次は、カマドウマ。トカゲも入れる」

「お、おねえちゃん。陰湿過ぎるよ……」

「ケイちゃんはどっちの味方なの⁉」


 手をぎゅっと握られ、圧力を掛けられる。


「おねえちゃんの味方だけど……」

「だったら、協力してよ」

「ボク、トカゲとかはちょっと……」

「えぇー? 家にいるじゃん」


 あれって、家にいるんだ。

 見かけたことはないし、虫なんて注意深く見てないから分からない。


「おねえちゃん休みの日は、外に出ないじゃないか。何で、虫に詳しいの?」

「庭先で、いつも葉っぱ拾ってるから」

「な、何のために?」

「工作」


 何を作ってるんだろう、とこの時は思っていた。

 今なら、ミニチュアを作ってる事が判明しているから、たぶんそのためだろうと想像はつくが。


「やり返されたらマズいよ」


 義姉は道の途中で立ち止まり、真剣な表情で言った。


「あたしは、正面から戦わない! 必ず、相手が見てない所で仕返しをするんだ」


 キリッとして、義姉は言い放った。

 それから、難しい顔で俯き、ほっぺがぷっくりと膨らんでいく。


「家族に手を出したら、……虫を入れる……ッ!」

「何だろう。仕返しの気持ちとか、怒りは分かるのに。手段が……」


 義姉は隠者である。

 面と向かって、相手に文句は言わない。

 殴りかかる真似もしない。

 だけど、人目がない所では陰湿な手口で、相手に仕返しをする。


 ボクが反応に困ってると、義姉の陰に見知らぬ男子が立っている事に気づいた。


「よっ。アリナ。帰り?」


 どうやら、クラスメートらしい。

 なかなかのイケメンで、スラリとした体型の男子だ。

 義姉は咄嗟に顔を背け、梅干しを食べてるみたいな顔になった。


「う、うひゅ」

「ふ~ん。あ、そうだ。アリナさ。……ちょっといい?」

「う、ぎゅ……」

「日本語話しなよ。おねえちゃん」


 ボクは気を利かせて、自分から後ろに下がった。

 ある程度、距離を取ったところで、義姉から視線を外す。

 路肩の向こうに生えてる名前の分からない木を眺めていると、離れた場所から義姉の「ゆぇぇ!?」と素っ頓狂な声が聞こえてきた。


 あたふたとする義姉に片手を挙げ、挨拶をした後に、その男子はボクにも手を振って、さっさと行ってしまった。

 取り残された義姉に近づき、肩をつつく。


「どしたの?」


 義姉はダラダラと汗を流し、俯いてしまう。


「何か、あの人たち、生徒指導室に呼ばれたみたいで……」

「イジメてきた人達?」

「……うん」

「え?」


 話をまとめると、こうだ。

 お義姉ちゃんがイジメられてる。――クラスの誰かが目撃。――許せねえよなぁ!?――全員で詰める。――先生にチクる。――全員、呼び出し。


 話を聞いたボクは、義姉のクラスメートがまともな人ばかりで安心した。どうやら、義姉のために動いてくれたのだという。


 でも、一つだけ気になる事が――。


「虫、……入れたよね?」

「……うん」

「オーバーキルだよ、おねえちゃん」


 感情に身を任せたら、どこまでも仕返ししたくなるだろうけど。

 問題はそうじゃない。

 全員に詰められて、挙句に先生にまで怒られる。

 ここまでは、全然良い。

 でも、義姉のやった仕返しは、まさかの裏目に出て、さすがにやり過ぎだった。


「ど、どうするの?」


 滝のように汗を流し、義姉が出した結論。


「……帰る」

「ええ!?」


 義姉には、戻る勇気がなかった。

 鉢合わせになったら、今度こそ義姉は死ぬ。

 やり返す事は知っているくせに、メンタルがザコ過ぎて、変な判断を下してしまうのだ。


「じゃあ、ボクが取ってくるよ」

「……いいよ。……だって……見つかったら」

「そこで待ってて。今、ボクが――」


 言いかけた、その時だった。

 生徒玄関の方から、耳を劈く悲鳴が聞こえてきたのだ。

 外にいるボクらにまで聞こえるのだから、相当な叫び声だろう。


「あ、終わった」


 ボクらは手を繋いで、生徒玄関の方を黙って見つめた。

 義姉に自分の行動を修正する力があれば、起きなかった悲劇だ。

 さすがにイジメてきた人達とはいえ、ボクには相手の不幸を喜ぶ趣味はない。義姉の苦い顔を見ると、義姉だって少しは罪悪感を感じているはずだ。


 オーバーキルそのものだった。

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