外に出る義姉と辛い過去

 ひぐらしの鳴く頃に、お義姉ちゃんは散歩をする。


「い~や~だぁ~……っ」


 消え入りそうな声で泣き叫ぶお義姉ちゃん。

 家から徒歩1分の場所で蹲り、奥歯がカチカチと鳴っていた。

 幸い、ボクの住んでいる場所は田舎なので、人通りが少ない。


 隣家のブロック塀の片隅の陰でお義姉ちゃんは蹲り、自分を抱きしめている。

 せっかくジャージを着て、運動しようというのに動かないのだから、ボクは困り果てていた。

 上下白のジャージは、すでに汗が染みこんで所々が変色している。

 むしろ、何もしてないのに、どうしてここまで汗を掻けるのか謎だ。


「は、ひぃ、は、ひぃ」

「お、おねえちゃん。まだ、隣家の前を通り過ぎただけだよ」

「……いやだぁ……。みんなが、……あたしを……殺しに来る……」

「誰に追われてるんだよ」


 空を見上げて、お義姉ちゃんは指の平で首筋を掻きまくっていた。

 目の焦点は合わず、次第に全身が痙攣してくるのだ。


「……お……おぉ……」


 何かの禁断症状みたいだった。

 引きこもりを外に出すと、死に掛けるみたいだ。

 ボクはお義姉ちゃんの隣に屈み、落ち着くまで待つことにする。

 その時、ふと気づいたのだ。


「あれ?」


 お義姉ちゃんの隣に、何かがある。

 その正体に気づくと、ボクは凍り付いた。


「ええ!? へ、蛇!?」


 ブロック塀の陰は日当たりしない。

 どういう状況下と言えば、ブロック塀があり、その隣にまたブロック塀が設けられている狭い空間にいる。

 一日中、日の当たらない空間を好むのは当たり前で、それはそれは立派なアオダイショウが姉の隣にいた。


「お、おねえちゃん! 蛇!」


 震えながらお義姉ちゃんは隣を見下ろす。


「……権兵衛ごんべいちゃん」

「だれ!?」


 ボクは後ずさりして離れたが、義姉は意外な事に蛇を恐れなかった。

 むしろ、特異なようで、首の後ろ辺りを持つと、手首をぐりぐりと回転させて、蛇を持ち始める。


「お、えぇ……」


 相当慣れていた。


「怖くないの……?」

「怖くないよ。だって、権兵衛ちゃん。ウチにも遊びに来るもん」

「……人間の友達作ってない……?」


 お義姉ちゃんは、知らない所で人間以外の友達を作っていた。

 鼻を啜り、60cmくらいはある蛇を指に絡ませている。


「か、噛まれるよ」

「大丈夫。この子は優しいから。人間と違って、噛みついてこないから」

「おねえちゃんにとって、世界って敵なの?」

「……悪だよ」

「言い切っちゃったかぁ」


 重症だった。

 蛇は少しの間、ニョロニョロと手首の辺りを這いずり回った後、お義姉ちゃんの言う通り大人しくなった。


「あーあ」


 黙っていれば、ハリウッドなんて比べ物にならない艶美の持ち主であるお義姉ちゃん。目を伏せ、憂う表情を浮かべたお義姉ちゃんは、どこか幻想的な雰囲気が漂っていた。


 ていうか、今にも消えそうな儚さがあって、ボクは蛇に対するドン引きの気持ちと、お義姉ちゃんの美しさを目の当たりにして立ち尽くした。


「……ネズミになりたい」

「それでいいの? この場合、蛇になりたいじゃないの?」

「ううん。ネズミになって、この子に食べられたい」


 虚ろな目を空に向け、お義姉ちゃんは言った。


「何で、この世界って、こんなに醜いんだろう」

「……おねえちゃん」

「何で、楽しちゃいけないの? 何で仕事なんてしないといけないの? そんなにダメなの?」


 超個人的な事情を口にしたお義姉ちゃんは、塀にもたれ掛かり、蛇を見つめる。


「みんな……、仲良く生きればいいじゃない。仕事したくない人は、しなくていいじゃない。したい人だけして、後はAIとか、なんか適当に任せればいいじゃない」


 個人的な事情で涙を流し、お義姉ちゃんは片手に蛇を持ったまま、膝に顔を埋めた。


 お義姉ちゃんは、メンタルが病的に弱い。

 ちょっとしたことで瀕死になるし、少しの失敗で全てを諦める。


「高校の頃は頑張ってたじゃん。ていうか、散歩するだけだから」

「無理してたんだよ」

「えぇ……」

「本当は学校なんて行きたくなかった。毎日、イジメられてたし」

「……イジメ……うん……まあ……なんて言えばいいのか」


 昔、イジメ? みたいなことがあった。

 ボクは赤い空の下で、過去の記憶を思い返す。


 *


 部室棟のトイレで、ボクは上級生の女子グループから羽交い絞めにされていた。

 いや、よく思い返せば、羽交い絞めっていうか、ぬいぐるみのように抱きしめられていた気がする。

 後ろから首を抱かれ、良い匂いがしたのを覚えている。


「お前、調子に乗んなよ」


 5人ぐらい女子が集まっていて、その内の1人が言った。

 お義姉ちゃんはガタガタ震えていた。

 2人に肩を押さえられ、1人が化粧用品を持ち、お義姉ちゃんと仲間を交互に見ていた。


「……ごめ……なさい」

「はぁ? 何謝ってんの?」


 お義姉ちゃんは無理やりメイクをされたわけだ。

 たぶん、おかしなメイクをして嫌がらせしようと企んでいたのだ。

 始めは、ギャルメイク。

 次に、ナチュラル。

 メイクだけじゃなくて、空き教室に連れて行かれた時もあった。

 そこでは、コスプレをさせられており、イジメっ子達は辱めを受けさせたかったんだろうけど、上手くはいかなかった。



 1人がそんな事を言っていた。

 現代に蘇った紫式部みたいな女子が、お義姉ちゃんを睨みつけて震えていたのを覚えてる。


「ブスになれよ!」

「ご、ごめんなさ……」


 イジメた結果、ブスにならなかった。

 それこそ、平安風のメイクをしたけど、「これはこれで、本当にいそう」といった感想が出てきた。


 義姉は美人過ぎた。

 イジメっ子達がやった事は、もちろん酷い。

 髪の毛を切られた事だってある。

 どうして、現場にボクがいたかといえば、「こいつイジメちゃうよ」とお義姉ちゃんを脅したからだ。


 まあ、お菓子を貰ったり、髪の毛を三つ編みにされたり、あまり酷いことはされてないけど。


 ともあれ、お義姉ちゃんは何をやっても美が欠けなかったわけだ。

 美を破壊しようとした女子たちは、ことごとく惨敗。

 イジメれば、イジメるほど、自分たちにダメージが跳ね返ってきて、次第にリーダーっぽい人は泣き始めたくらいだ。


 こんなだから、ボクはイジメっ子達を憎もうにも、憎めなかった。

 だって、勝手に散ったのだから。


 そして、我慢の限界がきたのか。

 リーダーっぽい子が、こんな事を言い始めた。


「ねえ。クスっ。こいつ、脱がそうよ」

「……ひっ」


 周りの仲間達は言った。


「え、本気?」

「当たり前じゃん。脱がしてさぁ。写真撮っちゃおうよ」


 惨敗の経緯を見てきたボクは、何となくがついた。

 周りの仲間達だって、察しがついているだろう。

 なので、たぶん当時の女子たちが言いたかったのは、こういうことだ。


「死んじゃうよ(リーダーが)」

「さすがに、ヤバくない?(リーダーが)」

「トラウマになると思うけどなぁ(リーダーが)」


 制服の上からでも分かるほど、日本人離れした体型。

 胸が大きすぎて、胴回りが寸胴に見えてしまう。

 でも、女子からすれば、なんで寸胴になってるのか分かってるから、義姉のスタイルが異常なことくらい察しがついていたはずだ。


「おら! 脱げ!」

「いやぁ!」


 周りの制止を聞かず、とうとうリーダーは制服を掴み、無理やり開いた。

 バチン、という聞いたこともない音が鳴った。

 弾けたボタンがタイルの上を転がり、義姉はあられもない姿になった。


「うわ……」

「すっご……」


 だぷん、という効果音が相応しいだろう。

 高校生ではあり得ない大きくて、形の良い胸。

 胴回りは太めだけど、くびれはあって、決してデブではない。

 グラビアアイドルなどが、良い例だろうか。

 肋骨が見えない程度に、へそがきゅっとしてる悩殺的な肉体。


「……な……によ」


 イジメっ子リーダーは、取り返しのつかない事をした。

 一気に脱力して、手からはスマホが落ちる。

 努力で手に入れる事が難しい恵まれた肉体美を見て、その人は崩れ落ちたのだ。


「が、外人のくせに……」

「まあ、外国人だからね」

「……日本……人です」


 目に涙を浮かべたお義姉ちゃんが言った。

 お義姉ちゃんは泣いていたし、確かに可哀そうだし、助けたいとは思った。だが、周りを見ると、その必要がなさ過ぎた。


 メイク用品を持っていた女子が、洗面台の上に道具を置き、義姉のシャツを直していく。


「……ふざ……けんなよ」

「ひっ!」

「ふざけんな! 何よ、それ!」

「もう、落ち着きなって。だから言ったじゃん」


 リーダーが発狂し、周りは宥める。

 2人が発狂するその人をトイレから出し、別の場所に移った。

 残りは、お義姉ちゃんの服を直したが、ボタンが再び弾け飛び、修復不可能になっていたっけ。


 それで、カーディガンを借りたお義姉ちゃんは、なぜかへそ出しルックみたいな恰好で、家に帰る事となった。


 *


 過去の記憶を思い返したボクは、お義姉ちゃんに言った。


「帰ろっか」

「うんっ!」


 何と言うか、外国人云々関係なく、お義姉ちゃんは色々と苦労が多い。

 蛇を地面に置いたお義姉ちゃんは、すぐにボクへ抱き着いてきた。

 蛇を触った手は――臭かった。

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