義姉の趣味

 深夜。

 隣の部屋から話し声が聞こえたので、目が覚めた。

 ボクの部屋は、お義姉ちゃんの隣。

 なので、壁越しに声が聞こえるのだが、誰と話しているのか分からない。


 くぐもった声に耳を澄ませても聞き取れず、仕方ないので起きる事にした。

 廊下に出て、眠い目を擦り、部屋の前に立つ。

 何となく、ドアに耳を当てて、中の様子を探る事にした。


『でねー。田んぼの再現は、木くずを……』


 え、本当に何やってんの?

 今の一言で余計に分からなくなった。

 そっとドアノブを回し、音を立てないように開く。

 半開きになったドアから、中の様子を窺うと、義姉は暗い部屋でパソコンに向かって何かを話していた。


 パソコンの明かりで照らされた義姉は、なぜか室内でマスクをしている。

 よく見ると、両手に何かを持っていた。


「木を作るのは手こずったよ。苔を使ったからね。まあ、まだまだ初心者だけど。良い感じじゃない? ふふ」


 両手に持っているのは、模型っぽい何かだ。

 ミニチュアというやつだろうか。

 義姉は嬉々としてパソコンに向かって、説明をしている。

 パソコンの画面には、文字が浮かんでいた。


(配信? 嘘でしょ。お義姉ちゃん、人間嫌いなのに配信やってるの?)


 どうせ、画面の向こうにいる人の顔が見えないから、独り言のつもりで話しているんだろう。

 義姉が向き合っているのは人間ではなく、文字の羅列だ。

 あの様子だと、人間とすら認識していないはず。

 色々な角度から模型を映し、コメントを読んでは満面の笑みで受け答えしている。


「えぇー、海作るのは難しくない?」

(変わった趣味過ぎて、何もイメージが掴めないんだけど)


 義姉は模型を枕もとに置いて、パソコンに向かって手を振っていた。


「ここまで見てくれてありがとぉ。じゃね」


 カチカチ、とマウスのクリック音が鳴る。

 全てが終わった後の義姉は、なぜか達成感に満ちていた。

 義姉がリラックスした所を見ると、配信は終わったようだ。

 ボクはドアを開けて、声を掛けてみた。


「おねえちゃん?」

「わっ! びっくりしたぁ!」

「……今、何時だと思ってるのさ」


 どうせ、両親は共働きで家にいない。

 父(外国人の方)は、研究所勤めでずっと帰ってこない。

 一方で、母の方は部長で、会社に寝泊まりするのが常となっている。

 まあ、ホテルとか取ったり、ご飯も適当に済ませているだろう。

 お金は毎月、両親から銀行に振り込まれるので、生活費は困っていない。


 生活費の一部は、義姉が何かしらに使ってると分かっていたが、まさか模型作りにつぎ込んでいたとは知らなかった。


「それ、なに?」

「た、田んぼの……模型……」

「渋すぎるよ」


 今時の子らしい趣味だったら、サブカル系が頭に浮かぶ。

 アニメ、ゲーム、漫画。メイク品、音楽、映画鑑賞。

 このように、色々な趣味が浮かんでくるけど、まさか自分の義姉が自室にこもって田んぼのミニチュアを作っているとは思わなかった。


 明かりを点けると、義姉は目をギュッと細めて光から顔を背けた。


「ま、眩しい……」

「暗い所でパソコン弄ってたら目悪くするよ」


 義姉に近づき、枕もとにあるミニチュアを覗く。

 四角いボードの上に田んぼと木の模型があり、透明なケースで蓋がされていた。


「それおねえちゃんが作ったの?」

「うん。すごいでしょ!」


 四角い畦道は縁の所に木くずが振りかけられ、道の真ん中には粒状の何かが敷き詰められている。真ん中の田んぼは枯葉の芯? みたいのを使って、一本一本丁寧に立てられている。


 上手いかどうかはさておき。

 とてつもない労力は窺えた。


「すごいけど……」

「制作に一カ月掛ったんだから!」

「い、一カ月も……これに……」


 口には出さないけど、何だか無駄な才能の使い方をしている気がした。


「今度、展覧会に行こうと思うんだけど」

「むしろ、これの展覧会ってあるの?」

「あるよー。東京まで行かなきゃだけど。親からの小遣いを節約すれば、……うん」

「あ、あのさ。おねえちゃん」

「情熱が溢れてくるもん。これを作るために、あたしは頑張ってきたんだ」


 手の平を握り、熱い気持ちを露わにするお義姉ちゃん。

 ただ、問題がある。


「……人……いっぱいいるよ?」

「……え?」


 残酷な現実が義姉の心を一蹴した。

 模型展に行きたがっているのは分かった。

 マイナーな趣味なら、人は少ないかもしれない。

 でも、辿り着くまでの道のりで、大勢の人とすれ違う事になる。

 東京は義姉にとって、地獄そのものだった。


 一気に青ざめた義姉は、そっと模型を枕もとに戻し、壁際に寄る。

 両膝を抱えて小さくなると、隣をポンポン叩いた。


「何で……人間って……産まれたんだろう……」


 決して、哲学的な言葉ではない事をボクは知っている。

 人間嫌いの義姉にとって、心からの疑問だろう。

 というか、言葉に若干の嫌気が見えたので、哲学というより拒絶の言葉だった。


 隣に座ると、義姉は何も言わずに距離を詰めてくる。

 肘と肘がピッタリくっ付くくらい寄ってくると、義姉は言った。


「あたしね。……この世の人口が90%滅んでもいいと思ってる」

「それ、……人類滅んでない?」

「どうして、楽に生きていけないんだろう」

「おねえちゃん」

「好きな事にしか、努力したくない。働きたくない。人間と会いたくない」


 呪詛が解放された瞬間だった。

 義姉が念仏のように呪いの言葉を吐き、ゆっくりと頭を傾けてくる。

 おかげで呪いのASMRを強制的に聞かされ、ボクは何も言えなくなった。


「……いい加減さ。世界中で働かなくても生きていけるように制度を導入してほしいよね。無理だよ。仕事なんて、誰がやりたがるの」

「まあ、……やりたい人はいると思うけど」

「じゃあ、あたしの分まで頑張ってほしい。あたしは嫌だ。拷問だよ。社会的な拷問。奴隷と同じだよ」


 病み始めた義姉の愚痴は止まらない。


「……世界が滅びますように」

「ボクまで死ぬんだけど」

「……ケイちゃんだけは五体満足で生きていけますように」


 根は良い人なのだ。

 でも、社会の荒波に疲れてしまって、気力が湧かないだけなんだろう。

 ボクは義姉の頭に耳を当て、落ち着くまで待った。


「……全員死ねばいいのに」


 強烈な呪詛が耳元で発せられた。

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