花火と友達

 静蘭ジンラン達はとある国の城下町まで降りると、そこではちょうど縁日を催していた。どうやらちょうど良くその国の太子の生誕祭の日だったらしい。

 糖葫蘆とうころや見慣れぬ骨董品、書画などの店が出回っている。公主として育ってきた静蘭と、生前は病気で外に出た事が無い珠環ジューホアンには、それが何とも不思議かつ新鮮な情景であり、目を輝かせた。


「鬼お……兄上!見てください、これは何でしょう?」


 数ある店の中で珠環が最初に目を付けたのは糖葫蘆の店であった。紅宝石ルビーのような輝きを放つ見せるそれは、幼い珠環の心を掴んだのだろう。


「それは糖葫蘆という菓子だ。私も食べた事は無いが、果実を飴で装飾した菓子で美味しいらしい」


 静蘭は屋台の男に糖葫蘆を三つ頼み、それぞれに手渡す。


「わぁ、ありがとうございます!」

黎月リーユエは食べた事があるの?」

「もちろん!私、縁日はかなり好きで色んな国の縁日を巡りましたよ」


 黎月は得意そうにそう言った。確かに黎月の性格からすると、こう言った騒がしい祭りなんかは好きだろう。今も楽しそうにしている。

 珠環が美味しそうに糖葫蘆を頬張る姿を横目に見て、静蘭と黎月は目を細めた。

 その後、色んな店を周り、静蘭と珠環は今までに体験した事が無いような庶民の遊びを体験した。歩き疲れた頃、花火があげられると聞いた三人はとある展望台へと移動した。

 城下町では人がごった返していたというのに、ここには三人以外誰もいない。というのも、黎月が縮地の術を使ってここまで来たからなのだが。流石に普通の人間が夜も遅い時間にこんな所まで歩いて来るのは危ないしそんな労力も無いだろう。

 間もなくして、爆竹の音と共に空には巨大な牡丹が花開いた。そしてそれに続くように、様々な形の花火が打ち上がる。次々に形を変え、赤や緑と色彩を変えるその情景は言葉で言い尽くせ無いほど綺麗で、誰も何も言葉を発さずに無我夢中で空へ釘付けになっていた。


「まあ、綺麗ねえ」


 そう発したのは静蘭でも黎月でも珠環でも無い。か細いがどこか凛としていて上品な女性の声だ。後ろを振り返ると、そこには小柄な少女がいた。辺りは暗くなっており、花火の灯りで照らされるその姿は装いからして平民の子では無さそうだ。


「誰だ?」


 黎月が即座に反応して静蘭と珠環の前に立ち、少女に向かって威嚇する。よくよく顔立ちなども見てみれば十代後半のように見える。静蘭と同い年か、少し年下くらいの容姿だ。


「黎月、何をそんなに威嚇しているんだ。お嬢さん、身内が失礼を」


 静蘭が二人の前に出て少女にそう言うと、少女は構いませんよと笑って言った。依然として黎月は威嚇したままだ。静蘭が今度は黎月を宥めようとすると、今度は珠環が静蘭の腰に抱き着いてくる。


小環シャオホアン?どうしたんだ?」

「あ、兄上……」


 珠環は何かに怯えているようで声が震えている。


「若様、気を付けてください。この女、只者じゃない」


 黎月はそう言うと、臨戦態勢を取った。静蘭からしたら目の前の少女は自分となんら変わりない人間に見えるのだが、まさか鬼なのだろうか。


「まあまあ、待ってくださいな。あなた人間でしょう?どうして鬼と一緒にいるんですか?」

「えっ?」


 一目見て黎月達が鬼で静蘭が人間だと見抜かれた事に驚く。黎月の言う通り、やはりこの少女は只者では無いらしい。珠環も怯え、震えている。


「お前何者だ!若様に近付くな!」

「私は武神です」


 黎月の問いかけに淡々とそう答えた少女だが、そう簡単には信じられない。こんな小柄で華奢そうな少女が武神だって?正直に言うと少女は一見刀すらも重みで持てそうに無いのに。

 流石に少し疑念を抱いた静蘭だったが、この前のとある話を思い出した。南方風師ナンファンフォンシー曰く、実は彼の奥さんが武神なのだと。そして下界でも有名な真光将軍ジングァン将軍と風師娘娘フォンシーニャンニャンの夫婦の真光将軍は主に南を守護する武神だったはずだ。

 そして今静蘭達がいるのは南のとある国。


「黎月、一旦構えるのをやめて。彼女は手を出すつもりは無さそうだ」

「もちろん、私は何の罪も犯していない鬼を退治するような事はしませんから」


 おっとりとした口調で話す少女は確かに不思議な雰囲気を纏っている。見た目は十代後半程なのに、話し方やその穏やかな雰囲気からはまるで祖母のような温かさまで感じてしまう。


「うちの者がすみません。あなた様はもしや真光将軍でしょうか?」


 静蘭がそう聞くと、今度は少女が驚いたような表情を見せて言った。


「はい、そうです。でもよくわかりましたね。皆私の夫を武神だと思い込んでいるから、一目で私を真光だって気が付く者は今まで全然いなかったんです」

「ああ、それは……」


 静蘭はそこまで言って口を噤んだ。南方風師に会ったとでも言うのか?そもそも、今ここで自分達の素性を明かしてしまっていいのだろうか。いくら今は向こうに敵意が無いとは言え、南方風師や霊玄リンシュエンの様子からしても天界と霊玄は仲が悪そうに見えた。


「あんたの夫がこの前うちの領域に勝手に入って来たんじゃん」


 静蘭が言わずとも黎月が不機嫌そうにそう吐き捨てた。


「……ああ、黒花状元こっかじょうげん殿の所の!」

 翠艶スイイエンはそういえばと何かを思い出したようだ。しかし、再び首を横に傾げた。


「でもあなたは人間ですよね?何故黒花状元殿の配下と?若様と呼ばれていましたけど……」


 黒花状元に嫁が来たと言うのは鬼界だけでなく下界・天界にも広く伝わっている。しかし、誰もその嫁が男だなんて知らない。

 静蘭は翠艶の様子を少し伺うと、苦笑いで言った。


「妻?です、一応……」

「……あなたが?」


 静蘭が頷くと、翠艶は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、次に静蘭をまじまじと見つめた。


「女性……いや、若様と呼ばれていたので男性かしら?すみません、あまりにも綺麗で」

「あはは、気にしないでください……だいたい最初に性別を聞かれます……」


 こんなあるあるな状況には慣れているのだが、状況が状況でかなり気まづく感じる。


「通りで天界が黒花状元殿に女性を送っても送り返されるわけです。彼は断袖だんしゅうだったのね」

 早く話題を変えたくなって、静蘭はそう言えばと切り出した。


「真光将軍は何故ここへ?」

「仕事でこの近くまで来ていたので、ついでにと思って来てみたんです。そしたら先客として貴殿が鬼王妃殿がいらっしゃったから、来て良かったです」


 武神が動くような仕事と言えば、おそらく妖魔奇怪や鬼退治だろう。にしては随分動きにくそうな格好をしているが。


「あの、私たちお友達になりませんか?」


 驚く事にそう言ったのは翠艶の方だった。


「お、お友達……?」


 静蘭には生まれてこの方友達という存在がいた事が無い。


「はい。夫同士の事なんて気にせずに、お友達になりませんか?私はあなたの事が気に入りました」


 手を握ってにっこりと笑う彼女からは悪意なんてものは感じない。しかし、勝手に天界の神仙と関わりを持ってしまったら霊玄がよく思わないのではないだろうか。そう思った静蘭は後ろの黎月の反応を伺う。黎月は腕を組んで下から翠艶を睨みつけて不満そうにしているが、止めに入ったりするような様子では無い。

 それにこれは天界の動向を探る良い機会なのかもしれない。今後もし霊玄と天界に何かあっても、静蘭がここで真光将軍と仲を深めていれば何か役に立てるかもしれないのだ。


「……私は友達という存在がいた事がなくて、それがどんな関係なのかもよく存じていません。ですから、最初は浅い関係、というかなんというか……知り合いから始めましょう」


 後ろめたさはあるものの、今まで霊玄には世話になってばかりで、もう公主では無い静蘭には何も返せる物は無い。

 役に立てるなら。そう思って彼女の提案に乗る事にした。


「ふふふ、ありがとうございます。そうしましょう、私がお友達というものを教えてあげます。お互い旦那を持つ妻同士、色々と思いがあるでしょうし、きっとお話が弾むわ。今度下界にある私の殿にでも招待させてください」


「ありがとうございます、楽しみにしています」


 それだけ言うと、翠艶はそのまま姿を消した。

 いつの間にか花火は終わっており、辺りは一層静かになってしまった。珠環が最近教わった術で灯りを灯す。


「勝手にあんな事言っちゃったけど大丈夫だった……?」


 今更ではあるが黎月にそう聞く。


「……良いんじゃないですか。鬼王様は天界に間者を潜めていますし、何か問題があればさっきあの場で止めていたはずですから」


 黎月はそう言ったが、一体今この場にいない霊玄がどうやって先程の場で止める事が出来たのだろうか。


「まあいい。さあ、私達も早く帰ろう」


 静蘭達は縮地の術で睡蓮宮へ戻ると、既に霊玄は静蘭の寝所で腰掛けていた。

 静蘭はすぐに湯浴みを終わらせて部屋に戻る。


「遅くなってすみません」

「構わない。それより、真光将軍と会ったらしいな」


 後ろめたい事なんて何も無いのに静蘭の心臓がドキリとはねた。


「ええ、まあ……彼女は友好的で、今度領地に招待すると言ってくださいました。もし天界の事で何か気になる事があるのならお聞きしてみましょうか?」

「天界には間者を忍ばせているから何も問題無い。それより、お前に友人が出来るのは良いことだ。楽しんでこい」


 予想外な事を言われたものだから、静蘭はあっけらかんとする。正直、敵対している天界の神仙と仲良くするなと咎められるかと思ったからだ。


「ありがとうございます」


 それから静蘭はいつものように今日あった出来事について霊玄に話す。もちろん翠艶の事も。だが、話しているうちに翠艶のある一言を思い出した。

 確か、断袖だったと。

 そういえば、何故最初に静蘭が謁見した時は素っ気ない所かすぐにでも殺してやるといった勢いだったのに、二回目に会った時には今の霊玄だったのだろうか。今まで気になってはいたが、まさか彼が自分の事を好いているなんて思ってもいなかった静蘭は聞けていなかった。

 最初に会った時は静蘭の事を女だと思っていて、実際近くで見てみれば静蘭の事を思い出して男だったから優しくなったのだろうか。男だから実質正式な妃として迎え入れてくれて、男だから静蘭の事を好きになったのだろうか。


「何を考え込んでいる」


 ついつい考え込んでしまっていた静蘭の顔を霊玄がぐいっと自分の方へ向ける。


「……霊玄様は私の事が好きなんですよね」

「何度も言ったはずだが」


 霊玄はあまり好意を行動や表情に出すのが得意では無いらしく、いつも言葉で真っ直ぐに伝えてくれている。常に仏頂面ではあるが。

 それでも静蘭に触れる手はいつも優しく、かける言葉も温かい。


「じゃあ、愛していますか?」

「愛している」

「ならば私の質問に答えてください。私を愛しているのは、私が男だからですか?」

「は?」


 霊玄は何を突然言い出すんだ、と呆れていたが、静蘭は本気だ。


「その……霊玄様は断袖なら嫁いできた私が男だったから生かしてくれたのかな、とか。男だから今こんな風に……なんて思ったりしちゃって」


 すると、霊玄は黙って何か考えているようだ。

 静蘭からしたら、自分から聞いたのではあるが、すぐに答えが出ないという事にショックを受けてしまい、心がずきんと痛んだ。


「前まではそんなに事を考えた事が無かった。女も男もそういう対象として見た事が無かったからだ。だが、今は静蘭を愛しているから、世間的には俺は断袖なんだろうな」

「なら、何故私を好きになったんですか?」


 すっかり拗ねてしまった静蘭はこの際ずけずけと聞いてやろうと遠慮無しに霊玄に詰め始めた。

 霊玄は静蘭の質問に対して一瞬眉を顰めたが、すぐに答える。


「見ていて飽きない、面白い」

「……もっと他に良い感じの理由は無いんですか」


 喜ぶべきなのかわからない理由に静蘭は霊玄の背中を叩いた。


「お前は本当に時々女みたいな事を言うな」

「悪かったですね、見た目通りで」

「違う違う、悪い意味じゃない。そういう所も可愛いと言いたいんだ」


 霊玄が煽てるようにそう言うと、静蘭は少し気を良くしたのかそっぽを向いていたのをやめた。


「今度は俺が聞く番だ。俺はお前に好きも愛してるも伝えている。だがお前はどうなんだ?俺の事をどう思っている」


 それこそ静蘭を困らせる質問だ。霊玄をどう思っているのか、というのは何度も自問自答していた。しかし答えが出ないのだ。公主として育てられたとはいえ、別に男を好きになった事は無い。かと言って女を好きになった事も無いのだが。

 霊玄の事は最初こそ噂を真に受けて恐ろしい鬼だと思っていたし、ここに来てからすぐの時も掴めなくてよくわからない人、という印象だった。最近は一緒にいて心地が良いし、こんな風に会話をするのは好きだ。寝る時だって隣にいてくれるのは安心するし、仕事でここへ来れない時はよく眠れない。

 好きか嫌いかと言われれば、そりゃあ好きだ。でもそれは、はたして霊玄と同じ"好き"なのだろうか。どこか兄のように慕っている気もする。


「まあいい。いつか本当に俺に惚れさせてやる。お互い時間は永遠に続くのだから。いつかお前が心から俺を愛していると言えるまで、俺はお前に手を出さない」


 切れ長で色のある霊玄の瞳は野性的な情熱を孕んで静蘭を捉えた。

 不覚にも心臓を握り潰されるような感覚に陥った静蘭は、紅く染まった頬を隠すかのように、もう寝るとふすまに潜り込んでしまった。

 霊玄はため息を一つつくと、少し口角を上げた。そして、静蘭の隣に身体を横にすると、後ろから抱き締めて目を閉じた。

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