動き出す天界

 修行を積み重ね、徳を得た者が人間でありながら永遠の生命を獲得し,長生不死になる。それが神仙だ。

 そして更にそれらの上に君臨する、三界で最も尊い存在が天帝・明皇ミンホアン大帝である。

 下界の皇族ならば必ず彼を信仰し、下界の人間達は明皇の庇護下にある。明皇は天界の第一武神であり、敵無しとされている彼に誰も剣を抜こうとは考えない。剣を抜くこと自体が不敬であり己の破滅を招くという事なのだから。

 彼ら神仙が住まう場所は下界では天界と呼ばれ、下界の者には決して手の届かない場所にあり、とても神聖な場所とされている。

 そしてその中心地には一際大層で立派な宮殿がある。そこはまさしく、明皇が住まう宮殿だ。


帝君ていくん、只今戻りました」


 大極殿たいごくでんで四方を美女で囲む明皇にそう言って拱手をしたのは先程まで百花領域ひゃっかりょういきへ尋問に行っていた王菱ワンリンである。

 明皇は名残惜しそうに美女達を下がらせると、王菱へ問いただした。


「どうだ、何か情報は得て来たか?」

「ええ。まず、百花領域に入りました」


 明皇は目を見張らせた。何度天界が使者を送ろうとも一向に見向きもしなかったあの百花四神ひゃっかしじんに何故かこのタイミングで接触出来たのだ。


「街の様子は下界とそう変わりませんでした。特に何か警戒するような物も無かったです」

「そうか。百花四神には直接会ったのか?」

「ええ。彼は男体で四龍しりゅうを側に仕えさせています。何やらとても偉そうで気に食わない奴でしたが、胎児鬼の事は何も知らないし領域に入れていないと」


 王菱は明皇に全ての事を話したが、明皇は真剣に聞かずに聞き流している。


「何だ、思っていたよりつまらなさそうな所だ。何か不審な事や違和感も無かったのか?」


 明皇にそう聞かれ、王菱は考えた。

 王菱の前では男体で現れたものの、あれが本物の百花四神かなんて王菱にも分からない。空域だって鬼界なのだから鬼しかいないのも当たり前だ。

 しかし、思考を巡らせているうちにとある事に気が付いた。

 百花領域には所々に廟があった。鬼は神仙と違って廟や信仰心等は必要無い。例外として霊玄リンシュエン引秋インチュウは下界で在らぬ噂を立てられている内に人々から恐れられ、怒りを鎮めるという名目で廟を建てられている。しかし、百花四神はそもそも下界では無名の鬼であり、それに下界では無く自分の領域に廟を建てた所で何の利益も無いのだ。

 しかし対して気にするような事でも無い。優越感に浸りたいだとか、そう言った理由で建てたのだろうと思ったからだ。


「特に何もありませんでしたよ。しかし奴も所詮は下賎な鬼、自分の領域に自分の廟なんか建てていましたよ」


 王菱は鬼を卑下するように何気なくそう言った。しかし、明皇はそれを聞いて酒を呑む手を止めたのだ。


「それは本当か?」

「ええ、この目でしっかり見ました。あれは他の誰でもなく百花四神本人のための廟でしたよ」


 王菱がそう言うと、適当だった明皇の態度が一変した。彼は玉座から勢いよく立ち上がると、王菱へ命令を下した。


「百花四神に再び使者を送れ!今度の元宵節げんしょうせつの宴の席に招待する!」


 突拍子も無い命令に王菱は目を見開いた。

 元宵節(旧暦一月十五日・日本で言う所の小正月は下界にとっては一年を締め括る重要な日でもあり、天界もこの日だけは天界の全ての者が業務を放棄し、宴会に出席するという習わしのようなものがある。

 業務は年中無休であり、特にこう言った祭日なんかは祈願で溢れかえっている神仙達にとってこの元宵節は心休まる日なのだ。そんな悦ばしい日に鬼を招待するなんて有り得ない。こればかりは王菱もすぐにはいと返事が出来なかった。


「帝君、お言葉ですが神聖な地である天界に鬼を招待するとなると、他の神仙達も多少思う所が出てくるのではないでしょうか。それに何故元宵節なんです?」

「こう言った宴会などの用が無い限り奴は来ないだろう?それに元宵節は豪華絢爛に行われる。そんなの招待されたら来たくないはずないじゃないか」

「しかし……」


 王菱が反論しようとすると、明皇は手に持っていた杯を王菱に向かって投げた。


「朕に口答えするのか?お前は朕の命令に従順に従えばいい。それに他の者が何を思おうと関係無い、朕の言う事は絶対だ」

「……御意」


 これ以上反発した所で明皇の機嫌を余計に損ねるだけだと判断した王菱は渋々承諾した。

 王菱の記憶上、明皇がここまで横暴になったのは天后てんごう(天帝の妻)が貶謫へんたくされてからだ。それまではとてもじゃ無いが善人とは言えないものの、ここまで暴力的では無かったように思う。

 二百年前に規律に反したとして下界へ貶謫された天后は、色んな意味で強い女性であった。頭が良く、口も達者で美しい。しかし悪い所をあげてみれば、かなり嫉妬深く執着も強い。見ての通り女好きの明皇には酷く妬いており、当時明皇が熱中していたとある女神に虚の罪を被せて背中に十字傷を入れ、更には下界へ貶謫させたという話も残っている。

 しかし、明皇は女好きではあるが、どうにも天后のように気の強い女は受け付けないらしく、天后へは一切目もくれなかった。

 そしてその虚の罪を被せた事が明るみになり、それに激怒した明皇は彼女の舌を切り落とし、同じく背に十字傷を負わせた後に下界へ貶謫させた。

 天后からの手枷足枷が外れた明皇は更に女遊びを繰り返し、横暴、そして暴力的になったのだ。

 明皇殿を後にした王菱は手当り次第の神仙へと使者の役割の打診をしてみたものの、皆そこまで暇では無い。かと言え自分自身も元宵節に向けて山の量の書類仕事を終わらせねばならない上に、先程までいた百花領域へ再び足を運ぶのは何となく気が重い。

 どうしたものかと眉間に皺を寄せて俯いていると、凛とした美しい声で話しかけられた。


王菱真君ワンリンしんくん?また誰かが何かしでかしたんですか?」

「ああ、真光ジングァン将軍。いえ、そうでは無いのですが……」


 その声の主とは南方風師ナンファンフォンシーの妻であり南を守護する武神・真光もとい盛翠艶ションツイイエンである。

 見目は美しいもののまだあどけなさが抜けきっておらず、十代後半に見えるものの、背丈は彼女の容姿の年齢の平均と比べるとかなり小柄な方だろう。

 小柄で細身、そして公主という高貴な身分からして誰が武神だなんて想像がつくだろうか。南方風師と性別が逆に伝わるのも無理は無い。


「実は帝君が再び百花領域へ使者を送れと仰ったんです。見ての通り天界は元宵節に向けて皆忙しくしており、誰もそんな暇は無い。私も気が遠くなるほどの書類に囲まれていまして」

「まあ、それは大変だわ。私が引き受けましょうか?」

「良いのですか?」


 武神ではあるが、翠艶は確かに交渉には向いている。容姿は美しいし、穏やかで物腰も柔らかい。王菱からしたら手が空いているのなら是非とも彼女に引き受けて欲しい。


「ええ。今年は例年よりも祈願が少なくて、私はもう手ぶらなの」

「では……お願いします」


 やっと一つ手を空ける事の出来た王菱はほっとして肩を撫で下ろした。


*


 霊玄が天趣城てんしゅじょうへ戻ると、後宮には新たな結界が張られた。

 百花四神について多少の危機感を抱いた霊玄は何としてでも静蘭ジンランを隠し通さねばならなくなり、静蘭自身にも護衛無しでふらふら出歩くなと強く言い聞かせた。

 しかし、静蘭は当然母が生きていた事も、百花四神が母である事も知らず、ただ頭にクエスチョンマークを浮かばせるだけであった。


「空域で何かあったんですか?」


 表情こそいつも通りで変わらないが、霊玄が何かに動揺しているというのは、日頃から霊玄をよく見ている静蘭には伝わってしまったらしい。


「思っていたより危なっかしい奴だった。お前が奴と対面するような事はこれから先も無いだろうが一応言っておく。奴に近づくな。奴はお前に近しい者の皮を被って接近してくるかもしれない。例えばそう……お前の母君とか」


 静蘭はきょとんとして聞き返した。


「母上に?」

「……例えばの話だ。とにかく怪しい奴には決して近づくなよ」

「霊玄様は一体私をいくつだとお思いで?そんなに言われなくても子供じゃないんだから近づいたりしませんよ」


 霊玄はとてもじゃないが静蘭に真実を伝える事ができなかった。あんなに慕っていた実の母親が本当は静蘭に対して無関心、それどころか生きている事を知られてしまえば命を狙いにくるだろうなんて誰が言えるものか。


「……そうだな」


 霊玄はそれだけ言った。しかし、横目に静蘭を見れば、装いからしてどうやら出掛けるつもりらしい。


「どこかへ行くのか?」


黎月リーユエ珠環ジューホアンと下界の城下町へ行こうかと。珠環は城下町へ遊びに行った事がないそうですよ。まだ幼いのだからたくさん遊ばせなければ」


 霊玄は珠環とはあまり顔を合わせない。珠環がまだ何となく霊玄の事を怖がっているように感じるし、霊玄も別に珠環に用があるわけではないため必然と関わらないのだ。

 しかし時折遠目で静蘭を見ると珠環が隣にいて、静蘭は珠環を大層可愛がっている様子だった。

 少し年の離れた兄妹……というより視覚的には姉妹に見えるのだが、霊玄はその二人の様子は見てて微笑ましいと感じていた。

 とはいえ、先程あんな話を聞いたからか心配は残るが、黎月が一緒にいる為大丈夫だろうと送り出す事にした。


「黎月と離れるなよ」

「はい、わかっていますよ」


 遠くから静蘭を呼ぶ珠環の声がすると、静蘭は霊玄に行ってきますと伝えるとそちらの方へ歩き出した。

 霊玄は静蘭に対してはあまり監視のような事はしたくない。したくないのだが……と霊玄の中で葛藤が生じた。やはり自分の目に入っていないと心配なのだ。

 葛藤の末、霊玄は静蘭に向かってとある術を使った。

 

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