水域の桃源郷
引秋の支配する
社交的な引秋の性格も関係しているのか、その入口となる場所は至る所にある。川底や海中、貴族や裕福な商人の家にあるような中庭の小池にだって陣を張り巡らせているらしい。人間も頻繁に足を運ぶような場所にばかりあるのだから、水旋領域には人間が迷い込んで来る事も少なくもないとか。
その都度外界では神隠しだの人攫いだの騒ぎになっているらしく、皆水伯に祈願をする。水伯からしたら引秋に仕事を増やされとてもいい迷惑だ。
霊玄は山中にある流れの激しい川に着くと、迷う事なく川へと飛び込んだ。
そして、次に目を開けた時、目の前の光景は何とも色鮮やかで美しい物だった。
引秋の住まう
黒花領域を夜と例えるなら、ここは昼だ。それ程二つの領域は対照的で全くの別物である。
そして何よりも違う点は、ここに住まう者達だ。ここに住んでいるのは鬼だけではない。何と、人間もここに住み、生活しているのだ。
水旋領域にいる人間は先程述べた通り神隠しとやらにあった者だ。至る所にある入口からここへ入り込んでしまい、外界に戻ろうとするもここがあまりにも桃源郷のようで居心地が良く、結局帰らないという選択をするのだ。
引秋も何を考えているのかこの領域内では鬼と人間の殺生を禁止し、厳しく取り締まっている。
おかげで人間達は鬼に怯えるような事もなく、外界と同じように商売なんかもしている。
引秋が何の為にこんな事をしているのか霊玄には何一つ理解が出来ない。
「やあ、来ているならさっさと水晶宮に入ればいいじゃないか。何をそんな所に突っ立って物思いにふけているんだ?」
霊玄の背後に突如現れたのは、紛れもないこの領域の主、
「別に物思いにふけてなどいない。もはやここは下界となんら変わりがないなと呆れていただけだ」
「何故呆れる?別に賑やかでいいだろう」
やはりこの沈引秋という鬼は鬼らしくない。霊玄はそう思った。
鬼というのは生前何か思い残しがあったり、何かを強く恨んでいたりで死後も現世に魂が留まってしまう事で誕生する。そのせいか大抵の者は人間に対して恨み妬みの感情を持っていたり、人間を嫌っているのが殆どだ。
だから引秋のようにここまで人間に対して友好的な鬼は珍しいどころか、何百年と現世に留まっている霊玄でも引秋くらいしか思い浮かばない。
「私は人間が大好きなんだ。特に女がね。そうだな、十七から二十三歳くらいの女が新鮮で美しい。ふわふわしていて触り心地も最高だ」
「誰もお前の好みなんて聞いてない。それより、お前は百花領域へ入った事は?」
そう、霊玄が引秋を訪ねてきたのは雑談をする為では無い。先程の出来事、そして百花四神についての情報を少しでも得たかった為だ。
「無いよ。霊玄、君も知っているだろう?奴はめちゃくちゃ人見知りなんだよ。この五百年、外界の者を入れたなんて話聞いた事ないね」
霊玄からしたらそれは人見知りだからなのか?とも思ったが、そこは本題では無いため無視をして続ける。
「つい先程百花領域へ入った」
霊玄の言葉に引秋はぽかんと口を開けて黙り込んだ。
霊玄がここへ来た目的というのは情報を引秋に伝えるためである。
引秋は親友だの義兄弟の仲だの勝手に言いふらしているが、実際の所は鬼界、天界、下界に渡るまでの重要且つ有力な情報の交換をしている。情報の面での協力関係にあるのだ。
と、言いつつも霊玄も引秋に対しては心を許している部分があり、共に酒を呑んだり定期的にお互いの領域へ足を運んだりはしている。唯一の友と言ってもいいだろう。
「お、お前……!どうやって入ったんだ?!」
「
「女?百花四神は女なのか?」
その事については霊玄も実際に空域に行ってから気が付いた。それに彼女が鬼王と呼ばれながら鬼では無い事も。
霊玄は先程あった出来事の全てを引秋に話すと、引秋の顔色がみるみる真剣になっていった。
「じゃあつまり、お前の奥さんは神の血を引いているのか?有り得ない、あんなに近くにいるお前でも気が付かなかったんだろう?
「……実は前に、静蘭が縮地の術を使った事がある。その時は近くに神通力を使う何者かが居て、静蘭に使わせたかのようにしたのかと思ったんだ」
最初はあんな女の言う事を信じる事は無いと霊玄も思っていた。しかし今から考えてみると、静蘭は神仙の血を引いていると考えれば色々と辻褄が合うことがあるのだ。
それに何より、性格は違うようだが顔は静蘭とよく似ている。
「俺は出来るだけ奴とは関わりたくない。だが静蘭の素性や真実を知る為にも奴の事を知りたいんだ」
いつになく真剣で真っ直ぐな視線を送る霊玄に、引秋は思わずたじろいでしまった。
「つまり、私が百花四神の懐に入れ、と?」
霊玄は無言で頷いた。
引秋にとってデメリットでは無いが、逆にメリットもそれほど無い。断られてもおかしくないような頼みなのだが、引秋は笑って霊玄からの頼み事を引き受けた。
「お前が私に頼み事をするなんて、明日は槍でも降るんじゃないか?」
「……助かる」
「その代わり、君の静蘭に少し興味がある。変な事はしないから今度茶の席でも設けてくれ」
「静蘭にも聞いておこう」
表情は何一つ変わらないが、心の奥底では少し安堵したような霊玄を見て、長年の付き合いである引秋は更に驚いた。
かつて霊玄がこんなに焦っている所を見た事が無かったからだ。ましてや他人の事で。
それと同時に、引秋は霊玄をこんな表情にさせた静蘭、そして百花四神への興味もより一層深まったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます