百花四神

「まだ捕まえられないの?」

「申し訳ございません……やはり禅離シェンリー百花ひゃっか様の護衛とあるだけすばしっこく……」


 百花四神、もといリン羅漢床らかんしょうに横になり、配下の鬼を威圧する。

 禅離というのは、今下界と天界ではかなりのお騒がせ者の胎児鬼の事であり、鬼になる前は琳の護衛であった人物だ。月雨国げつうこくでの謀反の際、予想外にも死んでしまった彼女は鬼となったのだが、まだ力が足りないようで、胎児に取り付いてはその胎児と母親の生気を奪い、という行為を繰り返しているらしい。一度百花領域ひゃっかりょういき周辺まで逃げて来た所を琳が捕らえたのだが、あろう事か実態を得たいが為に無断で再び下界へ降りてしまったのだ。

 そのおかげでもう一生関わりたくない天界にまで目を付けられる羽目になり、琳の機嫌は最悪だった。しかし、禅離の忠誠心と武術は琳も認めている。それに禅離は琳がまだ天界で花伯かはくとして栄華を極めていた時の副神でもあるため、天界の手に渡る前に何としてでも連れ戻さなければならない。

 だというのに禅離は琳の使者に従わずにまだ下界にいるのだ。どうにも実態が無ければ琳の手を煩わせてしまう、と考えているらしい。


「その……禅離は百花様のお言葉しか耳に入れません。私達が百花様からの伝言で戻れと伝えても言う事を聞かないのです。ですから、どうか百花様が直々にご説得頂ければと……」


 ビクビクしながらそう伝える配下の鬼だが、案の定琳はその配下の鬼を睨み付けた。


「禅離とは言え、まだ実態を持っていない鬼でしょ?あなた達は実態の無い鬼一匹も力ずくで捕らえられないわけ?」


 琳は高貴で大輪の花のような美しさの見た目からは想像出来ないような低い声と攻撃的な眼差しで配下の鬼を威圧する。


「た、大変申し訳ございません……今度こそ禅離を連れ戻してみせます。失礼致しました」


 配下の鬼が慌てて出て行くと、琳はため息をついて下界へ張り巡らせた"眼"で禅離を確認する。そして、持っていた玉杯をつい下に落としてしまった。

 先程慌てて出て行った配下の鬼が、その音に気が付き再び戻って来た。


「百花様、今の音は……?」


 琳が見た物とは。それは、天界の武神に捕らえられた禅離であった。何かの術を使っているようで、禅離の視点からは真っ暗で何も見えない。しかし、その近くの眼で確認すると、そこには翠艶スイイエン黒花状元こっかじょうげんの配下達。

 そして、死んだはずの息子だった。

 鬼になったのか?確かに未練や恨みはたくさんありそうだからない事もない。

 だが、鬼となってこんなに早く実態を得られるはずが無い。禅離だってあんなに生気を吸い取って力を得ているのに、まだ実態を得られない。

 となれば、まだ有り得るのは"静蘭が生きていた"という事だ。恥辱に耐えられなくなって自殺したと聞いていたが、何らかの事情で死んだ事にされ、隠されていたのか。

 だとしても何故黒花状元の配下と一緒にいるのだろうか。眼では視覚は共有出来るものの、聴覚は共有されないため何を話しているのかまではわからない。それでも、随分と親しそうに見えるのだ。黒花状元の配下が静蘭ジンランを庇おうとしている姿まで伺える。

 何はともあれ、静蘭が黒花状元の所にいるのならば、余計に早く始末しなければならない。天界は黒花状元を特別注目して見ているようだからだ。


「ひゃ、百花様?」


 配下の鬼の問いかけに何も答えず、ただ割れた玉杯をじっと見つめて凄い形相をしていた琳に配下の鬼が再び声を掛ける。

 琳は自分の精神を一度落ち着かせるように深呼吸をして目を瞑る。


「……さっきは責めるような口調で辛くあたって悪かったねぇ。私の大事な禅離の命運がかかっているからか少々敏感になっているのよ。調査を引き受けてくれているお前達には感謝しているわ」

「そんな、百花様……!お気持ちは私共も理解しています!必ずや天界よりも先に連れ戻します!」


 先程とは打って変わって、天女のような微笑みでそう言う琳に、配下の鬼は目を潤ませながらそう言った。二重人格を疑う変わり様だが、琳は時折このように配下の鬼達に良く接する時があるのだ。ヒステリックではあるが、機嫌が良い時の美しさや慈悲深く温かい声色を知ってしまえば、百花の手中から抜け出そうと思う者はいない。この百花領域で、神名を破棄されたとは言え神に等しい力を持つ琳を鬼達が信仰するのは、見事にこの琳の術中に嵌っているからだ。結果、琳は未だに強い神通力が使えるし、忘れ去られて消滅する事も無い。そう言った面で、琳は人を動かすのが上手いと言えるだろう。

 しかし、禅離の件とは違い、静蘭を始末するのは全て自分で動かなければならない。静蘭の存在を知っているのは、禅離や青龍を含む四龍のみであり、現世に存在している事を知っているのは琳のみであるからだ。

 琳にとって清瑤と静蘭の存在は唯一の誤算だった。

 在らぬ罪を着せられ、下界に追放された琳だったが、当時明皇ミンホアン大帝は美しく華やかな琳の事を寵愛していた。その為、明皇は時期を見て再び琳を天界へ召すつもりでいたのだ。その為、その間に何かあっては困ると考えた明皇は、本来ならば神通力を取り上げなければならないのだが、琳からは取り上げなかったのだ。

 下界へ下りた琳は、自身の得意とする舞を生業として共に貶謫されていた三名の副神と共に各地を転々としていた。そして並行して空域を拠点として根付し、鬼達を服従させた。

 月雨国に訪れたのは、琳が貶謫されてから数百年経った頃である。

 当時の天后が下界へ貶謫された後、明皇は新しい天后てんごうとして琳を迎え入れる為に下界中を探し回った。しかし、明皇の事を天界にいた時から鬱陶しいと感じていた琳は、当然天后になんてなりたくないわけで、どこか身を隠す場所が必要だと思ったのだ。ちょうどその時、踊り子として月雨国の建国祭に呼ばれていた。最初は一度踊り子を辞めてそのまま後宮で働く侍女にでもなろうと思っていた。後宮という場所は男子禁制の地であり、下界で最も隠された場所である。何故かはわからないが、天帝と言えども後宮には下手に手を出せないようなので、 隠れるには持ってこいの場所なのだ。

 しかし、ここでまず一つ目の誤算が生じる。建国祭で琳は国主である清瑶チンヤオに恋をしてしまったのだ。

 琳は飛昇する前は貧民街の子の一人であった。父親はおらず、母親は娼館で働いている。当然容姿の良い若い男は娼館や貧民街には来ない。

 飛昇した後だってそうだ。文神は堅苦しい父親世代ばかり、武神は時折見目麗しいと言える若者はいたが、どれも変わり者。しまいには天帝から一方的に寵愛されるときた。

 だが、清瑤は若く容姿も決して悪くは無い。酒癖や女癖は悪いが、女を口説く術は一人前であり、琳は清瑶の話術に言葉巧みに釣られてしまったのだ。結局は妃の一人として後宮へ入り、しばらくは清瑤からの寵愛を一身に受けていた。

 しかし、美人は三日で飽きると言う。暫くすると、あまり着飾る事が好きでは無かった琳に清瑤は飽きてきてしまったようで、琳の宮へ足を運ぶ事は無くなってしまったのだ。そして、その時期に二つ目の誤算が生じる。静蘭を妊娠した事だ。

 生まれてくる子が皇子であれば、権力争いに巻き込まれて注目を浴びてしまうだろう。そうなれば、明皇の耳に届いてしまうかもしれない。そう考えたら腹の子を産むか悩んだが、何より子供を産めば清瑶の寵愛が戻ってくるかもしれない。そう思った琳は産むことを決意したのだ。

 だが、それが間違いだった。静蘭が生まれた時、静蘭を公主だと告げたばかりに清瑶は完全に琳へ対する関心を無くしたからだ。

 数百年も生きてきて、男からこのような扱いを受けるのは初めてであった琳は相当気に病んでしまった。最初こそ静蘭を憎んでしまったが、男であれば清瑶に似て育つかもしれないと、身がバレてしまうリスクがあるにも関わらず静蘭を育てた。だが、どうだろうか。成長するにつれ、清瑶に似る所か、琳の生き写しと言われるほど琳に似ていくではないか。性格だって琳によく似ている。

 何より許せなかったのが、清瑶は静蘭を娘として溺愛していたが、母親である琳の事を一切見向きもしなかった事だ。自分と似ているが故に、親子であるとはわかっていても、清瑶が見ているのは何故自分では無いのか、と黒い感情を持つようになった。

 そして、清瑶亡き今、琳にとって静蘭はお荷物でしか無い。身上を天界に嗅ぎ付けられないためにも始末しておく必要があるのだ。

 琳は神通力で中年の男鬼に姿を変えると、百花領域を出た。

黒花領域こっかりょういきは百花領域、水旋領域すいせんりょういきの鬼域の中で最も侵入しにくい場所だ。百花領域と水旋領域は明確な入口があるのに対し、黒花領域は入り込んだ山道に入口がある上、目印として墓場が近くにある事しか琳もよくわかっていない。

 黒花領域に住まい、霊玄リンシュエンの加護を受けている鬼達はどうにも仲間意識が強いらしく、余所者をそう簡単に入れたくないらしい。霊玄本人もそうだ、彼は身内はとことん信頼するが、他人に対して冷酷無慈悲で無頓着である。

 琳は神通力を使って周辺で一番鬼気が強く集まっている場所を探し出した。するとそこには案の定、墓道が続いている。これが黒花領域への入口である、墓道門ぼどうもんだ。一見この先もただの山道へ続いているだけだが、とある線の先へ足を踏み入れれば、そこには夜市が広がっている。目眩しの術のような特別な結界が張ってあり、外からは見えないのだ。


「お前、見ない顔だな?余所者か?」


 琳は早速奇妙な形をした男鬼にそう声を掛けられた。


「いいや。最近鬼王様の加護を受けて入れてもらった者さ。もっと奥の方へ住んでいるから、ここには初めて来たんだけどね」

「そうかいそうかい!なら俺が案内してあげよう!女がいいか?それとも酒か?どちらもか?遊郭ならすぐそこだ」


 男鬼は食い気味にそう言ってきたが、琳は横に首を振る。こんな場所で遊んでいる場合では無いのだ。静蘭を見つけ出し、一刻も早く始末しなければ。天界は既に動こうとしている。いや、もう動いているのかもしれない。

 先日だって翠艶が百花領域へ訪ねてきたんだ。


「遊郭は遠慮しておくよ。それより新参者過ぎて、ここのことをあまり理解していないんだ。友人もいなくて。で、一つ聞きたい事はあるんだけど、静蘭という名に聞き覚えは?見た目はそうだな、とても美しい。まるで屏風の中の天女のような」

「静蘭?そりゃ静蘭妃の事か?」

「静蘭妃?」

「それも知らないのか?鬼王様が最近やっと妃を迎え入れたのは知っているだろう?その妃が静蘭妃だよ。噂によると鬼じゃなくて人間らしいが、そりゃもう美人で鬼王様ととてもお似合いなのさ。だが不思議な事に、女の格好をして現れたと思ったら次の日にゃ男の格好をしている時もあるんだ。性別不詳の魔の美人って感じだな」


 男鬼の言う特徴からしてその静蘭妃は琳の息子である静蘭である事は間違いないだろう。そう簡単にそんな特徴が当て嵌る者がいてたまるものか。

 だが、何故黒花状元の妃になっているのか。琳はそこが読めない。黒花状元と言えば、月雨国の国主に銘葬山めいそうざんを焼かれ、報復と言って様々な災いをもたらせていたはずだ。静蘭は死んだ事にされて、生贄も同然に黒花状元に差し出されたのだろう。そこまでは何となく琳も読めた。

 しかし黒花状元は何故、静蘭を受け入れた?琳にはそこが理解出来なかった。以前、静蘭は目立っていたから記憶に残っていると言っていたが、ただその記憶だけで生かしておいたのか?


「おい、どうしたんだ?静蘭妃がどうかしたのか?」

「……そんな美人なら一度お会いしてみたいな」

「ははっ、そりゃそうだよな。俺の店に何度か来た事があるが、本当に目を見張るほどの美人だ。ありゃ国を傾かせるのも無理は無いな」


 男鬼は何を思い出しているのか、気持ち悪くニマニマした。だが、はっとしたように琳に一つ忠告を入れた。


「だが人間だからといって、決して変な気は起こすなよ?鬼王様は静蘭妃を大切にされているようだから、静蘭妃に何かあれば命は無いからな」

「……大切に?黒……鬼王様は静蘭妃の事を好いているのか?」

「さぁ。でも天趣城てんしゅじょうに仕えている女中が言うに、鬼王様は毎晩静蘭妃の宮に通って夜が開ける少し前に自室に戻って行くらしい。それに、城の中でも結構イチャイチャしてるとか……」


 琳は意識が飛びそうになった。あの子がよりにもよってあの黒花状元とイチャイチャ?それに毎晩宮に通って二人で何をしているというのだ。仮にも自分の血を分け与えた息子がどんな扱いを受けているのか、想像するだけで目眩がする。


「おい、本当に大丈夫か?」


 白目で固まり、口をぱくぱくさせている琳を見て男鬼は本気で心配をする。


「あ、ああ。大丈夫だ。静蘭妃はここへよく来られるのか?」

「最近は側近の鬼を二人連れて来られる事がある。偶にだけどな。最初は静蘭妃と側近の黎月リーユエの二人だけで来ていたんだが、近頃は小さい女の子も連れてくるようになった。静蘭妃はその女の子を小環シャオホアンと呼んでいる。随分親しいみたいだったし、まさか鬼王様と静蘭妃の隠し子だったりして……なんつって。って、おい!本当に大丈夫か?!」

「か、隠し子……」


 琳はとうとうその場に座り込んでしまった。黒花状元は一体何をしているんだ?術を使ってまで静蘭を孕ませたかったのか?

 それに静蘭も何をしているのだ。琳に似てプライドの高かった静蘭は蘇寧スーニンにも謙らなかった。なのに、このザマは何なのだ。霊玄は琳と静蘭の関係を知っている。だから、静蘭が本当に霊玄の妃で、その女の子が本当に二人の隠し子なのであれば、静蘭とその子をダシに琳を脅す事だって出来るのだ。


「一体どれだけ私の手を煩わせるのよ、静蘭……!」

「ん?何か言ったか?」


 霊玄にしてやられた、という屈辱感と若干の焦りでつい本性が出てしまっていた。


「いや、何も無い。せっかくだ、静蘭妃が行ったことのある店にでも案内してくれ」

「おう、行こうじゃないか、同胞よ!」


 黒花状元の鬼は外の者には冷たい目を向けるが、霊玄が受け入れたというならば話は別だった。その時点で彼らにとっては同胞と認識されるのだ。

 それにしても琳にとっては厄介な事になってしまった。あの黒花状元を敵に回したくは無い。だからこそこの前の協定を提案したというのに、結局対立してしまいそうだ。真正面から戦いを挑んでも琳は決して勝てない。それはわかっている。だからこそ琳は黒花領域への潜伏を決意した。

 

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