空域の鬼王

 しかし数日後、また騒ぎは起こった。同じような事が今度は東南の国で起こったのだ。

 流石にこの事は任せておけと言ったからには霊玄リンシュエンも動くしか無く、情報収集のためにも空域くういきへ向かう必要があった。この間配下の者を送った所、立ち入ることを拒否されたため今回は霊玄自らが赴く事にしたのだ。

 ついこの間まで空域なんて知らなかった静蘭ジンランは興味を持ち、同行したいと霊玄に頼んだ。

 が、いくら何でも霊玄すら何が起こるか予想のつかないような場所に静蘭を連れて行くわけには行かない。

 交渉の場には美しい者を隣に置いておくと良いと言うが、静蘭を道具のように扱いたくは無い。

 結局霊玄は単身で空域まで向かった。

 空域は黒花領域こっかりょういきとそう距離は離れておらず、縮地の術を使えば数時間で行く事が出来る。

 本来なら縮地の術で直接空域へ移動する事も出来るのだが、何せ向こうも霊玄と同じ鬼王の息がかかっている領域だ。勝手に侵入出来ないように結界が張られており、それを破る事は出来ない事は無いのだが、破る方が時間を費やしてしまうし、そんな騒ぎは起こしたくは無い。というか、起こしてしまったらかなりまずいのだ。

 だから霊玄でも空域へ向かうには多少の手間が必要だった。

 まず、縮地の術で空域に一番近いとされている山の頂まで移動する。それからはただひたすら神通力を使って空へと昇るしか無い。幸い、天界よりかは下に位置するため、そう時間は掛からない。

 雲の上をひたすら辺りを歩き続けると、青龍の守護する門を見つける。

 ここは黒花領域で言う墓道門ぼどうもんのような場所なのだろう。

 青龍に近付くと、霊玄はもう一人の存在に気が付く。

 上等な衣を纏った男は人間の年齢に例えると、容姿は三十代半ば程で、眉間に皺を寄せて気難しそうな印象を受ける。しかしどこか聡明で洗練された雰囲気を漂わせおり、誰が見ても只者では無いと分かるだろう。霊玄は彼に見覚えがあった。


「これはこれは、第一文神の王菱真君ワンリンしんくんでは無いか。わざわざ鬼界へ足を運ぶとは、この前の風師フォンシー殿もそうだが天界の神仙様は退屈をされているのかな?」


 十分に声が聞こえる距離感まで近付くと、何かを口論している青龍と上等な衣を纏った男、基、第一文神の王菱の間を割って入るようにそう言った。

 二者は口論をぴたりと止めると霊玄に注目する。王菱の方は少し顔を青くしたものの、すぐに言い返した。


「そちらこそ、陸の鬼王殿が何故空域へ?黒花状元こっかじょうげん殿は水仙旋蛇すいせんせんじゃとしか繋がりは無く、空域とは交流すらないと耳に入っていたのだが」

「天界は随分と俺について詳しいようだ。まさか間者でも潜めているのかな?」


 その言葉に王菱は一瞬反応を示したのを霊玄は見逃さなかった。しかし、天界が偵察のために霊玄の側近に間者を潜めている事については霊玄はずっと前から知っていた。


「まさか。ただの噂ですよ」

「そうか。まあいい、俺には今文神と言い争う暇は無い」


 霊玄は青龍へ視線を向けた。一町程あるのでは無いかと思うほどの巨体は確かに迫力があり、並大抵の者であればこの姿が見えた途端に逃げ帰るであろう。それだけの威厳も感じられる。


「青龍、この前は私の配下が世話になったな。しかし、前回見逃したあの胎児の鬼がまた下界で騒ぎを起こした。どういう事か空の鬼王に事情聴取の協力を願いたいのだが」


 霊玄がそう言うと、青龍は突如眩い光に包まれた。

 そしてなんと、青龍は一人の女へと変化したのだ。


百花ひゃっか様は何があろうとも我々四龍以外には決して姿をお見せになりません。直接お越しいただいた所申し訳ありませんが、お引き取り願います」


 すると、慌てて王菱も言う。


「待った、天界も彼と同じ要件で事情聴取を行いに来たのだ。これは天帝の命令である」


 どうやら霊玄と同じく噂を聞いた天界も、流石に空域も関わってくるとなれば放置は出来なかったらしく、今回は天帝の命令で王菱がここへ寄越されたらしい。

 しかし空域の王、百花四神ひゃっかしじんが最も信頼を置き、一番近くに置いているという四龍の一人にそう言われたとはいえ、霊玄も王菱もここではいそうですかと引き下がる訳にも行かない。


「待て。俺は事情聴取の許可を取りに来た訳じゃない。百花、お前も俺を敵に回したくは無いはずだ」


 霊玄が門に向かってそう言うも、特に返事は無い。

 仕方が無い、ここは強行突破するしかないと考え始めた時だ。

 突如、甲高い悲鳴にも似た音を立てて門がゆっくりと開いたのだ。


「……百花様からの伝言です。城へ案内せよとの事です」


 着いてきてください。霊玄と王菱はそう言った青龍の後を着いて行く。

 空域、ここ百花領域ひゃっかりょういきの様子は黒花領域とはかなり違う様だ。晩年暗く、夜が明けない黒花領域に比べて百花領域は晩年明るく、夜が来ない。市場や鬼達の様子は変わらないのだが、何を祀っているのか時折小さな廟のような建物もある。そもそも鬼が何かを信仰するなんて聞いた事が無いのだが、ここの鬼達は百花四神の守護にあやかっている事を考えると百花廟なのだろう。

 黒花廟や水旋廟と違って百花廟は下界で目にした事すらない。そもそも今の下界では静蘭もその存在を知らなかったように、百花四神は知られていないからだろうが。

 霊玄の横で静かに着いてきている王菱はと言うと、百花領域の様子を見て更に眉間に皺を寄せた。

 同じく天に位置するからなのかは分からないが、鬼が屯して市場を開いたりしている様子以外は、何とも天界の外観に似ているのだ。

 鬼界のくせに尊い天界と同じような外観。王菱にとってはそれが気に食わなかったようだ。

 しかし、百花領域は黒花領域よりもかなり狭いらしく、すぐに中心部の城まで辿り着いた。

 その城までも天界にある神仙の住む宮殿に造りが似ているものだから、王菱は内心益々不機嫌になっている。

 大極殿まで行くと、王菱と同じような年格好の男が玉座に腰掛けて堂々とこちらを見下ろしていた。


「百花四神殿、この待遇は少々如何なものかと」


 先程から不満を溜め込んでいた王菱は遂に我慢ならなかったらしく、不満を態度に顕にした。

 霊玄はと言うと、思っていたより短期な第一文神に呆れつつも、この待遇には些か不満がある。

 確かに勝手に押し掛けて来たのは自分達の方ではあるが、ここに招き入れた以上は客人であり、何より霊玄とはお互い鬼王という対等な関係であるはずだ。

 正直喧嘩を売っているのか?と今にでも詰めたい気持ちはあったが、その気持ちをぐっと押し込んだ。


「突然押しかけて来たのはあなた達の方だろう?俺だって暇じゃない、謁見を許しただけでも有難いと思って欲しいのだが」


 また随分と横暴な印象だ。というより、完全に見下している。しかし霊玄は何も口を挟まず、王菱と百花四神の会話を傍で聞いているだけだった。

 王菱は百花四神の態度に内心青筋を立てているものの、何とか感情を自制し自分を保っているようだ。

 王菱真君は上下関係や礼儀、態度には人一倍厳しいと言われており、そのため信者達も何か無礼があっては見放されると廟に参拝するだけでもかなり神経を使うとか。

 霊玄からしたらただの短気以外の何者でも無いのだが。


「申し遅れましたが私は天界の第一文神、王菱と申します。突然押しかけてしまった事については申し訳なく思っています。ですが、百花四神殿に接触をはかる方法も検討がつかなかったもので」

「文神が俺を尋問しに来たのか?武神ではなく?」


 百花四神の言う通り、文神一人で敵陣である鬼界へ赴くのは命取りと言えるだろう。武神とは違い戦闘能力はほぼ皆無であり、普通の鬼なら相手にもならないかもしれないが、鬼王には手も足も出ないに決まっている。

 おそらく天界は百花四神に対して敵意は無いし攻撃するつもりは無いと強調したかったのだろう。

 霊玄と天界の関係は見ての通りかなり冷めきっている。理由は幾つかあるのだが、ここは常に冷戦状態だ。

 そして引秋も水伯すいはくと水域を巡って対立しているし、流石に鬼王三者に手を妬くのは避けたいはずだ。

 今まで特に問題を起こさず、ただ引きこもっているだけの百花四神とは良好な関係とはいかずとも、対立はしたくないのだ。


「何を仰る、私は戦いに来たのでは無くお話を伺いに来たのです。武神では無く文神の私が出向くのが相当でしょう」

「ふん、そうか。それで、話とは?」


 王菱の返し方に面白くないとでも言うような表情を見せたが、さっさと終わらせたいのか本題に入った。


「先日、南の方より天界の神仙が追っていた胎児の鬼が空域へ姿を晦ましたと報告が入りまして。しかし、今度は東南でその胎児の鬼が問題を引き起こしたのです。何か手掛かりをと思いまして」

「なるほど。だが残念だったな、俺は何も知らない」

「……失礼ですが、領域内へ入れたということは?」

「無いな、そもそも知っての通り外の者は入れない」


 百花四神の表情からして別に嘘はついていないように見えるのだが、それはほぼ有り得ない。ピンポイントで空域、それも入口付近で姿を晦ましたのだ。領域へ入った事以外何を考えられるだろうか。

 霊玄と同じく王菱も腑に落ちないようだったが、知らないと言っているのにこれ以上問い詰めるのはどうかと思ったのか、案外大人しく引き下がった。


「わかりました。また何かあれば情報を提供して下さると有難い」


 それだけ言うと、そそくさとその場から立ち去った。

 大極殿には霊玄と百花四神の二人きりだ。


「……廃物の文神は騙せても俺は騙せないぞ、百花四神。さっさと出て来い」


 霊玄がそう言うと、玉座に座る百花四神は何かを言おうとしたが、それよりも前に目の前の空間が歪み、その隙間から女が出てきた。

 そしてその女が霊玄に向かって顔を上げると、霊玄はらしくも無く両目を見開き、化石になったかのように固まってしまった。


「流石、黒花状元殿。騙すような真似をしてごめんなさいね、でもさっきは姿を隠さないといけなかった理由がちゃんとあるのよ」


 そう、この目の前の女こそ本物の百花四神なのだ。玉座に座っていた男は百花四神の仮相でも何でもなく、他人だ。

 霊玄は大極殿に入った時からそれに気付いており、だから先程も口を出さなかった。

 しかし、霊玄は今予想外の出来事に驚いて上手く身体が動かない。


「……静蘭?」

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