二人の関係
今までは肩を抱き寄せたりだとか、その程度だった。
しかし、静蘭に好意をはっきり伝えて以来は口づけや手に触れたり、とにかく霊玄といると甘い空気が流れる。
それは
特に珠環の前では悪影響を及ぼすかもしれないからやめて欲しい。
そう伝えてもはぐらかされるから、困ったものだ。
そんな霊玄だが、
いつものような触れ合いは無く、何と言うか、妙に気取っているというか。彼女の前でだけは以前の霊玄なのだ。
「ねぇ、何でだと思う?」
「……私に聞かれましても」
書庫で書類と睨めっこをしている権玉にそう問うも、有益な情報は得られない。
目の前でだらんと項垂れると、権玉が一つ咳払いをした。
「ところで鬼王妃様、黎月も付けずに何故お一人でこちらへ?」
「ずっと睡蓮宮に篭っていても何もやる事無いし、ここの書庫は広くて多くの文献があるだろう?ここにいれば暇じゃない。それに今日は権玉にも用があったしね」
「用とは?」
「さっき言った通り、霊玄様の事」
権玉ははぁ、と適当な返事をすると再び書類に目を通し始めた。別に権玉の仕事の邪魔をするつもりは無いのだが、霊玄の事で相談出来そうな者と言えば黎月を除けば権玉しかいない。
「私も鬼王様について知らない事は山ほどありますよ。より近しい鬼王妃様の方が知っている事も多そうですけれど」
霊玄の事……と静蘭は考え始める。
そういえば霊玄について知っている事と言えば、鬼王で強くて、でもお酒は弱い。そして海域の鬼王である
後は、と考えるが、どうしてもそれ以上が出てこない。
静蘭の感覚としては霊玄と出会って結構経った気がするのだが、もしかして自分は霊玄の事をまだ全然知らないのでは?と焦り始める。
彼の人間の頃も知らなければ、何年生きているのかも知らない。下界では五百年だとか八百年だとか色々言われているが、下界の噂話なんて殆どが作り話で信用ならない。
しかし鬼というのは自分の事をあまり話したがらないと聞く。
それに霊玄はただの鬼ではなく、鬼王という立場だ。尚更自分の事をそう簡単に話すわけにはいかないだろう。
そう思うと余計に聞きにくい。
「私、霊玄様の事を何も知らない。権玉は霊玄様に仕えてどのくらいになるの?」
「四百年とかですかね。でも私よりも黎月の方が長いので」
「……黎月が?」
四百年と聞けばものすごく古参に聞こえるのだが……ならば黎月は一体いつから霊玄と一緒なのだろうか。
というかそもそも霊玄は何年存在しているのだろうか。
権玉で四百年ということは、少なくとも四百年以上は生きている。
黎月は更に前から仕えているらしいから、五百年近く生きているのだろうか。
疑問に思う事は増える一方だ。
頭を悩ませて突っ伏す静蘭の姿を見て、権玉は口を開く。
「何か気になる事があるのなら鬼王様に直接聞いてみては?」
「聞けてたらこんなに悩んでない」
「一体何に悩まれているのです?」
流石は権玉だ、山のようにあった書類はもう全て片付いたようで、静蘭の話に乗ってくれた。
「色々!考えれば考える程疑問が多すぎて。ねぇ、霊玄様は今で何歳くらい?」
「千歳前後かと。」
千歳だって?思っていたよりも大きな数字に言葉が出ない。千年も存在し続けるのは鬼の中でもかなり珍しいというか大変というか。改めて霊玄の凄さを感じる。
「じゃあ、霊玄様が人間の頃はどんな御方だったの?」
「知りません。恐らく黎月の方が詳しいかと」
人間の頃の話が一番聞きたい話だったのに。
それにまた黎月だ。黎月は自分の知らない霊玄をよく知っている気がする。それといった状況には出くわした事は無いが、何となく静蘭の勘がそう言っているのだ。
しかし黎月がもし知っていたとしたら、それはそれで何だかモヤモヤする。
何なんだろうか、この感情は。
黎月は信用しているし、あの明るい性格にはいつも助けられている。
しかしこう、黎月と霊玄が一緒にいる所を見たら胸が苦しいのだ。
その事を隠さず権玉に伝える。
「鬼王妃様、それは嫉妬では?」
「嫉妬?」
「ええ。でも安心してください。鬼王様と黎月は前にも後にも決してそういう関係ではありませんので」
自分は霊玄に嫉妬をしているのか。静蘭はその時に初めて自分の感情に気が付いた。
「……別に霊玄様が他の妃を娶る事にとやかく言うつもりは無い。霊玄様の好きにすればいい話だし、私にとやかく言われる筋合いも無いはずだ」
「気が早い御方ですね……大丈夫ですよ。鬼王妃様は意外と独占欲がお強い」
「だから独占欲とかそんなんじゃない」
静蘭は顔をそっぽに向けて否定するも、権玉には全てお見通しのようだった。
静蘭の本心としては、霊玄の事を何も知らない自分が腹立たしく、そして黎月が自分の知らない霊玄の何かを知っているかもしれないという事も気に入らない。
「……でも良かったです。最近よくお会いするようになりましたが、ここに来たばかりの鬼王妃様とはまるで別人のようだ」
権玉はここに生贄として送られてきたばかりの静蘭の事を国を救う嘆願をしたものの、自分自身はどうなってもいい、何も期待はしていない、人間味が無く生きる気力も無い、まるで人形のようだと思っていた。
そしてそうなった背景も知っており、その姿があまりにも哀れで痛々しかった。
しかし今はどうだろうか。あんな状態だった静蘭が表情豊かになり、あろう事か霊玄に対して嫉妬をしたりと人間らしい姿を見せた。
そうさせたのは黎月や珠環などもそうだが、きっと霊玄の影響が一番大きいだろう。
そして喉の乾きを潤したかのように、最近は活気に溢れている霊玄の姿を見ているので全てが良い方向に転じている、と権玉は胸を撫で下ろした。
「そう?」
「ええ。まさか捨てられた子犬のようだった鬼王妃様がこんなにわがま……自己主張がしっかり出来て、皇族らしい性格をした御方だとは。この権玉、とてもほっとしております」
「今我儘って言いかけたでしょう」
「何を仰います、あくまで良い意味ですよ」
確かに静蘭は一見大人しく見えるし、外見や雰囲気もあらたまって誰もが儚げな深窓の令嬢だという印象を受けるだろう。
しかし静蘭の中身をよく知れば、意外にも行動力はあるし、慣れた者には可愛らしい我儘を言う事もある。
それに、これは静蘭が初めてここに来た時に霊玄に謁見した時が正しくそうだったのだが、自分の意思を恐れずに言う事が出来る。その相手が例え鬼王であってもその姿勢は怯んでいなかった。
霊玄も静蘭の事を見ていて飽きないと権玉に話しており、ここ最近では権玉ですらそう思う。
「さぁ、そろそろお戻りください。黎月や珠環が寂しがりますよ。それと、やはり気になる事があるのなら気を遣わずに鬼王様や黎月に聞いてみてください。きっと鬼王妃様になら快く教えるはずですから」
権玉に背中を押されて静蘭は書庫を後にした。
そうだ、自分は霊玄の妻だ。霊玄の事についてよく知る権利があるし、霊玄だって何故か静蘭の事をよく知っている。
自分だけ霊玄の事を何も知らないのは不公平だ。やはり今夜聞いてみる事にしよう。そう胸に決めて。
その日も静蘭はいつもと同じく、湯浴みも済ませ、霊玄を待つ。
「鬼王妃様、何だか今日はよそよそしいですね?」
「え、そう?」
黎月にそう指摘をされてぎくりとする。
そりゃあ緊張するに決まっている。静蘭が聞こうとしている内容には、霊玄にとってきっと言い難い事もあるだろうから。
「……黎月は霊玄様に仕えてどのくらいになるの?」
「どのくらい……えっと、どのくらいだろう……」
考える素振りをしているが、動揺しているようにも見える。
その時、霊玄が部屋に入ってきた。
「あっ、それじゃあ私はこれで失礼しますね!」
霊玄の姿を確認した黎月は逃げるようにそう言って部屋を出ようとする。
「待て、今日はお前もここにいろ。静蘭、お前にも話しておこうと思ってな」
そう言う霊玄の目はいつもよりも真剣で静蘭の目を真っ直ぐに捉える。
静蘭も背筋を伸ばしてじっと霊玄の目を見つめた。
黎月はどこかばつが悪そうにしており、何か言いたそうにはしているのだが言えず、といった感じで斜め下に視線を移してもじもじとしている。
三人とも誰も何も話さず、少し気まずい空気が流れる。そしてそれを破ったのは黎月だった。
「分かりました、分かりましたよ。それじゃあ私は茶を淹れて来ますので少々席を外します」
「逃げるなよ」
「分かってますよ」
逃げる?一体今から何の話をするつもりなのだろうか。
何を話されてもいいようにと静蘭は心の準備をする。
「お前は俺と黎月の関係が気になっているのだろう?」
黎月が部屋を出て行った後、霊玄がそう呟いた。
「……まあ、はい。気になってはいます。何となく霊玄様が黎月といる時は雰囲気が違うなと思っていたので」
「別にお前が心配しているような事は何も無い。俺が恋人や妻に対する感情での愛しているのは魏静蘭、お前だけだ」
静蘭の手を取り、また真っ直ぐに目を見てそう言われるものだから、静蘭の方から目を背けてしまう。
「それはありがとうございます。でも何故私が二人の関係性が気になっているとわかったのですか?」
顔には出していなかったはずだし、黎月にも何も言っていない。珠環にもまだ子供でこんな事を相談しても分からないだろうと思って何も言っていない。
唯一打ち明けたとしたら……。
「ここに来る前に権玉から聞いた」
やっぱりそうだった。まさか本人に言うとは思っていなかったが、まあ自分が言い出さずとも向こうから話そうと言ってくれたので良しとしよう。
黎月が戻って来ると、霊玄が再び口を開いた。
「黎月は俺の姪だ」
そうか、姪なのか。
……姪?
「……私の聞き間違いでしょうか?」
「鬼王妃様、鬼王様は私の伯父上です」
聞き間違いでは無い事がわかると、静蘭は声にならない声を上げて驚いた。
二人の顔を交互に見る。うん、全く似ていない。
「冗談……ですか?」
「まさか。こんな時に冗談は言わない」
そうだ、霊玄はこんな真面目な話の時に冗談を言うような人では無い。
「まだ鬼王様……伯父上が人間だった頃、私の母は伯父上の妹でした」
「俺は打ち明けてもいいだろうと何度もこいつに行ったのだが、何を考えているのかこいつが言いたがらなかった」
「そりゃそうですよ!何か鬼王妃様とよそよそしくなったりとかしたら嫌ですもん!今更感あるし!」
黎月が霊玄にこんな口を聞くのは初めて見た。霊玄もだ。
つまりこういう事らしい。
霊玄と黎月の雰囲気が違ったのは実の伯父と姪であり、黎月が実の伯父が誰かとイチャついている姿を見るのはちょっと嫌。という事だった。
「六百年前に私を見つけ出して以来、ずっと伯父上に育てられてきたんです。父親も同然の人が誰かとイチャイチャしている所、いくら鬼王妃様でも見たくありません……」
黎月はおえ、という顔をしてそう言う。
「俺だってお前にそんな所見せたくは無いんだが。だいたいお前がさっさと立ち去れば良いだけだろう、そのせいで静蘭を不安にさせたんだ」
「嫌です!私だって鬼王妃様と一秒でも多く時間を過ごしたいのに!」
「お前は朝昼晩ずっと一緒にいるだろう」
まるで母親を取り合う兄妹のような喧嘩を初めてしまった。
その様子が何だかおかしく思えて、静蘭がふふ、と声を上げた。
「はいはい、お二人が仲の良い伯父姪だと言うことは分かりましたから」
二人が口論をぴたりと辞めると、黎月が静蘭に控えめに聞いてきた。
「鬼王妃様、いきなり態度変えたりしないでくださいね……?今まで通り、私は鬼王妃様の護衛兼侍女なのですから」
「当たり前だ、態度が変わる事は無いよ。ただ早く言ってくれれば良かったのに。それに、この事を知っているのは他に誰かいるの?」
「権玉だけだ」
なるほど、だから権玉はあんな事を静蘭に豪語していたのか。
事実を知り、静蘭の胸は軽くなった。
黎月が睡蓮宮を出ると、二人の時の甘い空気感になる。
「……でも霊玄様、私はあなたを独り占めしようなんて思いません。ですから、もし他に見初められた方が出来たら時には私の事は気にしないでください」
本当は嫌だが、霊玄の事を思うと本当にそう思う。霊玄が綺麗な女の人と一緒にいるのを想像すると胸がはち切れそうになるが、いつしか静蘭は自分の事より霊玄の気持ちを大切にしたいと考えるようになったのだ。
「先程も言った。先にも後にもお前だけだと。お前は何も気にするな」
静蘭は霊玄にぎゅっと抱き寄せられる。霊玄には体温が無いはずなのに、胸の中はとても温かくて安心出来た。
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