逢瀬で知る
「見てください
下界へ降りて花見をしよう、と言い出したのは
鬼界……というか
その事を霊玄に言えば、彼もそういえば……と言ったのだ。
「今までわざわざ桜を見たいと思った事は無かったが、これは確かに綺麗だな」
桜は綺麗に咲いているものの、周りに人は全くいない。
こんなに絶景の天守台ならば人が溢れかえっているはずなのに。
静蘭はふと霊玄の背後に目をやる。
先程までは気が付かなかったが、人が一人歩けるくらいの幅の小道があった。
敷石だけ敷かれた小道は、舗装されたのが随分前だったのか、よく見なければ誰も道だとは気が付かないであろう。
そしてその道の奥にはまた古びた建物があった。
「気になるか?」
「え?ええ、まあ……」
霊玄は静蘭の手を取り、小道を歩き出した。
小さいと思っていた建物は近付くにつれそこまで小さく無い事がわかった。というか小道が意外と長く続いていたのだ。
最後の敷石まで辿り着くと、目の前には古びた板に「
「霊玄様にも廟があるのですね」
静蘭は廟は神仙だけのものだと思っていたが、違うようで驚いた。
「俺の領域に近い域ではあるみたいだな。皆俺を恐れている」
「はは、こんなにもお優しい方なのに」
そのまま廟の中へ入っていくと、霊玄及び
黒花状元を模して作られているのだろうが、全くもって似ていない。
容姿は中年のふくよかな男で、口元には鋭い牙が二本。目元は狐のようにキッとつり上がっている。
もはや悪意があって作られたのでは?と思うほど正直醜く作られている。
「全然似ていませんね。一つも霊玄様に掠っていない」
「神像とはそういうものだ。俺だけじゃない、
つまり、信仰とかでは無いらしい。
古く傷んでいるが供物もあるし、廟自体がかなり大きく造られているから、てっきり神仙と同じように祀られて信仰されているのかと思った。
静蘭がそう思ったのは、一緒に過ごしているうちに霊玄がそういう扱いを受けてもおかしくない人柄だと認識していたからだ。
しかし、ふと静蘭は昔に聞いた黒花状元の噂を思い出す。
人を好んで食うとか、美しい娘を片っ端から攫っているとか、神殺しを企んでいるとか。今から考えればどれも根も葉もない噂なのだが、噂しか聞いていない民からすれば確かに恐ろしい存在であろう。
「しかし俺を祀られているからには俺もここと繋がっている。ここには来る者も少なく、ほぼ忘れ去られているが、ふと前に様子を見にここに訪れた時に桜の木が近くにあった事を思い出してな」
花見なんて興味無さそうな霊玄がこんな絶景の場所を知っていたのはそのためである。
廟の中を探索して暫くする。神像等必要最低限の物以外は何も無く、広い敷地にしては本当に何も無かった。
「神像が一体だけって少し寂しいですね」
「何故だ?普通一体だろう」
「確かにそうですが……例えば
そう言っている途中で静蘭は口を噤む。もしかして今、自分はとんでもない事を口にしているのでは?と気が付いたからだ。
これではまるで自分を共に祀って欲しいと言っているようなものなのではないだろうか。言葉にした時は決してそんな事を思って言ったわけではない。ただ言葉の通り、せっかく広いのにと思っただけだ。
羞恥と焦りでだんだん顔が熱くなる。
「……そうだな、今度彫刻家の夢枕にでも立ってお前の像を作るように進言するか」
やっぱりそう思われた!と思った静蘭は咄嗟に否定しようと顔を上げる。
しかし、霊玄は何故だかとても優しく微笑んでおり、何かを想像しているようだった。
思っていた反応と違った静蘭は呆気に取られるが、また咄嗟に口任せに言葉を発する。
「り、霊玄様、先程の町でもう少し呑んで行きませんか?!私はまだ呑み足りないのですが……!」
「さっきあんなに呑んだのにか?」
静蘭は別に呑み足りないとは思っていなかったが、この羞恥から逃れるために話題を逸らし、忘れて欲しかった。
「せっかくですし!霊玄様と下界に降りるなんて滅多に無さそうじゃないですか、ねっ?」
霊玄は無言で静蘭の顔をじっと見つめたが、すぐに頭を縦に振る。
「そうだな、たまには下界の酒というのも悪くない。そろそろ行こうか」
また霊玄は静蘭に手を取り、廟を後にした。
*
「お兄さん、二人入りたいのだけれど席は空いてる?」
「いらっしゃいご夫婦。空いてるから好きな場所に座っていいよ」
「夫婦……」
天守台の近くにある料理屋に入ると、店主の男にそう言われる。
夫婦という事は、静蘭を女性だと思い込んでいるのだろうか。今日は男の格好をしているつもりだったのだが、まだ女に見えるか?
これはもう少し格好には気を付ける必要がありそうだ。本当の夫婦だと勘違いされては霊玄の気に触れてしまうかもしれない。
適当な席に座り、品書きに目を透す。
こういう庶民的な店で食事をするのには慣れていない静蘭だが、恐らく霊玄よりかは慣れているだろう。
霊玄はそもそも食べなくても存在し続ける事が出来るし、鬼界では食事の雰囲気を味わうのが好きなようで食事を取っているが、下界でわざわざ食事を取るという機会はなさそうに見える。
「好きな物を頼め。俺は下界の食べ物にあまり詳しくないからな」
「やっぱり。では私が良さげな品を……」
そう言い、静蘭も品書きをじっくり見る。しかし静蘭も初めて聞く名前の料理や食べた事の無い料理ばかりで困惑する。
それでもやっと霊玄に自分が何かを先導出来る立場になったと静蘭は見栄を張ってしまう。こほん、と一つ咳払いをすると再び品書きを見始めた。
「お前も分からないのだろう?そりゃあそうだ、お前は皇族育ちだからな。こんな庶民的な店には入った事も無いだろう」
「あります!幼い頃とか……十代前半の時も何度か侍女と共にお忍びで城下町へ出た事がありました」
「ほう……で、どれがどんな物なのか説明出来るのか?」
無理だ、静蘭には説明できっこない。
すると、二人の様子を見かねた給士の女が寄ってきた。
「ご夫婦、もし良ければ当店のおすすめは如何ですか?」
「ぜひ教えて頂きたいです」
助かった。このままだと訳も分からず手当り次第色んなものを頼んでしまうところだった。
「ふふふ、ではこちらは如何ですか?
「へぇ……ではそれを二人前ください」
「かしこまりました」
給士は霊玄の顔をちらっと見ては顔を紅く染めた。
なるほど、霊玄の顔を近くで見たかっただけか。
「……霊玄様は過去に妃が居なかったと聞きました」
「ああ、居たことが無いな」
「何故です?霊玄様なら例え天界の仙女でも手に入れようと思えば出来そうなのに」
「興味が無かった、それだけだ」
そう答える霊玄は本当に興味が無さそうな顔をしている。
「ではこれからはどうです?」
「無いな」
またしても即答だ。色恋沙汰に興味が無いとは、この顔に生まれておいてとても損ではないか。
「そういうお前はどうなんだ?」
「私ですか?お恥ずかしながらこの十九年間、一度も恋をした事がありません。閉鎖された場所で育ちましたし、関わりのある女性も母と侍女、男性も父と年配の重役ばかりでしたから」
「ほう……そうか。何だかお前とこういう話をするのも不思議なものだな。夫婦が互いの過去の恋愛話をするとは」
それは霊玄の何気無い一言であったが、静蘭の目を丸く変えた。
「夫婦……ですか」
「夫婦だろう?逆に何なんだ?」
確かに仮初の夫婦ではあるのだが、霊玄が何を当たり前の事を言っている、というような顔で問いただしてくるから困惑する。
「ええ、ええ。そうですね。私達は確かに傍から見れば夫婦です。しかし、今は二人ですよ?」
「何が言いたい?」
「そこまで無理に夫婦を演じなくても、ということです」
「……は?」
今度は逆に霊玄が目を丸くした。
「私は人質、というか利用価値があるから黒花領域に置いてもらっているのでしょう?後宮にいるのも体裁だけで……」
続きを言おうとしたが、ちょうどよく酒と料理が届いたので口を噤む。
霊玄はいつもと同じく無表情で何を考えているのか読み取れないが、今は何故だか動揺しているように感じる。
料理を運んできた給士が去った途端、霊玄は酒を一気に飲み干した。
その酒の量は少ないとは言えなかったが、決して多いわけでは無い。強い酒でも無かったはずなのだが、顔を上げた霊玄は耳と頬を紅くしていた。
「か、かわっ……!」
そんな霊玄の姿は今まで見た事が無く、常に無表情で血の気の通らない真っ白な顔しか見ていないからか心がぎゅんと掴まれたような気がした。
可愛い!静蘭はそう言いかけたところで言葉を飲み込む。
何だ、さっきから様子がおかしいぞ?
「いいか、俺は今はそんな事を思っていない!」
そしてまた突然そんな事を言ったのだ。
「え?そんな事って?」
「利用価値とか体裁とかだ!何でただただ利用価値のあるだけの奴の宮に毎晩通うんだ。そんな事するわけないだろう」
「……え?」
投げやりにそう言う姿から霊玄は酔っているのだろう。しかし何だって?そんな事は無いって、そういう事だったのか。
「別に今更
「じゃ、じゃあ何故私はまだ天趣城に置かせてもらっているのですか?私に利用価値が無いならば、最初に顔を合わせた時に言っていたように殺してしまえばいいものを」
「馬鹿なのかお前は。月雨国の金枝玉葉の美女は聡明だと聞いていたが」
すると急に真顔でそんな事を言われるものだから本当に酔っているのか疑う。この落差は本当に一体何なんだ?
しかし本当に酔っているのなら好都合だと静蘭は少し悪い顔をする。
「馬鹿とは失礼な。ならば霊玄様は私の事をどう思っているの?」
「好きだ。だから傍に置いているんだろう」
「……え?」
何だって?好き?だから傍に置いている……?
静蘭からしたら、酔っている今なら霊玄の本音を聞き出せるだろうと思って聞いたのだ。
なのにこれが本音だって?ありえない、初めて天趣城に来て謁見した時は今にも殺されそうな雰囲気だったのに。それがどう転べばそんな感情になる。
しかし、疑問と共に静蘭にはもう一つの気持ちが現れる。
――とても嬉しい
静蘭の彼に対する感情は何なのかは静蘭自身もよく分からない。ただはっきり分かるのは、好きと言われて嫌では無い事と嬉しい事。それだけだ。
蘇寧の時のように拒絶出来ないし、しようとも思わない。霊玄から向けられる好きという感情はどこかとても心地が良いからだ。
「じゃ、じゃあ霊玄様。一体私のどこが好き……」
一体私のどこが好きなのですか?そう問おうと思ったが、口を噤ぐ。
目の前の霊玄は机に突っ伏して眠っていたからだ。
静蘭は初めて霊玄の寝顔を見た。
普段は静蘭が眠るまで共に横になっているのだが、朝目が覚めると必ず横に霊玄はいない。寝付くのも常に静蘭の方が早い。そのためだ。
本当に寝てしまったのかと霊玄の頬を突くも、反応が無い。
「……本当に眠ってしまわれたのか?もしかして霊玄様ってお酒弱い?」
静蘭からしたらそこまで呑んでいないと思っていたのだが……眠るほど酔ったのか。
まあいい、と静蘭は再び酒に手を伸ばす。
提供された刺身とやらは、確かに癖があるし生の魚を食べるという行為にはどこか抵抗感は否めないが、味や食感は確かにとても良い。給士の言う通りこれは癖になる。
「あらら、旦那さん眠っちゃいましたね」
注文を取ってくれた女の給士が静蘭にそう話しかける。
「はは、そうなんですよ。お酒に弱いみたいで」
「確かにあの量で寝るまで酔うのも珍しいけれど、奥さんもまあまあな酒豪では?この量は一人で呑まれたんですよね?」
「ええ、そうですけれど……酒豪、とは初めて言われましたね」
ついつい刺身と酒に夢中になっていたら、目の前には大量の空になった酒器が。
酒豪とは初めて言われた。それは本当なのだが、誰かと酒を呑むなんて初めての事だったため、そりゃ言われた事が無いに決まっている。
「ええ、そうなんですか?ものすごく強いと思いますけど……」
「はは、そうなのかもしれませんね」
その後も暫く一人で呑み続けた。
不思議と静蘭には酔いが回らなく、自分でもこれは酒に強い方だと自覚せざるを得ない。
しかしいくらか時間が経っても霊玄が目覚める兆しは無い。
いや、起こせばいいのだが、普段眠っているところを見ないからちゃんと眠っているのか心配になる。
だから起こすにも起こせない。
ここまでは縮地の術で来たわけで、自分は霊玄とは違い人間だから神通力が使えない。
どうやって帰るかも分からないし、このまま居座っては店の者に悪い。困ったものだ。
考えた末、起こすしかないと霊玄の肩を叩いたり声をかけたりするも、一向に目を覚まさない。
静蘭では霊玄を担いでは行けないし、途方に暮れていた時だ。
霊玄の手に触れると、触れた部分がじんわりと温かくなる感覚がした。
初めての感覚に何だ何だともう一度触れて確かめてみるも、やはり明らかにじんわりと温かい。それに、その熱が身体の内側にまで届き、それが身体を巡回するような感覚に陥る。
それが十分になったところで静蘭ははっとして霊玄に目をやる。
未だに眠っている霊玄は何もしていなさそうなのだが。
そして、霊玄の懐から一枚の札が飛び出ており、それを手に取る。
これは前に
霊玄とここに来る時は、霊玄はこの札を使わずに縮地の術を使った。
何か壁に向かって一瞬念じただけで術を使えたのだ。
しかしいくら札があったところで縮地の術というのは神通力が無ければ使えない。つまり静蘭にはどうしようも出来ないのだ。
とりあえず、もう会計をして一度店を出よう。
そう思い、先程の給士を引き止めた。
「お代なら旦那さんが既に支払っているから大丈夫ですよ」
「え?いつの間に……」
まあそれならいい、と席を立つ。
「霊玄様、もう行きますよ。ほら、立って!」
肩を貸して何とか立ち上がらせるも、霊玄はほぼ寝ているので引きずる様な形で何とか外に出る。
山道の途中にある店だったため、店以外は周囲に何も無い。
このまま霊玄が目を覚ますまで待つ事にしよう。
そして先程の札をもう一度目にする。
自分には使えないと分かってはいるのだが……霊玄が目覚めるまで暇だし、冗談半分で天趣城へ帰りたいと願いながら札を店の外壁へと貼った。
すると一体どういう事だろうか。外壁はだんだん歪み、天趣城が鏡のように映し出されたのだ。
「……は?え、霊玄様!これはどういう事ですか!」
地面に座り込む形で寝ている霊玄を少し乱暴に揺さぶるも、やはり起きる気配は無い。
もうどうにでもなれ、霊玄が起きたら全て何とかなる。
そう思い、霊玄を引っ張りながら天趣城が映し出された壁へと足を踏み入れた。
その瞬間、急に地面がすとんと落ちるかのように静蘭と霊玄は下へ落ちた。
「痛っ……」
尻もちをついたが、何とか着地出来た。霊玄も無事なようだ。
いや、鬼王だしこんな事で怪我なんてしないとは思うのだが。
どうやらここは書庫らしい。
「鬼王様……と鬼王妃様?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはあっけらかんとした権玉がたくさんの書物を抱えて立っていた。
「権玉!」
「鬼王妃様……これは一体……」
権玉が目を擦り、霊玄の方へ視線を向ける。
「あ……これはその、二人で呑んでいたら霊玄様が潰れちゃって。そのまま眠ったまま目を覚まさなくて、それで」
「潰れる?酒に酔われたという事ですか?」
静蘭の言葉に権玉が目を大きく見開き、そう問う。
「うん。霊玄様ってお酒弱いの?」
「いや、そもそもお酒を好んで嗜む御方では無く……お酒を呑んでいる姿は見た事がありません」
意外だ。今更ではあるが、霊玄を知る前は、鬼王というと酒とか色欲とかもっとこう、派手な感じを想像していた。
色欲は全く興味無さそうなのはわかるのだが、酒も好まないのか。
もしや生前は酒屋の息子で、嫌になるほど酒に埋もれて生きていたのかもしれない。全く想像がつかないが。
「鬼王様、起きてください。鬼王様」
権玉が霊玄に声をかけるも、まだ目を覚まさない。余程眠りが深いのか、疲れていたのだろう。
「このまま寝かせてあげよう。霊玄様の部屋は?」
「本殿の方に」
どうやらこの書庫は本殿ではないらしく、また別の殿に移動しなければならないらしい。
もう一度縮地の術が使えないだろうか。
「ここからだと睡蓮宮と本殿ではどっちの方が近い?」
「睡蓮宮です」
ならばもう睡蓮宮に連れて行こう。
そう思いもう一度霊玄の腕を肩に回す。
「鬼王妃様、お待ちください。今別の者を呼んできますから、鬼王妃様はもうお休みください。鬼王様も睡蓮宮へお連れ致しますので」
「そう?じゃあ頼む」
正直、霊玄は静蘭の華奢な身体には重すぎる。
運ぶのに難儀していたため、ここは素直に甘える事にした。
とりあえず湯浴みがしたくて、先に睡蓮宮に戻る。
その道中も先程の霊玄の言葉が頭から離れず、上の空だ。
好きって、一体いつからそんな風に見られていたんだろうか。霊玄が初めて睡蓮宮に来た時から態度は変わらないし、正直ピンと来ない。
もしやあれは酔っていたから冗談で……いや、霊玄は冗談であんな事は言わない。それにあの時は酔っていたけれど真剣な目をしていた。
「鬼王妃様、お帰りなさいませ!どうでしたか、鬼王様との逢瀬は!」
考え事で夢中になっていたため、後ろから声を掛けてくる黎月の存在に気が付かず、驚く。
「あ、え、えっと……」
どうだったかって?それは楽しかったに決まっている。
ただそう一言言えばいいだけなのに、どうしても先程の記憶が頭をよぎってしまい、頬を紅く染める。
「……え、何ですかその生娘みたいな反応……まさか……!」
「ち、違う!特に何も……」
あまりにもよそよそしい静蘭の反応に黎月が何を想像したのか口元に手を当てて目を細める。
何も無くはない。無くはないけれど、今日の静蘭はどうも本調子じゃないらしい。
「……お酒を呑みすぎたのかも。今から湯浴みをするから」
「はぁい」
全く酔っていないが、酔っているからと誤魔化す。しかし黎月にはお見通しのようで、まだ口角を上げたままだった。
湯浴みを終えて寝台へ行くと、既に霊玄が寝ていた。
二人で横になる事はあっても霊玄はいつも眠っていないため、何だかんだで二人で眠るのは初めてだ。
静蘭が霊玄の隣へ寝転ぶと、静蘭の身体にはどっと疲れが押し寄せてくる。精神的にも今日は疲れた。
一度気持ちを落ち着かせ、整理したい。
しかし、静蘭も睡魔には抗えず、そのまま目を閉じた。
翌日、目を覚ますといつものように隣に霊玄の姿は無かった。
静蘭が身体を起こしたちょうどその時、誰かが部屋に入ってくる音がする。きっと黎月だ。
「黎月、霊玄様はもう戻られたの?」
「ここにいるが」
昨晩何度も頭の中で再生されていた霊玄の声にびくっと肩を震わせた。何だか気まずい。
霊玄は茶を持ってきてくれたようで、茶碗を一つ静蘭に手渡して話を続けた。
「昨晩はすまなかった、黎月から話を聞いた」
「いえ、そんな。連れて行ってもらっただけでも有難いし、楽しかったです」
そしてしばらくの沈黙が流れる。
気まずい。非常に気まずい空気感だ。
あまり口数の多い方では無い霊玄とは日頃からたまに沈黙が流れる時がある。
前まではそれほど気にした事はなかったのだが、昨晩の事を思い出すと静蘭としてはかなり気まずい空気感だと捉えた。
「お酒苦手でしたか?」
「いや、苦手では無い。自分から進んで呑んだ事は無いが」
実は静蘭は霊玄が自分に気を遣って酒が苦手な事を隠してあの店に行ったのではと気にしていたため、これで一つ肩の荷が降りた。
「……一つ、聞きたい事がある」
「何でしょうか?」
真剣な顔で霊玄がそう言うものだから、静蘭も身構えてしまう。
「昨日は一体どうやってここまで戻って来た?」
「懐から札が見えて、その……以前権玉と黎月が縮地の術を使う時に使用していた札でしたので。私も使えるとは思わず、ただ何となく壁に貼ってみたらここに戻れました」
昨日のそれは本当に不思議だった。あれは霊玄が自作しているものなのだろうか。神通力が無い自分でも縮地の術が使えるとは。
しかし霊玄の物を勝手に使ったという自覚はあるため、少し決まりが悪い。
「……おかしい。何故使えた?お前に神通力は無いはずだ」
霊玄が眉間に皺を寄せて考え込み始めた。
霊玄の言い方からすると神通力が無い者はあの札が使えないとでも言うようだ。
「あれは霊玄様が自作したものですか?」
「ああ、そうだ。あの縮地の札には神通力を込めてはいるが、あくまでも神器だ。神通力を持たない者には使えないはずだ」
それでは確かにおかしい。昨日静蘭が使えたのは何故だ?
そうなった時、考えられる事は二つしかない。
一つはあの場には霊玄と静蘭以外の誰かがいて、静蘭が札を貼った際にその誰かが何らかの目的があって利用した。
もう一つは実は静蘭は神通力が使えた。
二つ目の線はどう考えても薄い。そもそも静蘭は人間であり、鬼でも神仙でも無い。人間は神通力が使えないし、静蘭も今まで神通力なんて使った事が無いしそんな兆しも無かった。
ならばもう一つの線で考えるのが妥当だ。
「でもあの場には霊玄様と私以外誰も……」
「ああ。俺がいくら酔っていたからと言えど、何か悪意のある気配に気が付かないわけがない。だから可能性としては、あの場にいたのは引秋、若しくは天界の神仙……それも半端な神仙じゃない。天帝くらいだな」
「でも引秋殿だったら何故声を掛けてくださらなかったのでしょう?」
引秋の性格からしてあんな姿の霊玄を見たら笑い転げてこれでもかと言うほど弄ってきそうなのに。
「あそこには水場も無かったし、有り得るとするなら神仙の可能性が高い。全く、何を企んでいるのやら」
霊玄は何を考えているのか、頭を抱えた。
「前から思っていたのですが、霊玄様は天界との関係はあまり良くないのですか?」
天界が恐れる鬼王とは正に彼の事だが、それもあくまで下界で通っている噂だ。
ここに来て噂は真実では無い事の方が多いと学んだ。
「ああ、そうだな。良いとは言えないかもしれん」
その曖昧な答えでは結局どっちなのか理解は出来なかったが、何となく深く聞いてはいけない気がした。
霊玄の目が、冷たく見えるも怒りを顕にしているように見えたからだ。
「はぁ、とりあえず俺が調べてみるからお前は何も気にするな。権玉にも話を聞いてくる」
それだけ言うと霊玄が腰を上げて、そのまま去ろうとする。
しかし静蘭は去ろうとする霊玄の手を取ってそれを引き止めた。無意識のうちにだ。
「どうした?」
「えっと……私からも一つお聞きしたい事が」
「何だ、言ってみろ」
その聞きたい事とは、正しく昨日の夜に霊玄がした「好き」という発言についてだ。
「私はこういうのははっきりさせておきたい、というかはっきりさせておくべきだと思うので、単刀直入に聞きます。霊玄様は私の事をどう思っていらっしゃるのですか?」
すると間を開けずに霊玄が答える。
「昨晩言っただろう、好きだと。妻としてここに置いているんだ、その好きの意味が友情だの何だのでは無い事くらいお前も分かるだろう」
すると、霊玄は静蘭を抱き寄せ、柔らかな唇に軽い口づけをした。
「そういう事だ。俺は言葉にしたり感情を表に出したりなんかは得意では無い。だからこれからは行動で示す」
それだけ言うと、霊玄は放心状態の静蘭を置いて睡蓮宮を後にした。
「な、何……今の!」
静蘭は我に返るとまるで恋する乙女かのように顔を真っ赤に染めてその場にしゃがみ込む。
やっぱりそういう事だった。先程された口づけも嫌では無く、甘くてまだ感触が残っている。
霊玄は鬼であるため体温は無いはずなのに、触れた部分がジンジンと熱くなる感覚がする。
そして後日、霊玄から静蘭が札を使えた事について誰かがいたのではと調べたらしいが、痕跡は一切無いどころか、天趣城内への侵入者も誰一人としていなかったらしい。
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