戦火の中で公主は笑う(二)
後日、
「殿下、茶会には国師や重要貴族がご出席なされるそうです」
確かにそれなら普段通りの格好とはいかないだろう。建国祭の日は普段よりかはまだ小綺麗でどこかの公女のような格好をしていたが、言われなければ公主だとは気が付かないような格好であった。それは琳も同様で、まだましな格好ではあったが、他の妃に比べると質素で地味だ。
あの時のような格好で胸を張って自分の娘とは言えないだろう。だからこんな贈り物をしてきたのか。
「でも化粧道具だなんて。
静蘭が成長してからは、琳も度々こういった問題を気にするようになった。まだ分別もつかない幼い頃は女の子として育て、公主の佇まいや礼法等を徹底的に教育した。しかし、今では分別がつくし自分の立場も理解している。自分で考えて行動出来るようになってからは、静蘭の気持ちを最優先で考えていた。
「構いません、私は美しくなるのは好きですよ」
静蘭がそう言うと琳はほっとしたような顔で胸を撫で下ろす。
何度も言うが、母や周りが思うよりも静蘭にとって女装や化粧は苦では無いし、最早気にしていない。
この宮から出る事が滅多に無いため、世の男児がどのようなものなのかを理解していないのもあるが、母を安堵させるために始めた詩や舞を踊るのは今では好きだし楽しんでいる。
「わかったわ。
「はい、お任せください」
憲英というのは三人の侍女のうちの一人で、手先が器用なため琳の着付けや化粧などの身の回りの世話をほぼ一人で行っていた。
では他の二人はなんなのかと言うと、ほぼ護衛だ。この二人は侍女という身でありながら武術に長けていて、静蘭も護身術を習ったくらいだ。
憲英によると二人とも剣の腕前はそこら辺の武人に負けず劣らずだそうで、凄く強いとか。
「あ、でも軽くよ?それに……その、あんまりやり過ぎないでね?あまり陛下に関心を持たせるわけにはいかないから」
「わかりました」
とは言うも、この顔をどうした関心を持たなくなるような顔にする事が出来ようか。建国祭の時は化粧を施していなくても、目に留まったのだ。
あの目に肥えている清瑶がわざわざ茶会に招待し、贈り物を贈って来るほど期待しているのだろう。
難しい要望に憲英は何とも言えない顔をしたが、とは言え大切な静蘭のためにもやるしかない。
その日から静蘭は茶会の前日まで憲英からの視線をよく感じるようになったと言う。
そして茶会当日。憲英は化粧を任すと言われた日から静蘭の顔を観察し、どうすれば少しでも醜く出来るかを考えていた。しかし自然な化粧でさりげなくそんな風にするのはやはり無理で、紅だけを引いて他は手を付けない、という事にした。
そして清瑶より賜った服を着せた。華美な服や飾りに対し、化粧気の無い顔は不調和である。
しかし、紅以外の化粧は施していないのに美しく惹き付けられてしまう。この不調和のおかげでまだ何とかなりそうだ。
一方、琳の方も清瑶より賜った服に薄い化粧を施した。
だが、こちらも静蘭と同じく目を見張る程の美しさだ。
そもそも静蘭は完全に母親である琳似で、どちらも儚く桜のような美しさであった。
派手で華美なものよりも、薄化粧に質素な格好の方がより美しさを引き立てられ、雰囲気にもよく合っている。
後宮を出ると、清瑶の遣いが待っていた。
「……!」
二人を見て一瞬固まったが、すぐに我に返り拱手をする。
「お待ちしておりました、琳美人、第七公主殿下。陛下のもとへご案内させていただきます」
遣いである文官は琳を見て少し赤らんだ顔を隠すように下を俯いている。
やがて一つの大きな扉の前で足を止めた。
「陛下、琳美人と第七公主殿下が参られました」
「通せ」
その声と同時に、重そうな扉が開く。
黄金の器に黄金の盃、そして踊り子達がひらひらと華麗に舞っている。
これは茶会というよりも宴では無いだろうか。
あまりに想像していた茶会とはかけ離れていたため、母子揃ってその場で固まってしまった。
「そんな所に突っ立っていないで、早くこちらに来なさい」
清瑶のその声ではっとした琳は、静蘭の腕を引いて用意されていた席へ着いた。
しかし、その用意されていた席というのが、上座に座る清瑶に一番近い下座の席であり、なんと言う高待遇だろうか。
目立ちたくなくても目立ってしまう立ち位置だ。
もちろん国主である清瑶が直々に招待したという第七公主に全員が注目しているのだが。
「いやぁ、流石は陛下の御息女であらせられる!まだ幼いというのに天女の如き美しさですな」
「全くもってその通りだ!」
次々に静蘭を褒め讃える貴族達であったが、それは嘘などではなく本音であった。
もちろん、今のうちに静蘭に気に入られて、あわよくば自身の息子の妻として……という下心も兼ねているのは間違いでも無いが。
自分の子を褒められて良く思わない母親は滅多にいないと思うが、琳は苦虫を噛み潰したよう顔をしていた。
こうなるのを恐れて静蘭を公主として育てたのに、これでは色々と我慢をさせてまで公主として育てる必要があったのだろうか。
結局、皇族の子として生まれた時点で、例え公主だろうが権力争いからは逃れられないのだろうか。
この国の公主として生まれた訳ではない琳にはそこまでの考えが及ばなかった。
茶会、及び宴は琳と静蘭の登場により一層の盛り上がりを見せた。
「そういえば琳美人は昔踊り子だったな。どれ、ここで舞ってみせよ」
清瑶の気まぐれな一言にはいつも心臓を握られる感覚になる。
「陛下、僭越ながら私のような年増よりも今舞っていらっしゃる踊り子達の方が美しく華やかと。せっかくの茶会ですのに、私の醜態を皆々様の前で晒すのは申し訳ありませんから」
年増とは言うものの見目は若い男が顔を赤らめる程美しく、
「何を仰られる!琳美人の美しさに敵う者などそうそう見つかりますまい」
「その通り!そのような事を仰られるとは、琳美人は謙虚であられる」
一見謙虚とも取れる琳の発言だったが、清瑶には気に触ってしまったらしい。
「お前はたかが美人の分際で朕の言う事に逆らうつもりか!」
清瑶が声を荒らげた事により、その場にいた者達の背筋は凍りついた。
あの暴君と名高い清瑶の事だ。今すぐこの場で首を切り落とせと命じられるかもしれない。
前例は十分にある。今まで何人の妃が清瑶によって命を落としただろうか。
「陛下、申し訳ございません。そのようなつもりでは無く……」
一瞬声を荒らげた清瑶だったが、ひれ伏す彼女の後ろの静蘭に目が移った。するといきなりニヤリと口角を上げてこう言ったのだ。
「静蘭と言ったな。お前が変わりに舞え。もしお前が朕を満足させる事が出来なければ、お前とお前の母の首は飛ぶと思え!」
「陛下!お待ちください、私が変わりに舞います!先程のご無礼をどうかお許しください……!」
琳が慌てて清瑶に嘆願するも、黙れ!と叱責されるだけであった。貴族達も見ていられないとばかりに俯いているが、誰一人止める事が出来ない。
「母上、私は大丈夫です。絶対に上手くやり遂げてみせますから」
そう言うと近くにいた踊り子の一人に領巾を借り、舞い始めた。
その場にいた者達は驚愕した。どうすれば僅か七歳の少女がこのように美しく雅やかな舞を舞えるというのだろうか。その姿は踊り子だった時の琳と重なり、天女の如き美しさだ。それに加え、皇族としての気品と生まれ持った知性も伺える。
静蘭が舞を舞っている最中はその場の全員が一身に夢中になり、舞終わると誰もが無意識に拍手をしていた。
「ははっ、朕は満足した!よくやった、我が娘よ!」
清瑶がこれほど上機嫌になるのもかなり珍しく、静蘭は本当によくやったと言える。
席に戻ると隣にいた琳は一瞬困っているような笑みを見せたが、自分の子の才能に驚いたのか嬉々とした表情を見せた。
その後も静蘭だけは茶会と称した宴会や国主の夕餉の時間に呼ばれたりする事が続いた。
その度に舞ったり、詩を詠んだり、楽器を奏でたりして清瑶を喜ばせ、清瑶は美しくて頭が良く気が利き才覚に溢れる静蘭を娘として溺愛するようになっていった。
今まで実子の誰一人として我が子として見た覚えが無かった清瑶だが、ようやく父としての感情が芽生えたのだ。
しかし、残念な事にそれは静蘭に対してだけであった。皇子二人はただの後継者としか見られておらず、他の九人の公主に至っては名前と容姿が一致するのかすら危うい程だ。
そのおかげで静蘭は後宮では一目置かれる存在となってしまい、かつて琳が恐れた権力争いに巻き込まれるかと思いきや、静蘭に何かあっては清瑶に罰せられると恐れた妃や公主達は何も手出し口出しをして来なかった。
皇子二人の派閥も幸いにも静蘭が公主という立場である為か、派閥に対して何も口出しせずに中立を貫いている静蘭に対しては特に何もしてくる事は無い。
それに、静蘭自身も清瑶からの呼び出しが無い限り自身の宮に篭っており、そもそも彼女の姿を目にするのも珍しい事であった。
そのように出来る限りの存在感を消すように努力していた静蘭は他の妃や公主達からはある意味「風変わり」だと言われた。
だが、清瑶によって宴や国交の場に顔を出すようになった静蘭の逸話は他国へも広まり、静蘭が十四になる時には金枝玉葉の美女として月雨国の三宝に数えられていた。
だいたい十四、五歳まで成長すると性別が怪しまれるのではと色々な対策を練っていた琳だが、それも不必要に終わった。
静蘭は元々女顔で母譲りの美しさと気品を兼ね揃えており、幼い頃から公主として育てられていたため仕草や口調も完全に皇族の女性。
実父である清瑶も一度として疑った事は無く、当然周りもだ。
清瑶はまだもうしばらくは静蘭を手元に置いておきたいようで縁談もことごとく断っているらしいため、琳は焦る事は無かった。
そして十四歳の同時期にとある人物に出会った。
「静蘭、国師の長男、
とある宴の席で清瑶に紹介された蘇寧という男。
……彼こそが後に反旗を翻し、月雨皇族を破滅に追いやる事になる男だ。
たがこの時の蘇寧は地味顔ではあるものの、穏やかで品のある雰囲気からは好青年といった印象を受けていた。
「初めまして、第七公主殿下。殿下にお目にかかれた事を光栄に思います」
「蘇寧殿、私こそお会い出来て光栄に思います」
今までは所有物であり見世物、自慢するかのように清瑶の隣に居させられていた静蘭だったが、この時ばかりは清瑶は政治話に熱中しており、席を離れる事を許された。
ちょうどその時に国師の長男として出席していた蘇寧と歳が近いと父親同時に紹介され、少し話し込む事になったのである。
「噂に聞けば公主殿下は天の寵児たる才覚をお持ちだとか」
「父は私を高く評価してくださいますが、皆さんが思う程の事ではありません。噂が広まっていくうちにどんどん誇張されていったのでしょう」
「我が
この時、静蘭は蘇寧に対しては話が合う相手程度にしか思っておらず、国師の息子とは自分は無関係だと思っていた。時折宴などで顔を合わす機会があっても社交辞令の挨拶を交わすだけで、これと言った会話はしていない。
その数年後、静蘭に婚約者が決まったと静蘭本人が知ったのは清瑶の口からでは無く皇宮内の噂からであった。
「父上、何故私に何の相談も無く婚約を決められたのですか?」
度々お前の詩が聞きたいと清瑶に呼び出され、皇宮内の庭園にて詩を披露していたのだが、その時に清瑶に直接聞いてみる事にしたのだ。
「お前にとっても朕にとっても大変不名誉な噂が流れ始めてな」
「かと言って、私に一言でも下されば良かったのではないですか?いきなり婚約だの結婚だの言われたところで潔く承諾する事など私には出来ません」
その婚約相手とは、清瑶の同母姉の長男である
国主の娘として嫁いでも十分釣り合いが取れる相手であり、彼との結婚を夢見る女子も多いと聞いた事がある。
「私は結婚する気はありません。私以外にも公主はいます、今回は私では無く彼女達の縁談にしたらどうでしょう?
「いいや、今回の縁談はお前の物だ。これは決定事項でありお前に口出しはさせん」
何度説得しようにも言う事はそれだけで、静蘭はどうしようかと頭を悩ませた。
そして、その二人の会話を陰ながら聞いている者がもう一人いた。
――静蘭の婚約相手が景公子だって?
そう、その会話を聞いている者とはまさしく蘇寧だった。
蘇寧は文書を父である国師に持って行こうとした時に偶然静蘭の姿を見つけ、密かに庭園に入り込んで二人の会話を聞いていたのだ。
月雨国内問わずで静蘭の美しさに憧れや密かに恋慕を抱く者は少なくは無い。蘇寧もそのうちの一人だ。
実は清瑶は国内の有力者に静蘭を嫁がせると内々で発言していた。国師の息子である蘇寧が有力候補者で、彼自身も自分が選ばれる自信があったのだ。
それがまさか、自分では無く違う相手だったとは。
思わず文書を落としそうになるも、心の中が何故か黒い感情で埋め尽くされていくのがわかる。
何故だ、何故自分じゃない?家柄も良く、前回の科挙では自分は状元だった。首席であり景追よりも上だ。
静蘭は会う度に自分に微笑みかけてくれていて、だから……。
気が付いた時には足早にその場を離れていた。
国師のいる部屋の扉を勢いよく開けると、国師は驚いたが彼を叱責した。
「こら、扉を開ける前には必ず用件と名を言いなさい。無礼であり行儀がなっていないぞ」
「父上、第七公主殿下は景公子に嫁ぐのですか?」
なんの前触れも無しにいきなり静蘭の婚約話を話題に出され、国師は少したじろいだ。
「なんだ、お前もあの根も葉もない噂話を気にしているのか?」
「あなたが真実を知らないはずがありませんよね?本当なんでしょう?私は知っています」
確信している言い方をする蘇寧に国師は違和感を覚える。いや、それ以前に何故知っているのだ。
噂話を鵜呑みにしていないのであれば、何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。
「何故お前が公主殿下の婚約相手を気にする。お前には何も関係無い話だ、文書は受け取ったから早く務めに戻りなさい」
国師が蘇寧への返答を曖昧にした事で確信を得た。先程清瑶と静蘭が話していた事は事実であると。
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