戦火の中で公主は笑う
「そういえば、鬼王妃様は男性ですよね?」
子供の何気ない一言だった。
普段空気なんて読まない
その様子を見て静蘭は、まず何から伝えようかと考る。
幼い頃から女として育ったおかげか、女と間違えられたり女の格好をする事に今更抵抗感は無い。
「すみません、鬼王妃様。珠環には私からよく言っておきますので!」
「構わないよ。大人でさえ最初は勘違いする、私にも気にしてないしあまり気にするな」
実を言うと、静蘭の生い立ちに一番心を痛めたのは意外にも黎月だった。
静蘭としては皇族として生まれた以上、皇宮内のいざこざや騒動に巻き込まれたりするのは避けられない事だと思っているし、幸いにも今は
過去は過ぎた事で、今が幸せならば何も気にする事は無い。
*
これは静蘭が生まれる前の事。
僅か十六歳で即位した
その甲斐あってか、清瑶の政にはあまり文句が無い。いや、完璧と言えただろう。しかしいくら政に関して長けているからと言って、本質が残虐、傲慢、我儘の暴君では側近の者達からしたら不満が募る一方だ。
気に入らない者はその場で首を跳ねるし、それが身内だろうとお構い無しだ。その一例として、自分の言う事を聞かなかった伯父と腹違いの妹を一番残虐と言われる処刑法である
彼の母である太后は実の兄を実の息子の手によって失った悲しみと、息子の手の付け所の無いほどの残虐さに嘆き心を病んでしまった。
そんな清瑶だが、彼が即位して十年目の建国祭にて不思議な女と出会う。
その女は踊り子として月雨皇宮に現れ、宴の席で舞を披露していた。それがまた何とも妖艶で天女のような美しさであった。
一目で気に入った清瑶は彼女を妃の一人として娶る事にしたのだ。
名を
清瑶はそんな姿の琳にすぐに愛想を尽かしてしまったらしく、やがて彼女の宮へ足を踏み入れる事は無くなってしまった。
女好きとしても知られる清瑶には琳が後宮に入る前からたくさんの妃がいるうえ、彼の機嫌を損ねて後宮を追放、もしくは殺されてしまう妃だって珍しくは無い。
お手付きが無いだけで忘れ去られる妃はまだ幸運な方だ。
しかし、不運と言うべきか幸運と言うべきか、琳は身篭ってしまっていたのだ。それは当然清瑶との子であり、普通ならば喜ぶべき事。
月雨国には皇女は数多くいるものの、皇子は二人しかいない。これで皇子を産めば、権力争いが激しい後宮の一権力を握る事が出来るし、もし産んだ皇子が太子となり次に国主として即位すれば、自分は国主の実母としてこの後宮の支配者となる事が出来るのだ。
どの妃もそれを望んでいる。現に今の第一皇子と第二皇子の母同士は敵対しており、両者の実家も絡んだ壮絶な争いを続けている。第一皇子の母の実家は、貴族で優秀な文官を何人も排出した名門。第二皇子の母の実家は、士族であり月雨国大将軍の娘だ。どちらも名家であり、後ろ盾となる権力を所持しているので、どちらが太子の座についてもおかしくは無い。
しかし琳は他国の踊り子出身であり、後宮に迎え入れた清瑶自身も彼女の出自については一切知らない。質素で地味な格好からして、良家の出身では無い事は目に見えてわかる。それに清瑶からの寵愛も受けていない妃が皇子を産めば、その皇子は真っ先に命を狙われるか、眼中に無いためぞんざいに扱われるかのどちらかだ。どちらにせよ辛い思いをさせてしまう。
それに、正直琳はそのような権力には無関心であり極力争い事には関わり合いたく無い。何より我が子がそのような殺伐とした世界で生きる事を望んでいない。
そして琳は、腹が目立つようになるまでは自分の三人の侍女以外には懐妊の事実を知らせなかった。
医者には口止め料を払ってまで口止めをし、清瑶にも懐妊の事は伏せた。だが、そもそも腹が目立ち安定してきた頃に知らせたものの特にこれといった反応は無く、琳の宮に訪れる事も無かった。
それには清瑶が完全に琳への興味と愛情を失っていると気付かされたのだ。しかし琳からしたらそれは幸いであった。このまま自分達親子に興味関心を示さず、平穏に過ごさせて欲しいと願っていたからだ。
これで生まれてくる子が公主であれば、と琳は毎晩
しかしその願いは叶う事無く、生まれてきたのは皇子だった。
担当していた医官は吉報だと騒ぎ始めたが、またしても琳は口止めをした。
今のところ生まれてきたのが皇子だという事を知っているのは琳、侍女三人、そしてこの医官の計五人だ。医者がこの事を誰にも言わなければ、皇子は公主になれる。
医官は口止め料と共にそれを了承した。子が生まれた時でさえ清瑶は顔を見せず、三日後にようやく顔を出した。
「ふん……また公主か。名は適当に付けておけ」
あまりにも冷たいその一言に琳は絶句したが、それと共に清瑶に対する全てを諦めた。
「ごめんね、ごめんね……私に力が無いから、あなたを守るためにも公主として育てなければ……このどうしようも無い母を許して……」
清瑶に名前すら付けて貰えず、その子は琳によって「静蘭」と名付けられた。女子の名前だ。
静蘭が五歳にもなれば母譲りの美しさは頭角を現し始めた。この後宮に公主は十人いて、静蘭は下から三番目の第七公主になる。
静蘭が生まれてからというもの、琳は余計に他の妃や侍女との関わり合いを避けるようになった。万が一にばれてはいけない、そう思うが故に静蘭も琳の宮に縛り付けてしまい、琳と侍女三人を除いては静蘭の姿を他の者が公式の場以外で見掛ける事は無い。
しかし、静蘭が七歳になる年の建国祭で幸運なのか不運なのか、清瑶の目に止まってしまったのだ。
「あの娘は誰だ?」
「第七公主殿下であらせられる静蘭公主殿下でございます」
あまり騒がしい場が好きでは無い静蘭は、皇宮の庭園で一人詩を詠んでいたのだが、そこに偶然にも清瑶が通りかかってしまったのだ。
清瑶は自分の子供に一切の関心が無く、太子の座を狙った陰湿な争いを続けている第一皇子と第二皇子の顔と名前くらいしか覚えていなかった。
それに、静蘭はほぼ自分の宮から出た事が無く周りとも関わりが一切無いため、清瑶の目に留まるのはこれが初めてだった。
幼いながらに、美人揃いの後宮の妃にも引けを取らない程の美しさに興味を持った清瑶が静蘭に近づく。
足音が聞こえる距離感まで近付いた時、ようやく清瑶に気が付いた静蘭が一瞬手を止めたが、目の前の男が先程建国祭で国主の席に座っていた男だと気が付くと、焦って
「い、偉大なる我らが国主に第七公主・静蘭がご挨拶を申し上げます……!」
近くに来るとより静蘭の美しさや雰囲気に圧倒される。自分の血を受け継ぐ娘にこれ程の娘がいたと知っていれば、もっと非公式の場でも出席させていたのに。
「よい。して、お前の母は誰だ?」
「琳でございます」
聞き覚えのある名に国主は思い出そうと記憶を辿った。そういえば、何年か前にそのような名の女を後宮に入れた気がする。
その時、ふと公主が手に持っていた紙に書かれた詩が目に入った。
「これは誰が詠んだ物だ?」
「私でございます」
清瑶は驚いた。まだ十にも満たないであろう子が、文官にも劣らぬ詩を詠んでいたのだ。
「朕は感心したぞ。今度お前の母も共に茶の席を用意しよう」
静蘭は美しいだけで無く文才もあると見なした清瑶は静蘭に関心を持ち、後日、琳の宮には茶会の報せが届いた。
「静蘭……!」
琳の顔色は一気に真っ青になり、今にも倒れるのではないかというくらいによろめく。
「ごめんなさい母上……」
母が清瑶はもちろん、外部の者との接触を避けているのは知っていたために静蘭も頭を下げた。
「いいえ、違うの。これは凄い事よ、あなたに才能がお父上が興味を示したのだから。でもね、私は心配なの。その才能が故にあなたが他の妃や公主達から邪険に扱われたりしないか……」
静蘭の頭を下げる姿に琳は焦ったようにそう言ったが、本心は違うという事を静蘭は理解している。
五歳くらいまでは本気で自分を女だと思っていたのだが、段々と自分が女では無い事に気が付き始めていた。
今では自分の性別が女でない事を理解しているし、母がそれを隠しているのも知っている。
だからこそ静蘭は幼いながらに貴族の女性や公主達が嗜むような楽器や舞踊を自ら嗜み、母を安堵させようとしていた。
今回清瑶の目に留まった詩もその中の一つであり、結局それのせいで母を悩ませてしまったのだが。
一方で琳はこれをきっかけに静蘭が清瑶のお気に入りになってしまい、今後も目をかけられる、というのを一番恐れていた。
今は子供だから公主と貫き通せているが、十代になってしまえば顔や体格は男女で差が出てしまう。隠し通せなくなってしまうかもしれないのだ。
だから出来るだけ目立たず、存在感を消していたかった。静蘭が男である事実を貫き通せなくなれば、静蘭を連れて後宮から出て行くつもりだったため、万が一にも気に入られてしまえばそれが難しくなる。
しかし、清瑶の決めた事に口は出せないし断る事も出来ない。
琳は冷や汗を流しながらも承諾せざるを得なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます