5. 在りし日の思い出 〜愛と家族〜
「父さんが死んだ日の話だ。あの日、僕は癌と診断された。手を尽くして、五年、五年間で転移がなければ完治となる。もしかしたらその前に死ぬかもしれない。父さんは、僕のために兄さんを家に連れ戻そうとした。大事な戦いの五年間を、家族全員で過ごそうって。
その日は大雨が降る日だった。こんな田舎に街灯なんてない。暗い夜道を照らす月さえも、黒雲に隠れている。更に豪雨で視界を奪われる始末。
『やめてよ、また今度で良いって!』
『いくらなんでも無謀よ!』
僕らがどれだけ止めても、父さんは言った。
『こうしているうちに、時間は削られている。俺は悩んだ末にやらずに後悔したくはない』
馬鹿な人だと思った。同時に、あたたかい人だとも思った。僕はそれ以上、父さんを引き止めなかった。いや、引き止められなかった。その背中が大きく見えて、僕には止められないと、思ってしまったから。
案の定、父さんは死んださ。暗い夜道を車の明かりだけで走り、視界は悪いのに速度は通常通りだった。そりゃあ、事故を起こすよ。
相手も速度を上げて走っていて、どっちも、死亡。持て余した怒りは涙に変えて、叫んだ。
僕が父さんを殺したんだ。そんなことばかり考えて、以来、眠れない夜を過ごした。
父さんが死んでから、父さんの残したものを辿る毎日だった。父さんの好きな服、父さんの好きな料理、父さんの好きな本……と数えたらキリがないくらい記憶を辿った。全部試して、やっぱり全て理解することなんてできなくて、泣いて。でも、わかったことがある。
父さんが好きな仕事。父さんが好きな場所。この食堂のことだ。
ここにはいろんな人が来る。始めからここに来るつもりだった人も、偶然立ち寄った人も。人の数だけ物語があって、父さんはお客さんの話をよく聞いていた。だから、僕も聞くことにした。真似てみたら、父さんのことについて、何かわかる気がして。
成功も失敗も、全部聞いた。人を愛した話、愛された話、愛を知らない人の話。夢を追う人の話、叶えた人の話、諦めた人の話。中には、自分の人生を後悔する人もいた。でも、それら一つ一つが、かけがえのない物語で。似た話はあれど、同じ話はなかった。それが面白くて、聞くのが楽しかった。
自分にできることは限られているから、他の人の体験談を聞くのは有意義だったよ。ほんの少しでも長く人生を生きたような気になった。本を読むことと同じくらい、人と話すことで『知識』と『感動』を得た。
父さんは、この瞬間が好きだったんだよな。きっと。
兄さんは父さんのことを偽善者と呼ぶ。僕は大きく外れているわけじゃないと思う。確かに人のために尽くして身内を苦しめた。それは、覆すことのできない事実だ。
でも、これだけは信じて欲しい。父さんの、家族への愛は本物だった。ある常連のお客さんが話してくれたんだ。
『お前の親父さんは、幼い頃に両親を亡くしているんだ。だから父親として息子たちに愛情を渡すのは下手くそだった。でも上手くいかないたびに、酒を飲んでは泣きながら相談に来た。天が東京に行った時だって、「何をどこで俺は間違えたんだ」って繰り返していた。愛が全てだと思っている節があるから、際限なく他人に尽くすせいで、結局、から回っちまうような奴だけどさ。悪い奴じゃなかったよ。それだけはお前にも、そして、お前の兄さんにもわかって欲しい』
そう言われた。
父さんはわからなかったんだ。父親として、僕らにどう接するのが正解か。どう愛情を注ぐことが正解か。わからないなりに裏で努力していた。兄さんだって、そうだろう? 裏で努力した過去があるから、今がある。兄さんは器用だったから上手くいったけど。
だから、僕は誰一人恨まないよ。無茶をして死んだ父さんのことも、家族を忘れた母さんのことも、一人で東京に行って帰って来なかった兄さんのことも、そして、こんなにも無力な僕自身のことも。
ねぇ、兄さん。父さんが死んでから、何年が経ったか覚えている? 僕が、癌と診断されてから、何年が経ったのか……」
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