第3話

 今日の夕食から食卓に新しい仲間が増えた。両親にも事情を話して、陽菜を受け入れてもらった。難しい話はよくわからなかったが、明日にでも養子縁組の手続きをするそうだ。


「陽菜ちゃん! これもほらこれも食べてね」


「あ、ありがとうございます!」


 うちの母親は、ほらほらこれもと息をつかせる暇を与えずに捲し立てる。陽菜は戸惑っているものの、一口一口を慎重に味わいながら、初めての食事に驚きと喜びを感じていた。


 笑顔を浮かべながら、次々に口に運ぶ様子がとても微笑ましい。それと、陽菜には食事のマナーを徐々に教えていかなくてはならなそうだ。


——


 いつも通りの朝がやってきた。鶏がけたたましく鳴いている。早朝を告げる鳴き声は次第に伝播していき、僕は目覚める。ねぼげたまま、リビングに向かって散歩の用意を整えると玄関には見覚えのない少女。いや、陽菜がいた。


「おはよう陽菜。早起きだな」


「おはようって何? 物音が聞こえたから起きたの」


「すまん起こしちゃったな」


「いいの、それより『おはよう』って何?」


「あぁ『おはよう』は朝の挨拶のことだよ。僕はこれを"心のごちそう"だと思ってるよ」


 論より証拠ということで、陽菜も連れて早朝の爽やかな風が心地よく吹き抜ける浜辺の散歩道を歩く。


 目の前には漂う波が穏やかに打ち寄せており、潮の香りが鼻をくすぐった。砂の上には朝露がきらきらと輝いていて、鳥たちのさえずりは耳に心地よく響き、木々の間から差し込む朝日の光が、海面を金色に照らしていた。木々の隙間すきまからの朝日が心地よい。


 散歩の途中で通りすがりの人々と目が合う。朝の挨拶を交わすと、僕たちはこの瞬間に同じ時間を生きている人間との気持ちが通じて、お互いの心が温かくなる心地がした。


 陽菜にとっても『おはよう』というものはごく簡単な朝の挨拶で、そのリズムが心地よいと感じているようだ。


「すごいね『おはよう』って心が穏やかになるよ」

 その声には新しい環境に対する不安と期待が入り混じりっているが、陽菜は少しずつ心を開き始めていた。彼女の目は希望と好奇心で輝いている。


「うん。こうして早朝だからこそ伝わる気持ちもあるし、ほら浜辺を見てごらん」


 僕が指した方向には海面に眩しい朝の光が反射してキラキラと輝いている。遠くには水平線が広がりその向こうからは太陽が昇りつつあった。


 この情景をすこし高いところから享受する海鳥たちのさえずりも心地よい。静寂せいじゃくな朝の時間に波の音、鳥の声、陽菜の感嘆する声が混じり絶妙なハーモニーを奏でている。


 僕にとっていつもと同じ景色のはずなのに、彼女がいるだけでより一層心を動かすものになる。


「きれい…」


「そうだろ? ここは僕だけの秘密の場所だったんだけどね」


蒼空そらの秘密もっと知りたい! こんなにきれいな場所を独り占めなんてずるいよ」


「少しずつ知っていこうな」


「うん!」


 帰る時の言葉『ただいま』はお母さんから教えてもらっていたのか家の戸を開ける時には元気な声が聞こえた。


 陽菜に『行ってきます』を伝えた後、学校へと向かう。不安もなく歩くことができる通学路はエスカレーターのようで、一息の間に学校につけた。


——


「蒼空くん,今日はなんだか上機嫌だね?」


「おいおい蒼空に彼女でもできたんか!?」


 いつも通りの窓際の席に諒輔りょうすけおさむが集まってくる。わらわらとそんなことを言う彼らの言葉の裏側には先日の僕を心配していたと言うニュアンスが含まれているような気がした。


「上機嫌なのは認めるけど、彼女はできてないよ」


「なんだよ〜ニヤついてたから勘違いしたじゃねえか!」


「蒼空くんの昨日の表情は曇ってたし、不安そうだったから心配だったんだよ」


「あぁ、もう大丈夫だ。あの少女…えーと陽菜って言うんだけど、うちで育てることになったんだ。」


 僕がそう言うと、2人は口々に祝福の言葉を伝える。改めて僕は良い友を持ったと思った、彼らが僕の話を他人事のように捉えずに親身になって寄り添ってくれるのは本当に心強い。


 授業が終わり、外に出ると強い夏の陽射しが肌に心地よく感じられた。汗ばむ暑さの中、帰路に着くときの爽快感は格別だった。剣道部がオフということで諒輔と修も隣にいる。


 もう夏やなぁとか暑いなぁって僕たちは口々に言う。梅雨も明けてようやく夏本番の気温がやってきた。セミもちらほら鳴き始めていて、容赦なく照りつける太陽と道路には陽炎ができている。


「夏といえば花火やろぉ」と諒輔は口を開く。


「今年もやるんかな? 浜辺のでっかい打ち上げ花火」


「うん、やるみたいだよ。」


 いつもの散歩道の浜辺ではいつも夏の初めに大きな打ち上げ花火を数100発打ち上げる。小さい村なので近くの市町村から寄付してもらったお金で花火大会を催すようだ。もちろん近場のことだったので去年も見たのだが,近すぎて花火の大きさはよくわからなかった。


 十字路で二人と分かれた僕はちょっと足早に帰って行った。帰ってからは陽菜に色々と教えるの楽しみだ。


「花火?というものがあるんですね」


「そうだよ、本当に大きな光の集まりなんだよ。夜の真っ暗な時間にさまざまな色の光が瞬時に花ひらくんだよ」


 今日は花火のことを話した。陽菜は前のめりになって真剣に僕の話を聞いていた。僕もそんなに詳しくないからインターネットで調べながら話す。


 僕が器用に手を動かすのを見て、また疑問が湧いてきたようだ。ひたすら僕は彼女の疑問の解消を手助けする。


 お風呂に浸かった後、僕の部屋で陽菜とひとしきり話すと、陽菜は疲れたようで翼を広げてごろんと寝転んだ。


 陽菜のあくびにつられて僕もあくびをする。あくびは伝染するんだなとしみじみ思いながらゆっくりしていると視界が狭くなってくる。


 陽菜の隣でリラックスしていると心地よい眠気が押し寄せてくる。陽菜の柔らかな呼吸を感じながら僕は幸せな安らぎに包まれる。


 窓から差し込む光がいつの間にか月の光になり、静かに部屋を照らす。なぜだか陽菜のそばにいるといつも以上に心が落ち着く。純白の翼が優しく僕の体を包む。この幸せな時間が永遠に続けばいいのにと思いながら心地よい眠りに包まれていく。

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