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ゴミを捨てる人間に、ゴミを拾う人間の姿は見えないのか、なんてどこかの広告として掲示されていそうな文言だ。
俺はポケットに入っていたアイスのゴミを、わざと捨ててみた。そのゴミは、地面に落ち、しばらくすると瞬間的にひしゃげた。
俺のすぐ傍には見えないあの女がいる。ゴミ拾いをしたくてしたくて仕方がない、火バサミを持て余した善良な人間が隣にいるのだ。ひしゃげる様子を確認した俺は、消えてしまう寸前、すぐさま左足でゴミを踏みつけた。すると当然、俺は透明な火バサミを踏みつけている格好になる。その火バサミは勿論所有者が持ち手を握っている。
なぜヤツがすぐに拾うと確信できたかって?分からない。ゴミ拾いを妨げられた、あの少女の輪郭が思い出されたから。火バサミを持つ特徴的なシルエット、教会の前にポイ捨てしたもんならブチキレそうだ。
あの隈の濃い女が、確実に、確実にそこに居るのである。それは釣りよりも易しく、方程式のようにイコールで左右が繋がる確定的な事実なのだ。腕と思われる位置を、俺は左手で力強く掴んでいた。
「見つけたぞ、みさご!」
果たして、彼女に接したとき。物理的に接しているとき。彼女の姿を認識できないわけがないのである!
「…………え。」
「…………。あっ。」
霧が晴れるようにして、互いの目に俺たちの姿が浮かび上がってきた。
足元のゴミは摩訶不思議なことに「発火」した。
それより。俺が掴んでいたのは彼女の右腕でなく、女の痩せた脇だった。夏の薄手のワンピースの下に、ブラジャーの縁。
……なんてこった。左手の指の肉に確かに感じられた。ギリギリラッキースケベでもないし、ただ明確にセクハラではあった。
「……っ。…………///」
彼女の瞳孔は絞られている。驚いて声も出ないようだ。
だが、人の心配をしている場合ではない。俺は俺で左足がアツすぎる。ブスブスと煙が上がる左足を先にどける。靴が焦げ付いて、穴でも空いたかもしれない。
「すまんな。」
「こ、この変態っ!変態!何やってるんだ、お、オマエ!」
「ま、ま、まあ待った待った!わざとじゃない!」
思わず手を離すわけにはいかない。
俺は彼女のあばら骨に左手を沿えたまま、肩へと手を滑らせ、今度はしっかりと、彼女の細い腱盤に手を置く。可憐な少女から、「ひっっ」と鋭い悲鳴が漏れる。赤らんだ顔が青くなった。
勘弁してくれよ。俺だって左足にダメージを受けたんだ。これ以上精神ダメージを受けたら死ぬかもしれない。
「みさご、そんなことより!あのウグイスが負けちまうだろ!なんで戦わないんだよ!」
俺の張り上げた声を、歯を食いしばりながら、みさごはつっ返した。
「マガイアの術よ!どこに人がいるのか分からないから応戦もできない!先に分析するしかないでしょうが!」
叫びながらプルプルと震える少女には、目を合わせてくれる気はなさそうだった。ちくしょう!やりにくいな!
「分析、つったって、能力はこんなだろ!人から人を見えなくする!……?いや、視認できなくする?」
俺は、言葉をやや選ぶ。
そうだ。この怪異はどうやら、人を、他の存在を「盲点へと隠してしまう」。視覚的にも、心理的にもだ。あのカラスが鳴くことで、俺たちが世界を視る「認識」に干渉する。その取り巻く世界は、静止した世界であり、固定された世界だ。
俺は。
おそらく見えざるみさごの存在を、あの一瞬忘れた。
燃える炎の美しさに翻弄されて、忘れた。
それは、ウグイスが齎した酷い戦いの美しさに目を奪われたのだと思った。しかし実際は。カラスが酷く殺されていく、その光景の美しさ。カラス側の死に際に付随した特性、ではなかったのだろうか……?
俺は、中二ヶ原みさごを忘れた。
『中二ヶ原みさご』という存在を、動き続けるウグイスの存在を通して、間接的に探したに過ぎない。事態の打開を求めて、過程としての彼女を求めたに過ぎないのだ。例の緑の火花は、弱々しく舞い続けている。
「忘れちゃいけない。問題なのは、『魔女』のねらいの方……!」
少女は、その焼け落ちる鳥の群れを睨んでいる。
「……そんなこと、分かるもんなのか?」
「知らなければならないの!きっと!」
ジリリと、砂がかかとの下から鳴った。
「きっと神様ならそうされる、敢えて知りにいくでしょうからね……!」
意識的にか無意識的にかは関係がない。そこにいる有存在を忘れてしまった。そんな寂しい悲劇を、極力繰り返してはいけないのだとコイツは叫ぶ。
カアカア、ガアガア、闇がひずんで喚くとき、俺は、心当たりに行き着いた。ただの心当たり。魔女の欲が怪異を生み出すなら、その動機とは何か。
「お前……、いつも神様がついていてくれるのか、いいな。」
「知った口を聞かないで。」
「例えば、マガイア、……魔女が操ろうとしているものが、」
俺は囁いた。彼女の耳元に。
弱々しく、疑い交じりな声色で。
「『孤独』だとしたら……?」
「え?」
ビシッッ──!!
黒い雲は、ちょうどヒビが入ったかのように緊張し、沈黙した。そして、無数の光沢を持つ目が一斉にぞろりと俺たちを見た。あれほど激しく競り合っていた敵のウグイスを見る目は、ひとつとして無いのだろう。化け物の目が全て、彼らにとって、おそらく致命的に肉薄する推理をした俺を見た。
上空は恐ろしく静まり返ったが、その光景をみさごは渇望していたようだ。消耗したウグイスは、隙をついて滑空し、俺たちの元に来た。
「孤独を操る──、それが魔女の狙いなら、聖典は『連帯』を述べなければなりません。どう思われますか?聖ヴィッテンベルグ。」
「「力の行使を許可する。」」
俺は、初めてこの守護聖霊とやらの名前と声を聞いた。もうホーホケキョとは歌わないらしい。
「ねえ。肩から手、離して。」
「嫌だ。」
忘れるから。
「……っ。一生後悔させてあげるから。」
地面が揺れ始め、中二ヶ原みさごの姿が輝きに包まれていた。髪が、服が、瞳が、火炎のような英気に包まれた。ザワザワと夏の草がつむじ風に揺れる。
「戦いのために、身を変え、権威を授かります。それは、何者かが、『孤独』を求めるが故に、損なわれる人間性が在るからです。」
静かな語り口。そして、彼女の服装も装飾も変わっていく。まるで。
「……。魔法少女……?」
「違う。私は、」
彼女の眼光は、俺を軽蔑するあの鈍い輝きであり、教団で自分の考えを言っていた、あの反骨心の滲むパトスが沈んでいた。しかし明からさまな感情の吐露でもない。
きっと、彼女が信頼しているのは、「神様」だけなのだろう。
「私は、奇跡少女。」
光がうねりとなり、俺の左手も包まれる。
「魔法による悪しき存在を断罪するために、権威の保証書を預かり頂いたにすぎない。ただのひとりの土くれ。」
口ではそう言うが、シスターものの魔法少女である。
服装は、みるみるうちに変化していく。シスターベールこそなかったが、カチューシャと司祭服、そしてストラのような紐が、膨大なエネルギーから生み出され、彼女の体を覆った。
同時に、彼女に侍られていた火バサミも、炎に包まれながらその姿を変えた。聖ヴィッテンベルグ、そう呼ばれたウグイスも目を瞑り、ゴミ掃除の用具に過ぎないそれを、槍のように巨大化させ、そして、彼女の手に従順に納めさせていた。
「そうか、君は。」
俺は非常に納得しながら、首を何度も縦に振った。
「君は、やはり、これから戦うんだな。」
肩から、俺は手を離していた。
槍のような武器は、松明のように先端が燃えている。しかしその形状は、打撃武器としての十分な強度を持ち、そして貫通性能まで併せている。メイスは流血を伴わない為に聖職者の武器だと言うが、それを意図しているのだろう、聖なる彼女はその小さな右手で、燃え盛る獲物を握りしめていた。
「私のゲバ棒の威力、受けてみるがいい!」
……違った。ゲバ棒を意図していた。
そこからは圧巻の一言だった。増えすぎたカラスの群れは延焼を呼び、花瓶を高いところから落としたように、為す術なく粉々に消し飛ばされた。
燃えるゲバ棒を振るいながら、少女はカラスを殴る。
電柱を垂直に駆け登った小さな体が、小人がカーテンレールを引くように飛び移る。ぐんぐんと、力強く黒から青に塗り替えていく。辺りに人や車が出現し始める。幸いなことに交通事故は起きていなかった。
そして、わっ、と背後が湧いた。
何事かと振り返ると、教団員たちが、教会の玄関からみさごを応援していた。普通のおじさんやおばさんが、ヒーローショーに一喜一憂する子供みたいに、屈託なく感情を表に出している。
そこには、ある意味「ヒーロー・ヒロイン」がいた。超常的な力があり、対峙すべき混沌があり、勧善懲悪に適ったシナリオが存在している。目の前で展開されている。
だが、彼らの声に耳を傾ければ、そんなことに喜んでいるのではなかった。
「おおー!いいぞー!!みさごちゃーん!」
「がんばれよ!みさご!!」
「ありがとう!中二ヶ原さーん!!」
「…………!」
彼らの笑顔や期待は、あの奇跡少女に向けられていた。力ではなく人に向けられていたのだ。力だけを持ち、孤独に嘆くヒーローモノや、力に溺れる曇らせストーリーではない。踏み固められた善良な心の動きがそこにあった。
「……俺は。」
また、青空と喧騒がこの街にやってきた。通りすがりのゴルフシャツのおじいさんが、遠くから「おお、おお。なんだ。」と驚いている。ことっと足音がして、また振り返ると奇跡少女が降り立っていた。
「いっちょ、あがり。」
(俺は。)
自分の血相が引いていくのが分かった。
後ろには、圧倒的な、青すぎる空。
それも、巨大な空。明確に彼女が連れてきた空が、広がっている。
ヨモコさんは、あらあら~、なんて調子でみさごに近づいて行った。これはいつものことなのだろう。教団員たちも、やれやれよかったよかった~なんて言いながら奥に引っ込んで行った。これもそうだ。この異常な状況が、彼らの日常の一コマであるのだ。
あっという間、そんな所だ。
飛行機雲までゴキゲンに見える。
(俺は。)
この光景を見た人が、なんと思うかは分からない。
あいつの言うように、魔女や魔法使いが悪いやつなのかもしれない。
だが、俺は。この時、この宗教をクソほど嫌いだと思った。クソほど嫌いだ。こんな幸せが、宗教というゴミみたいな形で、なぜ顕現させられねばならなかったのかと考えた。気持ちが悪くて、気持ちが悪くて、絶対に、絶対に、何なら信者を何人か殺めてでも、何がなんでも根絶やしになければならないと思った。
目の前で繰り広げられた戦いが、あってはいけないことだからだ。
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