奇跡といえども苛まれる

5

 さて、マガイアを追い払った彼女が、教団の中でさぞ誉れ高い存在になったかと言われれば、そうではない。教会のおじさんやおばさんに可愛がられていた姿が印象的だったみさごだが、そう良いことばかりが続くでもないらしい。

「中二ヶ原、あなたは。マガイアの本体である使役主を、逃がしてしまったのですね?」

「……はい。申し訳ございません。」

「それは、なぜ。」

 短髪な老爺が厳格な目を向けながら、中二ヶ原を詰めている。

 取り囲んでいる教団員は、逃げるようにしてその場を去る者もいれば、心配そうになりゆきを見ている者もいる。日は落ちかけ、部屋には電灯が輝いていたが、簡素に部屋の白壁や本棚に光を投げ渡しているだけだ。

「マガイアの特性上、人を隠すことに長けていた、というのが全てです。未だに魔法使いを特定出来ていません。」

「そうですか。……もしそれだけなら、それは言い訳に過ぎない。私がかくのごとく答えることは、あなたもご推察のことと思いますがね。」

 老爺は金縁の丸メガネをぐいと強く押し込んだ。鼻当てが跡に残るんじゃないかと俺は怪しんだが、すぐに思いなおした。彼の眉間には、それとは比べ物にならないほどの深い皺が刻まれていたからである。

 彼は厳しくも、丁寧な性格なのだろう。やや前のめりな様子で、銅羅を鳴らすようにみさごを叱責した。

「今回、魔法使いは私たちの教会を襲撃したのです!ただ道端で発見したのではなく、明確な敵意があったからこそ、我々の前に現れ、攻めてきた。そのように、私は考えます。

 それなのに、あなたはみすみす魔法使いを逃がしてしまった。それはあなたが甘かったからであり、もし運が悪ければ、あの混沌の餌食になる被害者の数を増やしてしまうことと同義です。」

「……っ。すみません。」

「あなたが、増やした。」

 俺は腕を組みながら横で聞いているだけだが、イライラしっぱなしであった。このジジイについて、事件への関与度は小さい。襲撃の後からのこのこと出てきたに過ぎない。だが応戦したみさごを労いもせず、一方的に叱責しているのはどういうことだろう。この人物がさぞ高い身分に位置するという証左なのだろうが、それにしても、だ。

 仮にみさごに至らぬところがあったとして、この教会目線で最凶の悪者は敵対する魔法使いとやらの筈だ。被害が増えたところで、危害を加えた側こそが責められるというのこそ、当然の道理だ。

 まるで会社のように、教団が奇跡少女に成果を追求している。

「くれぐれも二度同じことがないようにして下さい。宜しくお願いします。今日は、『あの方』もいらっしゃらないので。」

 キッパリと言い切ると、ジジイは立ち上がった。丸顔だが、頬は垂れ下がり、まぶたもハリがなく、ひどく不機嫌そうに見えた。

 と、顔を見ていると、ジジイは疲れた笑顔を拵え、俺に話しかけてきた。肩から伸びるストラが、傾いた老体に揺れ、脇に抱えた分厚い経典に被さる。

「魚骨ササルさん。もう少しすると夕べの祈りがあります。是非出席なさって下さい。信仰がどうこうと言わずに、見学という体裁でも、私たちは歓迎しますので……。」

 彼はついさっきまで俺の前で、尊大に叱責する姿を晒していた。だが、根は真面目で大人しい人物らしい。ゆっくりと正面切って礼をすると、さっさと奥の部屋に消えていった。

 「みさごさん、ドンマイ。」「厳しいね。」ひと声掛けた教団員たちは、頒布用のリーフレット作りでもしていたのだろう、各自の作業に戻って行った。

「…………。」

「うーん……。しょげても仕方がない。」

 みさごは悲しそうに呟いた。すっかり天気の悪い日の猫の顔になってしまった。俺はどう同情をかけたものかと、言葉を探したが、特に何かを思い浮かぶ訳でもない。そこで、もういっそ無言を決め込み、夕べの祈りとやらを待つことにした。

「……おいササル、なんか言えよ。」

「嫌だね。」

「案ずるな。司教代理殿があれほど厳しく言うのも、私は納得しているから。私たちはマガイアの生み出す無秩序に、対抗する力を持ってしまっている。

 ……力があるということは、治安に責任があるということ。具体的な努力をし、被害を最小限に抑えることは、例え誰も責めを望んでいなかろうと、決して逃れることの出来ない責務なんだ。特に、今回みたいなケースはね。」

 俺はエヴァンゲ〇ヲンを見たことがないが、多分、この女の言うことを鵜呑みにするのも良くないだろう。

「司教代理、ね。」

「ええ。エラい人よ、私たちの教団では。」

 みさごは話した。頂点にまずいるのが聖主、いわゆる教祖である。現代法に根差して言い換えるなら、宗教法人の代表だ。で、教団の運営と、司教。これらが混在して司教座があり、司教代理は三番目の階級だそうだ。俗っぽく例えてしまえば、エリアマネージャーみたいなものだろう。

 この教会がそんなにでかいものだとは知らなかった。確かに、テナントではなく自前で箱物を用意しているのだから、ある程度の規模があるのだろうと推測はつく。だが、「市場で二位以下の」宗教であれば、言われなければ大きさに思いを馳せることもない。宗教に限らず何だってそうだ。

「で、アンタはどうすんの?」

「ん?」

「マガイアについて。いや、私たちが『マガイア』と呼んでいる、一連の事件について。もう分かっただろう。」

 みさごは、不器用そうな小さな手でくるくるとペンを遊ばせながら言う。白く細い指は、かんざしでも持っているようだ。ペン立てに差すと、カチャリと幼い音がこぼれる。

「『乗りかかった船』、それが俺の思う所だ。このままマガイアの行く末を、放っておくこともできない。マガイア。正体が誰なのか、お前ら教会の連中が居なかったとして対処ができるものなのか、俺は見ていたい。」

「あっそう。ヒマジン。」

「うるさい。」

 それだけでなはい。俺は、この教団が嫌いだ。理由は色々ありすぎて、これと言って挙がるものでもない。聖フルーエル教会。さっきは未遂だったが、この俺を宗教勧誘してきたことがそうだ。それに、目の前のみさごは勧誘に消極的らしいが、彼女自身、ロクなやつであるはずがない。おそらく、マガイアの使役主を見つけたら、問答無用で殺すだろう。魔女の首を狩るみたいに。

 マガイアというものは実際危険なのかもしれない。そして、その危険な状況に遭遇した俺を救い出したのは、あのウグイスと、みさごである。本来であれば、感謝すべきだし、それが道理だ。

 だが俺には、なにかが引っかかっていて、教団との共生を素直に飲み込むことが出来なかった。


 精神性が、ダンボール箱に閉じ込められ、ガムテープで蓋をされている。


 さっきからこの女は、「宗教について」の話が出る度に、「マガイアについて」の話にすり替えている。俺ばかりがこの教団への価値を勝手に批評していながら、教団で得た肯定的な思い出が、こいつの口から飛び出してくる兆しがない。事実を並べただけだ。

 俺は、それが「気持ちが悪い」と感じたことのひとつだった。俺がこれほどまでに、ひとつの宗教への毒々しい感情を自分の中に煮詰めているのに、こいつらは群れながら何も言わない。それなのに、また別の人間が潜在的に勧誘してくる。冗談じゃない。

 ……宗教のくせに、ナメやがって!

 と、そうこうしていると、ヨモコサンが奥から俺たちに呼びかけた。

「礼拝が始まりますよ。」

 数人残っていたおじさんやおばさんが移動し始めたようだ。

「……ササル、出るのか。」

「ええ、出席しますよ。」

 いざ危なくなったら、暴れればいい。

「ふん。出席するくらい、いいんじゃない?」

「何がいいんじゃない?だ。お前らの宗教行事にせっかく出席して……」

 ……。クソめ。

 埒が明かないと思った俺は、諦めて、礼拝堂に足を向けた。俺はもう何も言わない。なんで俺は、こんなにもコイツらにイラついているのだろう。

 最後列に座り、十字架への祈祷を見、聖書の引用を聞いた。だが、機嫌の悪い俺は、全て記憶の机から滑り落ちていくような心地がして、何一つ覚えていない。後から思い出すこともない。

 確かにその場にいたのだ。それらの記憶が、断片的にも存在していない。頭の中にも心の中にも、どこを探しても。この忘却具合から考えても、俺は神様やありがたい教条を信じることに向いていなさそうだ。おおよそ、信仰に目覚めた人の中には「この時点では出会うのが早すぎた」と振り返る人もいるが。

 とにかく事実として、俺は取り立てて礼拝について何かを覚えていることもないのだが、この教団を嫌い続けるための資格を許され続けるべく、自己弁明をしようと思う。あの老いぼれ司祭の次の忠告だけは覚えていて、何なら、これが前後の記憶を吹き飛ばしてしまったのだ。


「奇跡少女中二ヶ原みさごは、今後も魚骨ササル氏に同行し、保護しながら、取り逃したマガイアの黒幕を探すように!」

「……はい。…………、は?」

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