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「どーも、こんにちは。ケガなんてしてないでしょうね?」
後ろからの声に振り返ると、そこにはやたら目つきの悪い少女がいた。俺より背は低いが、姿勢は良く、華奢で、首には銀のネックレスをかけている。そして、ウグイスは叫びながら少女の周りに降りてきた。
言葉足らずなその少女を前に、俺は呆気にとられてしまった。ようやく「ウグイスと怪異を目撃したことについて」心配されていることに気がつき、言葉を繋ぐ。
「こ、こ、こんにちは。そのウグイス、なに?さっきのカラスも。」
「……。ケガがなかったのなら、良かったです。あと、落としたそのお菓子の包装ゴミは拾うように。じゃ、サヨナラ。」
「ちょちょ、ちょっと!!」
慌てて大きな声を出してしまった。数人の通行人が怪訝そうに、こちらに視線を集める。俺は息と一緒に動揺を飲み込んだ。
「そのウグイスは何!?君の!?」
「……?いいえ、違いますけど。誰のものでもありません。」
「君のさっきの尋ね方は、今起こった事件の関係者そのものの聞き方だったぞ。」
「事件、ではありませんね。怪我をしていないのならそれで良いのでは?」
「そういう訳にもいかないよ!」
俺は乱れたワイシャツの袖を二ツ折で捲り直した。
「最初は俺の頭がおかしくなったのかと思ったんだ。この暑さだから。で、でも、君にも『それら』が見えていたんだよな!」
風にそよいで揺れる電線。通り過ぎるバスが排熱を吐き出し、また風に動きを作り出す。俺は目を見開いて、逃げようとする少女の背中に食い下がった。
「鳥が掻き消えたり、爆発したり、また現れたりした。あれって……」
「知らなくていいのです、あなたは。」
「あれってウグイスが攻撃?したんだろ!」
「……。」
少女は立ち止まって、その目つきの悪すぎる顔を半分こちらに向けた。いかにも面倒くさそうに、彼女は「チッ」の口を作ってみせた。
彼女の目元には大きなクマがあり、少女のはずなのに、やけに老けて見えた。無論、オバサンと言うほどでもないが、身振りもずっと年上の様子だった。もし俺に背の低い姉がいたならこんな感じなのだろうか。
あれ?もしかして、本当に年上?
「あのさ、君。よっぽど驚いたんだろうけど、かと言って私に着いて来られても困るんですけど。このウグイスやさっきのカラスが、もし私に飼われているのなら君が説明を求めるのも分かるし、私は責任を感じるべきなのだろうけど、そうじゃない。」
「あっ、……。いや、そんなつもりじゃ。」
「私は。」
彼女はうつむいた。
「そんな義理は、ない……。」
「自分の身に何が起こっているのか分からない」、その事実は、ひとりの人間が不安を感じるのに充分な理由だ。だが、その説明を外に求めた所で、答えが手に入るかは分からない。
誰も、何も分かっていない。街角に閉じ込められたのも、孤独な世界を急に突きつけられたことも。確かに不安が残るが、しかしその不安を不安のまま見つめさせられるとなれば、嘆きもするだろう。
俺は呟いていた。
「まるで、魔法だな。」
全てを知ることは出来ないというのか。目の前のミステリアス少女も、この暑さに汗をかいて辟易しているようだ。俺が、身を切って探しに行かなければいけないのか。それもとも、通り過にるままにしなければ……とぐるぐる考えが巡っている。
「あら~~みさごちゃん。おかえり。暑いわね~~。」
「え。」
「ち、ちょ。」
何だ。通りすがりの本物のオバサンが、ミステリアス少女に話しかけてきた。
……みさごちゃん?
「あら~~お取り込み中だったかしら!!みさごちゃんがオトコノコと一緒にいるの!!珍し!!紹介してよ。」
「い、いや、たまたまそこで。別に。友達でもないし、」
「またまたー。」
「ホントに!名前も知らないし、なんなら……!」
「あ、そう。あらやだ!みさごちゃんいつも私達なんかといるから!私勘違いしちゃった!若い子といるの初めて見たからオトモダチかと思っちゃった。ゴメンなさいね~アナタ!」
「い、いえ、あの。」
「良かったらお茶飲んでって!そこで!」
「あの。」
翻弄される俺と、まくし立ててくるオバサン。なんだコレ。
「ヨモコさん、悪いわ。この後、この人も用事あるかもしれないし……」
みさご、そう呼ばれたこの女も、先程の「痩せた野良犬が人間を見るような」、おざなりな態度がすっかり裏側に引っ込んだようだ。物凄く気まずそうにこっちを見ている。かく言う俺も、八の字になった眉を隠せないでいるらしい。
「無理にじゃなくていいのよ!」
「と言ってもそれ、ほとんど無理やりです。マガイアに遭った後なんだから、ゆっくり家で休んだ方がいい。」
「あら~、大変!マガイア!」
「……『マガイア』?」
それは、さっきの異常事態の事だろう。彼女らはマガイアと呼び合っている。みさごも、ヨモコと呼ばれたこのオバサンも。
口ぶりから察するに、つまり、彼女らは二回以上、実際にその異常事態に出逢った経験があるという事ではないか。
分からないことは多い。しかし、実際自分の周りで起こっているのだ。その分からないことを、分からないままにしておくこともできない。
好奇心から、俺は答えた。
「すみません、よければ教えてください。何が、どうなって、あんなよく分からないことに襲われたのか。」
彼女らが「マガイア」と呼んだもの。今のままでは、異変によって誰かが危ない目に遭うことは十分に考えられる。
しかし、少女は明らかに気乗りしない顔のまま、カチカチと右手に持ったトングを鳴らした。
(え、トング……?)
よく見れば、それはトングより大きい「火バサミ」だった。左手にはビニール袋を持ち、風によってガサゴソと音を立てられている。
「え?もしかして、」
俺は不機嫌そうな彼女を、驚きの目で見ていた。尊敬の念が相手に伝わったかは分からない。彼女は特徴的な三白眼に、気後れの色味を残したままだからである。
「ゴミ拾いしてるんですか?こ、このクソほど暑い中!?」
「ま、今しがた始めたばっかりだけどね。」
「何で!?もっと涼しくなってからでも……」
彼言いかけた俺を、彼女は二ヒルに、ちょっぴりキザっぽさを足しながら笑った。
「涼しくなるって、それ夕方のこと?あなたは、日が暮れた暗い中でごみ拾いができると思うかしら?お兄さん。」
シラけたように、彼女は笑っている。その表情に、俺はぞっとする謎の寒気を感じた。さっきウグイスを見たときみたいに。
ごみ拾いをしていたからと言って、彼女を聖女か何かだと思う人は決していないだろう。しかし彼女には、俺の共感力を離れた、人間離れした雰囲気がある。言葉では表せない、何かが、決定的に違っていた。笑う彼女の様子は、まるで額縁から這い出てきた超現実的な呪縛を孕んでいる。
「お兄さん、あなたは、」
緊張?
猜疑?
それとも、誘導?
「なんと呼べばいい?」
「俺は。……魚骨ササル、と申します。」
バニラアイスを食べたばかりなのに、すっかりパサパサしてしまった口で、俺は答えた。俺の心に芽生えた、よく分からない曇った感情で、夏風に吹かれる彼女に尋ねた。少女は、クマに囲まれた眼を見開いた。
「残念。あなたはマガイアに囚われている、ってことかもね。」
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