第22話 しびれを切らして

「何かわかりましたか?」

 くるみが洋館の玄関に戻ると、待っていた白石が、股間前に手を合わせながら、かしこまるように言った。

「船が出航しました」

 くるみは冷静を装いながら言った。いや、伊知郎がいなくなった今、自分がどうやって勉強会をしたらいいのか悩んでいるのかもしれない。

「え? こんな嵐の中で?」

 白石は素っ頓狂な声を上げた。

「そうだぜ、執事さんよお。全くあの船長も酒も飲んでるし、頭が可笑しいんじゃねえの」

 傘を閉じた能美は、まるでスリルを楽しむかのようにテンションが上がっていた。

 真たちはその後に玄関の方に戻って来た。彼は後ろにいたつむぎに言った。

「大丈夫? つむぎさん?」

「あたしは大丈夫です。それよりもくるみさんの精神が心配で……」

 真はそれ以上つむぎに聞くことはなかった。何故なら、くるみは靴を脱いだ後、床を歩いている。その言葉も聞こえているはずだ。あまりくるみに責任を押し付けたくもない。

 すると、その後ろにいた小春が真に言った。

「ちょっと、あたしには何も声かけてくれないの?」

彼女は軽く真の肩を殴った。

「いやあ、別にそんなんじゃ……」

 真は後ろを振り返って、慌てて言った。

「別にいいけど、お二人これから付き合うんでしょ?」

「だから、違うって、そんなんじゃあ」

 真はつむぎもこちらを見ている中、何とか誤解を解こうと必死だった。それ以上に小春は意外と嫉妬深い女性だ。彼女にも気を配らないと……。

 真は頭を掻きながら靴を脱いでいた。


「どうだったの?」

 雨で全身が濡れているくるみが戻ってきた途端、響花は相変わらず腕組みをした。

「すみません、伊知郎さんはこっちに来られるか分かりません。それに止まっていた客船が出航したようです」

「出航?」

 神門と玉葉は同時に素っ頓狂な声を上げた。

「良く分からないけどな。まあ、あの船長は何をするか分からない性格だったし、酒も飲んでるんだろう。全く頭の可笑しい奴だぜ」

 くるみの後ろからやって来た能美は、腹を抱えながら言った。

「つむぎちゃんたちは帰ってくるの? あ、帰ってきた」

 玉葉は心配して立ち上がった。

「随分と濡れてるじゃない。執事さんタオルないの?」

 彼女は執事の白石を見た。

「はい、只今!」

 白石は食堂を後にして、どこかへ走った。

「しかし、出航したということは、伊知郎が乗ってるまま走ったということ?」

 響花はくるみを睨みながら言った。

「どうなんですかね?」

「それしかないじゃない。だって本人来ないんだから」

「それだったら、葉子先生に出てもらったらいいんじゃないかしら。葉子先生って体調崩してるんでしょ?」

 神門もくるみに責め立てる。

「はい、私がこの洋館に先生を部屋にお連れした時に、先生は気分が悪いから、今日の勉強会は参加できないと仰ってました」

 くるみは濡れた髪を手で払い落そうともせず、そのまましずくが垂れていた。

「何、先生は自分の体調が悪いと、勉強会であっても弟子に丸投げするわけ? いっとくけどあたしたちは今日の為に十万円も払ってるのよ!」

 神門が憤怒な面持ちで立ち上がった。

「すみません……」くるみは何度も頭を下げた。

「まあ、いいじゃねえか。くるみちゃんの勉強会も悪くないぜ」能美は自分の席に着いた。「ただ、身体を交わせたサービスも付きだったらな」

「あなたは本当に、昔から変わってないわね。女好きなところ」

 神門は能美に言った。

「フン、お前みたいな歳いったアイドルなんて、もうおさらばさ。今日集まったのは若い女性が沢山いるじゃねえか。オレは十万円払って損はないぜ」

 能美はつむぎや小春にも目を当てる。座っている二人は思わず彼と目を合わせないように伏せた。

「神門さんと能美さんは顔見知りなんですか?」

 真は話を変えようとしたのと、興味があったので聞いた。

「まあ、昔、あたしのファンだったのよ。今よりももっと陰湿な男だったけどね。ストーカーのように付きまとったりしてたわよね」

「それは過去の話だ」

 能美は先程の表情とは打って変わって、顔をこわばらせた。

「それに、あたしが占い師になった途端、あなたも占い師になって、お客さんとしても足を運んだんだっけ?」

「過去の話は良いって言っただろう」

 能美は立ち上がった。

「それに、そのストーカーを気づけたのは、お前が劣化した顔になったから戻せたんだ」

「何ですって!」

 二人はケンカを始めている。真はくるみから逸らせたことが嬉しくて、彼女を見た。くるみは真に頭を下げて、真は思わず笑って手を横に振った。

「すみません、お待たせしました」

 そう言いながら入ってきたのは、白石だった。彼はバスタオルを六枚持って来ていた。

「ありがとうございます。執事さん」

 と、玉葉は座って手を合わせて、二枚貰った。

 玉葉から渡されつむぎは「ありがとうございます」と軽く会釈をし、頭を丁寧に拭いた。

 一方、小春は勢いよく、バスタオルで頭を掻きむしるように乾かした。

 真は濡れた髪を手で拭っていたら、つむぎが言った。

「飯野さんの分もお願いします」

 そう言われて、白石はもう一枚、真に渡した。

「しかし、さっき船でスマホを閲覧した時に、今日の天気予報は晴れって言ってたけど、見事に予報が外れるとは思わなかったわ」

 玉葉は強まった雨音を聞きながら静かに言った。

「まるで、あの時以来よね」

 そう響花はぽつりと呟いた。

「あの時以来とは、どういうことですか?」

 真は何か情報が聞けるかもしれないと、思わずポケットに忍ばせていたスマートフォンの録音アプリを開いて録音を押した。

「……止めましょう、響花先生。あの時のことは忘れた方がいいわ。葉子先生に対しても迷惑でしょ」

 と、玉葉。

「まあ、あなたは葉子先生の味方をするからね。まあ、この話はここでおしまいにしましょう。本人もまだ占い師として健在だしね」

 響花は相変わらず腕組みをし続ける。至って冷静だ。

「それよりも、くるみさん。あなた一人で勉強会を進めるつもりなの?」

 神門は苛立っている。

「いやあ、私は占いの勉強も全て分かってないですし、伊知郎さんがいてくれたらと思ったんですが……」

 くるみも白石からもらったバスタオルで神と顔を拭いている。元々彼女は薄化粧だったが、殆どメイクが取れても、なお清楚な顔は保っていた。

 彼女の隣にはいつしか中田もいた。彼はまるでボディガードのように横に立っていた。これ以上くるみに対して暴言を吐くなとも捉えるように。

 神門は突如立ち上がった。

「どうしたの? 神門先生?」

 玉葉が聞く。

「あたし、葉子先生に話してくる」

「話をするって、何を?」

 と、くるみ。

「今日の勉強会を進めてくださいって。あの人がいないとせっかくあたしたちが払った十万円の意味がないじゃない。これって詐欺でしょ」

「フフフフフ、あの人は元々詐欺師なのよ。神門先生?」

 響花は俯いて笑い、神門を見上げた。

「何、どういう事?」

 神門は響花を睨んでいる。そういえば、この二人は過去にテレビ関係で顔見知りだったなと、真は額を人差し指で掻いていた。

「取り合えず、神門先生が言うように、葉子先生を呼んだら? 多分体調が悪いと出てこないと思うけど……」

 玉葉は言った。

「分からないじゃない。だって、こんな小娘が勉強会出来るわけないじゃない!」

 神門は怒り狂って、くるみに対して指を差した。隣に中田の睨みつける視線に気づいているのかは分からないが。

「執事さん、案内して!」

「葉子先生のお部屋ですか?」

「そうよ! あなた話聞いてなかったの?」

「すみません、承知しました」

 神門と白石は部屋を出た。真は神門の本来の短気な性格と血相を変える度に豹変していく表情には、そこに昔テレビで観ていたアイドルの顔とは程遠くなっていた。いや、元々そんな表情を露骨に出す女性だったのかもしれない。

 それだったら、彼女の武器の豊かな胸も豚に真珠のようなものだ。能美もそんな彼女を見て一気に恋心が冷めていったのだろうか。

 真は隣のつむぎを見た。彼女は表情には表せていないが、内心ではこの館に恐怖でしかない。

 黒魔術に降霊術……。例え葉子が、体調が良くなったとしても、その勉強会を彼女は参加しなくてはいけないのだ。

「まあ、くるみさんも中田さんも、席に着きましょう」

 そう言ったのは玉葉だった。

 くるみは自分の席に座ったが、中田は伊知郎が座るはずの空席に座った。

「さっきからずっと思ったんですけど、中田さんってシェフなのに凄くイケメンですよね」

 小春は向かいに座った中田を見とれていた。

「いや、俺は別に……」

 中田は頭を掻いてくるみを見た。

 やはり中田はくるみに気があるのだろう。しかし、くるみの方はどうなのだろうか。

 くるみは言った。

「中田さんは四十半ば。二十代からずっと料理一本でしたよね?」

「あ、ああ。女性はあんまり得意じゃないんだ」

「じゃあ、あたしが教えます」

 小春は中田の隣の葉子が座るはずだった空席に座った。「いいでしょ。くるみさん」

 すると、くるみはフフと笑った。

「小春ちゃんがそんなに肉食系女子だと思わなかったわ。中田さん良かったですね」

「あ、ああ」

 中田は予想外のくるみの発言に、半ば挙動不審になっていた。

 ……全く、この内田小春は……。夕方までは俳優の牧野龍馬のことばかり占っていたのに……。本当に面食いの惚れっぽい少女だなあ。

 真は薄み笑いを浮かべると、くるみは真とつむぎの二人を見た。

「お二人は、彼氏さんと彼女さん?」

「いえ、違います」

 と、真とつむぎの二人は慌てて手を横に振った。全く同じ動作になっていて、また互いを見て、恥ずかしそうに目を背けている。

 その光景を見て、くるみと玉葉はほっこりしていると、遠くの方から


 キャアアアア!


 と、女性の悲鳴が聞こえてきた。

「何だ?」

 能美は立ち上がった。

 真も立ち上がる。その後に続いて続々と席から立ち上がった。

「今のは、神門さんの声だわ!」

 響花が言った。

「とにかく、葉子先生の部屋に行きましょう!」

 真は言って、即座に部屋を出て行く。

 その真剣な眼差しの真を見て、つむぎは少し口角を上げて、フフと笑った。

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