第7話 客船にて3
すると、伊知郎は青ざめた顔で答えた。「いや、僕も鑑定料は三万円するから。それに、僕は船が苦手で……」そう言いながら、彼はポケットからハンカチを取り出した。
「伊知郎さんは去年も船に乗ってすぐに気分悪くなって、ベッドに横になってましたもんね」
後ろからくるみが彼の痩せた背中を摩る。
「えー、じゃあ、あたしが来た意味がないじゃない」
小春は感情的に怒りを露わにした。
「私だったら占って差し上げましょうか?」
くるみはニコッと笑って自分を指差した。
「こら、くるみ。あんたも一応はプロなんだから鑑定料は貰いなさいよ」葉子はくるみを睨みつける。
「まあ、先生。せっかく皆さん来てくれたんだし、つむぎちゃんも占い師になるんだったら、お友達の鑑定料は無料でもいいとは思いますけど……」
くるみは葉子に向かって両手のひらを見せながら、まあまあと彼女を落ち着かせる。
「本当にあんたは昔からお人好しなんだから。まあ、あんたも良かったわね。このくるみも将来は自分の店を経営するんだから」
「へえ、そうなんですか?」つむぎは目を見開いた。
すると、後ろにお団子を作って髪を束ねている。くるみは前髪を人差し指で掻いた。
「まあ、来年ね。先生には全面的にサポートしてもらうけど……」
「本当にくるみは大きくなったもんだね。彼女が十八から占い師に入ってから、この子もどんどん才能を発揮したんだから」
と、葉子。
「タロットを覚えるには苦労しました」
そう笑っているくるみに対して、一人の華奢な女性が甲板にやって来た。
「本当に才能があるのかしら?」
その静かなトーンが聞こえて、全員声のする方へ見ると、そこには黒い衣装で黒い髪、そして身長も高くモデル体型の女性が腕を組んでくるみを見ていた。
「あ、響花先生……」
くるみはかしこまった様子でお辞儀をした。
「全く、そう先生のバックがあって、自分で経営した後、結局上手くいかなくて途方に暮れる占い師なんてたくさん見てきたのに、また、一人有頂天になってるわね」
「あなたも嫌味ばっかり言うわね。葉子先生の元で弟子を続けてたら失敗することなかったのに」
そう玉葉も腕を組んでくるみを庇うように言い放った。
「何? あんたも結局先生のところから足を洗って、今や別の会社専属の占い師について、葉子先生にとっては相当プライドを傷つけられたんじゃない。先生?」
響花は葉子を見た。
「こらこら、あんたたち。ケンカは止めなさい。二人とももう私のところから去ったんだから。ただ、くるみと伊知郎には口出しをすると、あんたたちを地獄に行かせるわよ!」
葉子は次第に感情的になっていた。思わず咳込んで、くるみが支える。
「大丈夫ですか。先生。お薬の方、お持ちいたしましょうか?」
「いや、大丈夫。それより、伊知郎は、船酔いは大丈夫かい?」
真が見ると、伊知郎はさっきとは打って変わって、発言をしなくなっていた。それもそのはず彼は海の方に身を乗り出して、腹の中の胃液を出そうとしている。
「大丈夫ですか、伊知郎さん」
くるみは慌てて伊知郎の背中を摩る。
「くるみちゃん、大丈夫じゃない。酔い止めの薬を飲んだんだが、気分が悪いよ。うっぷ」
伊知郎は昼間に食べたおにぎりを戻しそうになる。
「とにかく、休んだ方がいいかもしれません。誰か伊知郎さんを介護できる方は……」
くるみは周りを見渡すが、伊知郎痩せているものの、体重五十五キロの身体を担ぐには女性でしかいない、この場では無理だ。
と、彼女は真の方に視線を向けた。
「すみません、どうか伊知郎さんを部屋に運んでもらえませんか?」
「え、僕がですか?」真は思わず自分に指を差した。
「飯野さん、お願い伊知郎先生を助けてあげて」
つむぎは胸に両手を当てて真に言う。
――もしかしたら、つむぎは伊知郎のことが気になっているのではないのか。
真は半分そんな嫉妬を抱きながら、表情には微塵に表れることなく、「いいですよ」
「伊知郎さん、僕に身体を預けてください」
真は背を向けておんぶをしようとしたのだが、いかんせん伊知郎の身体を持ち上げられるほどの腕力が無い。
「はあ……、クソッ」
つむぎにいいところを見せようと必死になっている真に対して、つむぎはくるみに言った。
「もう一人、男の人を呼んできます」
「分かりました。私が呼んできますので、皆さんはここでお待ちください」
くるみは駆け足で客船の方に向かった。
真はもう一人助けが来るのが分かった後、一気に力が抜けてしまい、腰を抜かしてしまうのではないかと思うくらい、一気に脱力していった。
力がないというレッテルを張られ、真は身心脱落した面持ちだった。
「男のくせに力が無いのか。ダメだわね」
そう暴言を吐いたのは葉子だった。相変わらず小言だけは達者である。
少し待つと、ようやくくるみはニコニコしている男性を連れてきた。中年の男性である。
「どうしたんだ。伊知郎君。しっかりしろ」
そう言いながら、彼はニヤニヤしていた。真は直感で関わりたくない人物だと思った。
「あ、能美さん。すみません。うっぷ」
伊知郎は倒れながら薄ら目を開けていた。
「もうそれ以上言うことはない。よし、君。一緒に部屋まで運ぶぞ」
半ば筋肉痛になっている真は渾身の力を振り絞り、自分の肩に伊知郎の右手を回して、能美琢磨という人物と、一緒に彼の部屋まで運ぶ。
彼の部屋は至って他の人と変わりはなく質素だった。ベッドがあり、鏡台、ゴミ箱、小さな机に電気ポットがある。
「よし、ここで、下ろすぞ」
能美が真に一瞥し、「はい」と彼は答えて、少ししゃがんだ。伊知郎はベッドの上で横たわっていた。
「伊知郎ちゃん。もう一錠船酔いの薬飲んだ方がいいじゃない?」
と、能美は相変わらずニヤニヤしている。酒も飲んでもいないのに、元からこのような表情なのか。真は疑っていた。
「……そうします」
伊知郎はだんだん弱弱しい声になった。このまま息絶えるのではないかと真は心配した。
「じゃあ、気分が良くなったらラウンジの方にでも来いよ」
そう言って、能美は後にした。真も、「お大事に」と、言い残した。
「ありがとう」
伊知郎は軽く頭を下げていた。
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