第3話 スカウト

 二階の“シックスセンス”という占いの店は、ドアを引くと、全身黒いタイルで覆われており、真ん中にコの字に囲むようにタブレットが五台置かれてあった。

「薄暗いわね」と、小春は呟くように小声で言った。

「やっぱり入るの止める?」

つむぎは、恐怖感はあまりなかった。このビルに住み始めたのはつむぎたちの方が先なのだ。それにあまり知らない店だとしても、どこか自分にとっては親近感がある。

「いや、ここまで来たんだから見てもらわないと」

 若干小春は声がうわずいている。あまりにも見たことのない異様な空気感が、彼女を恐怖へと奮い立たせる。

 コの字に置かれていたタブレットは今日、それぞれ鑑定する先生たちだった。どこのブースかは分からないが、お客さんもいるようで、対面鑑定で話声が聞こえる。

 小春は一つのタブレット画面を指差しながら嬉しそうに言った。「玉葉先生だ。空きという表示ってことは今から飛び込みで入っていいってこと?」

「そうじゃない? 一回押してみたら?」つむぎは彼女の後ろに隠れている。

 小春は恐る恐るタブレットの画面を操作した。すると、午後四時半に予約が取れた。

「これって、5番にいるってことかな?」小春はつむぎに向かって指を差した。

 タブレットの右上にはシールで“5”と書かれてある。

「多分そうじゃない? 5番は一番端だからそっちに行こう」

 つむぎの指示に従い、小春はブースにラミネート加工されてある、張り紙に向かって歩き出した。今の時刻は四時十七分で、あと十分ほど時間がある。

 二人は5番ブースの壁に椅子が二脚あったので、そこに座ろうとすると、小さな黒のカーテン越しに中から女性の声がした。

「外におられる方どうぞ」声からして、まだ三十代くらいだとつむぎは何となく感じた。

「あ、はい」と、小春は立ち上がる。

「あたしはここで待ってるから」と、つむぎは彼女を見上げた。

「うん。行ってくる」

 中に入った小春は玉葉と向かい合わせで座っていた。玉葉はいかにも占い師というベールを顔で覆うような人物ではなく、一般人のように服装は黒だが、ロングヘアの小奇麗な顔立ちだった。

「ようこそ、どのようなお悩みでしょうか?」彼女の声はソフトであり、厳しい表情でもなかった。

「あ、あの、あたし結婚したい人がいるんです。どうしたらいいですか?」小春は緊張した面持ちで、姿勢を正しながら恥ずかしそうに言った。

「へえ、結婚したいって、あなた高校生じゃないの?」

 不意を突かれた言葉に対して、小春は度肝を抜かれた。

「え、どうしてわかるんですか?」

「フフフ、だって後ろに座ってる子が、学生さんじゃない。いかにも高校生のセーラー服じゃないの」

「あ」と、小春は後ろを振り返ると、つむぎの座っている下半身が見える。彼女はその場で出たから制服のままだったのを、すっかり小春は忘れていた。

「フフフ、それで、結婚をしたいという男性は同級生?」

「いえ、芸能人なんですけど、牧野龍馬さんっているじゃないですか、俳優の。あの方とお近づきに慣れたらいいかなって……」小春は照れながら頭を掻いて、舌を出した。

「うーん」と、玉葉は机の端に置いてあるカードを手に取って、パラパラとめくった。

「難しいわね。可能性はゼロではないけど、相当努力しないとお近づきに慣れないわ。牧野さんは元々ホストの方ですよね。ということはモテモテでもある」

「はい」

「そうなってくると、あなたを選ぶという形は残念ながら相当難しいものだと思うし、お近づきになるにも相当なことをしないといけないと思うのよ」

「相当なことって?」小春は期待していた言葉ではなかったので、意気消沈していた。

「例えば」そう言って、彼女はもう1枚カードをめくった。「ファンだけにとどまらず、テレビ関係の仕事について、彼とお近づきになるとか。彼自身もこの仕事をいつまでも続くとは思っていないという感じでもあるのよ」

「まあ、そうですよね」

「なので、あなたが真剣であれば、いばらの道を潜り抜けるしかないわね。それを経て、龍馬さんがあなたのことを好きになってくれるかはまた別。かなり難しいわね」

「そうですか……」

 彼女は1枚カードをめくった。「相性はいいけどね。……何というか。お互い楽しいことが好きだから。そこに貴方も魅力的に感じたんじゃない?」

「はあ」

「他にはどんな悩みがありますか?」玉葉は何人も見てきたのだろう。小春が明らかに未練を持っているのにもかかわらず、それに寄り添わずに、淡々と喋っていた。

「いえ、もういいです……」小春は完全に青菜に塩だった。

「まあ、後、二十分もあるから、悩みがあるなら。ほら、進路とか心配にならない?」

「いえ、進路よりも龍馬君の進路の方が気になります」

「まあ、そう言わずに……。じゃあ、私が勝手に占ってもいい?」

「あ、はい」小春はようやく顔を上げた。そこには玉葉が凄い剣幕の表情だった。彼女は小さな水晶をつるす紐を手に取った。

「それは、何ですか?」恐る恐る小春は聞く。

「これはチャネリングと言って、周波数を合わせて未来や人の気持ちを知る占い鑑定なのよ」

「へえ」小春は半ばウソつきなのではないのかと、玉葉を疑っていた。

 しかし、玉葉の表情は変わらない。

「何か見えるんですか?」

「ええ、近々悲しい出来事が起こるって水晶は言ってるわ」彼女は睨みつけるように水晶を見ていた。

「えええええ、それは嫌です先生。どうしたらいいですか」小春は思わず前のめりになって、玉葉に縋りついた。

「大丈夫よ。貴方じゃないわ。私が言ってるのは後ろの女の子よ」

「え?」小春は後ろを振り返った。相変わらずつむぎは待っているようで足だけが見える。

「ちょっと呼んできて。彼女に話したいことがあるのよ」玉葉は言う。

「あ、分かりました」小春は立ち上がって、カーテンを開けた。本を読んでいたつむぎは思わず顔を上げる。

「終わった?」つむぎは笑顔を作った。

「いや、先生があなたに来て欲しいって」

「あたしに?」つむぎはきょとんとしていた。


「あなたは近々悲しい出来事が起きる」

 そう聞かれて、つむぎは疑いの目を持っていた。「それはいつのことですか?」

「いつとは分からないわ。しかし、その悲しい出来事はもしかしたらあなたの命の危機を感じる」玉葉は相変わらず紐でぶら下げている小さくて丸い水晶を見ていた。

「命の危機と言われても……」と、つむぎは笑いながら小春を見た。小春も笑顔を交わしながら首をかしげる。

「あなた、何か部活でもやってるの?」ようやく彼女はつむぎを見た。

「はい、茶道部に入部してます」

「茶道か……」

「それが何か?」つむぎは相変わらず姿勢を正したまま、物おじせずに玉葉と向き合う。

「あなたは感受性がとても強い方ですよね。だから、占いのような神秘的な才能を持っている」

 ――持っている。このあたしが?

 つむぎは引きつった笑いを見せた。

「それだったら、あたしの恋の占いでも見てよ」と、小春はつむぎに対して言った。

「見れないよ。だってそんな才能ないし……」

「いや、あなたは才能があるわよ。自分で分かってないだけ。……それで、もしよかったら」

 と、玉葉は自分の席にもたれかかるようにして床に置いてあった小さなカバンを取り出した。

 彼女は膝の上にカバンを開けてやたらと何かを探している。つむぎはこの占い師は本物なのか半信半疑だった。

 ようやく彼女が取り出したのは、一冊のパンフレットだった。そのパンフレットをつむぎの前に置く。

「これは、一週間後に開催される占い師の勉強会よ。主催者の荒木葉子先生が何人かを招待して、毎年島国で占いの研修を行うの。もちろん、離れ小島だから自然を感じながら瞑想なんかを行うわ。参加費は十万円よ」

「十万円!」

 十万円あれば家賃を二か月分払える。とてもそんなお金はない。つむぎはいつしかお金が大好きで損得勘定でしか動かない姉、あかねのように妄想に陥っていた。

「それを参加すれば、笹井さんは占い師への道が開けるんですか?」小春は身を乗り出して聞く。

「まあ、そうね。ただ、葉子先生があなたに対してどういった印象を抱くかによるわね」玉葉はつむぎに言った。

「あたしは別に……。それに、十万円も払えるお金もありません」

 そう言って、つむぎはパンフレットを玉葉に返そうとしたのだが、

「まあ、私は参加費十万円と言ったけど、あなたはこれから命の危機もあるし、その磨かれた才能を生かして欲しいと願ってるので、今回は特別に無料で招待差し上げますわ」

「え?」つむぎは何だか変な方向に話が進んでいるなと感じた。

「あたしは? あたしも行きたい」小春は自分に指を差した。

玉葉は暫く小春を見てから口を開いた。「……いいわよ。実はここに三枚チケットが残ってるの。もう一人参加してもいいわよ。但し、一つだけ約束して欲しいの」

「何ですか?」と、つむぎ。

「この占い勉強会が終わったら、あなたは葉子先生の下で占い師として活躍して欲しいの」

 その言葉を聞いて、つむぎは思わず、小春を見た。小春はいつしか占いに興味が湧いているようで、彼女に向かって頷いている。

 つむぎは深いため息をついた。

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