第14話

 家に帰ってきてからが大変だということを忘れていた。

 母は、最近僕の様子が変わったことに異常なほど心配し始めたようで、ことあるごとに僕の部屋に入ってきては、一言二言、話してから、また部屋を出る。

 それを、二時間ごとに来るので、僕も、まともに考えられない状況だった。


 三回ほど母が来ると、僕も痺れを切らして、


「いちいちいちいち入ってこないで。考え事をしてるんだから」


 と言って、追い出した。

 母は、僕の異性に驚いたのか、それ以降部屋に来ることはなくなった。


 久雄さんに、どういうふうに伝えればいいのだろう。

 どの言葉を選んで伝えればいいのだろう。

 もし、僕が緊張で何も話せなくなってしまったとき、どうすればいいのだろう。


 僕は、万が一、話すことができなくなってしまったとき用に、手紙を書くことにした。

 もし頭が空っぽになっても、話す言葉さえわかれば、後は、その流れに乗って話を広げていくだけでいいからだ。


 ♦︎♦︎♦︎♦︎


 三鶴城久雄さんへ


 長い間、博物館の館長、ご苦労様でした。

 僕は、この博物館の存在、そして何より、久雄さんの存在がなければ、僕はずっと何にも興味を持てずに、ただ無駄な時間を過ごしていたことでしょう。


 僕が去年、家出をした際に、当時五歳だった僕に石をくれた人が現れたときには、心底驚きました。

 そして、すぐにわかりました。

 この人は、僕に、一つの物に熱中する理由をくれた人なのだと。


 僕は、そのきっかけとなった出来事を忘れないでしょう。

 そして、久雄さんにとっても、そうであって欲しい。そう思います。


 今日の朝渡したアレクサンドライトには、秘めた想いという意味が込められているのは知っていると思いますが、僕はあえて、中身まで触れたいと思います。


 僕の秘めた想いは「感謝」です。


 僕にたくさんのきっかけをくれた久雄さんには、感謝意外の言葉は見つかりません。


 僕に、石に興味をもたせてくれてありがとう。

 翡翠みたいに綺麗な景色を見せてくれてありがとう。

 そして何より、ジェードを僕にくれてありがとう。


           鈴島 楓珠より


 ♦︎♦︎♦︎♦︎


 夕方。僕は母に出かけてくると伝えて、博物館へ向かった。

 母は、どこへいくのか心配そうだったが、


「なるべく早めに帰ってきなさい」


 とだけ言って、リビングへと戻っていった。

 僕は、静かにドアを開け、博物館へと向かった。


 僕が歩いていると、すっかり日が暮れてしまっていた。

 今更ながら、僕は怖い場所が苦手だ。

 何か得体の知れないものが来てしまうかも知れないと思い、いつも、ビクビクしていた。


 しかし、ここで帰ってしまっては、元も子もないからと、勇気を振り絞って歩いた。

 しかし、不思議と恐怖心は無くなっていた。

 多分、暗いところが怖いという感情よりも、博物館が閉館してしまうという寂しさの感情の方が大きかったからだろう。


 博物館へ着くと、久雄さんたちが、僕を待ってくれていた。

 僕はすぐさま駆け寄ると、久雄さんたちは、突然クラッカーを鳴らした。


「楓珠くん、お誕生日おめでとう。

 そして、玄武博物館、今までありがとう」


 僕は突然のことで、頭の回転が追いつかなかった。


 そして、しばらくしてからやっと、今日がなんの日だったのか気づいた。

 そして、母がなるべく早く帰ってくるように言った理由もわかった。

 今日は僕の誕生日だったのだ。

 博物館の閉館の話で僕は忘れてしまっていたのだった。


 そういえば、手紙を書いているときに母が入ってきたときに


「誕プレ何が欲しい?」


 と言っていたのを思い出した、僕は、手紙を書くことに集中していたので、あまり内容は入ってきてなかったが、プレゼントを渡すために、何回も僕の部屋に入ってきたのだった。


 僕が、ポカンとしているのを、久雄さんたちは満足そうに見ていた。


「喜んでくれたみたいでよかった。

 実はね、今日はこの場所の最後という意味もあったんだけど、それ以上に、君の誕生日を最高のものにしようと思っていたんだ。

 この日を忘れさせないためにも、私が君の誕生日に閉館をすることにしたんだ」


 僕は、涙が込み上げてきた。

 もう一つ、久雄さんに感謝することができた。


「最高の誕生日をありがとう」


 僕は、ひと段落してから、朝、久雄さんに渡したアレクサンドライトの説明、感謝の気持ちを伝えた。

 話も終盤になってくると、僕も久雄さんもスタッフさんたちもみんな泣いていて、まともに話すことすらできなくなってしまった。

 しかし、僕が読み終わる前と、みんな笑っていた。僕も、笑っていた。


 みんな悲しくて寂しくてどうしようもないはずなのに、なぜか笑いが込み上げてきて、それは、誰も止められず、連鎖していったのだ。


 そして笑いが収まると、今度は、みんなで泣いた。

 誰もがこの場所が名残惜しかったのだ。

 たくさんの思い出が詰まったこの場所を、誰もが離れたくないと思ったのだ。

 その繰り返しが何度か続いた後、久雄さんは、


「ありがとう。私にも忘れられない日になったよ。

 これも全部、楓珠くんのおかげだ」


 その言葉に僕も、


「いえ、こちらこそ忘れられない一日にしていただいてありがとうございます。

 久雄さんのおかげです。本当にありがとうございます」


 僕はふと、母が早く帰ってこいと言われていたのを思い出した。

 時間を見ると、もう二十時を回っていた。


「久雄さん。

 僕は母に早めに帰ってくるよう言われていたので、そろそろ帰らせていただきます」


 すると久雄さんは、何やらスタッフさんに話しかけ、


「ちょっとだけ時間をくれるかな?」


 と言って、奥の方へと向かっていった。


 僕は気になったので、その場で待っていると、久雄さんたちは、博物館に展示してある本を一つ残らず持ってきてくれた。


「これは、私たちからの、この玄武博物館から君への誕生日プレゼントだ。

 いつか役立てて欲しい。それと、これは私からのプレゼントだ」


 そう言って、ポケットからダイヤモンドを取り出し、僕に握らせた。

 スタッフさんたちの一人が、


「この時間帯だと道が暗くて危ないから、俺が送っていくよ。

 ついでにこの大量の本も、運んであげるからね。館長、軽トラ借りますよ」


「了解。鍵は刺さってるからそのまま使えるよ」


 そう言って、車を準備し始めた。

 僕は、その人の好意に甘えさせてもらって、送ってもらうことになった。

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