第35話 お金と高校生

一旦ダンジョン攻略を諦めて家に帰ってきた私は、家の掃除をしているお母さんに話しかける。


「お母さん。ちょっといい?」


私が声を掛けると、お母さんは掃除機を止めて振り返る。


「どうしたの?何か困ったことでもあった?」


くっきりと隈が見える何処か疲れた顔のお母さん。

せっかくの休日に家事を全部任せるのは多少なりとも罪悪感があるけど…私にはそれより優先したいことがある。

だから決して言葉には出さず、心のなかで一応謝っておく。


「実はダンジョン攻略に必要なアイテムを買いたいんだけど…お金が無くて」


お母さんに何かをねだるなんていつぶりだろうか?

小学校中学年の頃には家にどれくらい余裕がないか理解したから、それ以降何かをねだったことが無い。

ましてやお金なんて…お小遣い以上にもらったことことなんて無かったね。


「そう…いくら必要なの?」

「…分からない。私がもっと強くなって、自分で必要なお金を用意できるようになるまではずっと」

「そうなの?じゃあ、少し待ってて」


そう言って、お母さんは家の電話が置かれている小さな棚の引き出しを開ける。

そこから封筒を取り出し、私に差し出してきた。

受け取ると、確かな厚みがあり…中身は全て一万円だった。


「あなたは何もねだらない子だったからね。冒険者になるって言い出した時から、ずっと貯めてきたのよ」

「こんなに沢山…一体何処から…?」


10万とか20万とか、そんな額じゃない。

100万以上はありそうだ。

こんなに貯金できるなんて…到底いつもの生活からは想像できない。

一体どうやって…


「…冒険者は、うまくいってるの?」

「え?う、うん。多少の躓きはあったけど…おおむね順調だよ」


困惑する私を見ながら、まるで話題を無理矢理変えるような形で質問してくるお母さん。

1回死んだなんて、口が裂けても言えない。

それで冒険者を辞めさせられるなんて事になったら、私は家を出ていかないといけなくなる。


「そう。頑張りなさい、冒険者はまだまだこれからなんだから」

「…よく知ってるね」

「あなたが知らな過ぎるだけよ。そろそろ勉強したら?冒険者だけでなく、もうすぐ中間テストもあるでしょうし」

「ギクッ!」


今は冒険者として頑張ってるけど、私の本業は高校生。

ちゃんと勉強する事が私の本当の仕事。


「もしテストで悪い点を取ったら、期末テストで良い点を取るまで冒険者はやめてもらうからね?」

「そ、それだけは!」

「なら勉強しなさい。毎日やれとは言わないから」


あんまりにも強すぎる正論。

言い返すことは出来ず、私はお金の入った封筒を手にトボトボと歩く。

とりあえずお金は自分の机にある引き出しに片付け、莉音に電話をする。


『もしもし?お金貰えた?』

「開口一番それは詐欺とかいじめじゃない?」

『あははは!冗談だって。でもなんか声が暗いね?何か嫌なことあった?』

「中間テスト」

『うぐっ!!』


一言でテンションの高い莉音を黙らせる。

莉音からすれば液体窒素並の冷たさの冷水を掛けられた感じだろうね。

露骨に声から元気が感じられなくなった。


「中間テストで悪い点を取ったら期末まで冒険者やめろって言われた」

『それは…遥お義母さんが正しいね』

「まあそうだけどさ…あと、お義母さんって呼ばないで。私が恥ずかしいから」

『えぇ〜?今更じゃない?』

「嫌なものは嫌。それで真面目な話なんだけどさ…勉強教えて?」

『いいよ。小春が冒険者できなくなったら、困るのは私達だし。せっかくだから暇してるリカも誘ってやろうよ。今日』

「今日!?ちょっと気が早くない?」

『大丈夫大丈夫。じゃあそっちに行くね』


莉音は一方的に電話を切ると、それから連絡が取れなくなった。

心配になってリカさんに電話してみると、リカさんも私の家に向かってるらしい。

十数分で2人は私の家に付き、お勉強会が始まった。


「いや〜懐かしいなぁ〜。中間テスト」

「リカさんは21だもんね。3年ぶり?」

「3年か…そう考えたらリカって年上だなぁって」

「…私のこと舐めすぎじゃない?」


ワイワイと楽しくお話しながら教科書を開く。

今は私が苦手な歴史の勉強をしている。

歴史は人の名前を覚えられなかったり、出来事の名前やいつ起こったかがわからなくて、点数を落としがち。


「徳川十五代目将軍の名前は?」

「……分かんない」

「リカはどう?覚えてる?」

「そんなの覚えてないよ。家なんちゃらでしょ、どうせ」

「残念。家って入ってないんだよね、それが」


…じゃあ分かんない。

誰だよ十五代目将軍って。


「正解は徳川慶喜。ちなみにその前が徳川家茂で、この人もテストに出るから注意」

「家茂…ああ、あの早死にした」

「リカ。ちょっと言い方がアレじゃない?」


ちょっと言い方が酷いリカさん。

でも、確かに徳川家茂って早死にしたって先生が言ってたような…言ってなかったような?


「ちなみに徳川家茂は当時の天皇の妹と結婚してるんだけど、その事…まあ、政策みたいなもの?をなんて言うと思う?テストに出るよ」

「なにそれ?知らない」

「リオンが知ってるって事は習ったはずだよ?」

「じゃあリカさんは分かるの?」

「分かんない」

「何しに来たのホント…」


リカさんが来た理由が分かんない。

莉音は何を思ってリカさんを呼んだの?

これなら詩音を呼んだ方が良かったと思うのは私だけ?


「正解は公武合体だよ。低迷した幕府の支持を比較的支持されてた天皇家力を借りて取り戻そうとしたわけだ。まあ、家茂が早死にしたから効果があったか怪しいけど」

「ふ〜ん…」

「ああ、小春が飽きてる」

「飽きるの早くない?もっと頑張ろうよ、小春ちゃん」


はぁ…やっぱり歴史は苦手だ。

ちょっとくらい点が取れなくたって構わない。

1教科だけならお母さんだって――


「勉強中ごめんね。よかったらこれ食べて」


噂をすればなんとやら。

お母さんが勉強を頑張る私達のためにお菓子を用意してくれた。

素直に感謝する莉音とリカさん。

それを見てお母さんはニコニコ笑いながら立ち去る。

…その去り際にみんなに聞こえるように話す。


「もちろん全教科良い点を取ってね?1つでも悪かったら…わかってるわね?」


しっかり釘を差され、退路をつぶされた。

お母さんが去ったあと、2人は私を見て苦笑いを浮かべる。


「とりあえず勉強しようか。やっぱり遥さんは強いね…」

「小春ちゃんって、お母さんの血をしっかり受け継いでるよね。背が高くて胸が大きい」

「いや、この流れでその話する?」

「カッコイイ人だったなぁ…って」

「むぅ…私だってクールビューティーな現役JKです〜!」


お母さんに見惚れているリカさんに文句を言う。

私という大切な人がいながらその母親に色目を使うなんて…莉音が黙っちゃいないよ。


「リカ、いい目してるね。小春のお母さんってカッコイイよね〜」

「でしょでしょ!?なんというか、小春ちゃんに無い大人の美?ってのを感じる!」

「だよね〜。小春はまだまだだね〜」

「んなっ!?莉音まで!!」


ゆ、許せない…

あんなやさぐれ病み系おばさんの何処が良いって言うの!?


「馬鹿なこと言わないで!見た?あのくっきりとした隈!たるんだお腹!手入れされてない髪!アレの何処が良いって言うの!?」

「えぇ〜?むしろ、くたびれた大人の女性って感じがして良いと思うけど」

「沢山の女性に好かれて、女性と結婚して子を作った魅力的な女性の面影があるからね〜」

「でももう40超えてるおばさんだから!」

「……あんまり大きい声で騒がない方がいいんじゃない?」

「はぁ?……あっ」


莉音が私の後ろを指差す。

振り返ってみると、そこには何やら黒いオーラを放つ笑みを見せるお母さんが…


「小春。あなた随分と言ってくれたみたいだけど…」

「い、いや、お母さん。これは…」

「いいのよ。後で沢山聞くから。ねぇ?」


お母さんの視線が莉音とリカさんに向き、無言で何度も首を縦に振る2人。

自分の親に対して言うのもなんだけど、背が高くて巨乳で元クール系な美人なお母さん。

そんなお母さんが含みのある笑みをして、明らかに怒ってるオーラを出してたら…そりゃあビビる。


「特に…リカさんで良いかしら?新しい小春の恋人なんでしょう?少しお話がしたいわ」

「そ、そうなんだ!ぜひ外で話してきてよリカさん!」

「ちょっ!?私のこと売ったね!?」


リカさんの体を押して部屋から出す。

自分よりずっと背の高い大人の女性に見つめられて、完全に蛇に睨まれた蛙なリカさんは大人しくお母さんと一緒に出ていった。


それを見計らって、私はすぐに準備を始める。

何かを察した莉音は持ってきた勉強道具をすぐに片付けると、私と一緒に玄関の靴を回収し…


「「逃げよう!」」


窓を飛び降りて、冒険者の高い身体能力を活かして逃げ出した。

…なお、夕ご飯時になってお母さんが莉音の家にやって来て、私は首根っこを掴まれて強制的に家に帰ることになった。

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