第9話 真なる願いは

*室賀くんの前世の頃のお話です

*時代的には江戸末期を想定しています




 寺子屋でいつもの指導を終え、子ども達を見送っていると母からお使いを頼まれたので、室賀は草履を履いて外に出た。田園地帯を抜け、いわゆる城下町に向かう。

 

 橋を渡れば瓦版屋が威勢の良い声を張っている。その脇を通り過ぎ、馴染みの味噌問屋に顔を出した。

「いやいや、遠いところよくおいでましたな、若」

「……旦那、おれァもう若なんて立場じゃねぇやい、よしておくんな」

「こりゃ失敬、昔のクセで」

 いつものやりとりで一笑いしたところで、室賀は母からの言伝を店主に伝える。店主は頷きながら奥へ行き、風呂敷に包まれたものを差し出してきた。そして室賀の持ってきた風呂敷包みと交換する。

「……いやー高登谷家は安泰ですなぁ。あの若がこんなおっきくなられて、ご立派な兄上方がいらして……うちの息子は遊び呆けてて困りますわぃ」

「……そういやぁ、若旦那はどちらに?」

「最近来た瓦版屋に入れ込んでましてねぇ、すーぐ店を抜け出しちまうんですよ。話が終わるまで帰っちゃあきませんて」

「……うん、確かに面白そうな話っぷりだったわぃな」

 傍らを通り過ぎた時の人だかりを思い出しながら室賀は頷く。店主は大きなため息をつき、息子を見かけたら帰るよう言ってくれ、ともぼやいている。室賀も、見かけたら、と返して店を後にした。


 それから数日後、室賀は再び所用で町に向かった。この日、いつもと違ったのは橋の袂にあの瓦版屋がいないことだ。もちろん彼がいなければ、集まる人々も居らず、賑わっていた場所が急に静まり返ってしまうとなんともいえない不気味さが漂う。

 心なしか、通りに人も少ないような気がしつつ、そのまま馴染みの味噌󠄀問屋を通り過ぎようとすると、店の脇から伸びてきた手によって急に建物の陰に引き込まれてしまった。

「!?」

 室賀は反射的に応戦姿勢を取ったが、手の主が味噌󠄀問屋の若旦那とわかりその拳は緩められた。本気で拳をぶち込まなくて良かった、という安堵をごまかしつつ自分から話しかける。

「……若旦那、急にどうしたっていうんでぃ」

「……いつもの瓦版屋が消えてしまったんだ」

 瓦版屋だけではなく、ここ数日の間で町の何人もが行方不明になっているらしい。

「頼む、一緒に探しておくれ! 他の誰に頼んでも鼻で笑われるばかりで」

 確かに、身内でもなんでもない人間に入れ込んでいるとあれば、誰も本気にはしてくれないのだろう。室賀はややあってため息をひとつ吐いて承諾した。

 さほど広くはない町とはいえ、ひと一人を探すとなればなかなか骨が折れる。しかしどこをどれだけ探しても、道行く人には話を聴いても、瓦版屋を見かけた者すら現れなかった。

 しばらく続けても成果は得られず、二人は川の脇で一休みする。はぁ、やれやれ、と砂利の上に室賀が腰を下ろすと、その隣に若旦那が力なく座った。辺りはだいぶ日が傾いてきている。室賀もこのまま付き合い続けるわけにはいかない。

「……若旦那ァ、とりあえずこの辺で一旦帰りましょうや。もう日が暮れてきてるし、明日改めて」

 奉行所に言えばいいと言いかけたところで、若旦那は突然立ち上がると無言のまま河原を突き進み藪をかき分けていく。慌てて室賀はその後を追いかけた。道なき道を行き、彼は突然立ち止まる。ようやく追いつき、彼と同じ方を見上げた室賀は言葉を失った。目の前の木には首を吊った男が―例の瓦版屋に違いなかった―いたからである。死後、数日ほど経過してると思しき腐敗臭などが急に襲いかかってきた。

「……なんだか、呼ばれた気がして」

 若旦那はそう呟き、膝から崩れ落ちる。若旦那の迎えや死体の通報など室賀は夜遅くまでかけずり回る事になり、結果、家に帰ることができたのも日付が変わる頃合いになってしまった。

 それにどうも身体中にあのなんともいえない現場の臭いが纏わりついている気がして、彼は使った厠も風呂場も井戸周辺も、念入りに清めてから就寝した。


 その日の晩、どうも変な音を聞く。

 最初は外の風が強く、家がきしんでいるのだと思っていた。しかしどうも違うらしい。どこか聞き慣れた音、それはまるで畳の上を歩く足音によく似ている。

 その音は、寝ている室賀の肩くらいの位置から頭の上を通り反対側の肩まで進むと一旦止まり、また同じところを逆に進む。肩から逆の肩まで、行ったり来たりを繰り返していた。


 すたすたすたすた……


 すたすたすたすた……


 そしてもう一つの異変は、仰向けのまま身体が動かないことだ。指の一本すら動かない。それなのに目は開けられそうな気がする。もし、目を開けて『なにか』と目があってしまったらまずいのではないか、いやまさかそんなことはあるまい、と葛藤しながら目だけは開かないよう頑張った。




 翌朝、釈然としないまま起き出し、顔を洗おうと井戸に向かう。しかし井戸は昨晩あれほど清めたというのに、まったく同じ臭いを纏っていた。井戸だけではない、厠も、風呂場も、水回りだけは一向に薄れていなかった。それは何度も清めたところで変わらない。

 そして足音も毎晩、室賀の頭の周辺を歩き続ける。

 さすがに3日も続けば偶然とはいえず、懇意にしている山寺の住職にその話をした。すると彼は、それは困りましたなぁ、と穏やかに笑う。

「…坊、相手にしてはなりませんよ。その瓦版屋が心の底から見つけてくれたお礼を言いたいのかもしれないし、寂しくて道連れを望んでいるかもしれない。どんな理由であっても、住む世界が違うのですから、繋がりを持たせてはなりません」

「……そんな気はしてたでな」

「……初七日法要を過ぎてもまだ坊のところに行くようならまたご報告下さい。対処を考えましょう」

「……まだあと3日もこんな日が続くんかい……」

 足音もだが、一番きついのは臭いだ。水回りでしかも自分だけが薄れないままなのは地味に辛いものがある。

「……嗅覚は記憶と直結しますからねぇ、相手さんも必死なんでしょう」

 油断なされず、と忠告を受け、室賀は山寺を後にした。



 

 住職の言われた通り、初七日を過ぎるとあれだけ濃かった異臭も足音もピタリと止まる。これで水回りにも気にせず近付けるし、夜の足音に不安を駆り立てられなくて済むようになった。

 これで一旦は解決したのだろうと胸を撫で下ろす。



 

 室賀が足音と異臭から解放された同じ日。


 味噌󠄀問屋の若旦那は、蔵で首を吊っていた。

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