第4話 幸せ

 鶴谷が泣き止んで、しばらく軽めの話題で話しているとぐわぉ〜と轟音で腹がなった。恥ずかしさを誤魔化すように「なんか食べる?」と聞くと「サンドウィッチ食べたい」と鶴谷が言ったので一階に取りに行く。

「サンドウィッチ2つお願い」

「はーい」と父さんが答える。カウンターに座ると母さんが近寄ってきた。顔を寄せてきたので首を傾けて耳をかす。

「…恒誠、葵ちゃん大丈夫?」

「え?」

 上でしてた話が聞こえるわけない。なんだ、と不安になって続く言葉を待つ。

「入ってきた時顔色悪かったし体調どうかなと思って」

 話を聞かれていたわけではないと分かりそっと胸を撫で下ろす。同じように声を潜めて返す。

「ああ…たぶん匂いだよ」

「匂い?」

「ちょっと敏感になっとるんやって」

「そっか。無理せんでねって伝えといて」

「了解。てか、平日云々は聞かんのや」

「…恒誠やって同じやんか。あと聞かれても答えちゃだめやろ」

 ウチの親らしい反応にくすりと笑う。

「まあ。広げるもんじゃないしな」

 軽く頷いて母さんがテーブル席の片付けのため離れていく。キッチンを見るとムーミンパパがサンドウィッチを切っているところだった。太い指でパンを軽く抑え、包丁を入れる。サクリ、とグリーンリーフが切れる音がした。紙製のフードパックに入れ、片方の三角に旗をさす。

「はい、サンドウィッチ2つね」

 礼を言ってフードパック二つをムーミンパパから受け取り、2階に上がる。部屋に入ると鶴谷の表情がまるでぱあっと効果音がつきそうなほど晴れやかになる。

「ウチのムーミンパパお手製のサンドウィッチでーす」

「ムーミンパパって」と鶴谷が笑う。

「え、ムーミンパパみたいな体型してない? 父さん」

「そこまで丸くないでしょ。というか、ムーミンじゃなくてパパまでつくのね」

「いちおうパパだから。腕とかは筋肉っぽいけど、歳で腹回りはぽよっとしてんの」

「家族だけが知ってる情報…」

 いただきます、と二人でいってサンドウィッチにかぶりつく。全粒分の硬めのパンにグリーンリーフ、トマト、スライスチーズ、生ハムが挟んである。少し香ばしい匂いが鼻を抜け、生ハムの塩味、トマトの酸味、チーズのクリーミーさをグリーンリーフのほんの少しの苦味が締める。鶴谷が二口目を飲み込んだ後口を開く。

「おいしい。なんかもう懐かしの味で、歳をとったなと感じます」

「そんな年寄りみたいなこと」

「だって何年ぶりよ。その分歳をとってるのは事実じゃん」

「俺たちにとっちゃ、老いじゃなくて成長だけどな…」

「成長…してるかなあ」とつぶやくと「むー」と賛同の音が返ってくる。

 その後こぼさないように二人で黙々と食べ、一息ついたところで口を開く。

「俺の話もいい?」

 うなづいたのを確認して旗を弄びながら話し出す。


***


 進学した高校ちょっと遠くてさ、同じ中学の人誰もいなかったんだよね。やから「友達100人できるかな?」的なノリで、いろんな人に声かけたんだ。そしたら、ほら、俺、人運めっちゃいいからさ、みんないい人で仲良くなれた。まあ、ちょっと合わんなあって人もいたけど、こっちが嫌なことせん限り大丈夫やろって思って仲良くしとった。

 正しくあろう、誠実であろう、愚痴とかに付き合って悪いとこで仲を深めんようにしようと思って…なんか、なんて言えばいいんやろ…。AとBとCと仲良くしようと思ったら、Aと仲良くなるためにB、Cのことも考えた態度をとって、Bと仲良くなるためにC、Aのことも考えた態度をとって、Cと仲良くなるためにA、Bのことも考えた態度をとって…ってなんか、ベン図の真ん中におるみたいなことしてたら、疲れちゃって。今言ってたみたいなことすると、自分だけ制限がかかると言うか、あいつらと仲のいい「恒誠」は俺なのか?ってなって。人と関われば関わるほど、自分って何だってなって。

 「お前ほんといい奴だよな」「裏表なさすぎやろ」って言われて「正しく」「誠実」は達成してる。でも、みんなから見えてる自分と、自分が思う自分とでギャップがある。そして、みんなは上手くやってるけど自分は疲れてる。どうしたもんか、と考えてたら気づいたんだよ。他人優位に行動を考えてること、友達は多ければ多いほどいいって思ってること、それらのために献身的すぎることに。

 中学の時の痛い思い出に縛られたんだと思う。中学の時は部活が同じだった奴と5人ぐらいのグループでいた。5人はプリキュア!って五人一体でいると思ってた。けど、ある日の休み時間…その日は…瀬尾ってやつが休みでさ。

 なんか、対等なようで対等でない関係性って、結構、男女共にあると思うんだけど。あ、分かる?…そー。なんかリーダー格の奴がいて、いじる側にいていい奴といじられる奴がいる、みたいな。頼んでいい奴と頼まれる奴、みたいな?

 俺がいたグループもそうだった。リーダー格に面屋って奴がいて、山内と中野と俺…いじられる奴に瀬尾って感じだった。で、その日、面屋が瀬尾の陰口を言った。俺はそこでやっと面屋は悪意や貶める気持ちがあっていじってるんだと気づいた。顔が良くて、勉強もそこそこできて、女子とも仲がいい勝気な面屋と、顔は普通、勉強は微妙、男同士で狭々とした交流しかしない寡黙な瀬尾。面屋は二つを天秤にかけて、瀬尾は劣っている、自分は優れている、と認識してたんだろ。酷い言い草だった。容姿に仕草に口癖、テストの点数、できなかった問題、隣の席の女子との交流、休んだ理由の妄想…全てをバカにしてた。俺は酷いと分かっていながら、笑ってしまった。

 瀬尾は瀬尾で言われてるだけではなかった。俺や山内なんかと二人きりになると「うざい」「上から目線」「何様だ」「女子からうざがられてるのが分からないのか」と面屋を罵った。

 もう、完全な板挟みだよ。

 そんで、面屋は聞き耳を立てているのか、どこからか流れた情報なのか、瀬尾が自分のことを悪く言っているらしいと知ってた。ほんと怖いわ。「なんて言ってた」と聞いては「怖っ」「心が汚い奴はモテないわー」って言った。いや、ほんと、そのままお返しするよって思った。同じことしてんじゃん、お前も。女子の愚痴聞いて「いや、女子って怖いわ〜」って。お前も一緒じゃん。怖いのは女子だけじゃねえっつの。

 お口が悪うございましたな。ごめん!

 自分のこと棚に上げて、人のことを悪く言って、被害者ぶる最悪な奴。けど、何を思ったか、そん時の俺は面屋に情報を売って信頼を買ってた。

「また瀬尾があんなこと言ってた」「まじ?ほんと嫌な奴だわ。斉藤は味方だよな?」「当たり前だろ。てか、あいつ数学46点だったんだけど」「バカじゃん」「しかも、基礎問題から間違えてんの」「まじで?悪口言ってねーで勉強しろや。要領悪いんだからさ」「それな」って具合に。俺は事実を言うだけ言って、面屋が罵る。面屋に罵詈雑言を言わせるために煽ってるようなもんだった。

 さっきの「お前も一緒じゃん」が自分に返ってきた。

 いや、ほんとバカだった。でも、見下ろして人がいるのは気持ちがいいのも分かる。自分より下がいる。まだ自分はやばくない。自分は上にいる。って思える。上にどんだけ人がいようと。

 てか、上下の基準も中学校の中でしか通用しないのによく調子乗れたよなと思う。勉強、運動の成績も、交友範囲も箱庭みたいな狭い空間で自分の立ち位置を示してるだけで、優劣じゃないのに。選択肢が多いか否かについては優劣かもしれないけど、少なくとも人間性や能力の優劣じゃない。

 自分が黒く染まっていることに気がついた。三年間罵り合いは続いたけど、クラスが離れたのをいいことに距離を置き、卒業と同時に縁を切った。そのために遠めの高校を選んだってわけ。

 でも、こんな中学時代だったから高校では同じことにはならないようにと思って頑張りすぎたんだな。だから早めに力を抜いた。と思ってたけど、結構疲れてたみたいで、月一ぐらいで休んでたのが、週一になって、毎日になった。

 でも、悪い気はしなかった。LINEで数人とは連絡できたし。顔色窺わなくていいのは楽だった。

 

 こうなるまで恵まれる幸せを履き違えてたんだと思う。汚れてまで手にする人間関係も違う。自己犠牲の上しか成り立たない沢山の交友も違う。深度や数で欲しがるんじゃなくて、手の届く範囲の必要分の幸せが今のモットー。


***


「ねえ鶴谷覚えてる?」

 唐突にそう切り出すと、鶴谷が首を傾げる。頬を覆ったショートカットの髪を耳にかける。

「小学校の時、俺といつも一緒にいることを友達に『斉藤のことどう思ってるの?』って聞かれたことあったやろ?」

「うん」

「なんて答えたか覚えとる?」

「……好きだよって」

「え、それってlove?like?」

と当時の女子の口調を真似る。仕方ないなあ、と鶴谷が深く息をつく。

「needだよ」

「…俺の原点。ただ欲しがるんじゃなくて,必要だから求めることにした」

「…」

「俺も好きだよ、鶴谷」

 と言うと、鶴谷が口をぎゅっと閉じて目を細めた。滲んでいたのは不機嫌ではなく、照れだった。

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