第3話 甘え

 切り替えができなかった自分のせいでもあるの。

 実は今通ってる学校、第一志望じゃなくてさ。本当の第一志望は公立高校だった。驕りと見栄で決めたようなもんだから、それは落ちるよなあ、って今なら思えるけど。中学ではそこそこ勉強ができたから、県内トップもいけるだろうって。どうしても姉と同じところに通いたくなかったから、一個下のレベルに下げるのも嫌で。調子に乗って受験勉強をなあなあにしちゃって、案の定落ちるっていう。試験の時点で、これはダメだなって分かってたから、落ちたことには大きなショックは受けなかった。けど公立落ちたってことは、私立に行かなくちゃいけなくなるわけで。

 私立はレベル的には県内私立の中ではトップ、スポーツの名門校って感じの学校で。恒誠もなんとなく分かるよね…そうそう、その学校。

 私、私立への先入観が凄すぎてほんとに嫌だったの。お坊ちゃん、お嬢様ばっかりで、プライドが高くて、規範意識がなくて、先生たちも卒業生ばっかで閉鎖的って思ってた。

 まあ…あながち間違いじゃなかったんだけど。

 学校始まって、勉強はついていけた。友達関係も同じ中学、同じ境遇の人がいたから、その人たちと一緒にいるって感じでなんとか。

 問題だったのが、その他のお坊ちゃん、お嬢様たちと先生。お坊ちゃんお嬢様軍団はいっつも一緒に屯してて、文句愚痴ばっかでっかい声で言って、聞いてるこっちの気分を害す人たちで。なぜかお頭は良くできてるみたいで、できない人のことを馬鹿にして笑って、笑えるいじりで済ませようとしてて。で、先生も先生で、できない人を圧迫して、ダメ出しばっかしてさ。「なんでこんなのも分からないの」って言った先生もいたな。努力してもできないなら、あんたらの教え方が悪いか、勉強方法の個別アドバイスをするなりして、取りこぼさないよう、バックアップすべきだと思うんだけど。みんなの前で「勉強が足りない」「補習なの君だけだ」って言うだけ。教育者としても、人間としても、どうかしてると思う。

 私は直接その扱いを受けたわけじゃないけど、気分悪くて。だんだん音が受け付けなくなった。教室でのいろんな声を聞くたび耳の奥がぴりぴりして、警鐘を鳴らしてるみたいな、聴覚過敏?ぽくなっちゃって。

 それだけじゃなくて、毎日怯えて学校に行ってた。「明日は我が身」みたいな。間違いを犯したら、もう終わりだ。馬鹿にされて過ごさなくちゃいけない。それだけは嫌だって。それが勉強のやる気の着火剤になればよかったんだけど-いや、まあ、少しはなったけど。強迫観念が強すぎて、体調不良に陥りまして。朝起きれない、喉が詰まって声が出しにくい、腹痛に頭痛、吐き気、食欲減退、夜寝れない…。で、聴覚、嗅覚が過敏になるといった具合でして。

 なんか、思い出すだけでお腹痛くなってきた。

 で、めんどくさいから省くけど、そんな中、友達ともうまくいかなくなって。

 別に一人でいることは嫌じゃないって言うか、むしろ好きなんだけど。集団の中で独り、って非常に不安でね。日々の鬱憤を共有する人がいなくなって。ある朝、いつも通り支度をしてたら涙が出てきて、止まらなくなった。でも休んだら置いてかれる。できなくなったら馬鹿にされる。ってどうにか自分を追い込んで学校に行った。それが連日続いた。その時点で療養?してればこうはならなかったんだろうなと思う。こころはとっくにSOSを出していたのに無視をした。

 でも限界が来た。朝起きれなくてああ遅刻だと思っていたら、また涙が出て。泣き止めなかった。泣き止もうとすればするほど、駄々をこねるように涙が溢れた。その日初めて学校を休んだ。

 休めば嫌いな人たちと会わずに、平穏に過ごせると思ったんだけど…。

 次は罪悪感で涙が出た。なんで、こんなことで休んでしまったんだ。みんなは頑張っているのに一人だけ苦しんでいるポーズをとって。そんなの甘えだ、逃げてるだけだって。

 一度休んでしまったら、ハードルが少し下がっちゃって。そうやって、ぽつぽつと休むようになった。案の定、勉強も遅れた。友人との関係修復も億劫になった。もういいや、ってなったのはいつだったか忘れちゃったけど、ずるずると学校へ行かなくなる日が長引いた。母も心配して話を聞いてくれたけど、なんか、言えば言うほど、思ってるのと違うっていうか、こういうので苦しんでる人ってこう言うこと言うよね、の話をしちゃって。変な心配かけるぐらいなら、言わないでおこうと思って。

 見事、八方塞がり〜て感じだよね。

 死にたくなっちゃった。他人のことも、先生のことも、勉強のことも、将来のことも、何も気にしなくてよくなるし。何もしていなくても、自分を責めずに済むし、他人からも咎められなくて済むし。

 いろいろやった。アームカット、オーバードーズ、その他自傷-。

 あー、待って。ここまで言うつもりなかった。

 ごめん、引いたでしょ。そんな顔しないで。もうこの辺でやめるから。四六時中思ってるわけじゃないし。もう死にたいとは思ってないし。

 

 下で水分もらってこようかな。え、行ってくれるの。そっか、気まずいもんね〜。ごめんて。うん、じゃあお願いします。


***


 お盆に二つのマグを乗せて恒誠が戻ってくる。先ほどの暗い顔はしていない。まずかったな。本当にそこまで言う気はなかったのに。ごめんって言ったらまた怒りそうだ。

「飲み物、ありがとう」

「全然。ミルクティーでよかった?」

 なんでもないように恒誠がいう。うなづいて返す。嘘が下手なのか、ただ長い付き合いでわかってしまうのか、恒誠は傷つくと穏やかになる。相手を刺激しないようにすることが身についている。親切なのか、難儀なのか判らない。

「言わないでって言われても謝らせて、恒誠も葛藤の渦中にいるのに辛い話を聞かせてごめん」

 そう謝ると恒誠が溜息をついた。ただそれは私を責めるものではなく、全く困ったなあみたいな、わざとらしいものだった。

「いいの。こころのままに喋れた?」

 そういえば、そうだ。そうじゃなくって、とは思わなかった。

「それならいいの。鶴谷はこころと口の距離が遠いんやろうな」

「…こころと口の距離?」

 そう繰り返すと、恒誠が照れくさそうにはにかむ。

「思ったことを口に出すまでっていくつか段階があると思ってて。見たり聞いたりした言葉を頭で処理する。こころの中であーなんかあれやなあって感じる。それでまた頭で合うまたは近い言葉を探す。言うべきか考える。そうしてようやく口に出す」

「…」

「鶴谷は多分、一つ一つの段階にしっかり時間をかけとるんじゃない?」

 ってめっちゃ語ってて恥ずいわ、と恒誠が笑いながら顔を背ける。耳が少し赤い。饒舌さから見て、ずっと温めていた考えなんだろう。いざ披露するとなって恥ずかしいのか。

「や、結構、腑に落ちてる。確かに頭で喋ってるかも」

「頭で喋る…?」

「あの〜、よく頭で考えて喋るからさ。逆に思ったまま口に出すのを口で喋るって思ったりしたり、なんか、あは」

 いいかもそれ、と真剣な顔をして言う。いいかもそれ、と頭で繰り返す。この関係性が。この語彙で通じるフィーリングが、いいかも。

「あと、鶴谷は甘えてる、逃げてるって言っとったけど、俺はそうは思わん」

 マグに口をつけかけていた顔をあげ、まじまじと正面にある顔を見る。

「それだけのことを繊細に受け止めたら辛くなるのは当然やって。休むのも辛いのは続けることをやめたくないからやろうし。でも休んで回復しなくちゃ、続けられない。だから諦めないための逃げは甘えじゃない」

 目が熱い。視界が揺らいで思わず下を向くとワイドパンツの太ももに生ぬるい雫が滴った。ぽつ、ぽつ、と続けざまに落ちていく。ただ、いつもと違って泣いても泣いてもこころは空にならず、むしろポカポカとしたあたたかいもので満たされていく。

「死にたいって思ってるのも悪いことって思っとるでしょ……俺にはHELPに聞こえる」

「…」

「もっとぶつかって来てよ。さっきみたいに、言いたいこと全部」

 恒誠が隣に来て、背中の、ちょうど心臓-こころの後ろあたりを優しくさする。

「ねえ鶴谷。鶴谷はひとりじゃないよ」


 目一杯泣いた。止まるまで。止めようとはしなかった。あたたかくて、心地よくて、さらに涙が出た。私が泣き止むまで、恒誠は隣にいてくれた。無理に言葉を発しようとはしなかった。いらないとさえ思った。

 涙が止まり、ぬるいミルクティーをすする。


 恒誠、次は私があなたを支えるよ。



 

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