第5話(上)一人より二人

「ゴー(仏像)さん、夕食はうちで食べましょうよ。鶏モモと大根の煮物にひじきご飯で良ければ」

 部活を終えて横浜駅で電車を降りた松尾と仏像。片手を上げて西口方面へ向かおうとする仏像に、松尾が声を掛けた。


「松尾は毎日忙しいだろ。夕飯はいつも適当にやっているから気にするな。俺がボッチ飯だからって気を遣わなくて大丈夫だ」

「僕も千景さんが遅番なので今日はボッチ飯。ボッチ飯は嫌いです。まだ夕食の準備をしていないなら、僕と一緒に食べてくださいお願いします」

「だったら行くわ。けどな、この間お前が家出した時に、千景ちかげ先生から三万円を預かったんだよ。それなのに」

「えっ、何で」

「松尾が家に来た時のためにって。だからと言って家出をする許可が出たって話じゃねえからな」

 松尾と並んで歩きながら、仏像が言いにくそうに打ち明けた。


 

「ひじきご飯が炊けるまでシャワーを浴びています。ゴーさんも使うなら先にどうぞ」

「いや、大丈夫。準備しておく事はあるか」

「後は圧力鍋と炊飯器任せですから何も」

 松尾の下宿(千景宅)のリビングにほったらかしにされた仏像は、確率の問題を無心で解き始める。

 濡れ髪にタオルを引っかけて眼鏡を外した松尾がリビングに戻ってくると、仏像はぎょっとして時計を見た。

「もっと速いペースで解かなけりゃ」

 仏像は予想以上に解答ペースが遅い事を嘆きながら、再び問題集に向き合う。

 湯気の向こうに浮かぶ真剣な表情を見ながら、松尾は静かに二人分のコーヒーを注いだ。


「ダメだ。餌並みに早く解けるようにならないと」

 ピーピーと音を立てる炊飯器に目をやった仏像は、嘆きながら参考書を閉じた。

「餌さんってそんなにすごいのですか」

「脳構造からして全く違う。世界のエリート中のエリートが集まる大学に進むなら、それぐらいじゃ無ければ務まらないだろうが」

「シンガポールの大学が第一志望でしたっけ。えささんは作曲家に例えるならモーツァルトっぽいです。いかにも天才タイプ」

「アイツをモーツァルトに例えた奴は初めてだ。でも、何となく言いたい事は分かる」

 西洋音楽史に燦然と輝く早熟の天才・モーツァルト。

 一度聞いただけの音楽を細部に至るまで完全に再現し、人と話しながらでも作曲をする。そして天上の音楽をダウンロード再生するかのような多産ぶり。下ネタ大好きで落ち着きの無い所までそっくりだ――。

 仏像は何度も小さくうなずくと、問題集をカバンにしまった。



 一方こちらは三元とシャモ。

「時坊お帰り。あれ若旦那(シャモ)も一緒かい。そんなしけた顔して一体どうした」

 各駅停車から降りたシャモがいつになく深刻な顔で『味の芝浜』ののれんをくぐると、三元の祖母であるみつるが店奥から顔を出した。


「『ゆんゆん』のバックナンバーを見せてくれだって?」

 今まで一度もオカルト雑誌の大御所である『ゆんゆん』に興味を示さなかった高校生が急にバックナンバーまで読みたがるとは。

 何か変な物でも食べたのではと、みつるはしげしげとシャモの顔を見た。


「どうしても急いで調べたい事が。ネット検索だとそれらしき記事が出てこなくて、『ゆんゆん』ならもしかしてと思って」

 ネットで探しても無い情報が『ゆんゆん』に書いてあるものか。

 とは言え、見せてやらない理由もない。

「とりあえず晩飯はうちで食ってきな。いくらでも『ゆんゆん』を見ていいから、そんな貧乏神を背負い込んだような顔をするんじゃないよ」

 みつるは座敷に三元とシャモを通すと、カラーボックスの目隠しを取り去った。

 そこには過去十年分以上の『ゆんゆん』バックナンバーが整然と並べられていた。


門外不出もんがいふしゅつ、究極の操心術そうしんじゅつがついに解禁。その名も梵字天地陣投射法ぼんじてんちじんとうしゃほう


 『ゆんゆん』を猛スピードでめくっていくシャモの手が、ぴたりと止まった。

「お前の腕についてたのと同じマークだ。『キリーク』だっけ。仏像に記事を送ってみよう」

 三元は『ゆんゆん』の記事を撮影して仏像にメッセージを送るも既読すらつかない。その間にもシャモは『ゆんゆん』で情報を掘っていく。


「俺の腕についていた『キリーク』は阿弥陀如来あみだにょらいの象徴だって書いてある」

「だったらむしろ縁起が良いじゃねえか。それにそんなインチキ臭いシールを左腕に張られたところで、丸二日以上も記憶が飛ぶわきゃない」

 シャモの二の腕に張り付いた『キリーク』の梵字シール。シャモはそのシールのせいで自分の記憶が飛ぶのではないかと疑っている。


「俺はしほりちゃんと付き合う経緯すら覚えてない。シールを貼られる前は、そんなに記憶が飛ぶ事なんて一回たりともねえ」

 シャモの発言に、チェック済みの『ゆんゆん』を回収する三元の手が止まる。

「松田君はシャモのデート現場を見たんだよな。松田君に詳しい事情を聞いてみるとするか」

「頼む三元さんげん! それだけは止めてくれ」

 スマホを手にした三元にシャモがすがりつく。

 『駐輪場事案ちゅうりんじょうじあん』については、三元にすら知られたくないシャモであった。

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