第38話『目覚めてしまった気持ち』


 帝兎月より事実を突きつけられた白は耐え切れず逃げ出した。


 しばらくは走っていたが、やがて疲れもあり、今は放心した状態で歩き続けている。頭の中には先程のやり取りが彼の脳内で駆け巡る。


『朱奈……どうして僕を選んでくれなかったんだっ』


 朱奈のことが好きだった。

 たしかに彼女の言う通り学年が上がってからは自分の前の席へ座る氷音碧依に目を奪われ、彼女に執着した事実もある。

 しかし彼の心の中にはいつだって朱奈が居た。


 ――幼馴染だから毎日起こしに来てくれる。

 ――幼馴染だから毎日料理を作ってくれる。

 ――幼馴染……いや、僕のことが好きだから彼女はいつだって傍にいてくれる。


 気づけば幼馴染という単語が『僕のことが好きだから』にすり替わっていた。いや、すり替えていた。

 彼はそう思い込むことで朱奈と自分は将来結ばれる未来を送るのだろうと確信していた。


 ――わざわざ言葉で伝えなくても大丈夫。

 ――朱奈は僕のことを理解してくれている、結ばれ合っているんだから。


 勝手な思い込みで知らずのうちに朱奈を傷つけていることさえ気づかずに。


 順風満帆な日々を送っていると思い込んでいた最中、一人の男が現れた。


 帝兎月。


 誰とでも打ち解けやすい、明るい性格。

 彼の周囲は常に笑顔があった。


 自分とは大違いな存在だと。


 彼のことはいちクラスメイトとして付き合ってはいたが好きではなかった。

 

 彼を陽とすれば自分は間違いなく陰。

 眩しくて羨ましかった。


 そんな彼に大好きな朱奈を奪われた。

 自分が目を付けていた氷音碧依も。

 ましてや妹である翠まで。


「クソっ、帝の奴絶対に許さない……っ」


 殺意とも思える感情が彼の中に芽生えてくる。これ程までに人を殺してやりたいと思ったことは初めてだ。


「ふ、ふふふ……っ」


 今の自分ならやれる、憎きあの男を殺して朱奈を取り返す。

 そう思考が向いていた時だった。


「あれ、お兄ちゃん」


 自分へと声がかかる。

 声を掛けてきた人物は――翠、白の妹である。


「翠、どうしてここに……」

「それはこっちの台詞です、こんな所一人でとぼとぼ歩いてどうしたんですか?」

「そ、それは……」


 ――朱奈にこっぴどく振られたから。


 そんなこと言えるがわけなかった。しかも彼女がお姉ちゃんと慕う女の子のことである。


「ぼ、僕のことはいいだろっ、それよりも翠は何してるんだこんなところで」

「私は友達とお祭りを楽しんでる最中です」


 友達と言われるとたしかに隣に人がいた。

 

 ――本当に友達と来ていたのか……。


 翠と喧嘩したあの日、一方的に帝と行くものだと思っていたのが、彼女は本当のことを言っていた。

 妹を疑ったことの申し訳なさで気まずくなり、白は目を背けるようにして隣の女の子へと目を向ける。


 

 そこには絶世の美少女がいた。


「す、翠……こ、この子は……?」

「私の友達のユリさん。ひとつ上だからお兄ちゃんと同い年です」


 上から下まで、まじまじと彼女を見やる。


 長い黒髪が柔らかく風に揺れ、シンプルだが品のある服装をしている。

 彼女の肌は透き通るように白く、その穏やかな笑顔に白は無意識に目を奪われた。


「こんにちは、ユリって言います」

「こ、こんにちは……っ、む、むじきっは、くですっ、妹がお世話になってます!」


 上手く言葉が回らない、噛みまくりでしかも最後は捲くし立てるように言ってしまった。

 やってしまったと白は顔を赤くする。


 しかし彼女――ユリはそんな白に対して表情を崩さず笑顔で見つめ続ける。


『な、なんだこの女の子は……っ、どうしてこんなにも胸がときめいてしまうんだっ!』


 白は心の中で混乱していた。朱奈に振られたばかりなのに、目の前にいるユリという女性に対して、なぜか胸が高鳴るのを感じていた。


「翠ちゃんからお兄さんのこと少しだけ聞いてるよ。今日はなんだか元気がないみたいだね……」


 その言葉に彼は胸の中がざわついた。

 自分の不安や痛みを知られているような感覚に、一瞬身を引きそうになる。

 しかし、ユリの声には強い押し付けもなく、ただ彼を包み込むような優しさがあるように白は感じていた。


「……まあ、いろいろあって……」


 言葉を詰まらせた白は、なんとか表情を隠しながら答える。

 だが、ユリの静かな目線は、彼の弱さや悲しみをそっと受け止めているように感じられた。


『いいぞ、そのまま今度はそっと無地来の傍に寄り添ってやれ』

『……っ!』


 鬘で隠された耳元のインカムから声が流れる。ヒロシから指示がユーリへと送られているのだ。

 ユリ(ユーリ)はヒロシの指示に一瞬苦虫を噛み潰したような顔に変化したが、何か色々と思い浸っている無地来の目には入っていなかった。


 ユリは嫌々ながらも表情を隠し、白の隣へそっと寄り添い肩に軽く手を置いた。その手の温もりが白の心へと静かに染み渡る。


 白はふと、朱奈との思い出が頭をよぎり、再び胸の奥が締めつけられるような感覚に襲われたが、ユリの存在がその痛みを少しだけ和らげてくれるのを感じた。


「無理に強がらなくていいんだよ。辛いときは、声に出していいんだから」


 ユリの優しい声が、白の耳に心地よく響く。

 彼は何も言わずただその言葉に耳を傾けていた。


 いつの間にか涙が少しだけ滲んでいたことに気づき、白は自分でも驚いた。


「……ありがとう。君、優しいんだね」


 ユリはにっこりと微笑みながら少し顔を下に向ける。下に向いた表情は『もう勘弁して』といった想いが滲み出ている。しかし『ダメだ、前を向け』の指示によって顔を上げざるを得なかった。ソーマが後ろでゲラゲラと笑っているのが耳に入った。


『あいつら絶対に殺す』


 ユーリは密かに決意をした。


 一方で白はユリの笑顔に、再び胸の奥がドキドキと高鳴る。

 それが朱奈に対する未練から来ているのか……ユリ自身に対する感情なのか、自分でもわからなかった。


 両者で複雑な思いが交差する中、翠がふと声を上げた。スマホを見て、何かに気づいたようだ。


「ユリ先輩ごめんなさい、ウサ先輩が近くにいるみたいだからちょっと行ってきてもいいですか?」

「うん、大丈夫だよ。いってらっしゃい」

「すぐ戻りますっ」


 翠はその場を離れていった。もちろんこれもヒロシの指示である。


 翠が去った後、白とユリはしばらく無言でその場に立っていた。

 ユリから『少し座らない?』と提案があり二人でベンチへと腰掛ける。


 祭りの喧騒から離れた広場は人影もまばら。

 子供たちが近くで笑いあっている声も聞こえ、花火を楽しんでいる様子も伺える。


 静かな空間で白は収まったはずの憎しみが湧き上がった。

 翠が兎月の名前を出したことで再び彼に対する負の感情が再燃したのである。

 

 どうしても抑えきれなかった。彼の心の中には、朱奈を奪った兎月に対する怒りと憎しみが強く膨れ上がっていた。


 突然白は拳を握りしめ、低い声で呟いた。


「なんで帝なんだ……、僕はずっと朱奈のことが好きだったのに……なんで、あいつが朱奈をっ!」


 その言葉に、ユリは心の中で『自分の行いのせいじゃない?』と呆れた感情を抱いたが、すぐにヒロシによる指示で表情を戻す。心の中で舌打ちを付け加えて。

 

 その間も白はこれまで抑えてきた感情が一気に溢れ出し、怒りを込めて続けた。


「帝さえ……あいつさえいなければ僕は今も、これからも、ずっと朱奈と一緒にいられたんだっ!」


 白は堪えきれず、拳を強く握りしめたまま震えていた。彼の瞳には、抑えきれない怒りが滲んでいる。

 そんな白を、ユリはそっと見守り続け、何も言わずにその言葉を受け止めていた。


 いや『何言ってんのこいつ』と呆れ返っていただけかもしれない。


「あいつが全部悪いんだ。僕は朱奈と一緒に居るためにずっと努力してきたんだ。それなのに、なんであいつなんだよ……っ」


 白の声は震え、感情が爆発しそうだった。一方のユリは『なにかやってたっけ?』とピンとも来ていない。インカム越しではソーマも同じような感想を抱き『あいつなんかしてたか?』と声を出すと碧依から『わたしのおっぱい見てた以外知らない』と会話が繰り広げられる。


 しかし、白自身は今にも泣きだしそうな表情でグッと拳を握り締めている。

 非常に気乗りしないがヒロシから『慰めてやれ』と指示が入り、ユリは白のその気持ちを理解したとして、静かに、優しく話しかけた。


「君の悲しい気持ちが凄く伝わったよ(伝わらないなぁ)。好きな子のために頑張ってきたんだよね。それが報われなかった時、どんなに辛いか……。でも、あなたがどれだけ努力したか、誰よりもよく知っている人もいると思うよ(いないと思うよ)」


 ユリの言葉は白の心に真っ直ぐと響いた。

 彼女の声は優しく、まるで白の痛みを全て受け入れているかのようだった。


「……でも、朱奈があいつを選んだんだ。僕じゃなかったんだ……」


 ぽたぽたと白の目から涙が零れる。すかさずヒロシから『手を添えてやれ』と指示が飛ぶ。

 心の中で舌打ちを混ぜユリは白の手に軽く触れた。


 白の手は震えていたが、その震えを感じながらさらに優しく囁く。


「それがどれだけ辛いか……分かるよ(分からないな)。でも、あなたの気持ちは消えるわけじゃないし、無駄になったわけでもない(無駄になったんだし)。それだけ誰かを大切に思えるあなたは素敵だと思う(早く諦めなよ)」


 白は少しの間言葉を失いユリを見つめた。

 彼の心の中にあった兎月への憎しみが少しずつ和らいでいくのを感じた。

 ユリがただ白の言葉を否定せず、受け止めてくれたことで、彼は少しだけ肩の力が抜け、深い息を吐いた。


「……ありがとう。今、誰かに話を聞いてもらえて、少し楽になった気がする……」


 ユリは微笑み、白の手をそっと握り返した。


 その優しさ溢れる行動に白の胸はまたも高鳴る。

 なぜこんなにも彼女に対して胸がドキドキするのだろうか、まるで幼い頃朱奈と結婚する約束を交わした時みたいに。


『あぁ……そうか』


 ――これは……恋だ。


 白はこの感情を真摯に受け止めた。

 初恋は実らなかった。でも初恋は報われないという言葉もある。


 ――今度こそ僕の恋を成就させよう。また手遅れとなる前に伝えるんだ。


「ユリさん、僕は君のこと――っ」

「佐貫川君!」


 突如声があがった。

 目を向けるとそこには一人の男子がいた。


 ――彼は確か実行委員の相川君?


 なぜ彼がここに、と疑問が募る。

 いや、それよりも彼は今何といった?


 白が信じられないといった想いで隣を見やる。

 隣の少女のユリは……不自然な程汗をかいていた。


 その間にも相川はこちらへ距離を詰めてくる。


「佐貫川君、どうしてここに? しかもその姿とっても素敵だ!」

「いや、あの……」

「あぁ、君はやっぱり僕の運命の人なんだ! この間のデートも一生忘れられない思い出になったよ!」

「ど、どういうことなんだい……、佐貫川君って……?」


 疑問を投げかけられた相川はさも当然といった様子で。


「隣にいるのは佐貫川唯莉君だよ、君も同じクラスだろう?」

「え、ええぇーっ!?」


 白の絶叫が公園内に木霊した。

 鳥たちは一斉に枝から飛び立ち、羽音が空に響く。


 鳥たちが飛び去った後、その場には静寂が流れた。


 そして――。


『とりあえず逃げておけ』

「ヒロシっ、家帰ったらパソコン叩き割るからねっ!」

「あぁ、まってくれ佐貫川君!」


 渦中の少女……いや少年は逃げるようにその場を去っていった。

 相川も彼の姿を追い公園から去っていく。


 一人取り残される白。


「なんだ……この気持ちは、彼は男なのに……っ、彼のことが頭から離れないっ……、う、うわあぁぁっ!?」


 作戦はある意味大成功していた。



――

〇作者より

 あと2話で完結となります!

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