第37話『初恋の終わり』


「よう無地来」


 叫び声をあげて倒れこんだ無地来を相手に、原作の俺を意識した笑みを浮かべて奴に声を掛ける。


 無地来はそれを見て歯を噛みしめ、血走った眼を向けながら――。


「……帝ぉっ!」


 腕を振り上げて殴りかかって来た。

 隣にいる朱奈の息を呑む音が聞こえるが、俺は冷静に無地来の拳を手で受け止める。

 

「おい、急に殴りかかる奴がいるかよ」

「よくも……っ、よくも僕の朱奈をっ!」


 感情的に言っている所悪いんだが、いつ朱奈はお前のモノになったんだ。

 

 たしかに恋人まで秒読みだったのは事実だが――そのチャンスを手放したのは他ならぬお前だろう。


 俺を殴ろうと必死な無地来の拳を躱し、またも奴は地面へ倒れこむ。

 そんな彼を俺は冷めた目で見ていた。


 地面に倒れ『うっ……うぅっ……』と呻き声をあげる無地来を見て、冷静に朱奈は声を上げた。

 

「待ってよ……私は白のモノになった覚えなんてないよ」


 俺と同じようなことを思っていたらしく、彼へと直接言葉を伝える。

 その言葉に、無地来がギリッと歯を噛みしめ――朱奈を睨みつけた。

 

「僕と君は将来を誓い合ったじゃないか!」

「……それって子供の頃の約束じゃない」

「子供の頃だからなんだって言うんだ! 僕はあの約束をずっと覚えていて……っ」


 なおも無地来が朱奈を睨みつける。

 今まで無地来から自身へと強い敵意をぶつけられる機会もなかっただろう。

 戸惑った様子をみせたが、それでも彼女は気丈に淡々と話を続けた。


「白だって、2年生になってから碧依にばかり話しかけて夢中になってたりしたじゃない!」

「そ、そんなの……っ、僕はただ孤立してる彼女を気に掛けて……っ」

『ずっとおっぱいだけ見てた』

『言ってやるなって』


 アオとソーマの会話が繰り広げられる。朱奈も同じようなことを無地来へと伝え、彼は少したじろいだ。


「そ、それでも僕は朱奈の事……っ」

「だったら……どうしてもっと態度に出してくれなかったの?」


 朱奈の声はわずかに震えていた。表面上は冷静を装っているように見えたが、その瞳には抑えきれない感情が浮かんでいる。

 

「だ、だって僕と君は通じ合ってると……、そもそも朱奈は僕の事なんでもわかってるだろう! 僕が朝起きるのが苦手なのも、好みの味付けも。君は僕のこと何でも知ってるじゃないか! なのにどうして僕の気持ちだけわかってくれなかったんだ!」


 まるで自分は悪くない、理解していない朱奈がおかしいとでも言いたげな無地来の言い訳に俺は内心イラつきの感情が抑えられなかった。


 ――言葉に出さず、相手に理解してもらおうだなんてふざけたことを言うな。

 ――それが好きな女の子ならば特にな。


 俺が何かを言おうと口を開きかけた時、朱奈の姿が目に入る。

 何かを言いたいが決意が出ない。そんな様子が伺えた。


「朱奈」

「ウサくん……?」


 そっと彼女の肩に手を置き名前を呼ぶ、そのやりとりが無地来の苛立ちを更に高めている。

 だが奴の存在を一旦は無視して朱奈へと声を掛ける。


「言っちまえ、朱奈の抱えてる想いを全部吐き出しちゃえ」

「でも……っ」

「大丈夫だ、ここで俺と無地来もだけど、朱奈、君もアイツと決着をつけなきゃいけないんだ」

「私が……?」


 いったいどういうことなの、と言いたげな様子であったが俺は静かに頷く。

 やがて彼女は意を決したように顔を無地来へと向けた。

 

「……わかんないよ」


 静かに首を振って朱奈は言う、今までの溜まっていた想いを吐き出すように。


「わかんないよ白の気持ちなんて。だって白は毎日起こしてもありがとうも何も言ってくれなかった。日によっては『毎日うるさいなぁ』なんて言ってたでしょ、料理だって『味が薄いなぁ、おばあちゃんみたいだよ』っていつも言ってた。白との約束はもちろん私も覚えてた、だけどっ! あなたが今も昔のように私のことを好きかなんてわからなかった! まったくわからなかったんだよ……っ」


 朱奈の告白に呆然とした表情をみせる無地来、しかし朱奈の想いは止まらない。


「白の事、私は本当に好きだった。でも2年生になってから白は碧依にばっかり話しかけるようになって、私の事なんてただの口うるさい幼馴染にしか思ってないんじゃないかなって思うようになった……っ」


 みるみると無地来に表情が絶望へと変わっていく。

 それはまるで初めて失ったものの大切さに気付いたこと、己が何を間違っていたのかに気付いたかのように。

 

「そ、そんな僕はそんなつもりじゃ……」

「でもそんな時に傍に居てくれたのはウサくんだった」


 朱奈が『ウサくん』と呼んだことで、無地来は絶望へと染まった顔から再び俺へと憎しみの込めた顔へと変化させる。


「白が離れていっちゃった時ににウサくんが傍に寄り添ってくれた。白、女の子ってね、自分が寂しい時、辛い時に傍にいてくれる人にときめいちゃうんだよ。私気付いたらウサくんを見てた、ずっとウサくんのこと考えてた。ウサくんはね私の料理をいつも褒めてくれるの、私が困ってる時もちゃんと話を聞いてくれるの。……好きになるに決まってるよ」


 朱奈は頬を赤く染め俺を見上げた。その様はまさに恋する女の子だ。


「だから私ウサくんが大好きなの、心からこの人の事を愛しているの。白とは幼馴染以上の関係にはなれません。ごめんなさい」


 はっきりと拒絶の意思をみせる朱奈、そんな彼女に対して無地来は――。


「う、嘘だっ嘘だ嘘だ嘘だっ! 僕と朱奈は結婚するんだ! どうして横から出てきたお前がっ!」

「白、だからそれは……」

「僕が先に彼女のことを好きになったんだっ! 僕が先に彼女と愛を誓い合ったんだっ! それなのに……っ、帝おぉっ!」


 大声を上げ迫りくる無地来、朱奈は止めようと前に出ようとするが――手で制した。


 そのまま右腕を振りかぶる無地来を――今度は止めずに奴の右ストレートを顔に受ける。


「っつう……」

「あ、あぁ……」


 まさか俺がそのまま素直に受けるとは思わなかったのだろう。殴った張本人だというのに無地来は戸惑ったような顔をしている。


「全然痛くねぇよ……」

「な、なんだと!?」


 殴られた頬は確かに痛みを訴えている。

 だけど、この感覚は俺にとって痛みだと認識をすることはない――してはいけない。

 

「お前の拳なんて全然痛くねぇ、弱すぎてびっくりしちまうぜ」

「な……っ」


 朱奈が受けた痛み――。

 彼女が本当に想っていた相手に、裏切られた気持ちの痛みに比べればこんなの痛いわけがなかった。

 

「お前が朱奈を想ってた気持ちなんざ所詮その程度だってことだ!」

「う、うわあぁぁっ!?」


 再び腕を振りかぶり殴る、それも1発ではなく2発、3発と。人をサンドバッグのように何度もパンチを入れてくる。


 けれども――。


「全く痛くねぇ……、こんなの朱奈の心の痛みに比べればなんにも感じねぇ」

「う、うぅぅっ」


 口の中を切ったのだろう、吐いた唾には赤色が混じっていて、鉄の味がする。

 

 無地来は息を切らして項垂れるようにし俺を睨む。

 そんな奴の目を見てハッキリと告げる。


「お前じゃ無理だ、諦めろ――お前じゃ朱奈を幸せに出来ない」

「――っ、うわあぁぁっ!」


 叫び声をあげ無地来は走って行った。


「ふぅ……」

「う、ウサくんっ、大丈夫っ!? 血が出てるよ……っ」


 一息吐いた俺の元へ朱奈が心配した様子で駆け寄ってくる。手にはハンカチを持っていて血が付いている口元を拭いてくれる。


「まったく痛くないから大丈夫、朱奈の受けた痛みに比べればなんてことない」

「そんな……別に私なんて」

「別になんてことない、俺の愛する朱奈が泣いてたんだ。朱奈の気持ちに比べればこんなのなんてことないさ」

「え、あれ、どうして私……」


 ポタポタと溢れてくる涙が止まらない。自分がどうして泣いているのかもわかっていない様子だ。


「本当に無地来のこと好きだったんだな」

「そ、そんな……だって私はウサくんのこと」


 否定するように彼女は首を横に振る、しかしそんな彼女の頬を、傷付かないように、壊れないようにそっと手で包み込む。

 

「それは今でも充分感じてるよ。朱奈が心から俺のことを愛してくれてるのを。でもさ、やっぱり朱奈は無地来が好きだったんだよ、なんせ初恋だろ?」

「あ、あぁ……っ」


 ――初恋。

 その言葉に思い当たるように彼女は涙を流す。

 その一滴一滴が、気付かされた彼女自身への驚きと、もう戻らない時間への切なさを物語っていた。

 

「それは否定しちゃいけない大事な気持ちだ。朱奈は今日ようやく自分の初恋に決着を付けられたんだよ」

「わ、私……っ」


 溢れ続ける涙は止まらない、そんな彼女に涙を止めるよう伝える――なんて無粋なことは言わず。

 彼女の頬から手を離して――背に回す、頬に触れた時のように優しく、包み込むように抱きしめる。

 

「よくがんばったな、さすが朱奈だ。辛かっただろ、苦しかっただろ。でももうこれで終わりだ。これからは、いや、これからも帝兎月の彼女としてずっと俺の傍にいてくれ」


 朱奈の痛みが和らぐようにと俺の気持ちを訴える。

 胸の中で彼女は『うんっ……』と涙ぐみながらも頷きを返してくれる。


「俺は無地来と違って気持ちはちゃんと伝えるからな。朱奈、大好きだ。これからもずっと一緒に居よう、毎日俺に君の手料理を作ってくれ――一生俺の傍を離れるな」

「ウサ、くん……うわあぁぁんっ!」

 

 声を上げて泣く彼女を胸に支え、背中を撫でる。ただ少しでも彼女の気持ちが楽になるようにと。

 

 こうして炎珠朱奈と無地来白の初恋は終わりを告げたのだった――。

 

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