第6話 飛べ!ヘッピリムシ
小さな影。今なお俺へ向けて進軍を続けているそれだがここでいう小さな影とは直前聞いた声の持ち主のことではない。お隣京都府ではヒメムシなんてかわいい呼ばれ方をしているらしい小さなそれが明らかに自由飛行とは思えぬ速度で進んできていた。
「カメッ」
虫。そこまで言う前に俺の体は反射でそれを避ける。まだ高校生になりたてのお子ちゃまな俺には無論苦手なものも多く存在する。その中でも特段苦手としているのが虫である。
この世で最もと断言できるほどの嫌いなものが襲ってきたため俺は体のことなど忘れて大きく跳ねるようにベッドから出る。
躱されたカメムシが向こうの窓にピギョッというグロめの破裂音と共にくっつくと俺はそれが進んできた方向へと向き変えた。
「どおしてよけるのよォ!!」
開くカーテン。俺が振り向くと同時にこちらに怒り顔で怒鳴りつけてきた少女はそんな意味の分からないことを言う。
出てきた少女はどこか幼さを感じさせる身長と顔に、ツリ目と八重歯が特徴的で、外巻きのワンカールも彼女の元気のよさを際立たせている。
虫が来ていて避けないのも理解ができないし、その言い方だとまるで虫が飛んできた元凶ですと手を挙げているようだ。
「あんな姿になって……かわいそうだとは思わないのォ?」
「そ、そう言われてもあんな勢いで向かってきてたら誰だって怖いだろ」
彼女の質問に俺は何となく虫が嫌いだからという理由を濁して答える。こちらの言い分の方が妥当だとは思うが嫌いとはいえ俺が避けたせいで見るも無残な姿になっていることには変わりないしな。
それにしても異様なスピードのカメムシだった。宿敵といえやつはきっとカメムシ界でも期待のホープだったに違いない。
「あんな勢いってェ。僕がお前に投げたんだから当たり前だろ!!」
「え? なんでそんなことすんの」
酷い。俺が虫嫌いだと知らなかったとしてもそもそも人に虫を投げつけていいはずがない。
この学校には何か変わった感性の持ち主しかいないのか。それとも高校とはこういうものなのか。先程まで謎に芽生えていた罪悪感と宿敵に送った称賛を返してほしい。今は同情で胸がいっっぱいだ。
「なんでってェ。あんたがうるさくして僕の睡眠を妨げたからだろォ?」
そういえば投げたってこいつカメムシを掴んで投げたの?めっちゃヤバいやつじゃん。
「せっかく気持ちよく寝てたのにィ」
虫嫌いの俺じゃなくても素手で虫は触りたくないだろう。まして君は一様女子ではないのか。
「昼休み前に快眠することでより美味しくお昼ごはんが食べれるんだ! 僕のお昼を返してよォ」
「…………」
「何黙ってんのォ。僕、怒ってるんだけど」
さらに険しくなる表情。彼女も彼女なりの理由で相当お怒りのようだ。
「ごめん。確かにうるさくしてたよ。隣に人がいるって知らなくてさ。ほんとに申し訳ございませんでした」
「なにィ?? 謝ってえらい子ぶってるのォ? やめてよ。僕が子供みたいじゃない」
とりあえずこちらの非を認め謝罪してはみたものの逆効果だったらしい。
俺の胸ぐらを掴む勢いで詰め寄る彼女に俺はたじろぐと、ここでもう一人の住人が声を上げた。
「みみ、ちゃん。彼……頭打って、て。あんまり、無茶……させちゃ……ダメ」
仲裁に入ってくれたのは
先生のおかげでベッドに片足踏み上げていた彼女も足を下ろし後へ下がった。
「よる先が言うならァ……。今回だけだからな!カメムシ」
なんてあだ名を付けやがる。高校入って最初のあだ名が”カメムシ”なんて我慢できるはずもない。
思い返せば最初カメムシがかわいそうだの言っていたがお前がぶん投げたのが原因じゃないのか。
謝るべきところは謝ったのにこの仕打ちはこちらも段々と頭にくるところがある。
「みみ、ちゃん。カメムシ……良くない。彼、
「そう! じゃあ尾花。今回だけだかならァ」
どうやら根夢亥先生にはえらく従順なようだ。この二人の様子を見ていると拍子抜けするように怒りもおさまる。
「ありがとう許してくれて。よろしく……みみ、ちゃん?」
これ以上いざこざが生まれぬよにと俺はこの場は互いの自己紹介で終わろう。そんな期待を込めた眼差しで彼女を見つめる。
「あ? 気安くみみちゃんとか読んでんじゃねェよ」
今日一の表情。仕方ないじゃん。名前知らないし。
「尾花、くん。……彼女、
「じゃ、じゃあうささん。よろしく」
「「「…………」」」
俺に名前呼びされた怒りと先生からの目に見える俺への助け舟に表情を変えず無言のうさ。何とも言えぬ気まずさに黙る俺。普通に喋らない根夢亥先生。
数分ぶりの静寂の完成である。
そうして起こった静寂により俺はこの保健室にはもう一体住人がいたことを思い出させられる。
ピョギョエー!!!
俺にはそう聞こえたカメムシの命を燃やした羽ばたきに俺はもう一度眠りについた。
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