第10話 練習試合終了

「アウト」


9回裏まで登板した冴木の投球は見事なもので、月宮高校の打線に全く仕事をさせずにぴしゃりと抑えてしまった。


この練習試合は延長がないため、これで試合終了となり結果は0対0の引き分け、両者ともに1安打ずつの投手戦であった。


普段は日に2試合やることもあるが今日は1試合のため、それぞれ相手チームと審判として来て下さった方に挨拶をしたあとにいざ帰ろうかとしていたとき、文珠は光徳明倫高校の人たちから声をかけられることになる。


「よう、文珠。今日もナイスピッチだったじゃねえか」


快活な声で文珠に呼びかけたのは当然ながら光徳明倫高校の古城監督だ。

そして、その陰には二人ほどの選手も見えた。


「なんだ……ですか、オッ……古城監督」


さすがの文珠でも他校生の前では言葉に気を遣うのか敬語を使うのだが、しゃべり慣れなさと聞きなれなさで古城監督は爆笑だ。


「がっはっは、気を遣えてえらいぞ、文珠」


「そんなお褒めはいらないですよ! ……で、そんな笑ってないで後ろ人たちを紹介したらどうです? そのために来たんじゃないっすか?」


そう言って、文珠が目を向けた古城監督の後ろには、二人の生徒がいた。


「おう、忘れてはないぜ。俺の右にいるのがうちのエース冴木で、左にいるのが捕手の蔵元だ。こいつらがお前に挨拶したいって言うから連れてきたわ」


「よろしく! 桜井」


「蔵元だ。よろしく、桜井」


元気に挨拶する両名だが、もちろん試合をしていた文珠は彼らのことは知っていた。ただ、あの光徳明倫高校のバッテリーが挨拶に来たというのは文珠にとっては驚きだった。


「……ええっと、それで冴木さんと蔵元さんは――――」


「他校の後輩だし、敬語はいらないぜ。堅苦しいのは好きじゃねえしよ」


こんな砕けたことを言うのは冴木だったが、本人にそう言われてもいきなりため口をきくのは文珠としては気になるところだ。


(ええ……、どんな理論? 自分のとこの後輩なら敬語必須なの? いきなり敬語いらないとか言われても困るわ、フランクハラスメントだろこれ。 ……とりあえず呼び捨ては無理だな)


「……じゃあ、冴木君と蔵元君は僕にどういった御用で?」


「別にたいしたことじゃないさ。あんな投球する奴がどんな男か見てみたいと思っただけだ」


(蔵元君どういう意味だよそれ? なんか漫画で強者がするような発言だけど、現実で聞くと意図わかんないよ)


「……えっと、じゃあ実際会ってみてどうでした?」



「そうだな、こう言うと気分を悪くするかもしれないが、想像していた以上に普通の男で拍子抜けしたってのが本音だ」


「俺も俺も! 投げてる時とはまるで別人みたいで、俺は拍子抜けてよりびっくりて感じだけどよ」


光徳明倫高校のバッテリーコンビ、突然現れて散々な言いようである。

これには文珠も面食らったが、それよりも気になったことがあった。


「はっはっは、……そう言われると投球しているときの僕がどんな風に見えてるのか気になるなぁ」


文珠としては投手としても普段と変わらない認識だったのに、それを覆されたのだから気になって仕方がない。「投げてる僕ってどんな風に見えてるんだ?」と。


「そりゃ……」


「まあ、な。例えれば――――」


(例えれば?)


「よし、お前らいつまでもくっちゃべってねえで帰るぞ。待たせてるあいつら(他の部員)に悪りぃじゃねえか」


「「うっす!」」


「えっ? ちょっ、ちょっと…………」


最後まで言ってから帰れよと、そんな思いが聞こえてきそうな文珠の引き留めも聞かず、夕立のようにさっと来て荒らし、さっささと立ち消えたのだった。


「なんなんだったんだ? あの人たちは……」


――――――――――――――――――――――――――――――――


「で、どうだったらぶり。今日の試合は」


帰宅の道、二人は今日の試合を話し合うため自転車を押しながら帰っていた。

春の陽気と草花の香りとりどりの中を歩くのは爽やかなものがある。


「まー勝てなかったのはあれだったけど……」


「けど?」


途中で言い淀むらぶりに、文珠は何か期待したかのような目線を向けて相づちを返してくる。

その顔を見ると、彼女はちょっとだけムカッと来るのだが天邪鬼なところを出したりはしない。


「楽しかったわよ。久しぶりにキャッチャーミットを構えて、配球考えて、思い通り三振を取るのはやっぱり快感ね」


素直に野球が面白かったと、捕手をやってることが楽しかったと。そして、文珠をリードすることが快感的だというのだ。


そんなことを彼女は可愛く笑って言うものだから、この時この場面で文珠以外の誰もこれを見ていないのは勿体ないことである。

慣れないものがこの笑顔を見たら、一瞬で虜になって言葉に詰まったことだろう。


まあ、幼なじみの文珠はそんなことないのだが。


「そうか、それはよかった。今日、誘ったかいがあったよ。楽しくなかったらどうしようて僕も少し不安だったんだ」


そう、文珠は言葉に詰まるどころか、優しく笑いかけ気遣う甲斐性を持ち合わせていた。


「うっ――――」


これには逆に言葉が詰まるのらぶり側だ。

普段は無愛想な顔しかしない文珠が偶に作るこういう表情には、らぶりも抵抗力がなかったので――――。


「こ、これで勝ったよ思うなよーーーー!」


らぶりは、ブチ切れた。


「は、はあ? なんの話だよ? 勝ち負けって?」


さっきまでの雰囲気ぶち壊しのこの発言に、さすがの文珠も理解がついていけていなかった。

そりゃ、勝ったと思うなよって何についてだよ? と、誰でも思う。


「今日、無理やり捕手やらせたことによーーーーーー! まだ、選手としてやっていくことに納得してないんだからね」


「ええ⁉ そこは納得する展開だったろ今の会話。勝負でもないし」


「やかましいわ! だいたいね、私が打席にたったら内野も外野も前進しちゃってムカついたんだから。何あいつら!」


「いや、あれは当然の戦略というか……」


「あーーーー、文珠もそんなこと言うんだ! あのね――――」


そんな風に、少年少女らしく爽やかなポカポカ昼下がりの春並木道を歩いていくのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――


「で、どうだった? 実際みた文珠の感想はよ」


文珠達がピンク色の風景を作っていたのとは打って変わって、こちらは薄暗い光徳明倫高校の貸し切りバス内だ。

そして、声を掛けたのが厳つい顔をした古城監督で、それは監督の両隣に座る冴木と蔵元に投げ方ものだった。


「あの文珠ってやつはとんでもねえヤツっすね!」


「ほお……? どうとんでもねぇと思ったんだ?」


普段はへらへらとした面を多く見せる冴木だが、この問いかけにはキリッとした本気顔をしてそのようなことを言うのだ。古城監督はそれが珍しく、彼がなんて返してくるのか楽しみに問いかけた。

文珠のあの投球から、我が野球部のエースが感じたこととはなんであろうかと?


「さっきバスの窓から見えたんすけど、あいつあのめちゃカワ女の子キャッチャーとイチャイチャしながら帰ってやがったんすよ? とんでもねえヤツっすよ、けしからん!」


この返答には、流石の古城監督もズルっと座席から落ちかけた。


「いや、そうじゃないだろ冴木。監督が聞きたかった話は」


そうそうと、蔵元の言う通りそんな話してねえよなと思う古城監督だったが……。


「まあ、確かにけしからんが」


ズルっ、ドシン! と、この蔵元の返答にいよいよ座席から落ちてしまった。


「どうしました監督? 大丈夫ですか?」


彼らからすれば行きなり落ちた監督を心配するのは当然なのだが、当の古城監督からすればお前らなあ……、といった感じだ。


「いやいや心配いらねえよ。しっかし、青春だなぁうらやましいこった」


この返答に顔を見合わせる両名を無視して、古城監督は話こうしめるのだった。


「まあいい。月宮高校の解析をするのは帰ってからゆっくりするか。焦るこたぁねえよな。今日、データも経験も詰めたからよ。ただ、お前らこれだけは認識しとけよ?」


監督は一拍おいて、光徳明倫高校の野球部員全員に聞こえるように宣言した。


「夏の甲子園予選、一番の強敵は文珠だってことをよ」

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