第9話 エースの意地

勝負に負けた……。

その勝負は身勝手で自分の中だけのものであったが、それでもその事実が冴木にとっては衝撃的であった。


これまでの野球人生で、打たれたことなどそれこそ山ほどある。

試合とは関係なく勝負意識をもった相手も沢山いたが、それでも打たれたことがこれほどまでに心へ響いたことは無かった。


ショックを受けている冴木、されども試合は止まってくれない。

打席に立つ月宮高校の打者。そして、一塁上から冴木を眺めるのはくだんの文珠である。


こんな状況で、まともに投げられるのか? そんな感想が浮かぶであろう中であったが――――。


「ストライク スリー!」


しかし、やはり名門高校でエースを張る男は違った。エースという意地もあった。

動揺しようとも、月宮高校の打者では打ち崩せない存在なのだ。

一塁に居た文珠は、そのエースの意地をただ見ていることしかできなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――


「流石、名門光徳明倫高校のエースて感じね。相手さんの投手」


攻撃が終わり一塁から戻ってくる文珠へ、らぶりはこれまでの冴木の投球を見た率直な意見を言う。

さすがだと素直に褒める。それ以外、言葉が出なかった。


「まー甲子園投手は違う、やるね。けど、まさかウチとの練習試合にエースがフルで投げるなんてな。何考えてんだか、あのオッサン?」


この文珠の言葉にらぶりは、またオッサンとか失礼な言い方して……や、ウチのチームを下に見たようなこというのはどうなの? などとも思ったが、文珠のいうことも確かに……と同意するところでもあった。


普通、はっきりと格下チーム相手の練習試合なら主力を出したとしても途中で下げてもおかしくは無いはずだ。

それなのに最後まで主力を下げなかったことへ、どこか不気味なものを感じるらぶりではあったが……。


「点取れてないしこのままだと引き分けだしで、主力下げれなかっただけじゃない? それより、さっさと守備につくわよ」


「……うーん、そんな疑問になるとこでもないか? 点がとれてないこと以外でも、この状況だと主力を下げにくい理由もあるし」


と、この疑問を流す二人であった。


――――――――――――――――――――――――――――――――


延長のない練習試合、どうなっても最後である9回表のマウンドに立つ文珠であるが、実は凄いことを達成しようとしていた。


なんと、8回表まで光徳明倫高校にヒットどころか四球すら許していないのだ。

野球ではその状態を完全試合(パーフェクトゲーム)と言い、それを試合終了まで継続できれば達成となる。


練習試合とは言え、名門光徳明倫高校相手に1,2回戦で敗退することが常のチームでやるのは奇跡的だと言ってもいい。


そして、月宮高校の部員もそのことはわかっているのか、緊張した雰囲気が漂っていた。

俺たちが、あの光徳明倫高校相手に完全試合をしちゃうのか! と。


はっきり言って、文珠とらぶり以外は守備についても緊張でガチガチだ。


(先輩方、練習試合なんだからもうちょっと気楽にプレーすればいいのに)


らぶりがこう思うくらいに緊張してないのは、文珠ならこれくらいやっても不思議じゃないという信頼感からだ。実際、中学時代に完全試合の経験もあった。

なので、関係の浅い先輩たちが緊張してしまうのは仕方ないことだろう。


(まあいいわ。先輩たちが守備で固くなってて危うくても、三振にしてしまえば関係ないわね)


そう考えたらぶりが出したサインは、内角ストライクのストレートだった。


今日の試合を通してみて「いま打席に立つ光徳明倫高校の7番バッターがこの球を、打席のその初球で打っても高確率で空振るかファールにしかならない」というのが、らぶりの見解だった。


そのサインに頷いた文珠は、いつものように右腕を担ぎ上げ深く踏み込みストレートを投げこんだ。


そのストレートは低い軌道から巻き上がるよう伸び、らぶりのミットを目指していたが――――。


(えっ⁉)


光徳明倫高校の7番バッターがバットを振ることなく、ストライクゾーンに横倒しに構えたのを見て、らぶりが驚くことになる。


カツン! と、そのバットに当てられた球は点々とサードと投手の間をゆるく転がっていく。


(この場面で、光徳明倫高校の打者がセーフティバント⁉ いや、全然打てそうにないんだから考慮すべきだったわ!)


これはバントと呼ばれる打法で、バットを振らずに横に倒して来た球に当てることに重点を置いた打法だ。その中でセーフティバントと呼ばれるものは、内野守備の間に転がし隙をついて、一塁まで走ってセーフになることを目指したバッティングとなる。


消極的とも奇策ともとれる打撃だが、見事にらぶりと三塁手の隙をつくことができた。

しかし――――。


素早くマウンドから降りた文珠はそのまま打球まですぐに追いつき、球を握る動作をいつしたのかわからないほど一瞬の動作で、一塁まで『ビュッ!』とそのボールを送球する。


送球された球は走る打者との競争になったが、『バスン!』という一塁手のグローブへ入った音のほうが明らかに早い。


練習試合ということで審判が足りず、一塁の塁審として駆り出さている光徳明倫高校の野球部員でも迷うことなく「アウト」のコールをするのだった。


「ナイスフィールディング!」

(さっすが、やっぱり文珠はフィールディング(守備)上手いわ。しかも、今ので不意をつかれないとはね)


らぶりが素直に褒めるのも納得のプレーで、光徳明倫高校の不意打ちをかわす文珠。


こうなってくると、この隙のない投手を攻略する方法はあるのかと、野球の名門高校である光徳明倫高校相手に心配をしてしまうところだ。

万策尽きたようにも見える中、それでも光徳明倫高校は次の一手をうってきた。


「代打」


この光徳明倫高校の宣言で、8番バッターがベンチに居た控えの打者と交代となった。


こういった場面で交代されてくる打者は、たいてい前の打者よりバッティングが良いことが多い。


らぶりもそう思って警戒し、打席に立ったそのバッターの佇まいを観察してみるのだが、あまり覇気を感じなかった。


(うーん? 体の線も太くないしそこまでバッティング良さそうかしら? 単純に打ててないから他の選手を試しただけ?)


少し悩んだ末に出したサインは、外角のボールになるカーブだった。これは、代打を警戒して様子を見るためという意図がある。


そのサインに頷いて投げたカーブは、少し高めに浮いたがストライクゾーンから外れたところに来た。


らぶりの要求通りで見送ればボールなのだが、光徳明倫高校の8番バッターが選んだのは、またもやセーフティバントだった。


(えっ⁉ また? しかも初球の外した球を打つの?)


まさかの連続バントは、『コツン!』と言う音とともに今度は三塁線へ転がった。


少し出遅れた三塁手が捕球し、握り直したためひとテンポ置いて送球した球は、走者の背から迫り『パスン』という音とともに一塁手のグローブに収まった。

走者と送球、どちらが先にたどり着いたのか遠目にはわからないほどギリギリであったが――――。


「セーフ!」


塁審のコールはセーフが宣言され、それは即ち光徳明倫高校の初ヒットを意味し、完全試合の終了も意味していた。


(や、やられた~~~! クリーンヒット狙えないからって、ここまで極端な策にでると思わなったわ。代打の人もセーフティバント上手いし、足も速いしで最初からこれ狙いだったのね……)


よく考えれば、この采配に気が付けたはずだとらぶりは悔やむのだった。守備における司令塔である捕手の自分が警戒し、守備にそのようなサインを送っていればアウトにできたと。


そして、悔やんでいるのは三塁手も同様だ。

自分が出遅れて送球に手間取ったから完全試合が終わってしまったと思ってしまった。


そのような負の感情が月宮高校のナインに湧き上がってきたときにだ。


「ワンナウト! ワンナウト! さあ、切り替えて行こう!」


文珠が声を出してチームメイトを鼓舞したのだった。


そのおかげで、ナインは多少気楽になり次のバッターに集中することが出来きそうだ。


(うーん、相変わらず気が利くやつ。昔からこういうヤツよね、文珠って。ミスや記録なんか気にせず楽しく野球しようてのが根底にあって、とっさにそう言う声がでるヤツ)


それが文珠に対するらぶりの認識であり、彼のプレースタイルにつながっているという分析だった。


(まあ、さらに言えば――――)


バシン! バシン! バシン!


「ストライク スリー」


(負けず嫌いでもある。とは思う)


彼は、先ほどよりもより気合いの入った投球をもって瞬く間にアウトを2つ増やし、光徳明倫高校の攻撃を終わらせてしまった。


これが、月宮高校の新エース「桜井 文珠」という存在だ。

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