第3話
それから手術は数時間にわたって行われたが、ローズの言う通り、患者の全身にはあれだけ無数の蔓が体内や皮膚に刺さっていたというのに、想定の時間の半分もかからずに無事に全て終わることができた。
「これでもう大丈夫です。あとは落ち着くまでしばらく安静にしてくださいね」
「こちら体の回復を早める薬もありますんで。あ、服用方法は守ってくださいね。お大事にー」
「ありがとうございます、スピネル先生、ヨダカ先生…!本当に、ありがとうございます…っ!」
薬を机に置くと男はさらにわあわあ泣きながら、今度はオレとローズに握手をしてきた。それを受けて、彼女はニコニコと笑っていた。
依頼者の家を出ると、空はうっすらと橙色に変わりつつあった。ローズは軽く伸びをして、オレの方を振り返って笑った。
「さて、帰りましょうか、ヨダカさん!」
夕陽に照らされた彼女のその笑顔を見て、オレも緊張が解けたのか、口元が少し緩むのを感じた。
「そうだな、帰るかー。」
2人して石畳の坂道を下り、大通りに出る。そのまま来た時と同じように空間転移魔術を使うのかと思いきや、ちょうどやってきた魔導機関車で帰ろうということになった。
魔導機関車は魔力で走る機関車だ。走るための車輪が魔導素材でできており、これにより地上以外の空や海の上も場所も走ることが可能になった。
車内に入り空いている席に並んで座る。こう言う類のものにあまり馴染みがないオレは、車掌との切符の受け渡しもなんだか新鮮に思えた。
「スピネル先生、もしかして疲れてたのか?だったらオレが空間転移をやったのに。」
集中するとはいえ、ただ体を動かすだけなのと、治癒魔術を長時間使用し続けるのなら、おそらく後者の方が彼女にとって負担は大きいはずだ。隣に座るローズを見ながらオレがそう言うと、彼女は食べていたクッキーを飲み込んでから首を横に振った。
「ううん、そうじゃないわ。今回は貴方のおかげで早く完了できたから、そこまで疲れてないの。でもたまにはのんびり帰ってもバチは当たらないと思って。普段はすぐ戻っちゃうから、こういうのとか、見られないでしょ?」
そう言いながら車窓の外を彼女は指差した。つられて外を見ると、ちょうど魔導機関車が地上を離れるところだった。空の奥では黄金色の夕陽が沈み、紺青の夜空が敷かれつつあった。幾億の星が輝く様が海に映り込み、さながら銀河の中を走っているかのようだった。
「…これは確かに見る価値があるな。とても綺麗だ。」
「でしょ?」
ローズと笑い合って、オレはしばらく外の景色を見ていた。先ほどまでいたサントラルカ島も遠く小さくなっていく。ローズがさっき買ったクッキーを、いくつかこちらにくれた。オレは特に睡眠や食事が必要のない身だが、彼女と出会ってからはするようにしている。香ばしいバターの香りにりんごのジャムがついた甘酸っぱいそれを齧って、景色を彼女と眺める。何事もない、ただ平和で穏やかな時間だと思った。
「今日も貴方のおかげで1人の命を救えたわ。ありがとう、ヨダカさん。」
車窓の外からこちらに目を映してローズはそう言った。
「…キミに出会わなきゃオレは人を救うことも、誰かからお礼を言われることもきっとなかった。全部キミのおかげだ。」
「そんなことはないわ。確かに私は貴方に教えたりしたけれど、今日お礼を言われたのも、これまで患者を救えたのも、全部貴方自身の力よ。」
「だから自信を持ってね、ヨダカ先生」とローズは続けて、微笑んだ。陽の光なんか当たらなくても、彼女の紅玉のような目はいつも煌々と光っている。ローズに向かって、オレも微笑み返した。
「…本当にありがとう、ローズ」
そう言うと、ローズはオレの顔をじーっと見つめてきた。
「どうかした?」
「ああ、ごめんなさい。ヨダカさん、昔と比べて最近はよく笑ってるなーって思ったから。なんだか嬉しくて。」
「まぁ、キミから笑顔が大事って言われてるしね。なるべく笑顔でいるようにしてるよ。でも逆に、今度はこっちから戻らなくなっちゃって」
「ふふふ、それは大変ね。」
自分の頬を左右に軽く引っ張って少しおどけた調子で言うと、ローズは口元を押さえて楽しそうに目を細めた。オレもオレで、ローズのその顔を見て、嬉しくなった。
・・・
ローズはその後、クッキーで腹が満たされたからなのか、それとも疲れがやはりたまっていたのか、気づけば小さな寝息を立てて隣で眠ってしまっていた。右肩越しにかすかに彼女の体温の熱と、呼吸での規則的な動きを感じて、「ああ、この人はちゃんと、生きてるんだな」と、なんとなく思った。
まだ地元の駅の到着まで時間はある。彼女を起こさないように少し首を動かして外に目を向けた。もうすっかり真っ暗な闇の中で、魔導機関車が吐き出す魔力残滓の青煙と天の川に連なる星々が静かに流れていた。
それを見て、ふと、ローズと出会うずっと前のことを思い出した。
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