雪モグラ
死体を埋めてから一日が経ったが、今のところは発見されていない。
私はは授業中に窓から外を眺める。雪の影響で、もう既に薄暗い。家々ににも明かりがともっていて、もう部活が終わって帰るころの景色だ。だから授業を終えて帰ってしまいたい気分だった。おそらくほかのクラスメイトもまた同じ気分だろう。授業が中止になることを大なり小なり求めているはずだった。少なくとも交通機関が止まり、帰れなくなることは望んでいない。
私は先生botの声を聴きながら、前の空いた席をぼんやりと眺める。今日は欠席者も多いが、彼女に関しては気候が原因ではない。いつものことであった。
双子の妹が時間帯問わず「助けてほしい」と電話をするとき、その相手は私か、彼女の恋人である藤崎先輩の二択であった。しかしながら先輩は埋めてしまったので、今後必ず私にかかってくることになる。うんざりするが、それを求めていたことも事実だった。深夜に「何もかもが嫌になった」と隣町まで歩いていった妹をバイクに乗せてさらに隣の町まで行ったときも、科学室で秘密の動物実験をして部屋中が血まみれになった時の跡片付けやごまかしも手伝った。いつものように電話を受けて、妹の元に行ってみると、妹はバスルームにある先輩の死体の前で途方に暮れていた。
先輩が生きていれば海外ドラマみたいに、死体をバスタブに入れて溶かしてくれたかもしれなかったが、当の本人は死んでいたので原始的に埋めることになった。登山ルートを大きく外れながら遭難してもそこには行かないだろうという場所に目星を付けた。土砂崩れが起こらず、開発もそこは避けるという場所を。その奥の奥なら、きっと発見されないだろうという場所を。
人ひとり埋める穴を掘るのは重労働だった。たまに石が飛び出ていて、それを軍手越しに触ると存外痛かった。寒冷地用ではない手袋のまま土を触っていて爪はかけたし、スコップを突き刺したときに肉片がへばりついたのも気持ち悪かった。それでも私は無心で掘り進めて、妹も無言でシャベルを突き立てた。そして二人で死体を持ち上げて穴に落として、埋め戻した。
物思いにふけっていて、ふと視線を前に向けると先生botが連絡を受け取った反応をする。
「警報が発令される可能性が高くなってきました。授業は休校となります。速やかに帰りましょう。また学園所有の特別地下鉄も運行しているため、帰宅が困難になりそうな生徒はそれを使ってください」
教室内にホッとした雰囲気が流れる。皆、授業が続くのか休校なのかがわからない中途半端な状況が嫌だったようだ。
私も帰宅の準備を整え、ARタブレットを閉じる。外を見ると、帰宅を促す警告ドローンが飛んでいた。
ふと廊下に出たところで、言葉にできないような寂しさを感じた。研究室が懐かしく感じたのだ。罪悪感の裏返しと言っていいだろうか。
皆が向かう流れに逆らって進む。人を盾にして監視カメラの視界から逃れながら早歩きをした。
三階の研究室に到着する。私はノックをした。意味のないことだ。この状況でいるのであれば、藤原先輩以外おらず、その当の本人は雪の中だというのに。
当然ノックは帰ってこない。私はドアを開けようとした。
「――」
そこで異変に気が付く。中から声が聞こえた気がした。私は驚きながらもゆっくりと扉を開ける。
「ですからね、これはとても貴重なものなんです。国の宝と言っていい。それを簡単にお譲りするわけにはいかないんです」
「それはこちらも同じだよ。私が君たちに渡すものはとても貴重な情報だ。簡単に譲ろうとしているわけではない」
「しかしそれを証明するには我々にとって途方もない時間がかかるんですよ。こちらの商品が貴重なのはあなたはすでに分かっているはずです」
高い声がする。悪く言うと鳴き声のような。もう一つの女性の声は聞きなれた声であり、ここにあってはいけない声だった。
話している人たちにゆっくりと近づく。研究机の隣の椅子に座り、話しているようだった。
一人……?は体は人間と同じくらいの大きさだが、全身が白い毛におおわれていた。全体的に体が丸く、顔は鼻に向かって尖っていっている。猿、鼠、猪、と動物を連想していき、最終的には白いモグラであると確定することが出来た。その前で白衣の女性が座って話していたのだった。
「おや、
女性は私に気が付いて、名前を呼んだ。私はしどろもどろになりながら言う。
私は咳き込んだ後、答えた。
「いえ、あの、藤崎先輩、雪のせいで学校から帰宅命令が出されているんですが……」
「そうだったか。しかしね、この商談は何より大切なんだよ。命より大事と言ってもいい。だから最悪この学校に泊まり込むことになっても続けなければならないんだ」
私は何とか息を吸い込み、次の言葉を発しようとした。ただ何も言えず、あたりを見回すと、白いモグラが慌てた様子で行った。
「雪ということは……ついに始まったということですか!」
「そうだと思う」藤原先輩は頷いた。「計算上だとそうなるね」
「じゃあ急がなくては……しかし……」
「私も帰らなきゃならないからね。なるべく早く頼むよ」
「いや……うーん……だが……」
モグラは深く考え込んだ。しばらくして頭を上げる。
「わかりました。でも騙すとひどいですよ」
「交渉成立と言うことで」
先輩はUSBメモリを取り出してモグラに渡す。受け取るとモグラは「今後ともごひいきに」と言いながら、窓から去っていった。
雪が入ってくるようなので、先輩は窓を閉めた。
「何の話だったんですか、一体?」
先輩は椅子に座ると、残っていたコーヒーを口につけた。そして机の上にあるクーラーボックスを指さす。
「彼らから買ったんだよ」
「いったい何が入ってるんです?」
好奇心に駆られて尋ねてみたが、そもそもこんなことをしている場合ではなかったと思いだす。「あの、急がないと」
「まあ待ってくれ。私は雪モグラから星を買ったんだよ」
星を? と首をかしげていると、先輩はクーラーボックスを開けた。白い煙が吹きあがり、地面に落ちていく。お玉のようなもので、中から物体をすくい上げた。
見たところそれは白い球体に見えた。クーラーボックスに入っているという連想から氷であることを予想する。
「おっと溶けるとまずいから、冷凍庫に保存しなくては」
先輩は独り言のように、氷のようなものを携帯用冷蔵庫に移した。
「今のが星とやらですか? ただの氷にしか見えませんでしたけど」
「星の成れの果てだよ。モグラたちにとってのね」
先輩を見ると、うずうずとした表情を浮かべている。長話をしたそうに感じたので、私は腕時計を見る。
「出来るだけ端折って話していただければ……」
「うむ、じゃあ要点をつまんで。ところで君はおかしいとは思わなかったかい? なぜモグラが星を知っているのかと」
「はい?」
「モグラは目があまり見えなくて、アイマー器官によりその場にあるものを感じたり、空気や地面の振動を察知して生活しているんだ。つまりはモグラが地上に出たところで、星を見ることが出来ない。じゃあなぜモグラは星と呼ぶものを大事にしているのだろうかと」
「……」
そんなことを言うのなら、モグラが話していたことのほうがおかしいのでは? 例えば蟹人間なるものがいて、「蟹なのに縦に歩けるかおかしいとは思わなかったのかい?」とか言われても、それは蟹人間であって蟹ではないからだろう。
私はとりあえず先輩に話を合わせることにした。
「人間に聞いたからですか?」
「その通り。雪モグラたちは人間によって星の概念を教えられた。人間はいい感じの物語を添えて、星の魅力を語ったんだ。そして一部のモグラにはそれが受け入れられた。たとえ見えなくても、もしかしたらモグラが人間よりも進化して宇宙に繰り出す時が来るかもしれない。そんなときのために知っておいたほうがいいと考えた。しかし、ここで問題があった」
「なんですか?」
「初めにモグラたちに対して星の概念を教えた人間が嘘つきだったんだ」
「ああ……」
そこで私は嫌な気分になった。
「その人間はおろかな獣を騙してやろうと思ったのかもしれない、はたまた、自分が考えた星の神話を話したかったのかもしれない。その真偽は今ではもうわからないが、嘘つきの思惑通りに、モグラは星の話を信じた。星と星との間は、人間が歩いて一年ほどの距離である。ある昔、星と結婚した人間がいて、その子もまた星になった。人は死んだら星になるが、人間たちはロケットでよく会いに行く。などなど。信じて、常識となり、他の人間が修正出来ないほどにそれは浸透してしまった」
興味深い話で合った。しかしそろそろ、本当に時間がまずいかもしれない。
「あの……」
「わかってる。早口で言おう。モグラたちは星の物語を信じ、いつしか自分たちも星に触れてみたいと思ったんだ。だから雪を掘り進み、上を目指した。多くのモグラが死んだよ。しかし彼らは、何年もかけて星があるはずの場所に到達した。しかし」
「星はなかった……はずですよね」
「そうだ。しかし多くの死者が出た以上、その物語は受け入れられなかったんだ。そこで、モグラたちはそこにある雪を固めることにした。山一つほどの体積の球をくり抜き、足で踏み固めて、氷の玉のようにして、それを星とした。モグラたちは国に持ち帰って、星を献上した。王は言った。『おお、これが星か。私には見えないが、さぞや輝いてるのだろう』。持って帰った星はあがめられ、宗教的にも政治的にも大いに役立った。私が買ったのは複数ある滅びたモグラの国の一つに残っていた、溶けて小さくなった星の一つだよ」
「……その話からは何を学べばいいんでしょうか。人間の嘘を恥じるべきか、それともモグラたちを愚かだと笑うべきなんですか?」
「さてね、私は物語から教訓を学ぶのが苦手でね。とりあえず欲しいからこれを買ったまでだよ」
「でもそれって大切なものなんでしょう? 簡単に買えるんですか?」
「私はお金の代わりに情報を支払ったんだ。星がある場所を教えたんだ」
私はそれを聞いて、怒りが混みあがっていくのがわかった。
先輩は慌てて手を振る。
「誤解しないでくれ。ちゃんと本当の星の場所を教えたよ」
「でも……! ……結局のところ騙しているのには違いないでしょう……どうせ掘り返せないのだから」
「そうとは限らないんじゃないかな。おっと」先輩はわざとらしく時計を見た。「さすがに避難しなくてはならなさそうだね。急ごうか」
先輩はリュックと携帯冷凍庫を持ち上げて、部屋を出ようとした。
「あ、そうだもう一個買っていたんだ。これも持って行かなくては」
そういうとスコップを持ち上げる。
聞いてほしそうだったので、私は苛立ちながら訪ねた。
「それは?」
「雪モグラのスコップだよ。モグラたちは星の光を集めて鍛冶をする。これもそうやって作られたんだよ」
「またモグラが騙されたエピソードですか」
「いや、案外騙されているのは私たちかもしれないよ」
「そりゃ星の光で鍛えたスコップを売りつけられたのは先輩ですが」
先輩は首を振った。
「そういう意味じゃないよ」
◇ ◇ ◇
私は急いで家に戻り、あらかじめ用意してあった荷物を持って両親と妹とともに家を出た。そして町の端にある壁に向かう。やはり壁を見つめていると距離感が狂う。大きな壁は都市全体を覆っており、天井まで続いていた。雪の軋みにより人工太陽の調子がおかしいので、やはり薄暗い。壁の近くの広場には町の人間が全員集まって並んでいた。
「まずはじめに、予定していた大移動の時期が速まったことを謝罪します。最初に十年。次に一年。そして一週間の予定が早まり、さらに半日早く出発が決行されることとなりました。積雪のうねりが観測より強くなったことを発見したためです。不安に思われる方も多いでしょうが、あくまで念のためなので、皆様の命が脅かされることはありません。また特殊な状況にもかかわらず、冷静に行動していただいたことに感謝します。そして」
工場長は壁のほうを見た。そこには家一つ分ほどの大きな穴が開いていた。
「我々がまた別のコロニーに移動できるのは先行隊あってのことです。感謝を捧げましょう」
街のみんなは胸に手を当てて、一斉に「ありがとう」と声をそろえて言った。
「はい、それでは登録された番号の順番で穴に向かってください。申し訳ありませんが、列を乱した場合は皆の命にかかわるために、それ相当の処分が下されます」
私は順番を待ちながら、町の方向を眺める。生まれたときからいた場所なので、当然名残惜しさもあった。これから行く場所にも不安でいっぱいだった。それでもここがいつか崩れるかもしれないという不安のほうが大きかった。
ただそれでも、死体を隠してくれるという事実のほうがさらに大きい。
私は先輩が言っていた言葉を思い出して口にする。
「水はすべての代わりになる。水蒸気は空気の代わりになる。水は肉体の代わりになる。氷は大陸の代わりになる。雪は土の代わりになる。雲は日の代わりになる。流れは時の代わりになる。雪は星の代わりになる」
ふと、私は足元にスコップと携帯冷蔵庫が落ちていることに気が付いた。
「あの、誰が落としたか知りませんか?」
私は近くの人に尋ねたが、誰も知らないようだった。しつこく周りにスコップを見せて回っていたら、銃を持った誘導員が近くに来たので私はおとなしくした。
魔法が解けたような気分がした。
何かの間違いで、最後に先輩と話せたというのなら、もう少し気の利いたことを言えば良かったと、歯を強くかんだ。
しかし何を言えばよかったのだろうか。「埋めてごめんなさい」? バカバカしい。「実は好きでした」? 嘘は良くない。
妹が「お姉ちゃん」と呼びながらニコニコして腕を絡めてきた。そこで、先輩に対しての考えが中断される。
結局先ほどのあの対応が一番正しかったのだろうと結論付けた。
町を出る最後に思ったのは、先輩のことではなく雪モグラのことだった。
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