第5話 ゆっくりさんを見て 偽文書
竹内文書の解説で「宇宙」の話は吹きましたが、世界創作が宇宙からの始まりは神道、あるいは道教の考え方に類似点はあると思いますがそのほかは、、、ですわ。
そもそも「日本語」が一番、難しく日本語と近縁の言語である「半島日本語」や中国語が日本語の基盤となったのではないでしょうか?
日本語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E
我々が目にする機会が多いのは「漢文」が一番身近に感じます。
ということは、日本語の原型となって使われたのは、古墳時代以降のような気がしますね
やはりいずれにせよ、当時としては”身振り”や”手ぶり”で意思疎通を図ったのかしら?(勿論、200~300年、弥生時代の頃です。)
例えば「古事記」「日本書紀」においても、やはり真実ではない事柄も記されてるようにも思います
三韓征伐で神功皇后の新羅征討が真であったのかどうか?ってことです
それは「鉄」や「銅」などが大陸から伝わったとするなら、その大陸に”戦争”を仕掛に行って絶対勝利するのでしょうか?(広開土王碑については触れてない)
鉄剣の”たたら製造”が三世紀後半から可能であったとしても、大陸に渡る船も必要でしょうし、当時の大陸地移動で”馬”なんてまだ伝わっていなかったと思いますし(勿論、大陸には騎馬はあったと思うけど、当時の倭国の人も騎乗出来たんでしょうか?)
その状態で日本が勝てたというのは正直、少し本当かよ?って思いました。
別の方の動画について
卑弥呼と当時の大陸とを調べると、卑弥呼と三韓征伐の神功皇后とは同一人物?と思った
卑弥呼)魏・呉・蜀が並びたつ三国時代
https://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei02.html
魏・呉・蜀が並びたつ三国時代
”倭の女王卑弥呼が魏へ使者を送ったのは、三国時代の終わりが見えはじめた頃です。三国のうち魏が蜀を滅ぼし、280 年には魏に代ってその権臣司馬炎が建てた西晋が呉を滅ぼして、再び中国を統一しました。”
新羅・高句麗・百済
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90
新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入った
神功皇后=卑弥呼?
んなわけないか、、。
小野妹子にしても、遣隋使か遣唐使か忘れましたが、この当時から意思疎通や
言語は通じていたのかな?
もし、身振りや手振りだけで会話となると、お互い頭の回転が速いと、共感もスムーズに期待できると思うけど、どちらかが鈍いと、謁見だけでも半日以上かかっちゃうかもしれないと思います。ましてや、その時に”侵略”でもされたら謁見どころの話ではなくなると思います。
また、三韓討伐において、こちらが侵略する場合だと、戦国時代背景だと、
兵糧、水、負傷者の手当、武器の手入れなど、多岐に渡る事柄が容易に想像できるけど、三韓討伐の際には、三国とも日本の支配下に置いたということだから
かなりの”戦術”がこの時代から用いられたような気がしました。
強いて言うなら、日本にも”諸葛亮”ほどの軍師がいたのではないかと
勝手に連想しました。
あと、この時って、神功皇后はお子さんを宿していらっしゃったということですが
色々と考えさせられました。
ちょっと罰当たりなことを書いて申し訳ないと思いますが、当時、神功皇后はお子さんを宿していらっしゃっいながら、髪を結えて男装して、討伐したとありますが、
その皇后を見た周りの方たちはどう思ったのでしょう。
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