昼食の話

 私はここ四年ほど、昼食運に恵まれていないと思う。


 それより前の小学校時代はよかった。昼食全盛期といったところか。そのころは温かく、おいしく、量も満足できる給食が提供され、とても幸せだったと思う。


 おまけに、某ウイルスが流行する前であったため、給食を食べながら人狼やしりとり、さらには食器じゃんけんという片付けの役割を決めるじゃんけんが行われ、給食の時間は小学校時代の楽しい思い出の一つであった。


 あと、給食を語る上で欠かせないおかわりじゃんけんも思い出深い。


 おかわりじゃんけんと言われれば誰しも一つや二つエピソードがあるものであろう。もしかしたら三つや四つ、それ以上ある人もいるかもしれない。それほどおかわりじゃんけんは人を熱狂させる。


 そういう私の印象に残っていることと言ったら、それは一対一の決勝である。この時ばかりはもうクラス中が沸いた。これ以上クラスが一つになって盛り上がったことはこれ以外で多分ないと思うほどの盛り上がりである。それほどだ。


 おかわりじゃんけんの決勝、ましてや一対一と言ったら、残り一つの好物を求めて幾多のライバルを退けてきた歴戦の強者同士による一騎打ちである。ある者は深呼吸をして心を落ちかせ、ある者は見えない何かと戦ってガッツポーズを作り、またある者は「俺、パー出すからな!」と宣言し、相手を惑わせて心理戦に持ち込もうとする者いた。


 決勝のルールは、グー、チョキ、パーの一本勝負の時もあれば、三本勝負の「さんま」、さらには五本勝負の「ごま」があり、果てには「あっち向いてほい」の時もあったので、ここでは互いが得意とする戦法で激しい戦いが繰り広げられてきた。


 ここまで勝ち進んできた二人は最後の最後まで最善の手を考えようとギリギリまで粘りに粘り、やがて、互いに目を合わせ、手を繰り出す。


 勝敗は一瞬で決することもあれば、互いに一本も譲らない展開になることもある。あいことなればこれはもうアツい。サッカーで言うとPK(後攻)での4−5、野球でいう点差三点の九回裏ツーアウト満塁、テニスや卓球のデュースの状態である。身近なところで言うと、走って五分かかる停留所に着くバスがあと六分で出発してしまう時のような緊張感が性質が違えどあると思う。


 そして再び、互いに手を繰り出すと、次の瞬間


「勝った」


「負けた」


 二人の脳内にそれぞれの言葉が響き渡る。


 勝者は勝利の雄叫びをあげ、敗者は悔しさで床へ倒れ伏す。そうして残り一個の好物は勝者の手に渡り、この長き、白熱した戦いは幕を下ろす。好物を手にした彼らは凱旋する間、ファンサービスを行って我ら観客を楽しませてくれた。


 このように、おかわりじゃんけんにはドラマがある。おかわりじゃんけんの数だけ勝者が生まれ、おかわりじゃんけんの数だけ敗者が生まれる。しかし、彼らは互いに健闘を称え合い、手を取り合う。おかわりじゃんけんの数だけ感動が生まれるのだ。


 今から五年ほど前でも、私はその感動は未だに覚えている。だが、五年も経てばその間に給食の形態が変化していたり、学校を卒業していたりする。それによって、いつしかおかわりじゃんけんを観戦する機会は無くなってしまった。高校では列に並んで食券を買い、定食やら弁当を受け取る。売り切れたらそれまでだ。時の流れとは無情で、悲しいものである。


 さて、次は私の昼食事情は少し変わって中学の話になる。中学になると給食センターの工事によって弁当式給食を余儀なくされてしまった。私の通っていた中学校には調理室というものがなく、すべてその給食センターから運ばれて来たのであった。その頃にはちょうど某ウイルスが世界的に流行していた時期であったので、弁当式であればあらかじめ作られたものを配るだけで、配膳によるウイルスの混入が防げるし一石二鳥と考えたのだろう。フタもついているので尚更だ。


 だが、その実態は私にとってはあまり好ましくないものであった。一番悲しかったことといったら、食中毒の予防のために出来立てほかほかの弁当が一度 のである。


 先生かどこかで聞いた話によると、その弁当は工事中のとは別の給食センター

で作られ、そこから配送されるのである。学校までトラックで揺られている間に弁当の中でサルモネラさんが生き生きとしていては困るので当然のことであるのだが、給食の時間、「よし、今から食べるぞ」と開いた弁当箱の中に、スプーンを入れた時に「クチャ……」と音を立てる冷たいシチューが入っていたらどう思うだろうか。その虚しさは計り知れない。


 さらに悲しいことには、汁物が一切出なかったのである。弁当式が始まった初期の私は「あぁ、冷たいな。でも、お味噌汁とかスープが出てくるなら、まぁ我慢できるかな」と甘く構えていた。幸いにも、白米はただ一つ別の容器にて温かい状態を保っていたため、この調子なら可能性はわずかに残っているだろうと思っていたのである。だが、その淡い幻想は見事に打ち砕かれた。汁物は出なかったのである。これがもたらした精神的ダメージはデカい。


 そして、極め付けには給食の時間の短縮である。弁当箱を配るだけなのですぐ終わるだろうという見込みだろうが、実際には時間はあまり変わらず、ただ食べる時間が減っただけである。そのおかげで急いで給食をかき込まねばならず、冷たい給食と元々弱いお腹にてお腹を下したのも二度や三度ではない。


 冷たい給食、唯一の癒しは白米なのである。あぁ、白米よ。あなたのおかげで私はここまで生きてこれた。今一度、感謝したい。


 そうはいっても、そもそも別の給食センターで作られたのなら温かい配膳式にして欲しかったと今でも憤りを感じるが、過ぎてしまったことは仕方がないので諦めることにする。だが、決して許したわけではない。当時の気持ちをそのままここに乗せて書いている。このことはいつまでも忘れない。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。

                                続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る