▼29・大人と軍師と腹心と
▼29・大人と軍師と腹心と
その日の夜、元主従が談話の陣幕で話していた。
「わしの息子は遠くまで来たな。臨時とはいえ元帥、軍団の長に就任するとは」
しみじみとする前職の北涼伯ダリウスに応じるのは、宿将マクスウェル。
「そうですな。アルウィン様は、幼い頃からは見違えるほど頑張っておられる。教育のたまものですな」
「教育……教育か」
「どうされました?」
「いや」
ダリウスは腕組みする。
「わしらは確かに武術ほかいくつかの手ほどきをしたが……大半はあやつが自ら読本を集めたり、ニーナやらジェーンやらから直に教わったりしていた印象があるな」
「つまり、我々の関与はわずかにすぎないと」
「おう。どうもそう感じる」
父親は寂しげに話す。
「特にあやつが領主に就任してからだな。まるで誰か別の人間が取りついた、というか、誰かの知見に接続しているかのような感触だったな」
「そういえば、クラウディアの挙兵あたりから、アルウィン様は爵位継承の式典で、前世、とやらの記憶を引き継いだと聞きました」
「前世?」
ダリウスは思わず聞き返す。
「なんだその与太話は。誰が言っていたのだ」
「クラークがアルウィン様とお話ししていたのを聞いた兵士が、小間使いに漏らしたのを料理人がさらに聞いたとか」
「又聞きの又聞きではないか!」
ダリウスはカラカラと笑う。
「だが……あながちただの与太話とも言い切れんな。前世うんぬんが的外れだとしても、アルウィンが何かの機会に、誰か時代を先駆けた者の知見を享受した、というのはほぼ確実であろう」
「そうでなければあの改革の発想は出てきませぬゆえ」
「うむ。その誰かが誰なのかは分からんが、そこまでは分からなくてよいのかもしれんな」
ダリウスはあくまで前世の存在を否定するようだったが、しかし外付けの知見はほぼ確実にあると踏んだ。
前世に疑問を差し挟んだのは仕方がない。さすがに貴族や上級の武将の間では、そのような話はただの与太である。
クラークやニーナが信じたのは、ひとえにアルウィンとの信頼関係ゆえといえる。
ともかく。
「しかし時代を先駆けた誰かだけでなく、その見聞を大きく吸収したと思われるアルウィン様も充分にすごいと思いますぞ。正直、爵位継承前ののんびりした御曹司とはまるで別人のようでした」
「ふふ、そうか」
ダリウスは少し寂しげな目をした。
「その何かに目覚めた愚息が、この正念場をどう乗り切るか見ものだな」
「ダリウス様は前面に立たれないのですか」
「わしが立ったところで、もうわしの手に負える事態ではない。息子を信じることにする」
彼は「家督を手放した親ができるのは、子を信じることだけだな」とぽつりと言った。
翌日、臨時元帥アルウィンは軍議を開いた。
海景伯ジェームズ、承平侯バロウズ、炯眼公……だけではない。
彼らとのつながり、あるいは国王への忠誠心ゆえに王家側に与する、上級から下級まで、貴族たちがずらりと並ぶ軍議の卓。
しかし緊張している余裕はない。
「皆様方、お集まりいただき感謝の念に堪えません。軍議を始めさせていただきます」
彼は一礼すると、彼我の状況をまとめる。
王家軍は南、放伐軍は北に布陣している。
戦場中央に川があり、西から東に向かって流れているが……水深は浅く、渡河に困ることはまずない。水攻めでもない限り、足止めは期待できない。
この川は西の山に水源を有しており、山林の隙間を低地へと流れている。
東にはうっそうと森が茂る。
ただし火計は期待できない。枯れ木等は少なく、火のつきにくい生木がその多くを占めているのだ。
なお、単純な戦力数なら、王家軍が放伐軍を少し上回っている。この辺りはゲーム「アクアエンブレム」と似通っている。逆にいえば、少なくともクラウディアとその仲間たちは、数的劣勢から計略と軍法の限りを尽くして逆転勝利をするほどの才覚に恵まれている、ということになる。
決して油断も力加減もできない。全力で当たらなければ、勝利は遠い。
炯眼公が堂々たる態度で意見を出す。
「敵は、西の水源に細工して水攻めを仕掛けてきそうだな。一方で東の森にも伏兵を置くぐらいのことは考えそうだ。どうせ相手方の軍師もその程度のオツムは持っているのだろう?」
「そうですね。私の知る……もとい聞く限り、軍師ハーミットはそれを考える頭はありそうです」
言うと、海景伯ジェームズが尋ねる。
「ちょっと待てアルウィン。あくまで攻め手は放伐軍なんだろう、じゃあ相手の兵站が機能しなくなるまで、お前たちが普請したこの防御陣の中でじっと待っていれば、水攻めも伏兵もなく、あちらから向かってくるしかなくなるんじゃないのか。ちょうどお前も、改革の中で兵站を強化したようだし」
待ち構える戦法。しかしアルウィンは首を振る。
「調べたところによると、放伐軍も兵站はかなり強化しているようです。にらみ合いを続けるだけでは、敵の兵站はほとんど衰えないとみてよいでしょう、実際、相手は長期戦に向けて、将兵で畑を作る用意もあるようです」
いわゆる屯田に近いものだ。
「むむ、戦場で農作か、いやはや驚いたな」
「ともかく、にらみ合いはほとんど意味を持たないと考えてよいのではないでしょうか。水攻めと伏兵をどうにかする方向でないと勝てないと思います」
一同はしばし沈黙。
「北涼伯アルウィン殿、貴殿はよい知恵を持っておいでか?」
耐えかねたのか、炯眼公は話を総大将に振る。
「知恵というほどのものではありませんが、まあ、お話ししましょう」
アルウィンは一呼吸し、心の中でつぶやく。
……いまこそ奮起の時。
「まず水攻めについてですが、そもそも――」
翌日。
「一通り水攻めの用意は終わったな。あとは機を見て堰を切れば、王家軍はなすすべもなく押し流されるという寸法だ」
軍師ハーミットが部下たちに言い聞かせていた。
「見張りにも充分に兵を割いた。もし相手がこの地点に奇襲を企てていても、我々の誇る優秀な哨戒兵がすぐに見つけるだろう。布陣も完璧、仮に戦いになっても迎撃は成功する」
しかし、それを聞いていた兵卒の一人がおずおずと。
「しかし軍師様」
「なんだ?」
「あの……これは上手くいきすぎな気がしやすが」
上官に対して、言葉を選んでいるようである。
「準備の間、全く邪魔も入らず、交戦もなく、本当に何事もなく堰を作ったんです。これは何かあるのやないかと」
「まあ、そう思うのも無理はないな」
ハーミットは腕を組む。
「相手にはアルウィン、炯眼公、その他軍学に詳しいのがゴロゴロいる。全く邪魔が入らなかったのは、不審ですらある。しかしだねペトロ」
彼は眼鏡を直す。
「どんなに軍略に長けていても、戦いというのは常に晴れ渡っているものではない。闇の中、よく彼我が見えない状況で策を練らなければならないこともある。そうだとすれば、見落としがあるのはやむをえぬことだよ」
「そうでやすか……」
だが、この会話の直後、状況は動き出した。
「申し上げます、背後より奇襲!」
ハーミットは表情を変えた。
「王家軍と思われます、軽歩兵が先の崖を登ってきた模様!」
見えていなかったのは、ハーミットのほうだった。
登ってきた崖とは、偵察兵の言うとおり背後であり、しかも急峻な崖であることから、全く警戒していなかったものである。
「ぐぐぐ……応戦の用意――いや、工作兵では限度がある、やむをえない、撤退だ!」
「工作設備は」
「捨ておけ、破壊している余裕はない!」
ハーミットは剣を抜き、一人でも多く味方を助けるべく、敵のいるほうへと向かっていった。
一方、森に伏していたロベルトも。
「なんだ!」
「奇襲です、突然王家軍が現れました!」
「突然? そんなはずはない、森の道は全部把握していたはずだ、どこから現れ――」
敵のほうを見て、ロベルトは気づいた。
人が通ることを想定していない獣道。敵はそこから自分たちに急襲したのだ。
「この辺りの猟師に金でも握らせたのか、くそっ」
一瞬でからくりを悟る突撃将。彼も頭は決して悪くはなかった。
……だが、この急襲は事前には見通せなかった。
「全隊散開、八方から離脱せよ!」
敵を少しでも分散させるため、そして被害を少なくするため、彼は散開の命を下した。
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