▼13・炯眼公という男


▼13・炯眼公という男


 同じころ、領内の凶賊討伐から帰ってきたクラウディアは、父ブルックに連れられ、ある公爵のもとを訪れていた。

「いやはや『炯眼公』、この忙しいさなかにお会いできて光栄です」

 あいさつをすると、「炯眼公」とあだ名された貴族はクラウディアに目を留める。

「おや、このお嬢様は」

「おお、こちらは我が娘クラウディアにございます」

 じろじろ見てくるぎらついた公爵の視線を振り払うかのように、彼女は努めて明るくあいさつする。

「常陽伯ブルックの娘、クラウディアですわ。なにとぞよしなに」

 しかし公爵の目線は、なめつけるかのように。

「くっくっく、どなたかと思えば、変わり者、もとい勉学と武芸に熱心なお嬢様ではありませんか。わしはそういった勉学も無駄とは思いませぬし、武芸も……お嬢様としてはやりすぎとは見えれど、むしろそれ自体は当然と考えておりますが、将来どこかへ嫁ぐときは愛嬌を常に忘れずにしたほうがよろしかろう」

 公爵の言葉は余計なお世話といえるものだった。

 だが。

 炯眼公は兵法や政治の勉学も「無駄とは思わない」と言った。

 これは別に公爵の社交辞令ではない。この世界では、女性がそういった勉学の成果を発揮することも、決して少なくはなかった。

 クラウディアが変わり者と呼ばれる所以は、女子がそういった科目を学ぶことそのものではなく、長兄と次兄が領地を回しているのにそのような道に備えているということにあった。

 もし彼女が兄弟姉妹で一番の年長であったら、なんら不思議がられなかっただろう。

 閑話休題。

「ところで常陽伯殿。わしの家は常に汲々としていてな。実入りが少なくてなかなか思うようにいかぬのだ」

 実入りが少ない?

 屋敷の調度品はずいぶん豪華だったようですが。

 クラウディアはのどまで出かかったその言葉を呑み込んだ。

「たとえばこたびの閲兵式、わしはたくさんの兵員の出陣を割り当てられてしまってな。そうそう結集できる余裕などないというのに」

「なるほど、実入りが少なくて困っているのですな」

 ブルックはニヤリと笑うと、箱を取り出した。

「ここに金塊がちょうどあります」

「ほう」

「このままですと我々も持て余しますゆえ、資金の足しにしていただければ、金塊も上手く使われて喜ぶというものです」

「ほう! これはこれは」

 炯眼公はニヤリ、と笑う。

「ありがたくいただくとしましょう。なに、貴殿の高徳さにものちに報われる時がきっと来るはずですゆえ」

「ふふ、そのときを楽しみに待っておりますぞ」

「ところで……クラウディア嬢の嫁ぎ先は決まっておるのかな?」

 彼女は一瞬だけひるんで身震いした。

「決まってはおりませぬ。まだ時機を見極めるときゆえ」

「ふむ……わしの息子たちの誰かの嫁にしたいものだな。ただ、本人たちの意思次第ではありますがな。わしは特になんとも思いませぬが、クラウディア嬢の勉学熱心さは、息子たちにはどう映るのやら」

「むむ」

 ブルックは多少難しそうな顔をして沈黙する。

「まあ、これは急いで考えることでもあるまい。常陽伯殿、貴殿の差し入れは忘れませぬぞ」

「ありがたき仕合わせ。微力ながらの行いの報いが待ち遠しくあります」

 二人は忍び笑いをし合った。


 帰り道、馬車。

 やっかいな聞き耳がないことを確認したクラウディアは、父に告げた。

「私、あの方はなんとなく嫌いですわ。それにあの金塊は、袖の下……」

「まあそう言うものでもないぞ、クラウディア」

 父ブルックは娘を制した。

「この社会を円滑に立ち回るには、あいさつ代わりの袖の下も必要というもの。清廉潔白なだけでは、人は評価されぬ」

「そんなことは……!」

「あるのだ。民や下流の者には持ち上げられよう。しかし彼らも結局は己の利得しか考えておらぬ。清廉潔白が庶民にもてはやされるのは、それ自体が高徳だからではなく、そうされなければならないという記号だからだ」

「しかし」

「お前と仲の良い北涼伯殿の動向をつぶさに洗ってみるとよい」

「アルウィン様は悪徳では――」

「そうではない。そうではないのだ」

 ブルックはまたも首を振る。

「聞いてはいないのか。北涼伯殿は苦労している。その原因の一つは、間違いなく庶民や雑兵のご機嫌取りに苦心しているからだ。……それが悪いわけではないぞ。一つの道だ」

「北涼伯様はご立派な方です!」

「その通り。その高徳さ……否、『庶民に対しては高徳な顔を見せなければならない』という、政治上の理想を、泥をはい回りながら、一生懸命に目指しているからだ。彼は立派だ」

 クラウディアは泣きそうな顔で尋ねる。

「ならなぜアルウィン様を悪くおっしゃるのです!」

「彼はもっと肩の力を抜いたほうがいいからだ」

 ブルックは娘と打って変わって冷静に答える。

「どうせ庶民は気分屋で恩知らずなのだ、適当にごまかすことが処世術というもの」

「そんな……!」

「実際、アルウィン殿は高徳な顔を『見せている』だけで、やっていることは結構えげつないぞ。検地といい農兵制強化といい、民にも結構な負担を強いている」

「それは……」

「まあいい。お前にとっては憧れなのだろうから、好きにしたらいい。政略結婚の道も、わしとしては諦めているしな。炯眼公にさえ難渋されるほどだ、きっとうまくはいくまい。相手がアルウィン殿だったとしてもだ」

 ブルックはため息をつくと、「しかし疲れた、んん」と軽く伸びをした。


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