▼10・慎重な逢瀬


▼10・慎重な逢瀬


 それから一週間後。

 度量衡の改革の進捗が安定してきたところで、彼は常陽へ向けて出発する。

「北涼伯代理はわしが務める。安心して行ってこい」

「父上、申し訳ありません、ご隠居の立場なのに」

「構わん。たまには頼れ」

 ダリウスは「ちょっと前まではいつもやっていたことだ、ハッハッハ」などと呑気に構える。

「領主様……」

 ニーナがなぜか切なげにアルウィンを呼ぶ。

「クラウディア様に、もしひどいことをされたら、私に相談してください」

「むむ? いや、うん、分かった」

 いきなり謎の心配をされたので、アルウィンは面食らった。

「苦しくなったらいつでも、私を頼って構いませんから」

「おお、分かった」

 彼は内心不思議がりながらも、とりあえず了解の意を示した。

「気をつけろよ……もとい、気をつけてください領主様。相手は『変わり者の令嬢』、もしかしたら食わせ者かもしれません」

 クラークが懸念を表す。

 確かに、ゲームの通りなら食わせ者といえなくもない。王家に対し反乱を仕掛けるのだから。

 もっとも、その流れを変えるために、アルウィンはいままで彼女と交流してきた。

 面会できるとあれば、一気に芽を摘み取る千載一遇の好機である。

「クラーク、心配してくれてありがとう。ただ、私をもっと信頼してほしい」

「承知しました」

 それだけ言って、クラークは「ご無事を祈っております」と一礼した。

「ジェーンとマクスウェルは仕事で、抜け出せないようだな。見送りはこれだけだ」

「充分です父上。皆、ただでさえ忙しいのに、『わけのわからない』令嬢との面会の旅を見送ってもらえるのは大変感謝しています」

 アルウィンは謙虚に応じた。

「まあクラウディア嬢をあまり下げるな。行って来い」

「行ってまいります」

 彼が馬車に乗り込み、「あとをよろしくお願いします」と言うと、馬車は動き始めた。


 馬車に揺られながら、アルウィンは考える。

 相手にとっては初対面。

 こちらにとってもある意味初対面ではあるが、ゲームを通じて外見も、人となりも、だいたいのことは把握している。

 彼を緊張させるのは、初対面ゆえの気負いでもなく、相手のことをあまり知らないがゆえの一種の恐れでもない。

 すべては歴史を変えるため、そのために何をどうしたらよいか、その答えを探らなければならないこと。この一点に尽きる。

 この世界がゲーム通りに進んでいれば、今頃はちょうどクラウディアが政争を嫌がり始めたあたりのはず。

 彼女はその様子を、父親の随行を通じて見聞し、そこから貴族の腐敗を目にするに至った。

 ――ゲームによれば、そうなるはずである。

 しかし、北涼伯アルウィンがこの時点でクラウディアに接触できる時点で、歴史は少しではあるが変わっている。

 問題は、この波をうまく生かすことができるか、その命題に彼は緊張しているのだ。

 しかし、実際に面会するのは血の通った人間でもある。相手には相手の感情があり、人格があり、アルウィンと同じく人としての心がある。

 その点は重く強く心得なければならない。

 ゲームでは、しょせん主人公クラウディアですら、プレイヤーとは異なる、「創作された他人」だったが、この世界は違う。

 彼は哲学者ではないので、この世界の人間が、「人間」として生きているか、何かきわめて高度な人工知能のようなものに沿って機械的に動いているか、知るすべはない。例えるなら、生身の人間なのかNPCなのか、といったところだろう。

 しかし、仮に人工知能が動かしているのだとしても、人間とほぼ同等の思考回路を持っていることは間違いない。

 つまり、この世界の人間に対しては、実質がどうであれ「人間」として接しないといけない。

 クラウディアも、反乱の引き金となるNPCとしてではなく、血の通った人間とみなして、慎重に接近しなければならない。

 くれぐれもシナリオのコマ扱いは避けなければ。

 彼は深く息をついた。


 やがて馬車は常陽に到着し、簡単な手続を済ませて、アルウィンはクラウディアのいる応接間の扉の前に立った。

 怖さも緊張も、自ら歴史を改変するのだという挑戦心も、ないまぜとなって彼の胸に去来する。

「北涼伯アルウィン参上しました」

「どうかお入りください」

「入ります」

 彼が扉を開けると。

「どうかこちらへおいでなさって、親愛なる友人よ」

 前世でよく見たその姿。

 穏やかな笑顔。耳を静かになでる声。勇気と優しさを兼ね備えた眼差し。凡百の人間とは違うという、確かな存在感。

 アクアエンブレムそのままの彼女がそこにいた。

「クラウディア殿……」

「アルウィン様、よくいらっしゃいました」

 幸いにも、クラウディアはアルウィンの複雑な胸中に気づいていない。

 気づかせてはならない。見破られれば全てが台無しだ。戦うしかなくなる。

 彼は静かに一礼し「失礼します」と彼女の向かいの席に座った。

「アルウィン様、噂には聞いておりましたが、とてもりりしいお顔ですわ」

「ありがとうございます」

 そうであった。アルウィンというか斯波にとって、クラウディアはゲームを通じてよく知っている存在だが、この時点のクラウディアはアルウィンとは初対面だった。

「さて、何のお話からしましょうか。ふふ」

 彼女は上品に微笑む。変わり者とはいえ、さすがは伯爵家の令嬢、その品性はアルウィンの追随をも許さない。

 この女性が後に放伐軍を率いるとは、アルウィンとその話を聞いた友人以外、誰も思わないだろう。

「そうですね、私としては、我が領内で行われている改革についてご助言をいただきたいですね。ちょうどクラウディア殿も内政に詳しいとお聞きしましたので」

「まあ。私など、最前線で頑張っておられるアルウィン様の足元にも及びませんわ」

「ご謙遜を。私はクラウディア殿のことを高く買っております。それに貴殿としても、そういった話をするのはお好きではないですか?」

「ふふ、全てお見通しなのですね。分かりました、微力ながらご助言させていただきとうございますわ」

 まだ初対面のこの状況で、まさかいきなり放伐の話をするわけにもいかない。

 未だその時機ではない。まずは親交を深めないと。

 彼は慎重に彼女の心に近づく。


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