▼03・魅惑の主人公クラウディア


▼03・魅惑の主人公クラウディア


 クラウディアは、父の治める常陽領で、兵学の写本を読んでいた。

 午前中の日課である武芸の鍛錬はすでに終えた。彼女にとっては、武技の修練は終わりのないものであるが、それはそれとして区切りはつけなければならない。

 ともあれ、彼女を呼ぶ声があった。

「お嬢様、クラウディアお嬢様」

「……ん? なにかありましたの?」

 小間使いの少年は、兵学に勤しむ令嬢に、恐る恐る声をかけた。

「あの、手紙を預かっております」

「手紙? どなた様のを……?」

「北涼伯アルウィン様からです。伯爵様直々のものです」

 彼女は首をかしげた。

「わたくし宛てにですの?」

「はい」

「お父様宛ではなく?」

「はい」

 政治的な信書のやり取りなら、父ブルック伯爵に宛てられるはずである。縁談の話だとしても同様。

 この世界は女性でも武将や貴族がいるので、クラウディア含む女性は単なる政略結婚のコマではない。

 しかし常陽領には嫡子である長兄や、嫡子ではないものの次兄がおり、その二人が領地経営の中心となっている。彼女が政略結婚の道具となるのは、ありえないことではなかった。

 だが、このアルウィンからの手紙はクラウディア個人宛だという。それはつまり、順当に考えれば、彼が彼女個人に興味を持ったということであろう。

 なぜ?

 いや、答えは見当がつく。貴族の令嬢で、長兄や次兄が領地経営の主軸であるにもかかわらず、その運命を避けようと、武術の修練――は貴族の子女なら当然なのでよいとして、兵学、政治の知識ほか武将や政治家に必要なものを学んでいる、変わり者の令嬢に興味を抱いたのだろう。

 その噂をどこで聞いたのかは分からないが。

 とりあえず、味方を増やすのは悪いことではない。それが爵位を継いだばかりの、新進気鋭の地方領主だとすれば、なおさらのこと。

「手紙を受け取りますわ。ありがとう、よろしくてよ」

 クラウディアが花咲くような笑顔を向けると、まだ幼さが残る小間使いは顔を赤くしながら「失礼します」と足早に去っていった。


 手紙だけで女性を口説くのは大変である。

 アルウィンはそのような、見方によっては平和な、しかし切実な事情が掛かっていることを考えながら、執務室で仕事をしていた。

 女性を口説くといえば、豊臣秀吉は女好きで有名だったと聞く。その正妻が主君の織田信長に陳情の手紙を出すほどに。

 そこまで考えて、アルウィンは思いついた。

 自分は斯波だったころの趣味を経由して、戦国時代を中心に、地球世界の歴史の出来事については少しばかり詳しい。

 北涼の政策は、地球世界の歴史を手本に考えればよいのではないか?

 そういえば兵糧開発の時も、兵糧丸や芋がら縄の存在とおおよその作り方を知っていたのは、斯波としての知識を参照したからだった。

 そうだとすれば、賢人は歴史に学ぶとの格言通り、アルウィンも、この世界のこれまでの経過と、地球世界の史実を参考にすればよいのではないか。

 彼は、目の前が少しだけ明るくなった気がした。


 まずは、つらつらとなんとなく考えていた織田信長と豊臣秀吉が手がかりになるだろうか。時代的なもの、具体的には近世レベルの諸々や、さらにいえば世界の構成全体が、彼らの時代に似ているといえば似ている。

 この両者に共通するものは、兵農分離。

 信長は職業軍人の組織化を行い、秀吉は刀狩などでそれをさらに発展させた。なお、それまでは農民が有事に兵を兼ねる農兵制だったといわれている。

 だが、と彼は自分自身に批判を向ける。

 彼らは全国的にそれを行ったが、アルウィンのいるここは、全国の方針を決める王都ではなく、一地方領にすぎない。

 兵農分離の最大の利点は農繁期にも軍を動かせることにあるが、北涼だけそれができたところで、何か得することはあるのか。

 もし事がクラウディアとの決戦に至れば、王国軍側にはそれなりに多くの地方領主が与すると思われるが、農繁期に戦うつもりなら、その王国軍側全体がそうでなければ足並みがそろわないのではないか。

 さらにいえば、放伐軍側もそうであった場合はあまり意味がない。

 どうするか。

 ……とりあえず評定を開いて、頼れる家臣たちにその是非を聞いてみるか。

 三人寄れば文殊の知恵。家臣団が全員力を合わせれば、文殊をもはるかに超えるだろう。

 北涼伯アルウィンは他人の言に耳を傾けるという、いかにも領主らしいことをしてみることにした。


 早速、評定を開いたところ、やはり不評だった。

 長所としては、農繁期に軍勢を動員できることのほかに、農業と軍事を分離することでそれぞれの効率が上がるという意見も出た。

「単純に、一人に二つのことをさせるよりは、役割分担をしたほうが捗るとは思いますけれどもね……」

 ジェーンは、言葉とは裏腹に反対の意を表した。

「効率が上がったところで、農業生産力はそんなに上がらない、といったところですか」

「領主様のおっしゃる通りです」

 彼女はうなずいた。

 そして、アルウィンの予想に少し反して、この制度の短所は次々と挙げられた。

 まず、兵が土地に紐づかないことになるので、防衛戦の踏ん張りが弱くなるのでは、というもの。

「アルウィン……いや領主様、俺は傭兵たちの手配も担当しているから、土地に結び付いていない兵のことも知っている、います」

 発言したのは、アルウィンからみて分家筋の若手、クラーク。

 アルウィンにとって信頼できる友人の一人だ。

「しかし傭兵の士気の上がりにくさはひどいものです。窮地に陥ったらさっさと逃げるし、傭兵に依存している他国の例では、傭兵同士が密約を結んで八百長の戦にしたりもしているようです。職業軍人といえども、土地に紐づかなかったら、結局は傭兵と似たようなものじゃねえかな、ないですか」

 どうも彼は、アルウィン相手に敬語を使うのは慣れていないようだ。

 アルウィンは笑いを抑えながら、あくまで領主としてうなずく。

「そうだね……傭兵が増長して国を滅ぼす話は聞いたことがあります」

 主に地球の世界史で。

「ニーナはどう思いますか?」

 ニーナ。ジェーンの娘にして、これもまたアルウィンにとって頼れる同年代の人物である。

「職業軍人の組織を維持する費用が気になります。また、クラーク……殿の意見とも少し重なりますが、よろしいでしょうか」

「ああ、遠慮なく言ってください」

「承知しました。……実際、職業軍人といえば聞こえは良いですが、結局は領地にあまり強い思い入れのない兵士が少なからず入ります。とすると、訓練によって表面的な統率はとれても、根元の部分で忠誠心を基礎づける帰属意識、といいましょうか、が期待できないものと私は考えます」

「分断工作とかの計略にかかりやすいとか、少しの劣勢で崩れやすいといったところですか」

「仰せのとおりです」

 彼女は、その平坦な表情に、わずかに得意げな様子を見せた。

 きっとアルウィンにしか感じ取れなかっただろう。

 このニーナ、表情に乏しいのは確かだけども、それを読み取ることができれば……前から思っていたけど、内心は分かりやすい気質だな。

 アルウィンは密かに感じた。

「なるほどなるほど。他に意見は?」

「……ないようですな」

 締めようとしたのは、重鎮の一人、マクスウェル。

「兵農分離は、領主様の肝いりなのは分かりますが、残念ながら廃案にするしか」

「そうですね。しかしただ廃案にするだけでは芸がないでしょう。――私としては当初の提案の逆、農兵制の強化を提案したいと思います」

 アルウィンは予備の案を提示する。

「すなわち、農兵の個々に一律の武具を割り当て、もって貸与します。自然の消耗により使えなくなったものは取り換えをします。費用は北涼の政府が負担することになります」

 これまでは農兵の武具は、各々がそれぞれ調達していた。そのため質の差や、同じ武具でも仕様の違いなどがあり、不揃いで集団戦において少なからず弊害を生じていた。

「装備を一定の仕様と水準に統一すれば、多少の出費と引き換えに、それこそ効率が良くなるのではないかと思います」

「なるほど。一揆などへの対策はどうされる腹積もりで?」

「鎮圧しやすくするのではなく、そもそも起きないように内政を回します。具体性には欠けますが、その辺りは農兵の不満を溜めないようにうまく内政に力を入れる、としかいえません」

 それは、なんとも、とマクスウェルは何か言いたげだった。

 しかし、これはやむをえない。

「ひとまず、当然といえば当然ですが、一揆目的や私的な目的での武具使用、また故意や重過失の損壊については、厳罰をもって予防としますし、一揆などの前段階の『徒党を組む』ことに対しても厳しい規制をします」

「むむ。しかし精一杯対策を施すとしても、武具を持った農兵たちの発言力が、多かれ少なかれ高まることになりますな」

「それは政治的な手腕でどうにかしましょう、同時につぶさに彼らの様子を見ます」

 具体的には、とりあえず目付を配置し、逐一農兵たちの動向を確認します。

 この場では機密に関わるので言えなかったが、どうやらマクスウェルは納得したようで。

「左様でございますか。なるほど……この施策は良さそうですな」

 白髪の宿将がうなずくと、他の諸将も賛成の意思を示した。

「異議なし!」

「異議ありませぬ」

「この北涼にも、改革の風が吹き始めましたな」

 アルウィンはそれを見て、満足げに宣言する。

「では農兵制の強化を可決します。この任に当たるのは……」


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