▼02・たべものだ!


▼02・たべものだ!


 しばらくのち、すっかり元気になったアルウィンは、しかし考えあぐねていた。

 彼はまず斯波としての人生経験が何か生むのではと考え、前世を思い出した状態では初めて、領内の巡察を行った。

 結果、この領地の内政はやはり問題山積であることが分かった。しかし前領主にして内政に長ける父ダリウスは様々な手立てを試みたようで、現在残っている問題はそのダリウスでさえもなかなか解決しがたいものであった。

 前世を丸ごと加えた見識を持つ現在のアルウィンも、やはりその課題はどれも難題ぞろいであると感じた。

 ともあれ、だいたいの問題点は把握した。

 彼が最初に目をつけたのは、兵糧。

 軍事を支えるものであり、、領民の普段の食事にも何らかの形で影響を及ぼしうるもの。それでいて抵抗勢力があまり出ないと思われる分野。

 決して、彼の個人的な食生活を向上させるためではない。彼が美味しいものを口にしたいからではない。

 念を押したが、実際、およそ兵糧というものは、長期保存と実用性が第一の命題であり、食べて美味しいかどうかは第二以降となる。食事を美味くするのは将兵の士気の向上にもつながるが、そこまで考える余裕があるかどうか。

 彼は兵糧開発について、特別班を組織するため、関係部署と民間から人材を召集する準備に手を付けた。


 ほどなくして、兵站部、学者、街の料理人など人員が集まり、北涼伯自ら主導のもと、会議を始めた。

「ということで、諸君にはこれらの命題に沿って、兵糧の開発について私を手伝っていただきたく思います」

 彼が一通り説明すると、貴族の威光に恐縮している街の料理人たちが返す。

「あの、伯爵様、聞くところによると、戦での食糧は……その、占領した土地からの略奪、で多くをまかなっていると聞きましたが」

 彼の言う通りであった。

 食料は「現地調達」。それがこの世界の基本であり、保存食を荷駄隊や兵士各々が持っていって、それを腹の足しにするということは、一部を除いてあまり行われていないことであった。

「その通りです。しかし現地調達には多くの欠点があり、何より民からの恨みを買うものです。私は民には優しくありたいのです」

 少し善人ぶって格好をつけた。これも方便のうちだろう。領主は民に優しい体裁を取るべきだ、なお実際の思考や行動は民への余計な情など持たなくてよい、と斯波だったころに本で読んだことがある。

 そして案の定、料理人たちは感激した。

「おお、今度の伯爵様は慈悲のあるお方でいらっしゃる。良かった……!」

 一方、兵站部の一部の官吏は、この言葉を方便と見破って若干冷ややかな目で見ていたが、まあそれは仕方がないだろう。

「さて、長期保存と実用性、これが何よりの教条ですが、私から提案があります」

 領主自ら、案を提示する。


 そして完成したのが二つ。

 一つは兵糧丸に着想を得たもの。つまり、穀物、薬草、豆類、山菜、そして味を調えるためにハチミツなどを粉にし、丸く固める。

 アルウィンがかつて斯波だったころ、読んでいた雑学の本によれば、カロリーを効果的に摂取でき、薬草の効果で精神を安定させることも可能だという。

 もう一つは芋がら縄。この世界には里芋によく似た「ペルリ」という芋の一種があり、それをメインとして、その葉柄を味噌に似た「ザンデ」で煮て固くする。

 この芋がら縄は、鍋と湯があれば、投入しほぐしてスープとして食することもできるが、何より縄としても使うことができるのが最大の利点である。

 実際に兵士が口にするものと同じく作った兵糧丸と、湯で戻した芋がら縄をアルウィンは試食する。

「いただきます」

 兵糧丸をかじり、芋がら縄のスープを飲む。

 味は。

「まあ、兵糧としては及第点ですね」

 決してまずくはないが、これより美味いものはある。

 兵糧丸はカロリーを摂るため、芋がら縄は縄として使いつつスープの具にするため、と割り切ってどうにかするしかなさそうだ。

 味による兵士の士気向上までは期待できるか微妙である。

「ますはこれを増産するべきですね。兵站主務、さっそく普及にとりかかってください」

「承知しました」

「ただ、これはやはり……」

 専門の炊事部隊を組織して、せめて野戦中などにも余裕のあるときは、きちんとした食べ物を兵士に食べさせるべき、とアルウィンは考えた。

 現代日本では自衛隊にそのような部隊がいたはず。自衛隊ほどの機材や資源は、北涼軍にはないが、それでも専用の道具類を持った専門的な部隊がいるといないとでは、大きく異なるだろう。

 戦力的に北涼軍の一部を炊事専門に割くのは、なかなか余裕がなく大変であるが、兵の士気にも影響するから、整える価値はある。

「次にやるべきことが見えました」

「他にやることがあるのですか?」

「そうですね。全く、領主というものは大変です」

 彼は兵站副長の言葉に、伸びをしつつ答えた。


 軍政担当ジェーン。家督継承の儀において、真っ先にアルウィンを心配し駆け寄ったニーナの母。軍政全般を取り仕切る宿将。

 そして。

「おや、アルウィン坊っちゃん、ではなくて領主様、どうなさいました?」

 アルウィンと同年代の娘がいるとは思えない、衰えぬ美貌。

 彼女はふんわりと笑う。

「兵糧の開発はどうなったのでしょうか」

「一応成功です。兵站主務に実用化を命じました。しかし」

 彼はあごをなでる。

「そもそも、戦場での食事のあり方そのものを考え直すべき、と思いまして、相談をしに来ました」

「まあ。それはそれは」

 彼は彼女に腹案を説明した。

「まとめると、炊事部隊の編制により、兵糧の安定的な供給と、士気の向上が見込めます。荷駄隊も含めて、人員や資源を割くことにはなりますが、全体の帳尻は我らの軍にとって有益となると考えます」

 彼女はそれを聞いて。

「なるほど。しかしいままで兵糧は、基本として『現地調達』でしたね。それを続けることに大きな欠点はありますか?」

「民心です」

 意外にも多少の難渋を見せた彼女を、彼は説得する。

「外征の地で略奪をしたり、防衛の戦いで民草から徴発を繰り返していれば、民の不満も高まります。現状、仕方がないものとして大人しく従う人も多いですが、そうだとしても、その負担を軽減すれば、いずれにしても民心はいま以上に掌握できるものでしょう」

 熱弁。

 特に、将来あるかもしれない放伐軍との戦いは、多くの民にとって政権争いの内戦と映るはず。そのために食糧を徴発していては、民からの信頼も失うというものである。

 もっとも、このことはまだ主張できない。この世界では、その内戦がありうることを、まだアルウィンしか知らない。

 だから彼は巧みに言い換えた。

「本来は国全体で取り組むべきものですが、ことさら私たちの領地を標的とする戦いも、ないとはいえません。我らの王国に限らず、国が割れた事例は、歴史を紐解けば、あちこちで散見されますので。……それに率先して北涼が改革に取り組めば、おのずと我らの領地も名が知れるというもの」

「なるほど」

 ジェーンは優雅にうなずいた。

「この改革は、軍政における新しい手法ではありますが、背後には民心掌握や先駆者になることという政治的な効果も見込んでいます。協力していただけますか」

「もちろんです。坊っちゃんのお考えは筋が通っておられますし、そもそも家臣とは主君の意を実現するために働くものです。全ては領主様の御心のままに」

 彼女はどうやら理解してくれたようで、うやうやしく頭を下げた。


 とはいえ、この世界では炊事部隊の存在は、少なくとも一般的ではないので、編制が完了し安定するまでには、多少の時間がかかるだろう。

 しかし、それは最悪でも、クラウディアが放伐軍を起こすまでに間に合えばよい。そしてそれまでにはきっと間に合う。

 運命の時が来るまで、決して長くはないが切迫したものとまではいえない。着実に固めていけば、戦の始まりまでにはきっと、食糧周り以外も含めた、全ての準備を完了できる。

 ……そしてそれとは別に、クラウディアに接触して、心理的な面から放伐を予防しようとする試みは必要である。

 アルウィンは紙と筆記具を手に取り、将来の謀反人に宛てて手紙を書き始めた。


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