シナリオの導きと逆境の伯爵
牛盛空蔵
▼01・導きの奔流
▼01・導きの奔流
アルウィンは、扉の前でしばし立ち止まる。
もうすでにゲームでいう本編はそれなりに進んでいる。
この扉の向こうに、「主人公」クラウディアがいる。
アルウィンの周囲の空気だけがひりつく。おそらく腹心たちを除いた他の誰一人として、その空気がなぜひりついているのか理解できないだろう。
それはなぜか?
この世界がゲームの引き写しであることを、アルウィンとその親友たち以外は誰も知らないからだ。
ゲーム世界において、自分をあっけなくも蹴散らした相手が、このさして厚くもない扉の向こう側にいる。
「北涼伯アルウィン参上しました」
「どうかお入りください」
クラウディアは、個人としては爵位を持たない。そして、後に自分が爵位どころか王家討伐の軍を率いることになるとは、想像もしていないはずだ。
……できればアルウィンの歴史改変により、王家討伐の流れを断ち切りたいところではあるが。
ともあれ、ここまで来た以上、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
彼は「入ります」と告げ、扉を開けた。
少し時を遡る。
北涼地方にて、家督継承の儀が行われた。
この儀式により、伯爵ダリウスは、形式的には領主の地位や爵位を嫡子アルウィンに譲り渡し、自身はただの元貴族となる。
もっとも、実質は領主の経験を活かし、衰えて仕事をできなくなるときまで、領地のため働くことになるが。
ともあれ。
「ここに私、伯爵ダリウスは、王家より賜りし家督の剣ジーベンを嫡子アルウィンに譲り渡し、もってアルウィンを世継ぎとして認める」
家督を継ぐこととなる嫡子は、うやうやしく剣を受け取る。
その瞬間。
「……うっ……!」
彼の頭の中で、何かが激しく渦巻く。
「どうされました、アルウィン様」
異変を感じたのか、儀式に出席していた重臣の娘ニーナが声をかける。
「ニーナ、儀式中ですよ」
ニーナの母ジェーンがいさめる。
「しかし……」
「続けましょう、伯爵様」
「……うう……」
アルウィンは頭を押さえ、顔色を悪くしながらも儀式を続けた。
そして終わった直後、彼は床に崩れ落ちた。
アルウィンに何が起こったのか。それを説明するためには、順を追って述べることとなる。
まず、彼の前世は現代日本のサラリーマン、斯波という男である。なぜ死んだかは、彼にはあまり思い出せない。
家督継承の儀で、家督の所在を示す宝剣を受け取った直後、どういうわけか、アルウィンの頭の中に斯波としての前世の記憶がよみがえったのだ。
そして、この世界は斯波も生前プレイしていたゲーム「アクアエンブレム」と酷似している。
このゲームは、女性の主人公クラウディアが、序盤では各地を地方領主の娘として転戦しつつ、国の諸事を憂い、中盤以降では自ら軍を率いて王家を打倒する、シミュレーションRPGである。その中の登場人物「北涼伯アルウィン」は脇役として、それほど出番も多くないまま、クラウディアに蹴散らされる役柄だった。
アルウィンであり斯波である、彼の認識が正しければ、現在はゲーム本編がまさに始まったばかりの時期のはず。
ゲーム内において、最序盤でアルウィンが家督を継承したことを、モブとの会話でクラウディアが把握するからだ。
とはいえ脇役は脇役。その時点ではそれ以上言及がなされない。会話もストーリー上必ず経由するものではない。
閑話休題。
ゲーム通りに事態が進めば、アルウィンであり斯波であるこの男は、王家討伐の軍――ゲームの言い方を借りれば「放伐軍」にあっさり討たれる。ついでに北涼地方は放伐軍に占領される。領地管理は主人公クラウディアが行うので、民が虐げられることはないと思うが、そうだとしても討死は避けたい。
民が安穏と暮らせるなら、自分が死んでも構わない、と思えるほど、斯波もアルウィンも人格者ではなかった。
ゲームと同じ流れにならないように、どうにかしなければならない。その流れが避けられるか否かは分からないが、そうだとしてもやはり滅びの運命を前に、なすがままでいるという選択肢はありえない。
彼は戦死の運命から逃れるため、第二の人生へ一歩踏み出した。
踏み出したのはいいが、いまから具体的にどうするか。
もっとも横着な選択肢は、普通に生きて、クラウディアが挙兵した際におとなしく彼女の陣営に帰順するというやり方だが……。
果たしてそんなにうまくいくだろうか?
世に言うタイムスリップとか、異世界に行くとかいうフィクションは、運命の帳尻を合わせようとする力が働いている描写がある。
この世界もそうだとは必ずしもいえないが、そうはいっても、その懸念を妨げるものは何もない。
具体的な心配もある。この領地において、ゲームでは当初、王家に反対する勢力は少数であった――クラウディアが外交手腕や智謀で仲間となる勢力を増やしていった――と記憶しているし、アルウィンとしての今日までの記憶を見ても、この地には放伐に賛成しそうな人間はごく限られてくる。
とすると。
一つには。クラウディアとなんとか接触し、親密になる。その上で、日頃のやり取りで彼女を誘導し、放伐決起への流れを阻止する。
もう一つには。アルウィンがこの領地での人心、民心を掌握して、言うことを素直に聞く下地を作った上で、クラウディア挙兵後、放伐軍に帰順する。
そして、それとは決して両立しない最後の手段……放伐軍と戦って勝利する。もちろんそのために準備を全力で行い、軍備をしっかり整え、周辺の地方領主を仲間にする。
そのような考えが、彼には浮かんだ。
正解はどれか、と問われれば。
正直分からない。しかし一つ目と三つ目を同時に進行する方法はある。
何らかの手段でクラウディアとの接触をしつつ、富国強兵や内政、他の領主との通交によって人心掌握しながら、きたるべき戦いへの準備をする。
そして挙兵時に、もしそれでも戦いに勝てる見込みが少ないと踏んだら、放伐軍に帰順しつつ、人心や人脈の力で周囲にも何かと協力してもらい、運命による修正に抗う。
……だが、できることならクラウディアを討って、放伐軍を丸ごと破壊し、ゲームの流れを完全に変えることが、事後が最も安全になる方策だろう。
そして。
選択肢のうち、一つ目が多少骨だが、緊急を要するものではない。
繰り返し述べるが、彼女が放伐軍を挙兵するのは、ゲームの中盤だったはずだと斯波、もといアルウィンは認識している。
また、やろうと思えば、伯爵家の生まれではありつつも最後まで爵位を持たない彼女と、爵位持ちで多少の権威があるアルウィンが接触することは不可能ではないように思える。
つまり具体的にやるべきことはただ二つ。内政などによる富国強兵と、クラウディアとの交流。後者はおそらくだが文通が主となる。
特段冴えた方策ではない。地道でじっくり、見方によっては泥臭くもある、堅実な方法。
しかれど、そのような手段が滅びの運命を回避すると信じて。
彼はうなずくと、前世の記憶がよみがえったことによる体調不良を、まずは回復すべく、寝台で目を閉じた。
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