第16話 真実の愛

「ルシウス様、何をおっしゃるのです」


 私はうろたえてしまった。

 城下町。繁華街を抜ければ人通りの少ない静かな路地も多く、周囲に人はいない。

 城に向かって歩いていた私はルシウス様に腕を掴まれ、その場に立ち尽くしている。秋の風が吹く。


「俺たちが逃げた事は女王陛下の耳にも届いているでしょう。街を走り回る近衛兵たちも見かけました。俺たちを探しているのだと思います。このまま城に戻ってしまったら、明日の朝、南国の王を迎えに行けなくなるかもしれません。ですから」


 ルシウス様が私の腕を引く。私の身体は彼の胸元にすっぽり収まった。


「一緒に、一晩明かしませんか、姫」


 ドッドッドッドッドッと心臓の音が聞こえる。

 私の? いえ、ルシウス様のものかもしれない。

 緊張が走る。


 ルシウス様が言う通り、城に帰ってはいけない。

 その通りだ。

 私は自分に言い聞かせるように胸の中で繰り返した。

 だったら、行く当てがないのなら、ルシウス様と一緒に、一夜を……。


 私はルシウス様の胸元に自分の額を預けた。

 ルシウス様が私の頭を撫でる。心地よい、いつものふれあい。ああ、私はこれが好きなんだ、と改めて思う。


「そうですわね。私、ルシウス様と一緒に居たいです、朝まで」


 そう打ち明ける事も、恥ずかしくなかった。


 ――そして私はマーシャル公爵家の別荘を訪れた。のだが。


 私はてっきり、ルシウス様の誘いは男女の仲を深めるような、そのような類のものだと思った。

 が、違った。


 別荘についた私は、まずルシウス様にお手製のディナーを振舞われた。

 その後美容クリームをたっぷり使ったマッサージを施され、大陸で流行っているという物語の朗読を聞き、茶菓子を振舞われ、入浴剤の入ったお風呂を用意され、湯上りのシャンパンを楽しんだ。

 そしてルシウス様にナデナデされ続け、眠りに落ちたのである。


 そう。ルシウス様はただ私に一晩尽くした。それだけなのだ! 一晩一緒に過ごして、私たちの間にやましいことは一切ない! あれだけ愛していると言っておいて!


 少し拍子抜けしてしまった。


 ……なんて言っては失礼かもしれない。けれど、でも、そんな一夜もとても良かった。ルシウス様に愛されている、大事にされている、そう実感した。それはそれで、最高に良かった。


 ◇


 私たちは翌朝、南国の王と食事を共にし、そのまま王宮へ王をお連れした。

 王宮では会談の準備が整っており、今はもう滞りなく話し合いが始まっている。


 王をお連れした時、お姉さまがこちらを苦々しい顔で見ていた。これは後でお説教だろう。そう察したものの、私とルシウス様は逃げも隠れもせず、プライベートルームで会談が終わるのを待っている。


「怒られるかしら、お姉さまに」


 私の呟きに、ルシウス様は冷静に答える。


「姫はともかく、俺は殺されるかもしれませんね。脱獄したあげく、女王陛下が愛してやまないティアナ姫を誘拐し、一晩自分の物にしたのですから」


 ルシウス様の返答を聞いて、私は黙ってしまった。たしかにお姉さまならナイフを振りかざしながら現れたとしても不思議はない。

 そんな話をしているうちに、ついにプライベートルームのドアが開いた。


 お姉さまが入ってくる。

 私もルシウス様も、思わず身構える。


 お姉さまはルシウス様の目の前に立ち、身をかがめた。


「――ルシウス・マーシャル。すまない、助かった。ありがとう」


 お姉さまが頭を下げている。

 ルシウス様に向かって、頭を下げて謝っている。


「女王陛下、頭をお上げください」


 さすがのルシウス様も慌てて、身をかがめ返した。お姉さまの予想外の行動に、どうしたら良いのかわからない様子だ。

 けれどお姉さまは、一向に顔を上げる気配がない。


「悪い事をした、ルシウス・マーシャル。すまなかった。知らなかったのだ。貴様がずっと私の国政を支えていた事。外交の補佐をすべて担っていた事」


 お姉さまは頭を下げながら、南国の王からすべてを聞いたとルシウス様に告げた。


「ルシウス・マーシャル。お前はずっと一人で諸外国のパイプ役を担っていたのだな。私はそれも知らず、投獄など無礼な真似を……すまなかった」

「恐れ入ります、女王陛下。しかしながら、このルシウス・マーシャルがいけなかったのです。私利私欲のために隠密行動をしていました。それに、陛下の意向を聞くことなく勝手に動いていたのです。反逆行為と言われれば、その通りでございます」

「いや、咎める気はない。……今後も、よろしく頼む」


 ルシウス様とお姉さまが、和解の握手を交わしている。二人の関係が良くなることは、私も嬉しい。


「ところでルシウス。貴様、なぜ隠密行動をとっていたのだ?」


 お姉さまの問いかけに、ルシウス様は不敵な笑みを浮かべた。

 昨日はあれほど答えるのを嫌がっていたルシウス様が、お姉さまに向かって堂々と返答する。


「それはもちろん、ティアナ姫への愛を示すためでございます!」

「……愛?」

「ええ。このルシウス・マーシャル、姫のため国のため、愛ゆえに動いてまいりました。公務や仕事ではない、この行動こそが、ルシウス・マーシャルの真実の愛!」


 高らかに宣言するルシウス様の笑顔が眩しい。もう吹っ切れたのか、恥ずかし気もなく宣言していくらしい。


「……ほう、それが貴様の『愛』か」


 お姉さまがルシウス様の宣言を受け、負けじとニヤリと笑う。


「ティアナへの愛は私の方が上だ。真実の愛? 笑わせるな。幼いティアナを姉として親として皇帝として包み込み育ててきた私の愛こそ、本当の真実の愛! 誰にも負けぬ愛だ!」


 対抗するお姉さまに、ルシウス様も声を張り上げる。


「何をおっしゃいます女王陛下! 20年以上も隠密この国を姫を支えてきたこのルシウス・マーシャルの愛こそが世界一の愛でございます!」


 ……また始まった。

 私は二人の小競り合いに呆れ、こっそり部屋を抜け出した。

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