第14話 囚われた男
近衛兵たちの許可を得て、私はルシウス様が投獄されている独房の前へと出向いた。
薄暗い独房の中、ルシウス様はこれまでに見た事もないみすぼらしい服を着て、隅に座っている。それでもブロンドの髪と彫刻のような横顔は、いつもと変わらず美しい。
「ルシウス様。お話しよろしいですか」
声をかけると、ルシウス様は驚いたように鉄格子の前まで駆けてきた。
「ティアナ姫! ああ、会えるとは思いませんでした。会いたかった。いえ、どうされました。なぜこのような場所に?」
ルシウス様がせきを切ったように話し出す。早口になる彼の様子に、不安や焦りを感じた。けれど私は、それに気付かないふりをする。彼の感情に触れては駄目だ。きっと彼の苦悩にあてられ、流されてしまう。
私は心を閉ざし、口を開こうとした。
その時。
「いや……そうか。南国の件ですね?」
ルシウス様が言う。
「……なぜわかるのです?」
スパイだから、この国の事はなんでもお見通しとでも言うのか。
胸が痛い。ここまで来て、彼のスパイとしての優秀さを思い知らされる事がつらい。
ルシウス様は鉄格子を握り真剣な顔をした。
「よく聞いてください、ティアナ姫。南国の王は気難しい。会談の席につかせるためには二日前から準備が必要です」
それは初めて聞く情報だった。帝国の貴族たちは誰もそんな事を知らない。
「良いですか、姫。会談の二日前にはフルーツの盛り合わせを持ってご挨拶に行きます。わざわざ帝国までお越しいただいた感謝を伝え、労をねぎらってください。会談前日は朝から観光のご案内をするのです。南国の王は温泉と肉料理が好きです。一緒に温泉を楽しみ、食事を共にしながら南国の歴史について語り合います。それから」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
すらすらと語り始めたルシウス様を、私は慌てて止める。色々言われて理解できなかったのもあるけれど、何より理解できないのはその詳しさだ。
「どうしてルシウス様がそんな事をご存じなの?」
いくらスパイだからって、その情報をどこで手に入れたのだろう。誰の懐に飛び込んで、どこから盗んだ情報だというのか。少なくとも、ミルガルム帝国の中で手に入れた情報とは思えない。
困惑する私の視線を避けるように、ルシウス様は目を伏せた。そのまま自らの格好を認識し自嘲する。
「姫にとっては不思議な事ですよね。仕方ない事です。こうしてスパイと疑われるくらい、俺はずっと自らのおこないを隠してきたのですから」
隠してきた、と言われて、また私の胸はチクッと痛んだ。
スパイ。ペテン師。今のルシウス様を形容する言葉が、私の頭の中を駆け巡る。
「俺はずっとティアナ姫のために生きてきました。ティアナ姫を守るため、ティアナ姫を支えるため、行動してきました。それが俺であり、俺の生きがいです。俺の行動はスパイでもなんでもない。すべてティアナ姫を想っての行動です」
また始まった。
都合の良い事を言っている。
私はそう感じたけれど、黙っていた。ルシウス様の言葉に耳を傾けたい気持ちが少なからずあったからだ。
ルシウス様が続ける。
「女王陛下が女帝の座に就いたのは、10代の頃でしたね。先代皇帝夫妻が亡くなり、陛下はその若さで国を治めるしかなかった。まだ5歳だった姫の親代わりをしながら、国を治め始めた」
お姉さまの話がどうルシウス様の話と繋がるのかわからず、私は黙ったままルシウス様に視線を送っていた。ルシウス様が続ける。
「当時10歳になったばかりの俺も、気合が入りました。陛下が表舞台で国とティアナ姫を守るのならば、俺は裏方として国と姫を支えよう。それが俺の使命だ。そう考えた事が俺の行動の原点です。スパイだと疑われたこの行動のスタートは、それです」
ぴちゃん、ぴちゃんと地下牢のどこかで水が落ちる音がした。湿り気のある空気が身体に重くのしかかる。
ルシウス様の独白が続く。
「俺は、陛下の後見として政治を取り仕切っていた父の教育を受けながら、外交を始めました。公務でもなんでもありません。ただプライベートとして、多くの人と会いました。まだ子どもだったのも良かったと思います。懐に入って、国や人と縁を結ぶ。相手が喜ぶことをする。その繰り返し。どんどん人と縁が繋がって、いつしか俺は、陰でこの国の外交をまとめるまでになっていました」
城にも外交官はいる。けれど彼らは、ただ手紙のやり取りをするだけだ。
そんな外交官たちが、どの国もどの要人も、みんな友好的だと言っていた気がする。
それは、裏でルシウス様が活躍していたから?
もしそうだとしたら、衝撃だ。
城内の誰もがルシウス様の働きに気付いていなかった。
働くどころか、彼に対し遊び人のようなイメージを持つ者もいただろう。城に居る時は私にまとわりつき、それ以外はふらふらと遊んでいたのだから。
でも実際には遊んでいたわけではなく、ふらふらと、外交を重ねていた――?
「俺が南国の王について詳しいのも、これまでの外交の繰り返しによるものです。気難しい王が外交の席につくよう、俺はこれまで幾度となく南国へ出向き、交流を重ねてきました。それもすべて、ティアナ姫のためです」
不意に私の名前が出てきて戸惑ってしまう。
私のためだなんて、彼の甘言が本心なのか、私を騙そうとしているのか、判断がつかない。
「ルシウス様は投獄されてもなお、すべてを『私のため』と言うのですか? 自信を持って、誓って言えるのですか? スパイではないと。すべて、私のためであると」
「当然です」
ルシウス様の赤い瞳は、いつもと変わらず私を射抜いてくる。
「ティアナ姫がこのミルガルム帝国で幸せに暮らせるよう、俺は誠心誠意動いてきました。確かにコソコソ動いていましたが、それも理由があっての事です。決してスパイではありません」
「理由?」
問いかけると、ルシウス様は困ったようにうつむいてしまった。言いたくない、と態度で言っている。そんなにひどい理由があるのか。
「ルシウス様。説明せずに信じろとは横柄ですわ。理由を教えて頂けなければ信じられません」
私は肩の力を抜いて「呆れた」とジェスチャーして見せた。ルシウス様は困ったように顔を歪ませている。
しばらくするとルシウス様は観念して、ボソボソと理由を述べ始めた。
「姫に、仕事だから、と、思われたくなかったのです」
「……はい?」
ルシウス様の呟きが理解できない。私は首をかしげた。ルシウス様が首を振る。
「俺は自分の意志でティアナ姫のために動いているのです。公務だと思われるのが嫌だった。俺のティアナ姫への愛を、仕事に置き換えられるのが心底嫌だったのです。だから、城の人間には誰にも知られたくなかった。知られたら給与が発生し、仕事にされてしまう。絶対に嫌だ! 俺は、職務だから外交をおこない、職務だから姫のためにこの命を捧げ、職務だから姫を支えているわけじゃない。万が一姫にそう思われたらと思うと、俺はひどく恐ろしかったのです……!」
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