第12話 凄い男

 地下牢エリアに入りたい。そう言ったところで簡単に入れてもらえるわけがなかった。

 近衛兵たちは「危険です」の一点張りで、私を中へ入れてくれない。ルシウス様と話したいと言っても、お姉さまの許可がなければ面会不可と言うのみだ。


 私は仕方なく別のルートからルシウス様の足取りを追う事にした。もしも本当にルシウス様がスパイなら、どこかに諸外国との接点がある。

 お姉さまの出した資料には、お茶会で資材を調達した取引先の名前が載っていた。そこを当たれば、もしかしたら何かわかるかもしれない。


 私は執務室でお茶会の発注リストを手に入れると、ドレスを脱ぎ捨て、町娘の装いでこっそり城下町へと繰り出した。護衛もつけずに出かけることは初めてである。緊張と恐ろしさと期待で心の中はぐちゃぐちゃだ。

 でも、探さなくては。真実を。

 私は勇気を振り絞った。


 一軒目に訪れたのは仕立て屋である。ルシウス様はここでシルクをまとめて発注している。


「ごめんください」


 ドアを開け声をかける。仕立て屋の中は真新しい布の香りが充満していた。隅に並ぶ3つのトルソーには、サンプルなのか、紳士服や婦人服が着せられていた。


「はい、ご用件はなんでしょう」


 店主は40代くらいの男性である。首から巻き尺を垂らし、ポケットにはハサミが刺さっている。作業中だったのかもしれない。


「すみません、私は城に務めるメイドのアンナと申します」


 私は適当な職と名前を名乗って頭を下げた。怪しまれたら元も子もない。店主は城という言葉に反応して、揉み手をしながら近くへ寄ってきた。


「これはこれは。先日はシルクのご発注、まことにありがとうございました。……なにか、問題でもございましたか?」


 クレームを付けに来たと思ったのだろう。私は慌てて否定する。


「いえ、とても素晴らしいシルクでした。陛下も大変喜ばれておいでです。そこで、また別の織物を拝見したいのですが、少しよろしいですか」

「ええ! もちろんでございます! 少々お待ちください」


 店主に促されテーブルにつく。机の上には様々な布地のサンプルが並べられた。


「素敵な織物ばかりですね。北東諸国の品もあるのですか?」

「ええ、ありますよ。先日も北東諸国のシルクをご指定でしたね」


 店主が目を細める。


「なんでも、お姫さまが北欧諸国をコンセプトにお茶会を開いたとか。資材が届かなかったそうですけど、なんとか成功させたいとマーシャル公爵子息が躍起になって探しにいらっしゃいましたね。大切な人だから、どうしても成功させたいとおっしゃっていました。微笑ましいことです」


 他人にそう言われると気恥ずかしい。けれど、引っ掛かりもする。


「ルシ……マーシャル公爵子息はどうしてこちらのお店に来たのでしょうか。北東諸国の品はこの国ではなかなか手に入らないと聞きました。公爵子息はこの店に北東諸国の品の取り扱いがあると知っていたのですか?」


 この店主が北東諸国とのパイプであり、ルシウス様はミルガルム帝国の情報と引き換えにこの店主から北東諸国の品を入手した。お姉さまの資料を見る限り、少なくともお姉さまはそう思っている。

 実際、大々的に北東諸国の品を扱っていると宣伝していない以上、ルシウス様がどうしてこの店に北東諸国の品があると知っていたのか疑問だ。スパイだから知っていたのではないか。そう思えてくる。

 私の疑問に、店主はハハと軽く笑った。


「以前買い付けにいらした時に、近々北東諸国の品を入荷すると話していたんですよ。公爵子息は普段から諸外国の品を沢山買い付けることで有名な方ですからね。以前からお得意様です」

「付き合いは長いのですか?」

「そうですね。公爵子息が幼い頃から通ってもらっています。凄い方ですよ、あの方は」

「凄い?」


 凄いとはどういう意味だろう。尋ねる前に、店主は嬉しそうに語り始める。


「外交が得意なのですよ、公爵子息は。まだ10歳かそこらで才能を開花させていました。あの方ほど諸外国と器用に付き合っていける方はいません。沢山の買い付けもそのためでしょう。プレゼントは外交の基本ですからね。本当に、あの方こそ国交の要です」


 ドキリとした。店主の言う「国交」とは何のことなのか。まさか、諸外国に依頼されたスパイ活動のことなのか――。

 私は声を震わせ尋ねた。


「公爵子息は、どういった国交をおこなっているのでしょうか」

「おや、ご存じないのですか?」


 店主が嬉々として話はじめる。


「公爵子息は様々な商人と繋がっているんですよ。極秘情報を入手するのも上手い。それを利用して完璧に立ち回るのです。あれは凄い。そうそう出来る事ではありません」


 ぐにゃりと私の視界が歪んだ。

 商人と繋がっている。それはまあ良いだろう。

 でも「極秘情報を入手するのが上手い」というのは、どうしても真っ当な情報と思えなかった。それはつまり、スパイ活動を褒めている。そうとしか考えられない。

 ルシウス様がスパイであると、同義。

 私の思考が停止する。

 店主がまだ何か言っている。


「公爵子息はこの国の外交の要です」


 店主の発した言葉は私の耳に音として届いているのに、言葉としては届いてこなかった。内容がまったく理解出来ていない。


「公爵子息がすべて裏で取り仕切っているからこそ、この国の外交は上手くいっているのです」


 店主の言葉すべてが雑音でしかない。

 私の耳に届いても、脳には届かない。

 何を言っているのかわからない。


「公爵子息は幼き頃から愛する姫のため、影武者に徹してこの国の外交を支えていました。街の人間はみんな知っています。本当に凄い男だと、みんなが公爵子息をたたえているのです」


 何も頭に入ってこない。

 ただただ雑音が聞こえるばかり。

 スパイ。

 スパイ。

 ルシウス様は、スパイ。


「しかし城で働く方々は公爵子息の活躍をご存じないのですね。まあ、無理もない事です。公爵子息は姫に愛される事以外まったく興味のない方ですから、わざわざ自分の実績をひけらかさないのでしょう。謙虚な方です」


 ルシウス様はスパイ。

 ルシウス様はスパイ。

 ルシウス様はスパイ。


 だんだんクラクラしてきて、意識を失いそうだった。全身の血の気が引いている。頭が、身体中が、しゅわしゅわしている。


「失礼します……」


 私はふらふらしながら立ち上がって店を出た。いまだ何か声が聞こえているけれど、やはり内容は何も入ってこない。

 公園のベンチでひと休みして、リストにあった商店をいくつか回る。

 どの店へ行っても店主はルシウス様を褒めた。


 ――凄い男だ。

 ――出来る男だ。

 ――懐に入り込むのが上手く、どんな相手でも懐柔できてしまう。


 ああ、ルシウス様。

 貴方を信じたいと思う私の気持ちも、懐柔されて芽生えたものなのでしょうか。


 城下町から見上げた城に日が落ちていく。

 空の明かりは濃紺の夜に侵食される。

 信じられるものは、ルシウス様のその高い能力値だけなのかもしれない。

 私も国も何もかも、ルシウス様に騙されて落ちていく。どこか遠い国の知らない王の手に、落ちていく。


「……帰ろう」


 私はお姉さまの待つ城へと帰った。

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