第三章 ルシウス様は悪人か

第10話 私のためではなかったのですか

「どういうことなのですか、お姉さま!」


 私はルシウス様投獄の件を聞き、急いでお姉さまの元へ駆けつけた。

 お姉さまはさまざまな書類に決裁の判を押しながら私を軽く一瞥する。


「どうもこうもない。犯罪者を捕らえた。それだけだ」

「それがどういうことなのかと聞いているのです! お姉さま! ルシウス様が何をしたと言うのですか!」


 私は自分でも驚くくらい声を張り上げていた。決裁を待つ貴族たちがバツの悪そうな顔でそれぞれ視線をそらしている。そんな空気も、今の私には関係ない。

 お姉さまの机を両手でバンと叩くと、お姉さまは面倒くさそうにため息をついた。


「ルシウス・マーシャルはスパイだ」


 お姉さまが鋭い眼光を私に向けて言う。


「……スパイ?」


 言葉を繰り返すしか出来なかった私に、お姉さまはいくつかの資料を突き付けた。外交の資料で、先日のお茶会に関わる資料もある。


「これはルシウス・マーシャルが引き起こした事件の数々だ。あの男は我々の知らぬ所で諸外国と様々な繋がりを持っている。……スパイという事だ」

「そんな……」


 私は資料に手を伸ばした。どれも諸外国の要人に関わる資料で、ルシウス様の密会の記録が残っている。


「ルシウス様が、スパイ……? そんな……この資料だけでは、証拠とは……。なにかの間違いでは?」


 手が震えて、資料を取り落としてしまった。拾おうとしても、足が震えて上手くしゃがめない。恐怖心がぞわぞわと身体を駆け巡っている。


「ティアナ、お前おかしいと思わないのか?」

「何が、ですか?」


 お姉さまは腕を組み、ふうと息を吐いた。


「この国で北東諸国の品々を入手するのは簡単なことではない。茶会開催の3日前に急遽準備を始めて品物をそろえられると思うか? どう考えてもおかしいだろう」

「それは! ルシウス様は以前から商家と交流があり、なんとかなったと……」

「その交流というのがスパイ活動ではないのか?」

「……え?」


 お姉さまは椅子の背もたれに身体を預け、険しい顔で私を見ている。


「我が国はな、ティアナ。昔から諸外国から狙われているのだ。私が女帝となった日から、この国は隙が多くなってしまった。沢山のスパイが潜り込んでいるし、寝返る者もいる。皆が味方とは限らない。だからこそ私はこうして……」


 お姉さまは何か言いかけて、「いや、それはいいんだ」と言葉を遮った。空気が重くなる。誰も言葉を発せず、ぱさっと紙をめくる音だけが響いている。そんな重い沈黙を、またお姉さまが破った。


「ルシウス・マーシャルは執拗にお前にすり寄っていた。この国の機密情報を、もしかしたら女帝である私の弱点を、お前を介して探っていたのかもしれない。スパイとして、ティアナに近づいていたのではないかと私は考えている」


 スパイ。そのために、私に近づいた?

 動悸がして吐きそうだ。

 スパイ。スパイ。そうなのだろうか。そうだったのだろうか。

 ルシウス様は、ルシウス様は私のために何でもすると言っていたのに、それは、スパイ活動のため?


 聴力を失ったかのように、私は何も聞こえなくなってしまった。何も見えない、聞こえない。ふらふらと手探りで部屋を出て、自分の部屋へと這って行く。


 すべて嘘だった?

 ルシウス様の愛が、言動が、すべてが、嘘?

 そんなことあるはずがない。


 そう思いたいけれど、お茶会で見せたルシウス様の出来過ぎた対応が、すべてを否定する。

 私をダシに北東諸国と交流していたのか。

 私へのプレゼントを見繕うように装い、怪しまれずに密な交流をしていたのか。

 スパイ活動のために。

 私の信頼を得るために。

 私のために何でもすると嘘をついて、すべてを完璧にこなしてみせたのか――。


「ひどい……」


 吐き出した言葉と共に涙があふれた。信じられない。全部嘘だったなんて、信じたくもない。

 あの優しいまなざし。さらさらと流れるブロンドの髪。甘い香り。私に触れる温かな手。私に与えられたルシウス様のすべてが、私を、帝国を騙すための、嘘。


 よろめきながら自室にたどり着いて、ベッドに倒れ込む。


 ルシウス様に抱き上げられて、ルシウス様の膝枕で眠りに落ちたあの温かな思い出は、あれはなんだったのだろう。私を愛していると言ったじゃないか。私のためになんでもすると言ったじゃないか。

 私に語った愛は、嘘だった?


 涙が止まらない。


 自分の中でルシウス様の存在がこんなにも大きくなっていることにも驚いた。

 私だってルシウス様がいなければ生きていけないようになってしまっていたのに、こんな形で裏切るなんて、ひどい。

 ルシウス様――。


 ベッドに突っ伏した私はそのまま深い眠りについた。

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