第2話 その「運命」はあなたにとって

 庭園でのいざこざが過ぎ去り、私は王宮の執務室へと足を運んだ。姫である私にも公務がある。

 来月おこなわれる王宮主催のお茶会。私はその総指揮を任されている。今日はお茶会で提供されるメニューを試食・決定することになっていた。


 執務室ではすでに数人の貴族たちが働いていた。

 貴族たちは入室した私に気付くと、手を止め頭を下げた。私は部屋の誰にともなく会釈を返し、奥の席へと向かう。


「プリンセス・ティアナ」


 白髪で長身の、渋みのある男性が私を呼び止め、歩み寄ってくる。


「マーシャル公爵」


 軽い挨拶を交わし、私たちはそのまま立ち話へと移行した。

 この国で一番の貴族であるマーシャル公爵。

 彼は私が生まれる前から先代の皇帝夫婦、つまり私の両親に仕え、この国を支えてくれている。

 そして。


「先ほどは愚息がご無礼を」


 マーシャル公爵はそう言って深々と頭を下げた。

 そう。彼はルシウス様のお父さまなのである。


「申し訳ございません、プリンセス。日頃から言い聞かせているのですが、あの馬鹿息子は恐れ多くもすぐにプリンセスにまとわりつき、大変失礼な真似を……」


 マーシャル公爵が苦々しい顔をする。「失礼な真似」とは庭園での情事……ではないけれど、密着していた事だろう。誰かから庭園でのやり取りを耳にしたに違いない。

 私の頬は恥ずかしさでカッと熱を持った。親密なふれあいをお父上に認知されるなんて、その上謝罪されるなんて、いたたまれない。

 けれど姫である私は毅然として、笑顔を取り繕った。


「いえ、とんでもございませんわ、マーシャル公爵。ルシウス様のおかげで毎日楽しく過ごせています。ルシウス様はいつも私を守ろうと」


 そこまで言って、言葉に詰まる。先ほどのルシウス様が頭に浮かんでしまい、離れない。

 ルシウス様の唇が私の髪に、顔に触れる、あの感触。

 ブロンドの髪から香る甘い匂い。

 優しい声。溶けそうになるほどの熱。

 すべてがリプレイされる。


 熱い。


「――お加減すぐれませんか、プリンセス」

「あ、いえ。ごめんなさい、大丈夫ですわ」


 私はもう一度口角を上げて見せた。しかしマーシャル公爵は私が無理をしていると感じたのだろう。ため息と共に首を横に振る。


「息子には厳しく言いつけます。どうか、どうにか許してやってください」

「許すだなんて! 私、ルシウス様と仲良くできることが、とても嬉しいですのよ」

「あぁ、左様におっしゃって頂き、ありがたく存じます」


 マーシャル公爵ははにかみ胸をなでおろした。


「ルシウスにはプリンセスに相応しい男になるよう、プリンセスをお守りできるよう、物心つく前から常々きつく言い聞かせておりました。それがどうしてこうなってしまったやら。本当に申し訳ございません」


 ズキン。

 謝罪するマーシャル公爵を見て、私の心がなぜか痛む。なぜだろう。わからない。わからないけれど、何かが引っ掛かって、私は目を伏せ会話を終えた。


「では早速、茶の準備をさせましょう」


 マーシャル公爵がお茶会の試食準備を進めていく。私は胸にモヤモヤを抱えながら、その光景を黙って見ていた。


 ◇


 お茶や軽食の選定がとどこおりなく終わると、私は執務室をあとにした。

 夕食まであと30分ほどある。気分転換しよう。心が重たく感じるのは、きっと仕事で息が詰まったからだ。


 私は王宮と塔を結ぶ渡り廊下へ足を運ぶことにした。ここは王宮に吹く風が穏やかに通り抜け、気持ちがいい。

 階段を登り、渡り廊下へ足を踏み入れる。


「あっ」


 そこに先客がいた。

 廊下の中央で手すりに手をかけながら、眼下の訓練場を眺めるルシウス様。私の足音に気付いたルシウス様がこちらを見る。


「ああ、ティアナ姫。約束も無しに会えるなんて、これは運命の出会いですね」


 ルシウス様はパッと明るい顔をして言った。綺麗な笑み。そんな顔をして「運命」だなんて軽く口にするのだから、私のような小娘はすぐほだされてしまう。


「運命、ですか?」


 私の問いにルシウス様は笑みを浮かべ頷いた。


「ええ、そうです。俺はティアナ姫と結ばれる、いえ、姫を全身全霊かけてお守りする、運命の男です。俺の愛は女王にだって負けませんよ」


 近づいてきたルシウス様は私の手をとり、渡り廊下の中央まで私を誘導した。うやうやしく、そして大胆に近づく彼。ルシウス様の甘い香りが風に乗り、私の鼻孔をくすぐる。愛おしい香り。


「ティアナ姫。いつも貴女様のおそばで、この命を貴女様に捧げます」


 いつもなら身体を熱くするルシウス様の甘い言葉に、なぜかどんどん冷静になっていく自分がいる。


「…………」


 運命。

 それは、呪縛。


 そう考えたら肝が冷える。

 ルシウス様は呪縛の渦中にいる。


 私を守り、私を支えるため、そのような家系に生まれたから、ここにいる。私に愛をささやいている。

 すべてはルシウス様の仕事なのだ。


 私は先ほど感じたモヤモヤの原因に気付いてしまった。たまらずルシウス様から顔をそらし、遠く城壁の方へと視線を移す。


「ティアナ姫、どうかされましたか」


 ルシウス様が普段と違う様子の私を見て、視界を遮るように覗き込んでくる。彼の綺麗な顔は今の私にとって無神経な暴力だ。


「ルシウス様は『運命』だから私の相手をするのですか」


 闘技場へ目を向け、私はモヤモヤの一端を吐き捨てた。ルシウス様が視界の隅で首をかしげる。


「姫、このルシウス・マーシャルは、貴女様の運命の相手でありたいと思っています」


 返答に困ったのであろう。ルシウス様は私の質問の意味を理解していない様子で、普段通り私を想う言葉を投げかける。

 でも私はそんな言葉を聞きたいわけではない。

 私が聞きたいのは、ルシウス様の本心。本当はどうしたいのか。私とは無関係な人生を歩みたいのではないのか、その答え――。

 怪訝そうなルシウス様の赤い瞳に、私は問いかけた。


「ルシウス様は私に仕えるよう、私を守るよう育てられ、そういった運命だから私に優しくするのですか?」


 私の問いにルシウス様の瞳が揺れる。


「ティアナ姫、俺は」


 私は彼の答えを聞く前に手を振りほどき、廊下を駆け出していた。


 聞きたくない。

 ルシウス様の本心を聞くのが怖い。


 私はつい怖さから逃げてしまった。小走りに自室へ向かう私を、ルシウス様は追ってこなかった。

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