第7話

 エレナの家から歩くこと二〇分。住宅街の中にあって人気を感じず、閑静を越えて寂寞とした地域に、魔王の居城はあった。


 そこは、黒ずんだ赤煉瓦造りの古びた洋館だった。

 人の手の入っていない荒れ果てた庭に蔦やその他の草が絡まった門扉、割れたままの窓と破れたカーテン。それらが人の気配を殺しきっており、いかにも良からぬものが住み着いていそうな不気味さを演出していた。


 人がいることを感じ取れるのは、門扉から玄関まで続く、人の足で踏みならされた草のない地面くらいだ。

 ただ、今エレナたちがいる辺りではこういった家は珍しくない。周辺に建っているのは一般的な住宅だが、そこにも人の気配は感じられない。


「こっち側は、あまり来たことなかったな」

「だろうね。この先は何もない山へと続く道しかないし、都市からも離れてる。基本的に誰も近寄らない場所。だからこそ、彼らは暮らすことを許された」

「許された? 魔王は不法滞在の不法侵入だろ?」


 彼らはウエストリア人類連合において、どうあってもイリーガルな存在だ。いくら人が来ないとはいえ、住むことが許される場所なんて存在しない。


「今はね」

「今はってことは」

「約三〇〇年前、連合がまだ東西に分裂していた頃。あの時代は、魔人を傭兵として雇うことが公に認められていた。その時から続く連合の負の遺産だよ」


 ウエストリア人類連合はこれまでに分裂と統合を繰り返している。その分裂後の対立が最も極まっていたのが、アランが語った時代である。


 エレナは、その時代については学校の歴史の授業で習った程度の知識しかない。

「魔人が傭兵?」

 その知識の中に、魔人を傭兵として雇っていたというものはない。後に使用禁止となる新兵器の登場によって戦争が変わったという話は聞いたことがあったが、魔人に関するものはなかった。


「知らなくても無理はないよ。魔人を外敵と見做している東西統合後の連合にとっては不都合な歴史だ。時間をかけて記録を改竄していったんだろうね。一世紀経った頃には、魔人の傭兵は新兵器にすり替わった」

「アランは、なんでそのことを知っているんだ?」

「オール光国には記録が残っているからさ。人と魔人が強く結びついていた時代、オール光国側では両者の恒久的な癒着にならないよう警戒して、魔人の排斥のために戦力を割いたみたいだ。他国に干渉しない光国が動いたあたり、余程危ない状態だったんだろうね」


 エレナは今一度、周囲の家々を見渡す。

 ここに、魔人が。そう思うと、一層不気味さが増した気がした。


「とはいえ、魔人の厚遇は東西統合後でも一部で続いていたようだけど。こういう街外れの無人の住宅地はこの国のあちこちにあるし、この辺りも十数年前までは誰かが住んでいたみたいだ。まあ、今はそれよりも目の前にいる魔王だね。覚悟はいいかい?」

「覚悟なんて必要ない。会って話を聞く。今はそんだけだ」

「気に食わなくて殴りかかったりしない?」

「いくら短気な私でも、命を救って貰っておいて、ムカついただけで拳を握ることはねえよ」


 そうか、それなら安心だ。と、本当にエレナの言葉を信用しているのかわからない返しとともに、アランは門扉を押し開けた。

 金属の擦れる音ともに開かれた門扉、その先の玄関扉へと続く道を見据え、エレナは躊躇いなく一歩を踏み出した。

 なにかが起こることもなく玄関扉前に着き、アランはノックをせずに扉を開けた。


「勝手に入っていいのか?」

「話す気になったら案内しろって言われてるんだ。それに、僕らが家を出てこっちに向かっている時点で、魔王ラルクのところに報告がいっているはずだよ」


 魔王が自分たちを待ち構えていると知り、エレナは今一度気を引き締め直す。

 くすんだ赤色のカーペットが敷かれた廊下を淡々と進む二人。そうして、アランはとある大きな両開きの扉の前で立ち止まった。


 アランが何も言わなくとも、ここが魔王の待つ居室なのだとわかる。

 目配せしてくるアランに無言で頷きを返し、アランは扉をゆっくりと開けた。

 開かれた扉の先は広間になっていた。それなりの人数で会食が可能なアンティーク調の長卓が部屋の中央に置かれている。

 その長卓の最奥に、混沌が渦巻いていた。


「復唱なさい。ありがとうございます、ヴィクトリア様」

「ありがとうございます、ヴィクトリア様」

「つまらない仕事をさせて申し訳ございません」

「つまらない仕事をさせて申し訳ございません」

「……従順すぎてつまらないわ」

「従順すぎてつまらな……なぜ殴る?」


 そこには洗練されたシンプルなデザインの椅子に腰かけ腕を組みながら頭を垂れるラルクと、長卓に立ちラルクを見下ろしながら手にしたボトルからワインと思しき赤い液体をラルクの頭にぶちまける女性がいた。


 女性はラルクに復唱を要求しながら赤い液体を注いでいたが、最後の復唱の途中でボトルをラルクの頭に叩きつけ、ガラス製のボトルを粉々に砕け散らせた。

 中身の液体とボトルの破片がラルクの頭に降り注いだが、ラルクは感情の起伏を感じさせない冷淡な表情を一切崩さなかった。


 アランの手によって開けられた扉がそっと閉じられる。

「……取り込み中、みたいだ。先方が来訪を承知しているからといって、ノックをしないでドアを開けるのは非常識だったと反省したよ」

「……ああ。そうだな。礼儀、マナー、常識、大事。とりあえず待とう。しばらく待って、次はノックからだ。油断せずに行こう」


 なんだかよくわからないが、とにかくそれで良し。かき乱された思考で雑に結論を着けたエレナが、気を落ち着かせるために深呼吸をしようと息を吸い込んだ時、扉が室内側から開けられた。

 扉を開けたのは、長卓に立っていた女性だった。女性は黒い長髪の鮮烈な美人で、身に纏う真紅のドレスが女性の持つ威厳に絢爛な彩りを加えていた。


 そして、その外見以上にエレナを戦慄させたのは、ただ立っているだけで怖気が走り身震いするほどの絶対強者たる威圧感を放っていることだった。それも魔人としての力を抑え込み肉体の変異をしていないのに。

 間違いなく昨日戦った二体の魔人よりも格上の存在。


「!」

 エレナは、ほぼ反射的に白銀のナイフを取り出して構えていた。

「エレナ!」

 アランに肩を掴まれ制止されたことで、寸でのところでナイフを走らせようとした腕を止められた。

 女性は自分に襲い掛かろうとしたエレナを興味なさげに一瞥し、次いでエレナの隣に立つアランへ寄り襟首を掴んだ。


「は、はい?」

「行くわよ」

 女性の突飛な行動に素っ頓狂な声を上げたアランは、襟首を掴んだまま歩き出した女性に引き摺られながらエレナの下から遠ざかっていく。

「え⁉ なに、なんですか⁉」

「貴方は別室で待機よ。安心なさい、退屈はさせないわ」

 意味深な言葉を残し、女性はアランを引き摺りながら廊下の奥へと消えていった。


「なんだ、あれ……?」

 その様を呆然と見送ったエレナは二人の姿が見えなくなったところで我に返り、広間の扉を見つめた。

「入れ」

 扉の奥から聞こえてきたラルクの声は、それまで見てきた彼の表情を彷彿させる熱も色もないものだった。


 エレナは再び広間へと続く扉を開く。

 扉の先にいたラルクは変わることなく、入口に立つエレナから一番遠い卓の端に座っていた。どうやったのかわからないが、体にかけられた液体は綺麗さっぱり消えていた。


「来訪を歓迎する。好きに座るといい」

「……お言葉に甘えさせて頂きます」

 とは言ったものの、席の数は無駄に多い。エレナは僅かな逡巡の後にラルクの真反対に位置する、長卓の端の席に腰かけた。

 ラルクと距離は離れるが、異様な静けさに包まれたこの部屋であれば会話するのに不自由はない。


「まずは、その、頭は大丈夫ですか?」

 受け取り方によっては失礼極まりない発言だが、それ以外に聞きようがなかった。

「礼は不要だ。楽にするといい」


 エレナの問いには無視を決め込み、自分の言いたいことだけを伝えてきた。

 余計な会話を好まないのか、それとも先程目撃されたことをなかったことにしたいのか、判断に迷うところだ。


 そして、言葉数が少なすぎるせいで意味を掴みかねる。礼は不要と楽にしろの組み合わせから考えて、遜ったり畏まったりせずに自然体で接しろということなのだろうが、理解するまでに思考を巡らせる必要があった。

 相手が気を使うなというのならそうするまでだが、その前に通しておかなければならない筋がある。


「……では、最後の礼をさせていただきます。私と家族を救って頂きありがとうございました」

「……そうか。不遜にして謙虚、衝動的でありながら理性的。矛盾こそが人と他の生物を隔絶するものではあるが、キミのそれは指折りだ。故にオレの確信は強まった」

「は?」


 礼に対する返しが今の言葉なのか。これまで遭遇した魔人は会話をする以前の問題だったが、目の前の魔王は会話をしているはずなのに言葉が理解しきれず難儀する。


「気にするな。重ねて言うが礼は不要だ。我々の行動はすべて打算によるもの。キミに不都合なことが我々にとっても不都合だっただけのこと。この点において、我々は対等だ」

「その打算ってのはなんだ? 私になにを求めてる?」


「世界の御子として、我々の指示通りに振る舞うことだ。それが双方にとって都合が良いとオレは判断した」

「アンタらの言う通りになることが、私にとってどう都合が良い?」

「キミの人を救いたいという傲慢な欲求を満たしつつ、それまでの生活を大きく崩すことがない」


 ラルクの発言に引っかかる部分はありつつも、その話が本当であれば確かに都合が良い。

「具体的に私は何をすればいい?」

「我々の目的は魔人の脅威を減殺し、ウエストリア人類連合との関係を回復することだ。そのために最大の脅威である魔王に類する者を我々の手で抹殺する。そこに世界の御子であるキミが関り、魔王同士の勢力争いではなく人類の為の戦いであると喧伝する」


「世間に自分たちの存在が有益であると認識させるってことか。どうやって私を世界の御子だと信じさせる? 今のところそう思い込んでるのは一部の魔人と光国だけだろ?」

「そう遠くないうちに、ウエストリア人類連合、ベルティネ共和国、オール光国による三国間で同盟関係が結ばれる。目的は来る魔人侵攻への対策。そのための世界の御子の確保だ。これは大々的に報じられるだろう。そうなれば世間が世界の御子の存在を認識することになる。あとは、その名に見合った行動を取れば真贋に関わらず条件は満たされる」


 にわかには信じがたい話が飛び出した。ラルクの口振りでは同盟関係構築は既に確定事項のようだ。

「どうしてそう言い切れる? なにか情報があるのか?」

「既に光国から連合と共和国に圧力が掛かっている。キミの連れの男もそれを認めた」


 オール光国出身で電脳兵であるアランが認めたのであれば、その情報の確度は高そうだ。

 ラルクの話は続く。

「現時点でこの国には魔王が複数入り込み、昨日一斉に行動を起こしている。連合は魔人の侵攻を認識せざるを得ない状況だ。共和国の助力だけでは手に余るのもわかっただろう。光国と同盟を結び、共和国と同様に国内での超法規的な軍事行動を許可せざるを得ない」

「魔王が複数だぁ⁉」


「ああ。そして、奴らは尖兵だ。目的は不明だが、奴らが人類にとって脅威であることに変わりはない。魔人の侵攻が本格化すれば、光国も全力を以って対処するだろう。魔人勢力と人類勢力の全面戦争。この国は巨大な戦火の中心となる」


 聞き流せない言葉の連続。なかでも特に気になったのは魔王に関する部分だ。

「魔王が尖兵? つまり、魔王に命令して動かせる存在がいると?」

「ああ。その存在を“大帝”と奴らは呼称している。詳細は不明だが、魔王が大帝の下にいるのは間違いない」


 大帝。魔人の頂点とされてきた魔王の更に上にいる存在。いままで耳にしたこともない話だ。

 もとより魔人に関することで人類側が知っていることはそれほど多くない。大半は共和国からの情報だ。


「アンタも魔王の一人のわりに、わからないことがあるんだな」

「オレは魔王ではない。人類が誤認しているだけだ。魔王とは、独自の術式を編み出したか、あるいはそれを継承し、一定の縄張りと配下を持つ者を指す。オレは術式を持たず、そうした存在から縄張りを奪い取ったに過ぎない」

 故に、術を持たざる者、赤手と呼ばれている。そう、ラルクは語った。


「だから、暫定魔王なのか」

「人類に知られている魔王は公に魔王を自称し、何らかの形で人類に関わった者だろう。オレは自称したことがない。だが、魔王特有の縄張りと配下を持つことは人類に確認されている。そのための暫定だろう」


 その魔人が独自の術式を持つかどうかは人類では知りようがない。であれば、もう一つの魔王たる要件である縄張りと配下を持つ存在が、人類から魔王として認識されるのは自然だろう。


「根本的な質問になるんだが、アンタら魔人の使う術式ってのは何なんだ? どうゆう原理だ? 使用にあたって消費されるものがあるのか? 魔人の脅威に散々晒されておきながら、私たちは何も教えられていないんだが?」


 魔人の使う術式についてエレナが知っていることは皆無だ。学校で習う内容にそういったものはなかった。一般に浸透している知識の中でも聞いたことがない。

 アランは術式を理解していたため知っていることがあるようだが、それを聞くよりも早く状況が動き続けてしまっている。


「キミが知らないのも当然だ。魔人の扱う異能、魔術と呼ばれるものは連合の人間でも使おうと思えば使えてしまう。ただし、その命を犠牲にすることになる。それ故に情報統制が敷かれていた」

「命が代償ってことは、術式の使用に生命力的なものが使われてるのか?」

「そうではない。キミは、魔人とは何であるか理解しているか?」


 問われたエレナは自身が学んだ内容を答える。

「大気中に存在する“魔瘴”をエネルギーとして活用できる魔獣、その中の人型の種族のことだよな?」


 エレナたちが住まう惑星上には、魔瘴と呼ばれる物理的に観測できない非物質的な粒子のようなものが存在している。これを観測したのはオール光国であり、その存在がウエストリア人類連合に広まり、魔人というものの定義が知られたのはここ十年ほどの話だ。


「連合の認識では間違っていないが、正しくは、魔人とは魔瘴をエネルギーに変換できる人類のことだ」

「……やっぱりな。当然と言えば当然だけど、魔人は人類の亜種というか、進化した存在で元は同じ生き物ってことか」


 ウエストリア人類連合の教育において魔人は、人類の姿を模倣した新種の魔獣であるとされている。エレナはこの説に納得がいっていなかった。


 魔獣が異なる星から来た人類と同じ姿で似たような生態をとる理由が理解できなかったからだ。収斂進化にしては近似しすぎているうえに、他の星から来た存在と似た形に進化する理屈がまるでわからなかった。


 シンプルにこの惑星に降り立った人類が、その環境に適応した。適応が早すぎるように思えるが全く別の生物とするよりかは、こちらの説の方が納得できる。


「ああ。人と魔人の違いは、魔瘴を取り込み力に出来るか否か。魔人は魔瘴を取り込み、肉体を動かすためのエネルギーにするか、仮想のエネルギーである魔力に変換し、これを魔術に使用する。魔瘴に適応できなければ、魔瘴に侵された肉体と精神がともに崩壊し死に至る」


「ん? その説明だと私たち人が魔術を使うことって出来なくないか? 私たちは魔瘴に触れていないわけだし」

 魔瘴はウエストリア人類連合には存在していないとされている。そのほかの人類が住まう地域に関しても同様だ。

 だが、ラルクはエレナの発言を否定する。


「魔瘴の発生源は魔人が住まうゴエティア大陸にあるが、魔瘴そのものはクラウド大陸を除く、この星全土に広く分布している。濃度は薄いが連合内にも確実に存在している」

「私たちも魔瘴の中で生活している? それってつまり……」

 そこから先を口にするのは憚られた。その先を言語化してしまったら、自身の内に作り上げてきた世界が根底から崩れる予感がした。


 だが、そんなエレナの心情を知るはずもないラルクは、エレナが喉の奥で止めた話のさきを引き継いでしまう。

「連合に住まう人々も魔人であるということだ」

淡々と紡がれるラルクの言葉にそれまでと変化はない。その極寒の銀嶺を思わせる冷徹で峻厳な語り口が、ただ事実を述べているだけなのだと言外に主張していた。


 事実を前にエレナは言葉を失う。これまで教育されてきたこと、自身の中で確立していた常識、魔人という人類の脅威となる存在に対する認識、それが全てひっくり返されたのだ。


「混乱しているようだが、これは問題ではない。人と魔人という括りで考えることが間違いだ。個体として強くなりすぎてしまった上級以上の魔人を除き、多くの魔人は人と然程違いがない。他者の助力なくして生きられない弱き存在。彼らに比べれば高度な文明社会を形成できるキミたちの方が、群れとして強いことは明白だ」


 魔人は文明社会との相性が悪い。存在するだけで物理法則を歪めてしまう彼らは、精密で緻密な物であればあるほどエラーを起こしてしまう。

 そのため、ウエストリア人類連合のような高度な文明社会を作ることが出来ない。


「それは、たしかに。中級以下の魔人なら連合の兵器でも押し切れる。連合の人間が、本当は魔人なのにも関わらず旧世紀の文明再現が出来たのは、魔人としては弱すぎて、物理法則に干渉していないからか?」


「概ねその通りだ」


「つまり、連合の人間は下級未満の微弱な魔人ではあるが、微弱であるが故に文明社会を築けて、集団としてはむしろ強者の側に立っていると」


「ああ。集団としての強さを持たず、個人の力も道具一つで軽く凌駕されてしまう者たちこそが真の弱者であり、救わなければならない対象だ。彼らが望む、他の強力な魔人や魔獣に害されない安らかな世界を創るためにオレはここにいる」


 会話の流れからラルクの行動理由が知れた。衝撃的な事実の連続に思考がまとまらないが、それでも自分と家族を救った存在が人に対する害悪ではなかったことに、エレナは僅かに安堵した。


「話を戻す。術式、魔術とは世界を欺く式、キミたちに伝わりやすく表現すればプログラミング等に使われるコードだ。ある種の法則に沿ってコードを入力することで、世界に特定の現象が発生すると誤認させ、それを出力させる。このコードを入力する行為に魔力を使用する」


「引き起こす現象ではなく、コード入力に魔力を使うのか。その入力の過程で体に異常が発生するってことか?」


「ああ。コードの入力をする際に魔力を消費し、魔力が体内貯蔵分で不足していれば外部から取り入れようと勝手に体が魔瘴を取り込んでしまう。この時に魔瘴の許容限界を超えてしまう恐れがあり、心身の変質による自我崩壊や異形化が起こり、最悪の場合は死に至る」


「それが連合に魔術が知られていなかった理由か。興味本位で使ったら死にかねないし、個人の魔瘴の許容量が測れなければ、使える人と使えない人を判別することも出来ない。有効活用するのは難しいか」


 ラルクの話から考えれば、魔術の仕組みが単なる規制のレベルを越えて情報統制されているのも頷ける。自分たちが魔人であることを知られないためにも当然のことだ。


「てことは、この国の政府はこの事実を知っているんだな」

「三百年前まではそうだろうが、今となっては情報が抹消されている可能性もある」


 国防の面を考慮すれば重要な情報を闇に葬っているとは思えないが、噂や陰謀論ですら話が伝わってきていないことから、完全に消されていてもおかしくない。

 外からの脅威に対する恐怖よりも、自分たちが人ではないという事実の方が恐ろしかった、そういったことも考えられる。


「魔術についてはざっくりわかった。それで、アンタらは私に魔王を消す協力をしろってことだな?」


「協力は不要だ。キミはその場に立ち会っていればいい」


「どういうことだ?」

「言葉通りだ」


「……私は戦わずにアンタらが魔王を倒すところを眺めていろってのか?」

「ああ」


 極端に短い返答。それが愚問だと言っているようで、エレナの神経を逆撫でた。

眉間に谷を作りラルクを睨みつける。


「癇に障ったか。だが、その怒りは不当だ。そも、キミが戦う理由など微塵もない」

「私がムカつくとわかっていたうえで、協力は不要だと言ったわけか」

「肯定しよう。キミは何に反感を覚えた?」


「何にって、私は理不尽に奪われる命を助けたい。誰かじゃなくて、私自身の手で助けたい。そう思ったから、私は魔人の前に立った。それなのに、オマエの力はいらないから見ているだけでいいと言われれば、誰でもムカつくだろ?」


 口にしてみても特に疑問が湧くようなところはない。だが、何かが引っかかる。何がおかしい? どこに違和感がある?


「キミは魔人が自分たちと同種の存在だと知った。それでも、キミは誰かを守るために魔人を殺すのか? それが単なる殺人行為であると知りながら、人命救助という虚飾で本質を覆い隠し正当化するのか?」


「……そうだ。魔人がただ平穏に暮らしているだけの人々に手をかけるというのなら、私はこの手を汚すことを厭わない」


「厭わないと言ったか。その発言の矛盾に気づいているか? 我々はキミの手が汚れることのないように戦うと言った。キミが戦いや殺人行為を真に忌避しているのであれば、我々の方針に従うのが常道だ。だが、キミはその方針に反感を覚え拒否しようとしている。オレからはキミが進んで魔人狩りを行おうとしているように見える」


「そんなことは……」

 ない、と言い切れなかった。

 魔人に対する悪感情は、ウエストリア人類連合に生まれた人間にとっては持っていて当然のものだ。だが、それにしても今の自分の裡から湧き上がってくる魔人を殺さなければならないという使命感を越えた強迫観念とも言うべき衝動は、何に由来するものか不明だ。


 エレナは自身を駆り立てる何かに目を向けようとするが、一向にそれが見えてこない。

 そうしている間にも、アランの問いかけは続く。


「では、キミの誰かを助けなければならないという感情は何故生まれた?」

「それは、私が大切な人を理不尽に奪われたからだ。二度とあんなことはさせないと誓ったから……」


 そう、誓ったのだ。訳も分からぬまま両親と弟を亡き者にされた時、エレナはその元凶に復讐することを。

 だが、そこに他人を守りたいなどという想いはなかった。友人と共に、自分たちを地獄の底に叩き落した存在に報復するためだけに戦い続けた。


 そうして、憤怒と闘争の果てに復讐を果たし、命を散らせたエレナに残っていたものは、ささやかな心残りだけだった。

 そこに、誰かを助けたいという願いは一分たりとも存在しなかった。


「後悔か、復讐か。いずれにせよ、今更取り戻せるものはなく無意味な行いだが、その感情に理解は示そう」

 ラルクはこちらの論理の隙をあえて見逃している。指摘して突き詰めればたちまち崩れるとわかっていながら、エレナの言葉を受け入れている。


 これは、ラルクの温情から来るものでは決してない。すべてはエレナを反論の余地のない、袋小路へと誘う一手だ。

 真綿で首を絞められるように、次第に追い詰められていくエレナ。

 そうして、逃れようのない決定的な一手が打たれる。


「これまでは魔人に関わらずに生活していたと聞いている。では、問おう。なぜ今になって行動した? 何がキミを駆り立てた?」

「そんなものは分かり切ってる。目の前であんな事件が起きればどうしたって……」


 そこでエレナは口を噤んだ。

 おかしい。それまでの生き方に耐えられなくなったのは魔人が事件を起こす前、学校の男子とデートをしていた時だ。偶然その時に事件が起きただけで、その直前には自分が今後どうしていくかは決まっていたようなものだ。


 なぜ、あのタイミングだったのか。自らの内から発生したその問いに答えは出ない。


「……人類の意志は、ある神の影響を受け続けている」

「ある神?」


 神。ラルクがその単語を発した瞬間、エレナの全身は粟立ち、強烈な悪寒が走った。

 生まれ直す時、いったい何の力を借りたのか。


「キミは一度死に、生まれ直したと連れの男から聞いている。その際に神と接触したとも」

「なにが言いたい?」

「キミの意志は神の支配下にある」

「……は?」


 言葉が出ない。鈍器で殴られたかのように視界は揺れ、認めがたい情報の濁流に理性の堰は決壊し思考は呑まれた。


「神に接触したキミならばわかるだろう。神には自我が存在している。神はその存在規模の巨大さ故に、その意志や志向が人類に影響を及ぼし続けている。キミはその影響が顕著であり、神が恣意的に操作していると考えるのが妥当と思えるほどだ」


 ラルクの発言を否定できない。神と会話し命と力を与えられた自分が、神の影響を色濃く受けているというのは自然な話だ。

 ラルクは、エレナが今の話に納得できるよう、一つずつエレナの心の不明を明かしていった。


 そして、エレナはラルクの話を呑み込んだ末、今の話が事実である可能性が高いと直感的に理解した。だが、それと同時に心は事実を拒絶していた。

 当然だ。ラルクの話が真実であるならば、これまでの自分の行いは全て神によって定められていたことになる。


 あの時、あの場所に、自分が立っていたこと。誰かを守りたいと奮い立ったあの滾るような熱い感情ですら他者に作られたものだったとしたら……。

 自分は、何のために戦うのだろうか?


「待て。私は神から選択権を与えられていた。どういう生き方をしたいか、私には選ぶ権利があったんだ。だから」

「その選択に意味はあるか?」

「そんなの……」


 そんなものはないに決まっている。実際に戦う道から外れる選択をしたのに、こうして戦うことになっているのだから。

 この事実がある限り、エレナの意志が他者に操られていないと断定することは出来ない。

 またしても言葉を失うエレナを気にすることなく、ラルクは畳みかけるように疑問をぶつけて来る。


「キミには不可解な部分が多い。普通に生活するには過剰といえる身体能力。十数年ぶりであろう実戦に耐えうる対応力とセンス。家族ごと再誕させられた理由。どれもがいずれキミを戦場へと駆り立てるための材料に見える」


 反論の余地がない。戦うために調整された体。生前を上回る格闘センス。自発的に守らせるために用意された前世と同じ姿の家族。

 戦えるだけの力を与え、戦うための理由を用意した。今のエレナには、そうとしか思えなかった。


 神からの祝福ギフトが、戦いを強制する呪いに変わったのだ。


「それに加え、キミが手にした白銀のナイフ“アーク”による肉体と精神の変質も、キミの魔人に対する殺意を助長している。運命的な出会いだ。偶然とは思えないほどの」

「これも、なのか……?」


 手の上に出現させた白銀のナイフ、ラルク曰くアークという名の白刃を呆然と見つめる。

 自分の感情の変遷について追っていくと、その変化のタイミングはラルクの指摘通りなのだと理解させられる。


 誰かを助けたいと思って飛び出した。だが、そこに魔人を殺すという目的はなかった。魔人と遭遇した時ですら時間を稼ぐことを優先していた。手段を持っていなかったからというのもあるが、あのナイフを扱えるようになってからは魔人を退けるのではなく、殺すことのみに専心していた。


 いくらか言い訳は出来る。だが、自分自身で理解している。魔人を殺すのに一切の躊躇も容赦もなく、一つの殺戮マシンのように非人間的に引き金を引き、ナイフを振るっていたことを。


 アランの同族への容赦のなさに動揺していたのが可笑しく思えてくる。自分だって微塵も躊躇いがないくせに他人のことを言えたことか。


「しかし、人心を自在に操れる神といえども、心の揺れ動きまでは理解できないと見える。キミにとっての家族は既に死んでいるというのに、姿形が同じであるだけの人型を用意したところで無意味とわからなかった」

「な、んで」


 なんで、この男はこちらのウィークポイントを的確に突いてくるのか。


 エレナは家族を大切にしていた。だが、それは“家族”という記号に対する一般的に適切な対応であるからであり、生まれ直してからのエレナにとっては家族とそれ以外とでは表向き扱いが違うだけで、心情においては同列の存在である。


 ラルクの言う通り、エレナにとって思い入れがあり、様々な思い出を共有している本当の家族は既に死んでいる。そのエレナからすれば、今の家族はよく似ているだけで一切心を通わせていない他人に過ぎない。


 その証拠に、エレナは家族の下に魔人や電脳兵が迫っている可能性がある状況で、目の前にいる他人を巻き込まないため人気のない場所へ迂回しようとしていた。


 その選択を出来てしまう時点で、エレナの中で家族の優先度が特別高い位置に置かれていないことがわかってしまう。


 これまでの他者の扱いは記号によるカテゴリー分けしたうえでの判断によるもの。その自分を捨てたエレナにとって、家族もそれ以外の人物もフラットに“人”という大枠で捉えられているだけだ。


 万人に平等と言えば聞こえはいいが、その在り方は歪であり非人間的だ。

 現状、例外であるのはたった一人の友人をおいて他にない。


「だったら、私はどうしたら」


「重ねて言う。キミが戦う必要はない。理由もない。ただ、我々の行いを世界の御子として認めればいい。対価としてキミが望む生活と周囲の人々の安全を提供する。対価が不足しているのならば金銭を渡そう。多少の危険を伴うことになるが、それは受け入れてもらうほかない。キミに拒否権はない。オレからは以上だ。帰って休むがいい。そして、これまでの生活に戻れ。必要があれば都度使いを送る」


 そうして、話は終りだと言わんばかりにラルクは瞑目し、エレナは何も反論することが出来ないまま部屋を後にするしかなかった。



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