第3章 マリオネット
第6話
目を開けてエレナが最初に目にしたのは、見慣れた天井だった。
「あ?」
「あ、大丈夫エレナ⁉」
天井の間に母の顔が突然割り込み、額に手を当ててきた。寝込んでいた娘に対する条件反射だろう。慌てている母の姿を見て、エレナは笑みを零した。
「熱はないでしょ?」
「え、ええ。体の方はなんともないの? ショッピングモールのテロに巻き込まれたって聞いたから、お母さん心配で」
エレナは自分の左腕を見た。全く動かせなかったはずの腕は元通りになっており、いつも通りに動かすことが出来た。手を握っても腕を振っても何の痛みもない。
「治ってる」
「軽く怪我をしていたから処置はしましたって、お友達が言ってたわ」
「友達? ここに来たの?」
「事故のショックで気を失ってたエレナを家まで送ってくれたの」
気絶した時の状況から考えて候補は二人。直前まで行動を共にしていたアランか、あの時助けてくれた赤手と呼ばれていた男のどちらかだろう。
「明日の朝に様子を見に来ますって言ってたから、そろそろ来るかもしれないわね」
「え、明日って……」
窓の方を見ると、カーテン越しに朝日が差し込んできていた。時計を見れば九時を回っている。
「ば、爆睡してた……」
「いつまでも起きないから、このまま寝たままなのかと心配しちゃったわ。お父さんも心配しながら待っているから呼んでくるわね」
そういって母が部屋を出ようとした時、階下からドアベルの音が聞こえてきた。
「あら、ちょうど来たみたい。行ってくるわね」
エレナが自分も行くと言うよりも早く、母は下に行ってしまった。エレナはまだ気怠さが残る体でのそのそとベッドから這い出し、覚束ない足取りで玄関を目指し歩く。
「目を覚まされましたか。安心しました」
「おかげさまで、今はしっかりと会話も出来て体調も問題ないみたいで、本当にありがとう」
階段を下りている途中で会話が聞こえてきた。父の声が聞こえたことから、両親で応対しているようだ。
エレナが階段から降りきったところで、両親と向かい合っている小柄な男性がエレナに気づいた。そして、母が言っていた友人が誰なのか判明した。
「あ、エレナ、おはよう。もう一人で動けるみたいだね。安心したよ」
「う、うん。助けてもらったみたいで、ありがとね」
白い歯を見せて爽やかに笑うアランとは対照的に、引きつった作り笑いをしてしまうエレナ。
両親の前でアランと話していた時の自分を晒すわけにはいかない。胸のあたりがむず痒くなるが、ここは耐えなくてはならない。
「エレナ、体はもういいのか?」
「あ、うん。寝すぎてちょっと怠いくらいだから全然平気」
寝起きのせいでまだ頭のめぐりが悪いままだが、それ以外はすこぶる快調だった。あれほどのダメージを受けたのに、どうやってここまで回復したのだろうか。
そのことも含めて気を失ってからのことをアランに詳しく聞く必要がある。
「立ち話も疲れるでしょ? せっかくお見舞いに来てくれたんだから上がっていって。お礼もしたいし、エレナとの話も聞きたいわ。ね、お父さん?」
「ああ。ゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。お邪魔します」
アランは促されるままにリビングにあがった。
エレナとアランが並んで座り、テーブルを挟んで向かい側に両親が座る。
そこからどんな会話が始まるのか、ボロを出さずに話せるのか、内心エレナは身構えていたが、予め準備していたのかアランが学校内での話を作り出し、会話の主導権を握ってくれたおかげで、エレナは適当な相槌を打つだけで話を繋ぐことが出来た。
そうして話をしているうちに、両親の様子が突然おかしくなりだした。
「どうかした?」
「いや、昨夜一睡も出来ていないせいか、眠気が、酷くてな」
「ええ。わたしも、なんだか突然眠たくなって……」
話しながら二人は眠気に耐えられなくなったようで、そのままテーブルに突っ伏して寝息を立て出した。
「よし。エレナ、ひとまず二人を寝室に運んでもいいかい?」
「あ、うん。睡眠薬を盛ったのか?」
アランが頷き、テーブルの上にあるカップを指さした。
「ご両親のカップの中で睡眠薬を生成した。なかなか口を付けてくれないから、話を持たせるのに必死だったよ」
「苦労をかけて悪い。助かったよ。二人とも寝てないみたいだし、ゆっくり寝かせよう」
母をエレナが運び、父をアランが運ぶ。二人をベッドに寝かせ、リビングに戻り今度は向かい合わせで座ったエレナたちは、ようやく本題に入る準備が整った。
「昨日、私が気絶したところから、今までのことを教えてくれないか?」
「うん。まず、僕は電脳兵全員を片付けた後、戦いの痕跡を辿りながらエレナを探していたら、エレナを抱えて歩くアイツに出会った」
「赤手。魔王ラルクだな」
アランは深く頷いた。
やはり、あれは魔王だった。赤手の二つ名は度々ニュースや新聞で見聞きした覚えがあった。学校の授業でも、ウエストリア人類連合に最も近い位置に領土を持つ魔王として教えられている。
「アイツの力なのか、それとも別の仲間の力なのかは定かではないけど、僕が出会った時点でエレナの傷は治りかけてた。僕はそこでエレナを預けられて家まで運んだ」
「魔王が今の私をただで解放したのか? そもそも、なんで私を助けた?」
魔人たちは世界の御子であるエレナの命を狙ってきていた。それは、世界の御子の力が魔人にとって脅威であるからだろう。
だが、魔王ラルクはエレナの命を奪うどころか、他の魔王の勢力と敵対してまで救った。そこには、何かしらの思惑があると考えるのが自然だろう。
「アイツはエレナにやってもらいたいことがあるらしい」
「私に? 世界の御子の力を使って何かさせたいってことか?」
「具体的なことは何も教えてもらえなかった。アイツからエレナへの言伝は二つ。“キミはそこにいるだけでいい”それと“知りたければ会いに来い”この二つだ」
前者はよくわからないが、後者はわかりやすい。エレナとしては知りたいことだらけで、何もわかっていないに等しい。
何かしら教えてくれるというのなら、会いに行くことに躊躇いはない。
「それと、今の僕らの状況について説明しよう」
「頼む」
「端的に言うと、魔王ラルクの保護下にある」
監視されているとは思っていたが、保護とは随分と丁重に扱われている。それだけ世界の御子を他勢力に渡したくないということだろう。
「エレナの家族が無事だったのも、ラルクが早い段階で動いていたからみたいだ」
「助けられてばかりだな。魔王ってのは、どいつもそんなものなのか?」
「さあ? 僕は魔王と会話したのは昨日が初めてだったからわからない。とりあえず、今のエレナに与えられている選択肢は、アイツの言う通りに家で大人しくしているか、話を聞きに行くかの二つだ」
「行く。誰かの言いなりになる選択肢は今の私にはない」
既に気持ちは固まっている。迷いはない。
「それなら今から行こう」
「このまま家を離れても平気なのか?」
寝ている両親を残したまま家を出ることには抵抗がある。心配をかける以上に誰かに襲われないか、こちらが心配だ。
「この家は魔王の配下が守ってくれているから大丈夫みたいだ」
「至れり尽くせりだな。親にはリハビリがてら散歩してくるとでも書いておけばいいか」
両親宛に適当な書き置きを残して、二人は家を出た。
エレナは、アランに先導されながら住宅街を歩く。
「このまま歩いて移動するのか?」
「うん。バスに乗ってもいいけど、歩いて行ける距離にある。彼らは仮拠点をエレナの家の近くに用意したようだよ。すべての行動が迅速すぎて恐ろしいくらいだ」
「ラルクは人間社会への関心が強いことで有名だったはず。前から連合政府と交渉しようとしていたらしいし、連合内での工作なんかは他の魔人よりも長けているのかもな」
ラルクが何を求めているのかはわからないが、人との対話を選択肢の中に用意している辺り、真っ先に武力行使をする他の魔人に比べれば遥かに友好的だ。
そのことがエレナには他の魔人よりも脅威に感じられた。
「話し合いが出来る魔人ってのも怖いもんだな」
「知略を駆使して来そうだからかい?」
エレナはかぶりを振った。
「引き金が重くなるだろ?」
「それは……」
エレナの言葉の意味を察したのか、アランは黙り込んだ。
エレナは未だに戦場以外で魔人と言葉を交わしたことがない。そのため、エレナにとって魔人は、人に似ているが決定的に異なる生き物として認識されていた。それ故に引き金を引くことに躊躇いがなかった。
その認識が崩された時、一度は平穏な日常に埋没した自分が、心を殺して戦い続けることが出来るのか。その確信がエレナにはなかった。
「……それでも、魔人の存在を許してはおけない」
「アラン?」
表情を隠すように俯きがちになって零れたアランの言葉には、強烈な感情が乗っているように思えた。その感情が何であるのか、今のエレナに推し量ることは出来なかった。
「いや、気にしないで。つまらない感傷だ。それにしても、エレナは両親と仲が良いんだね」
重くなった雰囲気を払拭するように、アランは殊更明るい声音で別の話題を振ってきた。
「まあ、上手くやるようにしてきたからな」
「僕と話している時とあそこまで違うとは思わなかったよ。まるで別人じゃないか」
「女優だろ? 他人になりきる訓練は受けていたから、それほど苦労はしなかった」
単純な戦闘だけではなく、諜報員としてのスキルも叩き込まれていたエレナには、求められた役割を演じることは難しくなかった。
「そっちはどうなんだ? 国を捨ててまでこっちに来ているわけだけど、家族と連絡とったりしてるのか?」
「全くしていないね。家族仲は良かったけど、今の状況で家族に連絡するわけにはいかない」
「居場所が割れるかもしれないからか?」
「それもあるけど、もっと心情的なものだよ。今の僕が家族に連絡を取ったら、一人で逃げ出した臆病者と言われてもおかしくない。今のままじゃ皆に顔向けできない」
マズい、気軽に聞いていいものじゃなかった。折角、良くなりかけた雰囲気が悪い方へ傾き出してしまった。
「あ、そういえばユリアンのヤツ、私が事件に巻き込まれたっていうのに普通に学校に行きやがったのか。薄情な弟だな! それに比べれば、アランは明確な目的をもって自分で行動を起こしたんだから、立派なもんだよ。うん!」
「ハハ、ありがとう。そういえば弟君は僕がエレナを送った時もいなかったよ」
「またか。アイツ、彼女にデレデレだから向こうの家にしょっちゅう泊まるんだよ。向こうの家族もユリアンのこと気に入ってるから全然悪い顔しないし、当前のように世話になってくる。今なら看病を理由にすればなんでもありだと思ってやがるな」
気を使わせないよう見舞いへ行き過ぎないようにしている自分がアホらしくなる。
両親がユリアンのことを心配していなかったことから、連絡は入っていたのだろ
う。両親は基本的に放任主義なので、外泊を咎めたりはしない。
「待て。ユリアンから外泊する連絡が両親に届いているなら、その後で私が事件に巻き込まれた連絡もユリアンにしているはず。だとすると、アイツら怪我して気絶している私を放置してイチャイチャしてやがったのか⁉ おい、許せねぇよ‼」
「まあ、エレナは猫を被っていても根っこにあるタフさは隠せてなさそうだし、大丈夫だと思ったんじゃない? それに、弟くんの彼女って報告書を読んだところだとエレナの口喧嘩友達なんでしょ? 普段の行いに対する意趣返しなんじゃない?」
「なんで向こうを擁護してんだよ! 可哀想なのは私だろ! デートの途中で魔人が現れたせいで強制的に中断されたうえに、服はボロボロ、片腕と肋骨はバキバキ、そんな状態になった私が一番辛い立場のはずだろ⁉」
デート中に逃亡したことをエレナは伏せた。自分を被害者に仕立て上げるうえで余計な情報を抜くのは当然のことだ。
そういえば、デートをした彼は無事だったのだろうか? あとでそれとなく連絡して確認しておこう。
そんなことをエレナが考えていると、隣を歩くアランが目を丸くしてエレナの方を見ていた。
「エレナ、君、恋人がいるのかい?」
「いや、いないが?」
アランの質問にエレナは反射的に答えたが、その質問と表情の意味に後から思考が及んだ。
「え、アラン君、もしかしてジェラシー? ジェラシーなの? もう、なんだよ。そんなに私のことが好きになっちゃったのかよ。安心しろ。生まれ直してからは、私に恋人が出来たことは一度もない。どうだ? 嬉しいか?」
「あの、ただ報告書にない情報が出てきたから驚いただけだったんだけど。それに出会ってから間もないのに、嫉妬をするほど入れ込むこともないよ」
「またまたぁ、照れちゃって。一目惚れってやつだろ? 大丈夫だ、わざわざ口にする必要はない。黙っていても私はわかってやれるし、受け入れてやれる。ほら、来いよ」
そう言ってエレナは両腕を広げてウェルカムの姿勢を示した。
「シンプルに気持ち悪い。自惚れが過ぎるし、痛々しいからやめた方が良いよ、そういうの」
「うんうん、そうだな」
わかっている風なしたり顔でうんうんと頷き続けるエレナに、アランは呆れた様子で溜め息を漏らした。
「はぁ、君って結構良い性格してるね。よくもこれまで隠し通せたものだよ」
「似たようなことを言われたことはある。気づけるのは私と過ごした時間が長いか、人を見る能力が優れているヤツだな」
「しっかり自覚している辺り、より質が悪いよ」
「自覚しているくせに治す気が全くないから、更に質が悪いぞ?」
「自分で言うな」
二人は同時に微笑んだ。足取りは軽く、朗らかな雰囲気の中、二人は魔王の下へと歩みを進めた。
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