第4話

 ホテルから出たエレナとアランは予定通り待ち伏せていた敵を無力化し、エレナの家に向けて街の中を走っていた。


「アイツらはまだ寝たままかなのか?」


「うん。脳と繋がっているナノデバイスをクラッシュさせたから、早く治さないと永眠することになる。たとえ治っても脳へのダメージは残るから電脳兵としては使い物にならないね」


「本当に容赦がないな⁉︎」


 合理的ではあるが、あまりに冷酷無情な判断に寒気を覚える。

 エレナも敵には容赦なく引き金を引くが、何も感じていないわけではない。激情に駆られている時もあれば、心を押し殺している時もある。


 だが、アランからはそれらを全く感じない。ましてや、相手は元同僚である。温情の欠片もないのは味方としては助かるが、敵に回った場合を考えると空恐ろしくさえなる。

 表面に見える温和な雰囲気、世界平和という理想とのギャップに、エレナは戸惑いを隠せなかった。


「その、私たちは仲間だからな? 悩みとか不満とかあったらすぐに言えよな?」

「え、うん。ところで、方向はこっちで良いのかい? 君の家とは別方向だけど?」

「とにかく人のいないところへ移動する。最短距離で家に着こうとすると街のど真ん中を行くことになる。それだと大勢を巻き込みかねない」


 今のエレナは戦いの火種だ。ただそこにいるだけで、人が集まり殺し合いが始まりかねない。その時に被害を受けるのはエレナだけでなく、不運にもそこに居合わせてしまった人々もそうだ。


 家族は大切だ。だからといって、他の人々を巻き込んでいいという訳ではない。

 どちらも守り抜く。

 エレナの理想は尊いが、現実的ではない。

 そんなエレナの言動を目にしたアランは、微笑みを零した。


「そうか。君はそういう人間か。と、マズいね、三人追って来てる。流石に外の見張りが二人ってことはなかったみたいだ」

「ここで暴れるわけにはいかない。街の外まで逃げ切る。そこでまで追ってくるようなら迎撃する。いいか?」

「了解。ん? 急にノイズが」


 二人が方針を固めた時、アランが訝かし気に眉を歪めた。直後、二人の後ろで街灯が弾け飛んだ。


 それに続き、二人の後を追うように店の電飾や信号機などがデタラメに明滅を繰り返し、巨大スクリーンに映し出される映像はノイズ混じりで見られたものではなくなった。


 それらの現象を目にした人々は悲鳴を上げて走り出し、エレナとアランは電脳兵とは異なる敵の存在を察知した。


「いるな、魔人が」

「既に臨戦態勢に入ったね。異界侵食が酷い、かなりの出力だよ。これじゃあ電脳兵は外部に干渉する力が使えない。僕の索敵も効かなくなった」


 魔人は存在するだけで物理法則を歪めてしまう。その歪みは技術が高度で複雑な物ほど微細な歪みに耐えられず、エラーを起こしてしまう。

 これが、魔人が高度な文明を築けず、人と共存することを困難にしている原因の一つである。


「魔人の相手は任せろ。どこまでやれる?」

「侵食対策はある。半径一m以内のナノマシンの操作に影響はない。木偶の坊は木偶の坊同士でしばらく遊んでるよ」

「任せた。よし、行くぞ!」


 二人は立ち止まり、身を翻して人の流れとは逆方向に再び走り出す。半狂乱の人の波を掻き分けた先に、ポッカリと穴が空いたように空白地帯が現れる。


 街の喧騒は途絶え、雲間から覗く衛星の微かな明かりのみが光源となる、静寂と暗闇が支配する深き夜が生まれていた。

 聳え立つビル群は闇にけぶり、朽ちた古城を思わせる威容と禍々しさを誇っている。


 その中心、人の消えた交差点に、一人の女が立っていた。


 額から伸びているエメラルドのような結晶状の一本角と、闇に溶けるような黒い長髪と白と黒の斑模様のワンピースドレスが目を引く。

 エレナとアランが来るのを待ち構えていたように、女は仁王立ちしたまま二人を睥睨へいげいしていた。


 アランは無言のままエレナの隣から離れ、別方向へ走っていく。走り去るアランの背に女の目が向き、左手の指先が僅かに動いた。それと同時にエレナは銃口を女とアランの間の空間に向け、引き金を引いた。


 放たれた銀の弾丸は虚空を穿ち、何かをかき消した。アランは振り返ることなく、そのまま走り去っていった。


 女の視線がエレナの方に戻る。エレナの姿は銀髪銀眼へと変わっていた。

「見えているのか?」

「テメェこそ、私が見えてんのか?」


 銃口を女に突き付けながら威嚇するエレナ。それに対し、女の口角は愉快気に吊り上がり小さな笑い声が漏れ出す。その後、堰を切ったように哄笑こうしょうが弾けた。


「ク、ク、クッ、クハハハハ‼ 世界の御子だの裁定者だのと、仰々しい名を付けられているのでどんな堅物が現れるかと思っていたが、とんだじゃじゃ馬娘ではないか。これで種の裁定など出来るはずがない! どうやらブリキ共に騙され」


 笑い混じりに喋り続ける女に、エレナは銀の弾丸を二発放った。狙いは心臓と脳天。その二発の軌道を女は触れることなく、指先を動かすだけで同時に同じ方向へ逸らした。


「話の途中だというのに、しつけが成っていない」

「……」

「解せないようだな。だが、そう驚くことでもない。貴様の銀の輝きは、我々の扱う外法には影響を受けず一方的に屠るようだが、物理法則には影響を受ける。そうだろ?」


 講釈を垂れる女を見てもエレナは表情を変えない。その顔には敵と対峙した時から一貫して、鋭利な刃物のような冷たい殺意が滲んでいた。


「余計なことをベラベラ喋りすぎだぞ、アンタ」

「敵と交わす会話も存外乙なものだぞ? 加えて、我々は戦場に舞う美しき花弁の一片だ。ただ殺し合うだけでは見物人も退屈だろう。時に優雅に、時に苛烈に、時に愉快に踊る。見るものを楽しませなくては、淑女の名折れだぞ?」


 敵は本気で会話を楽しもうとしている。おかげで情報を得ることが出来た。ブラフの可能性も考えたが、目の前の女は策謀を巡らせるタイプではなさそうだ。


 ここは相手に乗って会話を続けてみるか。

エレナは警戒を解くことはせずに、戦闘から情報収集へと意識を切り替える。


「魔人の文化にそんな高尚な娯楽があるとは驚きだ。パーティにご招待いただき恐悦至極。だが、あいにく私は舞踏会が嫌いでね。鼻につくから一暴れしてやろうってだけのゴロツキだ」


 エレナの返答に魔人の女は肩をすくめ、服の両肩部分をつまんで持ち上げてみせた。

「それは残念だ。こんなに派手に着飾ってきたというのに」


 電灯の一つが強烈なスパークを発して弾けた。その閃光の中でエレナは正しく女の姿を捉えた。


 女は黒髪ではなく、碧色の髪をしていた。暗闇の中で黒く見せていたのは、頭から体までべっとりと被った赤黒い血によるものだった。服が斑に見えたのもそのせいだった。一瞬でハッキリとは見えなかったが、道の数か所に血だまりが見えた気がした。


「……おい、その悪趣味なドレスアップは、私への挑発か?」


「なに、ドレスコードを守っただけのこと。これから我々が舞うのは戦場だ。そこに血がなくては興が乗らん。会場作りにも少々手間をかけた。どうだ、やる気が湧いて来ただろう?」


「ああ、たった今、完全にスイッチが入った。テメェを叩き潰すスイッチがな‼」


 エレナの右手に握られたナイフが銀色に光る。

 再び戦闘の意識に切り替わったエレナは女へ向けて駆け出した。


 敵との距離は五〇m強。エレナならば二秒あれば詰められる。だが、その距離が全く埋まらない。

「どうした? 早くここまで来い」

「コイツ!」


 一向に縮まらない距離に業を煮やし、拳銃での攻撃を試みるがまた弾が異様な逸れ方をする。

 やっぱり、離れたままじゃ通用しない。もっと近づかないと!


 再び、敵に踏み込んでいくエレナ。それに対して女はだらりと下げた左手を僅かに動かす。

 それと同時に、なにかが自身に迫っていると感じたエレナは、直感で後ろに跳んだ。直後、体が何もない前方の空間に引っ張られた。


「うおっ⁉」

 前に倒れそうになるところを踏ん張って堪え、後ろへ数回バックステップする。そうして、また元通りの位置関係になる。


 こんなことを何度も繰り返している。突破の糸口が見えず額に汗が滲み始めたエレナに対し、女は余裕を通り越して退屈そうに欠伸を漏らしている。


「期待外れだ。貴様、見えていないだろ?」

「……」

 敵からの問いには答えず、エレナは歯噛みしながら睨みつけた。


 エレナが苦戦を強いられている要因は主に二つ。

 一つは装備の問題。エレナの所持している武器はナイフと拳銃のみ。ナイフは近づかなければ使えない。拳銃は有効射程的に使える範囲だが、残弾数が気にかかり使い辛いうえに、敵に防ぐ手段があり今のままでは通用しない。

 アランが作った拳銃は一七発装填の物で、既にエレナは前回の戦いと合わせて五発使用している。ここに来るまで予備マガジンや追加の武装を作れなかったのは痛手であった。


 二つ目の要因は敵の攻撃方法にある。

 何度か敵が確認してきているように、その攻撃は視認が困難なものだった。

 元より明かりとなるものがほぼ存在しないために視界不良気味ではあったが、敵の攻撃は物質的な形を持つものではなく、人間の目で捉えるのが不可能なものだとエレナは判断した。


 エレナはその攻撃を半ば感で避けていた。相手の攻撃の起こり、微かに見える空間の歪みに反応してなんとか回避できている。

 更に、エレナの体を染めている銀の力のおかげで異常や異能に敏感になっていることも一助となっていた。

 そのアシストがあってもエレナは敵の攻撃を見切れていなかった。


 ただ、敵の攻撃の正体は朧げながら見えてきた。

 攻撃の最中で体が前方に引っ張られたことや、弾丸の軌道が逸れたことに関する敵の発言。


 これらのことからエレナは敵の攻撃を、物質を引きずり込む力場を生み出すものと仮定した。

 ただし、この力場は副次的に生まれたものであり、能力の本質は別のところにある。敵の言葉を信じれば、あの引き込む力は物理法則の範疇のものであるからだ。


 ブラックホールに似た極小の大質量物質を生み出す能力、というのがパッと頭に浮かんだが、それにしては周囲への影響度が低すぎる。

 異能に物理法則を当てはめるのはナンセンスだが、物理的な現象を引き起こしているのは事実であるため、その部分を無視することは出来ない。


 とにかく、空間に干渉するものであることは間違いない。今のところは重力場とは似て非なる空間歪曲としておく。

 この力を攻撃として相手が使用していることから、力場を生み出す核に触れた場合は相応のダメージを負う、最悪の場合は一撃で死に至ることもあると考える。


 これらを踏まえ、エレナは次の行動を思案し選びだす。

 エレナの選択、それは……

「戦略的撤退!」

 本日二度目の逃走であった。


「フン。興ざめではあるが、立場上、追わなくてはならないのが実に面倒だ」

 魔人の女は逃げ去るエレナの後を渋々といった様子で追いかけてくる。


 エレナは全力で走ってはいない。それでも敵との距離はほぼ一定のまま。襲い来る敵の攻撃を避けながら、エレナは更に敵の攻撃の考察を進める。


 敵との距離は最大で五〇mほど。それ以上離れると間合いを詰めてくる。このことから攻撃の射程が今の距離くらいまでであり、必要以上に近づいてこないことから、近すぎると不都合が生じるか、こちらの攻撃に対処できなくなるのだろう。


 であれば……。

 エレナは周囲を見回し、目に入ったスーパーマーケットへと走り、動かない自動扉を蹴破って中へ入る。


 後ろを振り返ると、敵は逡巡した様子で足を緩めたが、すぐにエレナの後を追ってきた。


 敵からすれば遮蔽物の多い場所での戦闘は避けたいところだろう。だが、着いてこなければ、ここでエレナにまかれる可能性がある。


 エレナからしても店内での戦闘は不自由な部分があるが、それ以上に多くのメリットがある。


 ここでなら、やれる。エレナには確信があった。


 店内を走りながら必要なものを探していく。

 敵は宙からの弱い光が入り込んでいる店の入口付近から必要以上に動かず、暗所と遮蔽物を利用して姿を晦ますエレナを、物音を頼りに視線だけで追っている。


 狙いの大雑把な不可視の攻撃が何度も飛んでくるが、エレナの下に到達するまでに遮蔽物となっている物を巻き込んでいるので、今までよりも避けやすい。


 攻撃に巻き込まれた物の中に、直径二〇㎝ほどの円形の穴が開いたトイレットペーパーの入った袋を見つけた。穴は食い破られたというよりも、くり抜かれたと表現した方が良いほど断面に粗がなかった。それで敵の攻撃の正体がおおよそ見えた。


 だが、何度か避けているうちに遮蔽物は崩されていき、足の踏み場もないほど店内は荒れていた。


「終いだ。逃げ隠れる場所はない。疾く逝け」

「ここで暴れたおかげで、テメェの術は大体わかった。射程は五〇m前後、攻撃の範囲は小規模でほぼ変化させられない、直径二〇㎝ほどの円、あるいは球形の空間を削り取る術。同時に使えるのはおそらく三つまでだ」


「ほう。それで? それがわかったところで、状況が変わるわけではないと思うが?」

「そいつは、どうかな」


 エレナは店内から探し出した三つの袋を敵に向けて軽く投げた。

 敵はそれを脅威と感じなかったのか、何もアクションを起こさない。


 エレナが投げた袋は放物線を描いて敵の前方一〇mの位置に落下する軌道だ。

 その落下の途中、敵と落下する袋が重なり合った瞬間にエレナは引き金を引き、銀の弾丸を三発放った。銀の弾丸は三つの袋の全てを打ち抜き、中身を散らしながら敵へと飛んでいく。


 敵はすかさず空間を削り取る術を使い、自身の手前で頭上の方へ弾道を逸らした。同時に袋から飛び出した物も敵の頭上付近へと引き込まれ、敵が術を止めるのと同時に粉雪のようにキラキラと光りながら降り注いだ。


「粉?」

「袋の中身は小麦粉だ」

「この程度の目晦ましに何の意味がァ⁉」

 周囲を舞う小麦粉を不快げに眺めていた敵は、急に胸のあたりを抑え、その後に血を吐き出した。


 それだけに止まらず、粉が付着した目は充血しながら血を垂れ流し、肌は爛れ、髪は痛んで抜け落ちるものも出てくる。


「ま、さか……!」

 エレナが投げた小麦粉は微かに銀の輝きを纏っていた。

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 エレナはどんなものにも不浄を祓う銀の輝きを纏わせることが出来る。敵の周囲を覆っているのは人間にはただの粉に過ぎないが、魔人にとっては毒となる。


 効果を確認したエレナは、敵の方へと猛然と駆け出しながら弾丸を連射する。

 敵は銀の弾丸と粉を躱すために下がりながら術を使おうとするが、舞っている粉に術の発動を阻害され、発動までに僅かなラグが発生した。


 結果、粉は除去することに成功したが、弾丸は逸らしきれず左太腿、右肩、左脇腹に一発ずつ銃弾を受けることになった。


「グゥ⁉」

 敵はバックステップで店の外まで離脱したが、弾丸によるダメージは無視できないものとなっているようで、その動きは今までよりも緩慢になっていた。


 エレナはその隙を逃さず打ち出した弾丸を消されながらも急接近していき、遂にナイフが届く間合いにまで肉薄した。


 獲った!

 確信と共にナイフを振るうエレナ。その時、視界の端で敵の右手が僅かに動くのが見えた。

 瞬間、エレナの銃を持っている左手が反応し、身を守るように胴体の前に動いた。


 ナイフを振るう右腕は止まることなく動いている。

 だが、その刃が相手に届くよりも早く、エレナは敵との間に生まれた何かに体を押され、凄まじい勢いで後方に弾き飛ばされた。


「グバァ‼⁉」

 エレナの体は店の中を破壊しながらも止まることはなく、店の出入り口の反対側の壁に大穴を穿ちながら外へ弾き出された。


 内臓をかき回されたような衝撃に、視界の中で星が舞い散りながら明滅を繰り返す。

 口からは血の混じった吐瀉物が噴き出し、呼吸も乱れて戻らない。


 どうにか起き上がろうとするが、天地の区別がつかず、手足の感覚もないせいで悶えることしか出来ない。

 かろうじて生きているのは聴覚のみで、エレナの耳は、店の中のものを踏みつける敵の足音を耳鳴り混じりに拾っていた。


「思い違いをしていた。貴様の銀の輝きは我々の術を減衰あるいは阻害することは出来ても、無条件でかき消されるような代物ではなかった。それが出来るのは、力の源となっているナイフだけだ。そのことがわかっていれば、これほどの無様を晒すことはなかった」


 最後の詰めの瞬間、エレナの弾丸は逸らされるのではなく、空間ごと削り取られて消滅させられていた。反射的にそうしたのだろうが、そのせいでエレナは銃弾で敵を抑えきれず、反撃する余裕を与えてしまった。


 そして、最後の一手の油断。敵が手の内を見せ切っていないことを考慮せず、安易に接近してしまったことで、致命的なほど大きな代償を払わされることになった。


 回り始めた思考が生み出す後悔とともに、回復してきた視覚に映しだされたのは、倒れ伏すエレナを射程圏内に捉えた敵の姿だった。


「致命傷とはいかなかったが、左腕と銃は砕いた。こちらが受けた傷も浅くない。満足して逝け」


 言われて初めて自分の腕が機能しなくなっていることに気付いた。どうりで感覚がないわけだと、起き上がろうと藻掻きながら妙な納得をしてしまう。


「さらばだ、出来損ないの御子よ。次はもう少しマシに作られるよう願っておけ」


 そして、終わりの一撃が放たれた。立ち上がることもままならないエレナに、避ける術はない。頭上からギロチンのように迫りくる不可視の攻撃を、一秒以内に訪れる死のビジョンと共に感じ取る。


 エレナは死を覚悟して目を閉じ、終わりを告げるように一陣の風が吹いた。


 一秒、二秒、三秒……五秒。目を瞑って、一度目の死と同じ意識の断絶が訪れるのを待っていたが、しばらく待っても予想していた終わりは来ない。


「これほど早く出張る羽目になるとは。今代の担い手は余程の無能と見える」

 近くから聞こえた声にエレナはゆっくりと目を開けた。そこで、迸る魂の灯火を目にした。


 仄かな紅蓮の光を纏う一人の男が、エレナの横に立っていた。下から横顔を見上げるエレナには、その顔がよく見えない。


 エレナにわかるのは、隣に立っている男が、自分の頭上に落ちてきていた空間を削り取る攻撃を、で受け止めているということだけだ。

 男が攻撃を受け止めている掌を握りしめると、そこに発生していた力が霧散し、跡形もなく消えた。


「……赤手」

「そういうオマエは、泡影の副将、リグヴェラだな。手負いのところ悪いが、身内の害になる手練れは早々に始末しなくてはならない」


「正気か? 種全体の存亡の危機に、魔人同士で潰し合うと?」

「ああ。オレは元より、この国に入り込んだ魔王を一掃するつもりだ。腹心を潰され王が激昂しようとも何ら問題ではない」


 忌々し気に歯噛みするリグヴェラと呼ばれた女と、余裕を感じさせる赤手と呼ばれた男。両者の睨み合いが続くと思われた矢先、男の方が一歩前へと踏みだした。


「収穫は十分だ。退かせてもらおう」

 自身の血で汚した両手を合わせ、体の前に大きな術式を展開したリグヴェラに対し、男は右拳を振るった。


 どう見ても拳が届かない間合い。だが、男の拳は空を打ち、生み出された赤色の衝撃波がリグヴェラへと突き進んでいく。


 術式から溢れ出した極彩色の泡がリグヴェラの体を包み込むと同時に赤い波が到達する。衝撃波に呑まれたリグヴェラの体は、次の瞬間には姿を消していた。


「逃がしたか。今はそれより」

 男は振り返り、エレナを見る。雲間から差し込む衛星の光が男の姿を照らし出す。


 そこに立っていたのは、精悍な顔つきをした青年だった。

 ホワイトメッシュの短髪。赤褐色の肌の顔には傷跡のように色素の抜けた部分が混じっている。瞳は右側がヘーゼル、左側がグレーのオッドアイ。顔の彫りは深く、目鼻立ちがハッキリとしている。


 倒れているエレナを見下ろす表情は、穏やかではあるが温かみを殺したような無機質なものだった。


「アンタ……なんで……」

 言いたいこと聞きたいことはあるのに、言葉が出てこない。緊張の糸が切れ、意識が朦朧としていく。

「これでわかっただろう。キミの力ではどうにもならない」

 霞ゆく意識の中で聞こえてきた言葉は、諭すようでありながら、冷たく突き放すものでもあって……。

 そこで、エレナの意識は闇に沈んでいった。

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