第2章 夜に沈む

第3話

 夕陽に照らされながら道を行くエレナとアラン。その後方、物陰に隠れながら彼らの様子を観察する人影が複数あった。


『こちらジェミニ。司令部へ報告。対象は第Ⅶ階梯相当の魔人と戦闘。戦闘終盤にて白銀変異を確認。戦闘の末、魔人は消滅。現在、白銀変異は解かれ、協力者と思しき少年と移動中。以上』


『こちら司令部。対象の白銀変異を確認したため、対象を準監視対象から要保護対象に変更する。交渉には別部隊を派遣する。観測部隊はそのまま監視を継続』

『了解』

 一切発声をしないまま通信が終えられる。


「どうした、まだ動かないのか?」

「!」

 不意に頭上から聞こえてきた声に驚きながら、声のした方向に目を向けた彼らの視線の先には、空中で静止しながら見下ろしてくる男の姿があった。

 男の体は淡い赤い光に包まれている。


「お、お前は!」

 空に浮く男へ構えを取るが男は一瞬で姿を消し、監視をしていた彼らからエレナとアランを隠すように立ち塞がっていた。

 常軌を逸した超高速移動。慣性も重力も無視した動きは紛れもなく人外のそれだ。


「こちらとしては不必要な争いは避けたい。ここで手を引くならば互いに犠牲を出さずに済む。だが、貴様らが彼女を我が物にしようというのなら、我々は容赦しない」

 男はそれだけ言い残し、姿を消した。


『し、司令部! 魔王です! 魔王が現れました!』

『報告は正確にしろ。どの魔王だ?』

『赤手です! 暫定魔王ラルクが現れました!』

『やはり奴か、厄介な。ラルクにだけは対象を奪われてはならない。全武装および能力の使用を許可する。なんとしても対象を守り抜け!』

『了解!』


 エレナの与り知らぬところで状況は刻一刻と進行していく。

 エレナが踏み出した一歩が新たな流れを生み、巨大なうねりの一部となって世界を飲み込んでいく。


 雌伏と安寧の時は終わりを告げた。眠れる獅子たちが目を覚まし、覚醒の咆哮を上げる。

 これより、世界は覇権を奪い合う激動の時代へと移る。


 その果てにあるのは、秩序か混沌か。今はまだ誰も知らない。




 エレナはアランと事件現場から最も近い繁華街の路地裏にいた。事件現場からそれほど離れていないのに、目の前の大通りは人通りが絶えず、平時と変わらず賑わっている。


 まだ魔人が現れたという報道がされていないのかもしれないが、報道がされていたとしても、すぐにベルティネの軍がなんとかすると思い込んでいる人々が大半だろう。


 自分の目の前に脅威が現れるまで危険が迫っていると思いもしない。

 エレナも今日まではそういった人々の一員だったので、理解は出来た。


 ここに来るまでに二人は救助隊や軍隊などに出会うことはなかった。そうなるようにアランが道を選んでいた。


「人を避ける必要があったのか?」

「事件現場から出て来たところを見られると色々調べられることになるからね。僕の身分の問題もあるけど、それ以上にエレナさんと話す時間を早く確保したかった。エレナさんにも聞きたいことがあるでしょ?」


「エレナでいい。ここからどうする?」

「二人でゆっくり話せる場所に行きたい。そのためには服をどうにかしないと。このままだと門前払いされる」


 エレナは改めて自分の着ている制服を見る。ところどころに汚れが目立ち、裂けているところや焦げているところもある。体も露出している腕や脚は擦り傷だらけで、髪もゴワゴワになっていた。


「服もそうだが、体もどうにかしたいな」

「そうだね。とりあえず今の服は僕の力である程度見られるものにするから、適当なアパレルショップに入って着替えを調達しよう」


「服の直しも出来るのか。具体的にどういう能力なんだ?」

「物を作る能力だと思って貰って問題ないよ。色々制約があるけど、条件が整っていれば大体なんでも作れる」


 なんでも作れるとは途轍もなく有用な能力だ。複雑なものを作るのには時間がかかるようだが、それを差し引いても便利であることに違いない。


「それなら服を作ってくれないか? そっちの方が移動を減らせるだろ?」

「いいけど、少し時間がかかるし、僕の作ったもので良いの?」

「ああ。サイズは見た目より少し大きめに作ってくれれば問題ない」


「わかった。あ、下着は作れないから。というか作りたくない」

「流石にそれは私も嫌だ」

 アランは早速作業に取り掛かり始めたようで、Tシャツの首元が出来始めていた。


「頭でイメージしたものを生み出せるのか?」

「データ上でインプットしたものを現実にアウトプットしているんだ」

「データ上って?」

「ここさ」

 そういってアランは自分の頭を指さした。それでエレナもアランが言っていることの意味を理解した。


「僕はオール光国の元電脳兵だ。頭の中には多機能デバイスであるナノマシンが埋め込まれていて常時ネットワークに接続されているから、情報収集はいつでも可能ってわけさ」


「電脳兵ね。学校で習ったよ。電脳空間から世界中に散布されているナノマシンを介して現実に干渉し破壊工作を働く、対人においては無敵の兵士だったか?」


「連合側にはナノマシンがそれほど多く撒かれていないから、やっているのは電波妨害くらいだけどね」

「情報戦で圧倒的なアドバンテージ取れる時点で戦いにならないだろ。ああ、それで救助とか軍隊も見つからずにここまで移動できたわけか」


 オール光国の技術力はウエストリア人類連合とは比べ物にならない。戦争なんてしようものなら一日で決着が着いてしまうほどだ。

 とても有能な人材と出会ってしまった。エレナにとっては僥倖と言わざるを得ない。


「元電脳兵って言ったな。今は軍隊に所属していないのか?」

「うん。今の僕は軍どころか、どこの国にも組織にも属していない」

「国にもって、それほど光国が気に食わなかったのか?」


 オール光国は他国との国交は完全に閉ざした国であり、その国の情報はオール光国の隣国であり、元は同じ国であったベルティネ共和国からもたらされるもののみだ。


 曰く、箱庭の理想郷。それがオール光国を表す言葉とされている。


「あの旗は僕が従うべきものではなかった。それで既存の組織で僕に合うところがなかったからフリーだったわけだけど、今日、とても良い旗手と出会えたような気がしてるよ」

「その旗手ってのは、もしかしなくても私のことなんだろうな」


 頷いて微笑むアラン。その手元では無地の黒Tシャツが一枚出来上がったところだった。

「これはエレナの分。うん、魔人がいないお陰でさっきよりもスムーズだ」

「ありがと。それで、あー、どれから聞くべきか。色々あり過ぎるな」

「ゆっくり行こう。たぶん時間はあるから。次はワイドパンツを作ろうかな」


 アランは次の作業に取り掛かる。その間にエレナは頭の中を整理し、聞くべきことを選んでいく。


「ひとまず、さっきの話の続きだ。アランが国を離れてまでやりたいことってなんだ? なにか目的があって行動しているんだろう?」

「僕の目的は、ふざけていると思われるかもしれないけど、世界平和なんだ」

「壮大な夢だな。マジでそれを掲げているなら、確かに今の国や組織では難しいな」


 人は自己の利益の最大化、幸福を求めるものだ。そんな人間が集まる国や組織が、それらを追い求めない理由はない。

 幸福や利益を生むものは有限で、パイの奪い合いが発生するのは必定。

それが、人が争う理由だ。


 例え、結成当初は利益を追求しない清廉な組織であっても、人が増え組織が大きくなるにつれ、次第に欲に溺れていき、掲げた大義は建前となり形骸化していく。


 国にも組織にも、アランの目的を達成しうる力を持つところに、世界平和を本気で掲げているところは存在しない。


「エレナの言いたいことはわかる。僕の求める組織は同志だけの少数精鋭で、絶大な影響力を持つものでなければならない」


「営利目的ではない、大義を全うする組織。アランの目的からすると、平和の象徴となる組織を作ろうってことか。そんな組織の先頭が務まるような器かね、私は」


「僕の見立てでは間違いない。正直なところ、思想については測りかねているところがあるけど、影響力という面ではエレナは最適解だ。何しろ、君は世界の御子なんだから」


 世界の御子。魔人も口にしていたものである。その名をエレナは見聞きした覚えがあった。


「世界の御子ってあれだろ、伝承なんかに出てくる裁定者とかいうヤツ」

 ウエストリア人類連合、オール光国、ベルティネ共和国の文化体系はバラバラだが、共通して伝わっている神話や伝承がいくつか存在する。


 その中に世界の御子という存在について記述されたものがあることをエレナは思い出した。

「そう。禁忌伝承における厄災の使徒、ベルティネの再編神話では三大神の一柱である天則神の御使い。生まれた土地にいる種の善悪を判定し、善であれば存続、悪であれば破滅っていう僕ら裁かれる側になんのメリットもない、はた迷惑な神の使い」


「私がそれだと思われていると。原因はあのナイフか?」

 自身の心臓を刺し貫き、肉体に変化を生じさせたナイフを思い浮かべる。今、あのナイフはエレナの手元にない。移動している間にいつの間にか消えていた。だが、エレナにはその気になればいつでも手元に出せるという直感があった。


「そうなる要因はナイフだけど、君が魔人との戦いで見せた姿と力が伝承に謳われる世界の御子に酷似していたからという面が大きい。あれを見たのは、おそらく僕だけじゃない。オール光国側もあの場所をマークしていたはずだから、近いうちにコンタクトを取りに来ると思う」


「何それ、私はどうすればいいんだ?」

「それをこれから話し合おう。はい、これもエレナの。着替えたら移動しよう。僕の方はエレナほど汚れていないから、適当に修繕しておく」


 エレナはワイドパンツを受け取り、下着姿にならないように上手く着替えていく。

「見えないように着替えるから、別にこっち向いててもいいぞ?」

「見えなくても、人の着替えを見る趣味はないよ。というか、君にもそういった恥じらいがあるんだね。意外だ」


「失礼な。私はこれでも世間では評判の淑女だぞ? 人前で軽々しく下着を晒せるか」

 とは言ったものの、そういった意識が芽生えたのは二度目の生を得てからの話で、以前は水着と変わらん、とエレナは思っていた。


「いや、膝上丈のスカートでも躊躇なくハイキックを放てるから、見られても良いものだと思っていた」

「……ボクサーショーツだからそこまで恥ずかしくない。けど、以後、気を付けよう」


 スカートを履いての戦闘が初めてだったこともあり、完全に失念していた。着替えながら頬を薄く朱に染め、今更自身の脚癖の悪さを恥じるエレナであった。


「それじゃあ、移動しよう」

 二人は路地から出て、街の人ごみの中に紛れていく。


 繁華街の外れ、一層煌びやかな通りにあるホテルの一室。ベッドに座るエレナとソファに座るアランは向かい合い、二人して渋面をしていた。


「……スケベ」

「違う。ここが一番都合が良かったんだ」

「いきなり女の子をいかがわしいホテルに連れ込んで何する気なの⁉ やめて、近よらないで変態!」


 先ほどの恥じらいはどこへやら、ベッドの上で科を作り上目遣いで見つめてくるエレナの姿に、アランは頭を抱えた。


「君、報告書と違くない? 本当に同一人物?」

「おいやめろ。加工バレしたみたいになってんじゃん」

「もういいから。そろそろ真面目に話をさせてくれない?」

 呆れきっているアランを見たエレナは白けてベッドに寝転んだ。


 コンビニで下着だけ調達し、ホテルに入りシャワーを浴びた二人は、ようやく落ち着いて体を休めたところだった。

「んだよ、もうちょっと戸惑えよ。私だけやられっぱなしなのは納得いかない」

「はあ、本題に入っていいかい?」

「どうぞー」


 エレナは気の抜けた返事をしながらも、横たえた体を起こして今一度アランと向かい合う。こうして明りのある場所でアランを正面から見るのは初めてだ。


 アランは一見すると平凡な少年だ。エレナよりも一回り以上小柄で細身の体からは力強さは感じられない。薄い顔の童顔なのもあって、ひ弱な印象が知性から予想される年齢よりも幼く見せている。

 東洋系の顔立ちは年齢が読み取りにくい。何歳だ?と聞きそうになるところを踏みとどまり、意識を切り替える。


「エレナ、君のことについては調べさせてもらった」

「電脳兵ならいつでも調べられるか。それで?」

「光国軍のライブラリーに、君に関する報告書があった。それには君とその家族について書かれていた。随分前からマークしていたみたいだ」

「はあ、軍のライブラリー?」


 他国の軍のデータ上に自分のことが載っていることに、エレナは少なからず驚いた。

 これまで目立つことはしても、普通の人間の範疇を超えることはしないようにしていたエレナにとって、以前からマークされていたのは予想外のことだ。


「その理由も載ってる。光国では、僕たちのいる惑星系の物質だけでなく非物質的なものまで観測し計算することで、蓋然性の高い複数の未来シミュレーションを並行でおこなっているんだけど、知ってるかい?」


「ああ、それか。マジでやってるんだな。惑星系とか規模が違い過ぎて理解できねえ。どんな観測機と計算機つかってんだよ」


 収集したデータの量だけでも膨大なものになるだろう。記録媒体についてもエレナの想像の域を超えていた。


「とんでもないとしか言えないね。で、その複数のシミュレーションや観測に異常が現れたタイミングがいくつかあって、君が生まれた時や今日の事件が起こったあの場所がそれに該当するんだ」


「あ、私、出自からして問題ある感じだったか」


「うん。君が産まれる数日前から連合用の観測機の一部が機能停止する異常が起こった。そして、君が産まれたその時間に全ての観測機が一瞬だけ何も映さなくなった。それと同時にシミュレーターの未来予測が大きくブレた。その原因調査の中で、同時刻に誕生していて、傑出した能力を持つ君が原因の候補の一つとして観察対象に上がったみたいだ」


 エレナはその原因に心当たりがあり過ぎた。

「それは私の存在が影響したな。私は神の力によって生まれ変わった、いや、一から生まれ直した人間だ。私は過去の私と同じ名前、同じ容姿をしてる。それは家族もそう。こんなことが起こるはずがないから神の干渉があったと思ってたけど、きっとそのせいだな」


 隠す必要のないことなので素直に話す。

 エレナは、アランであれば詳しく説明しなくてもこの話を受け入れるだろうと踏んでいた。アランもエレナと同じ側、異常に馴染んでしまっている人間だとエレナは考えたのだ。実際、その考えは正しく、アランの表情に困惑は見られなかった。


「神による生まれ直し、か。ちなみに前はいつの時代に生きていたんだい?」

「時代は西暦一九九〇〜二〇二〇年代、つまりは西暦末だな。母国はスイス。対超常現象のスペシャリストとして世界を渡り歩いた。経歴はざっくりこんなところだ」

「西暦⁉︎ つまり、君は地球にいたのか⁉︎」


 これに関してアランが驚くのも無理はない。

 今は煌暦二四七七年。人類が地球を捨て宙に旅立ち西暦が終わったところから、エレナたちが今立っている惑星セカンドに辿り着くまでの時を合わせると、三千年以上経っている。途方もない時間と距離の隔たりだ。


「ああ、こっちに産まれて最初は戸惑ったよ。本当に西暦末とよく似てるって。ここが地球じゃないことを信じられなかったくらいだ。連合の文明再現は無線通信以外の分野ではほぼ完璧に近い」


「所詮は苦し紛れの模倣だよ。文明再現自体は国家樹立から今の水準に到達するまでに二世紀以内で終えたんだ。そこから何も発展させられなかったのは、連合の怠慢以外の何物でもないよ」


「へぇ、辛辣だな」

「当然さ。君たちは新時代を切り拓いたパイオニアだ。対して連合は何も新しいものを生み出せていない。生まれ直した君により良い世界を見せられなかったのが悔しいよ。難しいとは思うけど、一度、光国の中央都市カンデラに行ってみて欲しい。あそこには現人類の叡智の全てがあるから」


 熱く語るアランの姿にエレナはやや面食らった。

 理屈っぽく、どこか学者気質な一面が垣間見えてはいたが、まさかここまで食いつくとは。


「そろそろ話を戻した方がいいんじゃないか?」

「そ、そうだね。えーと、君が生身で魔人に対抗できる能力を持っているのも、その神によるものなのかい?」

「戦闘技能の一部は前に鍛え上げたものだけど、明らかに当時よりも向上してる。身体能力に関しては完全に神のお陰だな。そっちは天然ものなんだろ?」


「いや、僕の方も遺伝子的に強い人間になるように最初の時点でいじっている」

「デザイナーズチャイルドってやつか。流石の光国でも禁忌とされているって聞いてたけど、なんだ、そっちも色々抱えてそうだな」


 デザイナーズチャイルドは、激化する競争社会が生んだ人類の欲望の結晶だ。

 自己の保存のためにより優れた遺伝子を残そうとするのは生物の本能である。

 そこに強者を生み出す方法があると知れば、人はその先が奈落であるとわかっていながら、力という光に惹き寄せられ歩を進めてしまう。


 この時代に生まれてから十七年間、圧倒的な強者として欲したあらゆるものを手にし、人々の信用と信頼、期待と羨望と嫉妬、それらを一身に受け続けたエレナはそのことを強く実感していた。


「君ほどじゃないよ。それで君だけが特別に強く産まれて、他の家族はそんなこともないんだろう?」

「ああ。家族はみんな普通だよ」

「報告書には、優秀ではあるが人の域を出ない、と書かれているけどこれは間違いだったわけだ」

「下手に力を出し過ぎれば魔人認定されかねないと思ってセーブしていたからな」


 エレナの擬態能力はオール光国の監視すらも欺けるほど卓越していた。かつて潜入捜査のために鍛え上げたスキルは無駄にならなかったようだ。


「僕は君の存在を知らないまま、シミュレーターが安定しない異常地点である場所に向かった。近頃活動が活発化している魔人たちが何か大きな事件を起こすと踏んで準備していたんだけど、そこで君に出会った」

「準備って、盗んだコレのことか? よく使えるかもわからない武器で挑む気になったな」


 そう言ってエレナが手の平を開くと、そこに銀色のナイフが出現した。思っていた通り、いつでも出し入れできる。


「形的にカランビットナイフか。全く使い慣れていないから、使いこなせるかわからないな」

「記録に残る対魔人武器のはずなんだけど、なんで僕は使えなかったんだろう?」


「心臓に刺さなかったからじゃないか? 試してみるか?」

「失敗したら死ぬような賭けに出たくはないよ。とにかく今は君の手に渡って良かったと思ってる。僕よりもよっぽど上手く使ってくれそうだ」


 エレナは手にしたナイフを見つめる。

 戦っていた時の感覚は未だに残っている。それは、以前の自分が知っている感覚によく似ていて、欠けていたパズルのピースが嵌まったように心身に馴染んだ。


「ん?」

 あの瞬間の充足感に浸りかけた時、訝かし気なアランの声でエレナは我に返った。


「なにかあったか?」

「入ってきた客が奇妙な動きをしている。僕らのいる階で降りた二人組の一人がエレベーターのところで立ち止まっていて、もう一人は僕たちの部屋の方へ歩き出した。あ、ホテルの各出入口にも一人ずつ怪しいやつがいる」

「流石は電脳兵」


 アランはホテル内を移動している間に監視カメラに細工をしたようで、カメラの映像がアランに送られるようになっているらしい。


「敵襲ってことでいいのか?」

「まだなんとも。一人がこっちに向かってきているのは間違いない。そろそろ来るよ」

 コンコンと扉をノックする音が聞こえた。エレナとアランの視線が扉の方へと向く。


「ルームサービスです。ご注文の品をお持ちしました」

「怪しすぎるだろ……」

「これはカメラなしでも警戒するね」

 頼んだ覚えのないルームサービスをエレナとアランは全く信用せず、二人して小声で言葉を漏らした。


 アランと目配せをし、エレナが扉へと向かう。手には白銀のナイフが握られたままだ。

「すみません、頼んだ覚えがないのですが?」

「いえ、こちらで間違いありません。今からワタシがあなた方に安らかな眠りを」


 話の途中でエレナは扉を蹴り飛ばし、その先にいた人物ごと廊下の壁へと叩きつけた。

「余計なことベラベラ喋ってんじゃねえよ」


 エレナは目の前で気絶している男を部屋に引きずり込み、すぐさま体を弄る。

 男は特に目立つところのない服装をしており、これといった武器も持っていなかった。


「アラン、銃を取ってくれ。エレベーターで待機してる奴がすぐに来る」

「はい。もうこっちに向かってきてるよ。でも、それ要らないかも。君に有効な武器を彼らは持ち合わせてないから」

「どういうこと?」


 さきほどアランに作らせたハンドガンを受け取り、廊下の先のエレベーターの方を覗き込むと、こちらにゆっくりと歩み寄る女性の姿が見えた。


「露骨に油断してるな。なんでだ?」

「何も気にせず倒してきていいよ。銃は使わない方がいいと思う」

「簡単に言いやがる。憶測に命かけれるほど、命の安売りをしたつもりはないんだけどな」


 文句を垂れながらもエレナは部屋から駆け出した。

 駆け寄るエレナに対して、女性は不敵な笑みを浮かべるだけで何もせずただ歩くだけだ。だが、エレナが彼女に肉薄した途端、その表情が凍りついた。

 エレナは敵の動揺を見逃さず、顎を銃底で殴りつけ一撃で意識を刈り取った。


「コイツ、なんで抵抗しなかった?」

「彼らは僕と同じ電脳兵だ。異能は君に通用しないから、君の体内に入り込んでいるナノマシンを利用して脳や内臓をいじくるつもりだったんだろうけど、それを僕に妨害されてあえなく撃沈、というわけさ」


「え、電脳兵ってそんなことも出来るのか?」

「当然。人を破壊する凶悪かつ残虐な攻撃だから普段は使用を禁止されているんだけど、彼らは躊躇してなかったね」


 驚愕の新情報である。言われてみれば出来そうな気はするが、認知不可で脳や内臓を破壊されるなど想像したくもない。あまりにも恐ろしすぎる攻撃方法だ。


「とりあえず、コイツも部屋にぶち込むぞ」

 エレナは倒れている女性を引きずり部屋に運び入れる。気を失っている二人はまるで起きる気配を見せない。


「コイツらに何かしてるのか?」

「脳に埋め込まれているナノデバイスをハックして信号を操って、脳を睡眠状態にさせてる。気を失っていてもブレインハック対策のファイアウォールはあるけど覚醒時に比べれば脆弱だし、余程強固にしてない限り僕なら五秒あれば突破できる」

「そ、そっか。凄いな」


 恐怖で語彙を喪失した。この時、隣にいる男が味方で良かったと、エレナは心の底から思った。


「彼ら、なりふり構わないって感じみたいだったけど、違和感があるんだよね。光国側がそこまでする理由がわからない」

「というか、何でコイツら襲ってきた?」


 根本的な疑問である。エレナは魔人を倒しはしたが、オール光国に何かした覚えはない。

「君が世界の御子だと認識されているからだとは思うけど、うーん……」

「なるほど。あとで詳しく聞く必要がありそうだ」


 自分たちが襲われていることに釈然としない様子のアラン。だが、今はそれよりも優先して確認しておかなければならないことがある。エレナはアランと視線を合わせ、問いかける。


「同胞を敵に回すことになっているわけだが、アランは今後も私の味方ということで良いのか?」

 アランは元同僚を相手にしている。オール光国から離反した理由は聞いているが、それで敵と認識出来るかは別の問題だ。エレナはアランがどこまで協力してくれるのか判断しかねていた。


 エレナに問いかけられたアランの眼には一切の曇りがなかった。

「うん。僕は君の味方であり続けるよ。そうすることが僕にとって都合が良い。相手が光国の人間でも手を抜くつもりはない。まだ話さなくちゃいけないことはあるけど、今はこれで信じてほしい」

「よし、わかった」


 アランに一片の疑いもかけず、エレナはその言葉を受け入れた。

「信じてくれって言った僕が言うのもなんだけど、疑わないのかい?」

「手を切るつもりなら既に実行してるだろ? 今の確認は私の中でアランを相棒として認識するための通過儀礼みたいなもんだ」


 アランの電脳兵としての力を目にしたエレナに、アランを信用する以外の選択肢は存在しなかった訳だが、それでも割り切れているか否かで一瞬の判断に差が生まれる。

 信用できない仲間は敵よりも厄介だ。内憂はこれを以って払拭された。あとは外敵に目を向けるのみ。


「ありがとう。なら、相棒として初仕事の成果を披露しようかな」

「また何かしたのか?」

「この二人の記憶を探った」

「有能過ぎない?」


 話している間にも見えないところでアランは動き続けていた。新たな相棒の働きぶりにエレナは感心しきっていた。


「結果から言うと、彼らも僕のように光国の方針に逆らっている。ただ、僕と違って完全に離反しているわけじゃなく、軍の内部から外に情報を流しているみたいだ」

「外ってどこだ?」

「魔人だよ」


 ベルティネ共和国やウエストリア人類連合の名前が出ると考えていたエレナは想定外の返答に目を見開いた。


「何のために?」

「そこまではまだ。もう少し時間をかけて探らないとわからない。でも、これで僕らが出会ったあの場所に魔人が現れ、世界の御子なんて口走った理由がわかったね」


 オール光国の観測した異常地点の情報を魔人側に横流しし、オール光国側が世界の御子に接触するよりも早く魔人を向かわせた。


「コイツらが魔人と一緒に行動しなかったのは、自分たちが裏切り者だとバレないためか?」

「だろうね。加えて言うなら世界の御子があの場所に本当に現れるかは彼らも知らなかったから、とりあえず魔人に暴れてもらって何が起こるか様子を見ていたんだと思う。それで彼らが負うリスクは何もない」


「そして、まんまと私は釣られて出てきてしまったわけだ。コイツらからすればしてやったりって感じか。腹立つな、もうニ、三発いっとくか?」

「それよりも、今はここから出ないと。彼らの記憶データは保存したから早めに脱出しよう。増援が来ると面倒だし、君の家族を抑えられたら更に面倒だ」


 家族という単語でエレナの意識は切り替わり、脳が急速に回り始める。


「そうか。光国は私たち家族の情報を前から持ってた。そのうえで、私が世界の御子だと知られた」


「魔人に情報を流していた彼らも、君とその家族の情報を持っていると考えるべきだ。魔人側にも情報が渡っていてもおかしくない。君の家族に危害が及ぶ可能性はある」


「それを先に言え! こんなところで悠長に話してる場合じゃねえだろ!」

 エレナは立ち上がり、窓の方へと歩き出す。


「まさか光国側が魔人と協力しているなんて思わなかったんだ。光国だけなら家族に手を出すどころか、君に対する攻撃の意思すら見せないと踏んでいたから、先に君と話をしておこうと思ったんだよ」


「その理屈はよくわからんが、とにかく今は行動だ。出入り口は抑えられたままなんだろ?」

「うん。まだ見張っている。中で何が起きているかは確認していないみたいだ」

「通信技術がある癖に利用しないとは、どこまでも舐めた奴らだ。窓から裏口側に降りて、張っているやつを速攻でぶっ倒し家まで走る。いいか?」


 アランが頷いたのを確認して、エレナは窓を開け放った。そして、何の躊躇いもなく窓の外へ飛び出した。

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